すべては貴方のために

ねこまんまときみどりのことり

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母の愛は永遠に

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「お世話になりました。お元気でお過ごしください」

 華麗な淑女の礼カーテシーをして、去っていく女性。


 いったい、何が起こっているのだ……………


 混乱の中思考を纏めるが、解決の糸口も見つからなかった。

 今まで俺を “微笑み”と“慈しみ” 、時に “諫言” を与えてくれた『母上』が居なくなった。

 たった今『お世話になりました』と、満面の笑みを残して…………




 そんな第一王子ユーインを見守る王室の影『サライ』は、憐れみの眼差しを向けた後、国王へ報告へ向かう。

「どうやら、何も思い出していないようです」
そう告げると、

「そうか……」と、
 言葉少なに、苦渋の表情を浮かべる国王トルシェ。

「何も今、無理に思い出さなくとも、良いのではないですか?」
 臣下となる者が国王に言うべき台詞ではないが、それは乳兄弟となりずっと側にいたサライだから出来ることだ。

 サライの兄は、表舞台の宰相に。
 弟となる彼は、自ら国王の影となった。

 影となってからの身分は、外国で研究に携わる学者となっているので、不在でも問題ない。
 黒髪で黒い瞳、170cm程度のどこにでもいるような目立たない男。
 印象を薄くする伊達眼鏡も黒縁だ。
 国王と同程度の年齢なら40才近いと思うが、金髪碧眼で口髭を蓄える国王よりかなり若く見えた。
 ベビーフェイスというやつだ。


「そろそろ本当のことを思い出さんと、私の後は継げんだろう。国を治めることは、綺麗事ではないのだ」

 そう言うトルシェだが、その表情はとても苦しげだった。
 彼もまた、息子を愛しているのだ。
 辛い思いはさせたくないのが本心だろう。

「もし……ユーインが思い出さなければ、私から直接告げようと思う」

 王の決断に首肯する。
 そう、いつかは理解しなければならないのだから。



◇◇◇
 本日は3人の令嬢と王太子ユーインの顔合わせだ。
 初めましてと令嬢がカーテシーをし、ユーインもそれに応じた後、各々が所属を述べていく。

「私はシナモン侯爵家のローリーと申します」
「私はチェリー辺境伯家のガイアと申します」
「私はノーマ伯爵家のチェルシーと申します」

「参加してくれて感謝する。席へ座ってくれ」

 少人数で茶会が行われるこの薔薇庭園での会話は、次期王太子妃を決める為の大切なものだ。
 今の季節は王妃御自慢の黄色い薔薇が、所狭しと咲き乱れている。

 ユーインは趣味や政治のことを織り混ぜながら、令嬢達の意見を聞いていく。
 本日集まった令嬢達の挨拶・所作・質問に対しての受け答え、こちらの求める返答を忌憚なく発する姿勢は、将来の王妃の器に相応しく思えた。

 そんな会話が進んだ時のことだ。

「母上が自ら手入れしている庭、落ち着くであろう。花言葉の平和が続くようにと、赤の薔薇より黄色を中心に据えているそうだ」等などと。

 ユーインは少々自慢げに話してしまい、少々言い過ぎたかと自省する。
 母親王妃のことになると、どうしても饒舌になってしまうのだ。
 世間では度が過ぎると『マザコン』と言われ嫌煙されるようだが、国母を大事にできない者に王太子妃は勤まらないと、心で言い訳をした。



「「「?」」」

 数秒の間があり、1人が呟く。
「殿下は、王妃様を敬愛していらっしゃるのですね」

 勿論だとユーインは答える。

「王妃様が亡くなられてちょうど10年。その後もこの場所を変えず、当時のように守られているのですね。素晴らしいですわ」

 頷く3人の令嬢達。

「どういうことだ。お前達は何を言っている!」

 母上が亡くなられたなんて、何と不敬な!
 ただでは済まさん!
 そう思っていると、急に眠気が生じてふらつきを生じたユーイン。
 目を開けていることもできず、そのままテーブルに上体を伏せたのだ。

