【完結】「君を愛することはない」ということですが、いつ溺愛して下さいますか?

天堂 サーモン

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第5話

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屋敷の敷地からしばらく歩いた場所。
雪に覆われた小高い丘の上。

クラリッサはその一番高いところに、黒い人影を見つけました。


――きっと、フリードリヒ様だわ。

クラリッサはゆっくりその人影に近寄ります。
雪を踏みしめた靴底が踏んできゅっと音を立てました。


丘の頂上近くに来てみると、やはり人影はフリードリヒでした。

真白い絨毯の上。
フリードリヒは手を組み、仰向けで寝ていました。

「死んでしまえ。こんな俺など」

フリードリヒの独り言が、凍える風に乗って流れてきます。
まだこちらに気が付いていないようです。

クラリッサはなんと声をかけるか少し悩んで、とりあえず率直に思ったことを伝えることにしました。

「『溺愛』されないまま、未亡人にはなりたくないのですが……」

フリードリヒはまたもや、ものすごい勢いで上体を起こしました。
身体に薄く積もった雪があたりに舞い上がります。

そして、夢か現かを確かめるように、クラリッサの姿を凝視します。

「ど、どうして、ここが……?!」

「驚かせてごめんなさい。どうしてか、この場所にいらっしゃる気がして」

フリードリヒは一瞬、薄く口を開きかけました。
しかし結局、頭を抱え、瞼を固く閉じてしまいました。

冬に鎖されたこの地のように、すべてを雪の下に埋めてしまうかのように。


――凍ってしまった蕾のよう。
  暖めて、溶かしてあげたい。


クラリッサは深く息を吐き、勇気を出して――ついに、あのことを尋ねました。

「どうして、『愛することはない』なんて言ったんですか?」

フリードリヒの肩が、大きく跳ねます。
けれどその口は堅く閉ざされたまま、びくとも動きません。

雪だけが、しんしんと降り積もっていきました。


――世界に、ふたりだけになったみたい。


クラリッサが清らかな静けさに浸っていると――

「……わかっているだろう」

ついに。
フリードリヒが、その沈黙を破りました。

フリードリヒは細く息を吐き、ゆっくりと、灰青の瞳を開き。
目線を落としたまま、ぽつりとこぼしました。

「俺は……男ではない」

――男では、ない?

フリードリヒの言葉の意味が、クラリッサには全く分かりませんでした。

自分よりずっとしっかりした肩幅。
白い喉元には、喉仏がくっきり影を落としています。

目の前にいるフリードリヒは、どう見ても男性に見えました。

クラリッサがきょとんと首を傾げるさまを見て、フリードリヒは苦し気に唸ります。

しかし、突如雪を巻き上げながら立ち上がり――

「お、俺は……俺は、不能なんだ!」

振り切るように叫びました。

大きく上下する肩。
荒く吐かれ続ける息は辺りを霞ませて。

白い靄のなか。
青白かったフリードリヒの横顔は、いつの間にか耳まで真っ赤に染まっていました。

しかし――

「ふのう? 何が『できない』のですか?」

まだ乙女のクラリッサは、知らずのうちに容赦ない追及をしてしまいます。

フリードリヒは声にならない呻きを漏らし。
やがて、白い吐息と共に消えてしまいそうなくらい、小さな声で告げました。

「……っこ……子作り……だ……」

子供は夫婦が愛し合って作るものと、クラリッサは聞いていました。

――なるほど。
  だから、『愛せない』と仰ったのね。

すっきりと胸の内が整った感覚に、クラリッサはほっと息をつきます。

けれど。
それとは対照的に、フリードリヒは力なく頭を垂れました。

「俺は」

細く吐き出された息が、淡く白く、二人の間を流れていきます。

「君と、家庭を築きたかった」

吹き抜ける寒風に紛れるように、フリードリヒは囁きます。

「君と、小さな子供と、食卓を囲むのが夢だった。はじめて出会ったときからずっと……!」

フリードリヒの拳がより一層固く、固く、握りしめられます。

「なのに、俺は……あの日、立ち上がれなかった」

「えっと、でも立ち上がって部屋の外に」

「そ、そういうことではない」

クラリッサがフリードリヒの顔を覗き込むと、灰青の瞳にはうっすらと涙が浮いているように見えました。

震える睫毛を見ていると、どうしても何かしてあげたくて。


「……私は。フリードリヒ様とならきっと、本当の夫婦になれると思って、この地に嫁いできました」

クラリッサは立ち上がり、冷えで真っ赤になってしまったフリードリヒの拳を優しくその手で包み込みました。

フリードリヒの手はびくりと引っ込みかけましたが――
やがて、少しずつ力が抜けていきました。


――どうしてだろう。
  自分よりずっとしっかりしたこの手を、労わってあげたいと思う。
  そんな気持ちが、手と手が触れたところから、溢れてくる。

――ああ、そうか。
  私は……


「私は、フリードリヒ様を愛しています」


いとも自然に。
その言葉は紡がれました。

フリードリヒは突然の告白に、喉を震わせ。
何度か荒く、息を吐きました。

「そんな、なぜだ?」

「理屈じゃなくて、『ああ、愛しいな』って……わかったんです。なにが『できなく』ても、関係ありません」

だいぶ温まった手と手を慈しむように見つめながら、クラリッサは歌うように語り掛けます。

「フリードリヒ様は、どうですか? やっぱり、私を愛しては下さいませんか?」

「……う……お……俺は……!」

フリードリヒの瞳から、ついに。
大粒の涙がこぼれおちました。

次々に頬を伝う涙はやがてぽたぽたと地に落ち、雪を溶かして跡を残します。

クラリッサがその頬に手を添えようとしたとき、ぱっとフリードリヒはその手を強く、握りました。

そのまま深く息を吸い込み、叫びます。

「俺は……! 君が、愛おしい!」

あまりに大きな声で、クラリッサの耳の奥がキンと痛みます。
けれど、それ以上に、小さな胸がぎゅっと締めつけられるように苦しくて。
クラリッサの瞳からも一粒、涙が落ちました。

「だって仕方ないだろう! 好きなんだから! ずっと! 昔から!」

フリードリヒが手を引くと、クラリッサはすとんとその胸元に収まってしまいます。

そのまま、不自然なほどそっと、壊れ物を扱うように。
フリードリヒの腕がクラリッサを包みました。

冷え切った腕なのに、どうしてか。
触れたところからじんわりと熱が広がっていくようでした。

――心が通じることが、こんなにも温かいなんて。

高鳴る鼓動と、火照る身体を感じながら、クラリッサは囁きます。

「私のこと……どれくらい、好きですか?」

「ぶ、不愛想な俺にいつも変わらず優しくしてくれる君が……好きで好きでしょうがない!」

「溺れるくらい愛していますか?」

「ああ! もう息ができないくらい、愛してる!」

ああ、やっと。
『溺愛』して下さいましたね。
……いいえ、表にしていないだけでずっと、『溺愛』して下さっていたのかも。

広い胸元に顔をうずめながら、クラリッサがついくすりと笑うと、フリードリヒは不安げに腕の力を緩めました。

「……その、変なことを言ったか……?」

クラリッサはフリードリヒを見上げ、少し背伸びをします。
そして、その頬にかするような淡いキスをして――

「いいえ、全く。私にとって世界で一番素敵な、愛の告白でしたよ」

耳元に、そう、甘く囁きかけました。
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