「「「キャアー!!!」」」

 それを見ていた令嬢達が、何かあったのかと驚き騒ぎ出す。

「ああ、落ち着いてください。大丈夫ですから。        
   ここだけのお話にして欲しいのですが、殿下は睡眠障害でして。 
 政務に明け暮れているせいか、極端に睡眠が短くなり、時折急に眠りに就いてしまうのです。 
 王太子教育が落ち着けば改善すると思うのですが、元来生真面目で、融通が利かず。 
 あー、これ悪口だな。内緒にしといてくださいね」

 サライがやや強引にその場に現れ、笑顔で誤魔化す。
 本当は麻酔針を打ち込んで、しれっと針を回収したのだ。
 一応、ハニートラップも仕掛けられる程度の器量は持っているかんばせだから、怖がらせはしないと自覚している。
 今は少しだけ、サライとバレないような変装をしているけれど。

 ちょっと明るめに話かければ令嬢達は次第に落ち着き、表情も柔らかさを取り戻していた。
 そこで茶会はお開きにし、帰途に着いて貰った。

 ユーインの逆鱗『母上が亡くなっている』の会話でスイッチが入り、何度場を壊したことか。
 だが悪いのは令嬢達ではない。

 良識を持った令嬢達が、態々悪態を吐くはずがない。
家門または個人で、王太子妃になりたい少女が集まる場で、失態を犯す筈がないのだ。

 悪いのは、ユーインの方なのだから。


 だがサライは、ユーインを責める気にはならない。
 そもそも悪いのは、ある意味王妃だった “エレノア” なのだ。
 あの方が、もう僅かでも私共を頼ってくれていれば今頃…………



◇◇◇
 国王トルシェと王妃エレノアは、前国王のジュシールが決めた政略結婚の相手だ。
 最初から、愛し合っていた訳ではなかった。

 筆頭侯爵家のエレノア。
 彼女の母リュース様は彼女エレノアを出産後5日目に失踪。その後も消息は不明だ。 
 そしてその半年後には父侯爵が再婚し、その翌年嫡子となる異母弟が産まれた。
 早い再婚と出産に当時は抗議の声もあがったが、彼は 「妻には他に男がいて、駆け落ちした。後継ぎを生んだ妻を認めろ」と言って聞き入れず、なし崩しの行為を取り続けた。
 実際に使用人が1人居なくなっており、それがエレノアの不貞の証拠だと言う。 

 リューズの両親はそれを認めず、そんなことを言う男の所に孫を置いておけないと、引き取りを要求した。
 しかし力のある辺境伯家に娘を渡せば、叩かれると分かっていた父侯爵は、決してエレノアを渡すことはなかった。

 エレノアを渡したくない父侯爵は、辺境伯家と距離を置き、己の保身の為だけに彼女を留まらせた。

 父侯爵と継母は、リューズが侯爵家に嫁いだことで、自分達が引き離されたのだと恨んでいたのだ。
 その為、リューズと共に生まれたエレノアにもずっと嫌悪を向けていた。そんな中でエレノアが幸せに過ごせる訳はなかった。

 エレノアの祖父母は何度も父侯爵に打診し、エレノアの引き取りを懇願した。引き取っても侯爵家に報復しないと誓いもした。さらに王家にも引き取りを願い出た。しかし侯爵家は王弟と縁故があり、無理強いも出来なかったのだ。

 そんな世界でエレノアは育った。
 産まれた時から侯爵家しか知らない彼女。
 エレノアの母親が傍に居たのは、生後5日弱で記憶も残っておらず、回りは父侯爵と継母の味方ばかりだった。



 そしてエレノアも、継母を実の母だと思い育つ。
 溺愛されている弟のように、いつか自分も愛して欲しいと願った。羨望と嫉妬を弟に抱く自分が嫌だった。

 エレノアの部屋は、先代が陶芸用に使っていた離れ。
 汚れても良いような土床の玄関に、休憩用の狭い部屋が一つ。
 そこがエレノアの世界の全て。

 外出用の衣装は貸衣裳で、アクセサリーも同じ。
 離れでは使用人のお仕着せを着せられた。
 食事や身の回りの世話は最低限で、本館から通いで使用人が来るだけ。
 使用人らもエレノアの母親は、使用人と駆け落ちしたと思っていて娘を冷遇していた。
 それを信じていない者も、エレノアの味方にはならない。味方になっても、何の得にもならないから。

 子供同士の付き合いもさせず、学校にも通わせない代わりに、教育にだけは力を入れた父侯爵と継母。 
 だがそれも何れ政略で縁を繋いだり、金持ちに売り払おうと考えていた下衆な考えだった。

 共にいる家族や使用人達からは、一切の愛情や関心を受けてこなかったエレノア。
 何度、父侯爵と継母と弟の外出を窓から見送ったか。    
    何度、庭ではしゃぐその家族を見ていたことか。
 いつもいつも羨ましく、自分が良い子になれば愛が得られるのかと夢想した。

 全てのことを愛を得る為に懸命に熟なす中、1人の女教師がエレノアに伝える。
「今いるお母上と弟様は、血の繋がりがありません。
エレノア様のお母上であるリューズ様は、すでに亡くなっていることでしょう。私の考えでは、お父上に殺されたと思っております」

「えっ」と言葉を失くせば、女教師がさらに伝える。

「私はエレノア様の祖父母様に当たる、辺境伯家から派遣された教師で、マイと申します。勿論そうと分からぬように身元は伏せておりますが。
 エレノア様ももう12才、いくら主要な茶会等を欠席されているとは言え、今後は王家の舞踏会や顔合わせもあります。そこで貴女様が衝撃を受けないように、お話に参りました」

 初めて聞く事実に、頭が混乱する。

「世間では本当のお母上リューズは、エレノア様を産んだ後使用人と駆け落ちしたとお父上がおっしゃっています。
 ですがそれは無理なことです。生粋の御令嬢が出産後にすぐ動ける訳もなく、それでなくともリューズは、お父上を愛しておりました。
 政略ではありましたが、あの顔が真底気に入ったと何度も手紙を頂きましたので」

 マイは母親リューズと学友で、出産間際まで文通していたと言う。その手紙も保存してあるそうだ。

「そして生まれてくるエレノア様を、今か今かと待ちわびておりました。仮に家を出るとしても、エレノア様を置いていく筈がありません。彼女は貴女を愛しておりましたから」

 自分が不甲斐ないせいで、愛されないと思っていた。
 でも、実の母には愛されていたのだ。

 今まで我慢していた涙が、一気に溢れでた。
 泣くなんて感情、自分にはないと思っていたのに。
 マイはエレノアを抱き締めて、たくさんの方が貴女の無事を願っています、そして愛しておりますと伝えた。

「リューズも、祖父母の辺境伯様達もずっと貴女を案じておりました。
リューズが失踪した当初から、ずっと貴女を引き取りたいと願い出ていました。王家にも要請していたくらいです。
 しかし侯爵様が、大事な娘を渡したくないと拒否し続けているのです。 
 今も打診していますが、聞き入れてくれません。 
 きっと貴女を引き取ったら、制裁を加えられると恐れているのでしょう。 
 そしてさらに、王弟の愛妾は侯爵様の姉上です。この国では女性も家を継ぐことができますので、何らかの方法で姉上を陥れて愛妾にしたのでしょう。 
 王弟の影響もあり、王家からも引き渡しを強く言えないようなのです。 
 一度は貴女を、この家から連れ出そうとしたのですが、堅気でないような騎士が屋敷裏に陣取っており、こちらの兵が重症を負い無理だったのです。
 本当に力及ばず申し訳ありません」

 エレノアの環境は変わらない。
 でも話を聞けば、味方がいることや自分が愛されない理由にも納得がいった。
「この家にいるのは、他人だったのね…………」

  そう思えることで、生きる力も湧いてくるようだった。

 それからはマイは、話過ぎて目立たぬように手紙をエレノアに渡すようになった。
 聞かれたくないことは、ノートに書いて伝えたりと工夫もした。
 初めて母のことを話した時も、小声ではあったし継母達は外出し不在でもあったが、諜報員スパイがどこにいるとも限らないから。

 そしてエレノアからも、手紙を書いてマイに渡した(便箋はマイが購入)。初めて書く祖父母への手紙は、期待と緊張で何度も書き直した。

「エ、エレノアが、エレノアが…………私達を思っていると。愛していると…………」
「ああ、ああ。プラザ(祖母の名)よ、私も見たよ。
ああ、神よ。感謝します。そしてエレノアをお守りください」
 跪き祈りを捧げながら、2人は歓喜の涙が止まらない。
 祖父母の喜びは天井知らずで、その後も文通は続いていく。

 身分を隠し、使用人として辺境伯家所縁の者も数人潜り込めた。その都度手紙で報告され、エレノアの心は次第に安寧を見せていた。

 父侯爵と継母達は、少しでも高く売り込むことが出来るように、エレノアの教育を苛烈にしていく。
 以前は人形のようだったエレノアは、笑顔も見せて教師の評判も良い。
 ただ継母は、外部に連れ歩かないので、淑女教育が身に付いていないのだと思っていた。
 そんな礼儀では、高位貴族には売り込めないと見下していた。 
 だがここに来る教師達は、異母弟であるアルノよりもエレノアの方が優秀であると認めており、それを王家にも報告する。
 侯爵家が依頼する高位教師陣は、王家の教育も担うこともある程優秀なのだ。


 継母達はリューズの醜聞と、エレノアの脆弱さで外出を控えていると話していたが、教師陣からの報告により王家には健康問題はないと周知されていた。
 そして侯爵家での監禁のような様子も、次第に露見していったのだ。

 分野ごとに複数人いる教師の授業を受ける際、エレノアは本邸に来ていたが、服は毎回同じ派手な似合わないドレスだった。
 授業後は教師を見送った後、離れへ戻っていく彼女を何人もが目撃していた。
 それを耳に入れた継母は、離れでは陶芸をしていると説明した。しかしエレノアからそれらしい話を聞かず、毎回というのが気になる。
 そこをつつくと、継母は眦をあげて顔をしかめた。肯定と同義、ああ虐待かと悟られた。

 それからは室内で教師を送り、馬車が見えなくなってから移動することを言いつけられた。
 それに従うエレノア。

 教師が去るまで部屋にいると、異母弟と偶然顔を会わせることになった。 

「初めまして、身持ちの悪い母上をお持ちの姉上様」
 嘲笑うように、歪んだ顔でこちらを見る異母弟。

「さようなら」

 エレノアは、そう答えることしかできなかった。
 母の悪口を正面から言われ、心臓が嫌な音をたてた。
 ドクドクドクドクと早鳴る。
 やはり此処には、家族はいないと強固に確信した瞬間だった。




 悪意に晒されながら、賢く美しい女性に成長したエレノア。
背まで伸びた黄色が濃い金髪は、ひまわりのように明るく。
 大きな瞳は、黄茶色で愛らしい。
 母に似た鼻筋の通った美人さんである。
 とは言っても、ものすごく美人ではなく、程ほどの美人と言う感じ。
 学園に通っていなかったが、欠席できない王家主催の昼餐会や夜会には参加し、美しい所作と知的な会話を披露していた。 

 そしてとうとう、祖父母にも出会うことができた。
 その喜びは美しい涙と表情を、周囲にも見せることとなった。
 そしてろくでなしの王弟にも、見られてしまったのだ。


 エレノアは、教師である子爵や未亡人の伯爵と会話をしたり、同じ教師を共にするご令嬢とも交流を深めていた。
 少しづつ、交流範囲を広めていた矢先のこと。

 ダンスに疲れベランダに出た時に、王弟ノワールが現れた。
「おやおや、可愛い蜂鳥よ。今宵は私を癒しておくれ。 君は母上に似てとても美しい」

 そう言って、強引に右の手の甲を掴み、強めのキスを落とす。
 肩までの銀髪を後方へ撫で上げ、金縁のモノクルをかけたナイスミドル。
 新緑の瞳はたれ目で優しそうに見える。
 背丈はエレノアよりも少し高い、170cm前後くらいだろうか?


 男どころか、人にも慣れ始めたばかりのエレノアだ。
 当然キャパオーバーである。
 そして不自然に人気ひとけがないことに気づいた。

恐怖で凍りついていると、ノワールが言う。
「君も母上と同じで、奔放なのかな?」と、厭らしい眼差しが全身を嘗めるように見ている。

「や、やめてください」
 精一杯の虚勢。

「何を? まだ何もしていないよ。それとも、やめて欲しいことをするのを望んでいるのかな?」
 ニヤニヤと、さらに厭らしい表情のまま近づいてくるノアール。

 もうダメだとぎゅっと目を瞑ると、他の人の声が聞こえた。

「こんな所で何をしているの? 陛下がお待ちですよ、ノワール叔父様」
「邪魔するんじゃないよ。これからが良いとこなのに」

 文句を言い怒り肩をして、渋々ノワールは去っていく。
 ベランダ周囲を、それとなく部下に閉鎖させていたノワールだが、王子が来れば終了である。

「大丈夫ですか? ノワールは王弟の地位にありますが、女にだらしないのです。ほら、私兵達を使って人を遮っていた。 
 俺はこういうの嫌いなんで、時々邪魔してるんです。    
    あまりパーティー慣れしていない若い女性を狙うんです。まったく王家の恥ですよ。
 大変申し訳ない、歩けるかな?」
 薄っぺらじゃなく、心から心配している言葉だった。

 180cmくらいの王弟より高い背丈で、がっちりした体躯。
 青い髪は後首で一本で束ねられ、アーモンドアイは金色でとても綺麗に見えた。

 エレノアは何度も頷き、大丈夫だと呟いた。

「ただ……」
「やっぱり何かあった?」
「すいません、口に出てたんですね。あの……母をバカにされました。それが…………悔しいんです」

「君は………」
「あ、申し遅れました。私、レスマッチ侯爵家のエレノアと申します。お見知りおきを」
 そして、華麗に淑女の礼をした。

「俺はこの国の第一王子トルシェ、トルシェ・グラトフクルだ。失礼だが、君の母上は失踪したリューズ殿か?」
「はい、そうです。ですが、友人への手紙には失踪する気配もなく、父を愛し私を大好きだと書いてありました。それが使用人と駆け落ちなんて、信じられません。その父は、駆け落ちしたと言うのですが……」
 俯き、ぎゅっと閉眼するエレノア。

 それに対し、坦々と話すトルシェ。
「君の言うことを信じるよ。俺も5才くらいの時君の母に会ってるが、夫君と腕を組んで嬉しげな姿を目撃している。あれは恋する者の眼差しだった。間違いない!」

 5才で恋するって、分かるのかしら?

「俺の初恋は4才だ。その後もいろいろな侍女に片想いしていたから分かるぞ。信じろ!」
「……はい」と、言うしかない。
「そしてその時君はお腹にいて、その後の出産5日後に失踪の話が出てたな」
「そうなのですか?」

「その後に、辺境伯家からエレノアを引き取りたいと打診があったり、叔父ノアールがそれを邪魔したりといろいろあったんだ」

 「何故、王弟殿下が?」
 すると目を細めたトルシェが、声を潜め言う。

「はっきりしてないんだが、俺は叔父ノアールが関わっていると思う。君は関係者になるから気をつけて。そしてできる範囲で、他言しないでくれると助かる」

 そう言うと、ベランダから去っていく。

 エレノアも1人でベランダにいるのが怖くて、祖父母の許に向かう。
 それを見て、渋面な侯爵を見た。
「もしや、さっきのは侯爵のさしがね?」

 疑わしさばかりが、頭を過る。

 困り顔の祖父が、声をくれる。
「何かあったのか? 我慢せず教えておくれ」
どこまでも優しい声音だ。

 エレノアは答える。
 王弟の話はまだ話せない。ならば…………

「先程ベランダで、第一王子様にお会いしました。
とても素敵な方でしたよ。トルシェ・グラトフクル殿下。もう1回で覚えてしまいました」
 誤魔化しながら、なんとか答えた。

 すると、少し寂しそうにされる祖父。
「そうだな、エレノアもそんな年齢になるのか?」と。

 きょとんとしていると、祖母が小声で笑い。
「焼きもちですよ。王子様に」
 ニコニコされ、背中を撫でてくれたのだ。

 復活して目に力が戻った祖父は、私を見つめて任せろと言う。

「何を?」と、聞けないまま夜会は終了した。

 帰りの馬車は2頭。
 一頭目の立派な馬車は侯爵、継母、義弟が。
 二頭目の家紋も付いていない、黒くて狭い馬車はエレノアが乗る。それも誰にも見られないように。

 今さらな感じもするが、継母はそういうのを気にする人だった。



 それから祖父が頑張り? を見せて、王太子となったトルシェ様の王太子妃になることができた。
 父侯爵が断れぬよう、王命と言うオマケ付きだった。

 懸念した通り父侯爵は最初反対していた。けれど王太子妃の生家となれば、商売にも役立つと言われ賛成にまわったのだ。
 継母はエレノアが権力を持つことに反対していた。
 しかし王太子妃にならないなら、優秀なエレノアが侯爵家を継いだ方が安泰だと、陛下に脅されて承諾したのだ。

 エレノアとしては、侯爵家にずっといるのは嫌だなあと思っていたので、王太子妃になれて良かったと思う。そんなつもりじゃなかったけど、結果オーライだ!


 トルシェはどう思ってるのか聞くと、エレノアは初めて見た時から肝が座っているし、王子と分かっても態度も変えないし、初恋の侍女に似ていたしで良かったと言う。
 しどろもどろで、顔も赤くなっていく。

 照れてるのかな? まあ、こんなこと聞く人いないだろうしね。
 4才の初恋の相手似だからかぁ? でもそれで良いなら良いか!
 納得するエレノアだ。

 複雑な家庭環境のせいか、ちょっと変かもしれないと   
    自分でも思っている今日この頃。

『正義の人だもん、トルシェは。私も助けられた身、私も貴方を守ってあげるからね』

 そんな感じの使命感的な結婚だった。

 教師陣の言う通り、遊ぶこともなく幼い時から学んでいたエレノアは、全ての教育において優秀だった。
 それは護身術においてもだ。
 ノワールのこともあり、エレノアは身を守る技に心酔していた。
 王家の影を信用していないように見えるのだが、それは違うのだ。 
 エレノアは自ら、影となるサライに言う。
 
「もしも2人同時が危機となれば、迷わずトルシェ様の許に向かってね。近くにいたとか言い訳もいらないわ。 私は大丈夫よ。トルシェ様は、トルシェ様だけはこの国になくてはならない方だから」と。


 そんな呑気な2人にも、王子が産まれた。
 第一王子ユーインだ。
 その後、王女フルーチェインも誕生した。

 時々ノワールが悪さをし、陛下に報告をあげられていた。
 女癖の悪さを指摘するも、死ぬまで治らないから殺してくれと言うのだ。
 ノワールは国王と10才離れた可愛い弟。
 高齢出産となる母が、命を掛けて産んだ命だ。
冗談でも殺せる訳がない。

 でもノワールは、自分が産まれたことで母を失った後悔を、引きずって生きていたのだ。

『あれは根が優しく、脆い子だから』

 守ってやりたいと、庇護下に置いてきた。
でも、どうやら間違いだったかもしれない出来事が、続々と露見してきたのだ。




◇◇◇
 王弟ノワールは、トルシェが横領や人身売買に手を染めていたとして、私兵を放ち捕らえようと企んでいた。

 数日前から、王弟と行動を共にする怪しい私兵を見かけた影達は、王弟や私兵の身元を調査していた。

 そして、教育係として辺境伯家から来ていたマイと、王太子妃になったエレノアは、初めての夜会でノワールの見張りをしていた私兵と、街で出会でくわしていた。

 ピンときたエレノアは、帽子を目深に被り後をつけた。
 その後、酒場へ行く私兵を尾行したのだ。
 エレノアも護身術を鍛練しており、マイも辺境伯領にいた時は一辺境伯私兵。
危険回避くらいはお手のもの。 そしてこっそり尾行しているサライの気配も感じていた。

 そこで王太子の罪をでっち上げて廃嫡させ、自分が次期王位を継ぐことに名乗りを挙げるという。
 本当ならこんな所で自慢気に話したりなんかしない。
 そうとうの自信家か?
 周囲が私兵の男に逆らえないのか?
 ただ考えが足りないだけか?
 自分が王弟の下で働くことを自慢したいのか?

 エレノアから見れば、計画を前に漏洩するような部下はいらない。
 顔に傷がある叩き上げの戦闘をしてきた風情があり、貴族のようには見えなかった。

 そう考えると計画を漏洩したい誰かが、この口の軽い男を雇っていることになる。



 何の為に? それこそ迷宮入りである。
 だが、それは強ち間違っていなかったようだ。





 王宮に帰ったエレノアは、サライを呼んだ。
 そして今日得た情報を伝える。
 万が一の為、もし自分に何かあった時の対応も、お願いすることにした。

 サライは首を振り、「そんなことは聞けない、あってはならない」と固辞するも、トルシェのためだと言えば頷く他なかった。




 その後暫くは穏やかな日々を過ごす、トルシェとエレノアとユーインとフルーチェイン。
 サーカスやピクニック、ショッピングや観劇等、時間を見つけては家族の時間を楽しんだ。
 そして移動の際は、必ずサライが傍に尾行し守護してくれていた。


 そして、その日はやって来た。

 ノワールが私兵を引き連れ、王宮の中に押し入ってきた。
 全部で50名程の屈強な私兵。
 騎士と言うより、傭兵のようだ。

 それでも前情報があった為、この日の為に訓練した動作で素早く騎士を現場まで集め、一網打尽にした。
 数名の私兵は暴れ、王宮の騎士達に深手を負わせた。


 この時ばかりは、国王も捕縛に動いた。
 もう、ノワールだけを逃がすとは言わなかった。


 ノワールの計画としては、偽造した証拠を持つ私兵がトルシェの執務室に押し入り、引き出しに違法書類の証拠があったと追求するつもりだったのだ。
 勿論王弟の権力も使って。


 その計画は脆く崩れたが、まだ回収されていなかった。
 ノワールは、計画として違法書類が見つかったことで、トルシェが自殺を図ったということにしたかった。 
 トルシェが追い詰められて落ちるように、ベランダに細工をして誘導しようとしていた。



「ああっ !!! 母上、ははうえーーー !!!!!」
 ユーインの叫び声が聞こえた。

 ドサッとした音が聞こえ、エレノアが3階のベランダから落ちたのだ。

 そこはノワールが、トルシェを追い詰めようと細工をしたベランダだった。
 何も知らず、ユーインが寄り掛かった手すりが外れたのだ。

 ユーインを救おうと、傍にいたエレノアがユーインの腕を掴みベランダに投げた。 
 その反動でエレノアは地上に落下したのだ。


 泣きじゃくる6才のユーイン。
 呆然とするトルシェ。
 フルーチェインは、まだ4才だった。


 そして何故かエレノアの落下を知ったノワールも、滂沱の涙を流した。
 この計画の大本は、トルシェを罠に嵌めて殺し、未亡人のエレノアを妻にすること。
 王位を継ぐなど二の次で、エレノアを傍に置くのが主目的と言う呆れたものだった。

「何故だ? エレノアこそ、我が妻に相応しいのに。あ、ああっ、何故お前が生きてエレノアが死ぬんだ、なんでっ!!!」


 その勝手な言い分に、トルシェは答えた。

「お前が殺したんだよ。俺の妻を、子供達の母を、国母たる素晴らしき女性を!
俺がお前を殺してやりたいよ!!!」

 城が壊れると思うくらい、怒声で揺れた。
 その瞳には、涙が伝う。


 その後にエレノアの部屋を片付けると、サライから伝えられたように、ノワールの悪事の証拠が次々出てきた。
 以前から辺境伯家の祖父母や騎士達と、リューズエレノアの母の失踪を調査していたのだ。 

 あの日失踪日を境に目撃者はなし。
 そして消えた(母と不貞をしたとされる)使用人は故郷に戻って結婚していた。
 なんでも、突然その日に首になり、王都に戻らない約束で退職金を多めにもらったのだとか。
 貴族のことには逆らえないと、王都に近づかず静かに暮らしていたと。 

 勿論、母とは何もなかった。 
 さらに侯爵家と王弟の邸を調べ、使用人に聞き取りを行ったところ、失踪日当日に王弟の邸で母を見たと言う証言があった。
 何でも言い争い後に静かになったと。 
 ある時急に樹木だけで花を植えていない邸に、黄色い薔薇が植えられたのだとか。

 エレノアは自分が死することがあれば、この報告書をトルシェとサライとで、国王に見せて欲しいと頼んでいた。
 平時に渡しても破棄されるからと。

 自白剤をノワールに使うと、あっさりエレノアの母、リューズの殺害を認めた。
 リューズをノワール邸まで連れ出したのは、継母だった。 
 ノワールとの不貞を促すように手を組んだのだ。
 全ては父侯爵と結婚したいが為に。
 でもリューズは、ノワールを拒み殺されてしまった。 
 傭兵のような私兵は、その時ギルドで雇ったらしい。     
    そして庭にエレノアの母を埋めたのだ。



 ノワールの妻は別居しており、すでに生家の候爵家で生活している。
 ノワールの女癖に我慢できなかったようだ。 
 ノワールは離縁を迫るも、受け入れてくれなかったそうだ。
 どんな目にあっていても、王弟夫人の身分だけは手放せなかったのだろう。 
 そして公妾にされた父侯爵の姉は、王宮で侍女をしていたトルシェの初恋の人。
 王宮で目をつけられて、公妾になってしまった。 
 本来、未婚の侯爵令嬢がなるものではない。
 ここでも国王の力が働いたのだろう。





 そもそもどうして、こんなことになっているのか?
 それはノワールが、亡き母を追い求めた為だ。
 姿絵に描かれた母に、侯爵の姉もエレノアの母もエレノアも似かよっていた。
 黄色い金髪に、大きな黄茶の瞳。

 そして悪いことに、国王が言ってしまった一言。 
 エレノアは、ハッキリしてるところも真っ直ぐな瞳も、ノワールの亡き母にそっくりだと。 
 ノワールの性癖を知る国王は、言ってはいけなかったのだ。
 こうなることは予測できたはずなのに。 

 そしてこの事件が発覚し、すぐに責任を取り国王は退位した。
 トルシェが新国王となったのだ。



◇◇◇
 深刻なのは、ユーインだ。
 夜眠ると、怖い顔の亡き母が出てくると夜泣きして、   
    食事も出来ず痩せていく。
 困り果てたトルシェは、サライと相談し、エレノアの偽物を用意した。 
 それが父侯爵の姉カレンだった。 
 カレンは公妾と言うも、ノアールがエレノアを見つけてからは邸を出て市政で暮らしていたのだ。 
 元々、侯爵家を継げるくらいの優秀さだ。
 翻訳や教師などをして自立していた。 

 公妾と言うも、特に書類処理はされておらず、王弟の家を離れる際にすることは何もなかったとのこと。
 書類がなければ、初婚扱いで嫁ぐこともできる。 
平民として生きるなら、カレンのことを知る者にも会うことは少ないだろう。
 知っていても、王家を敵に回そうと思う者も居ないだろうから。

 当のカレンは40才近いこともあり、結婚は考えていないと言う。
 でも見た感じは若々しく20代後半くらいに見えるのだ。
 働く女は老けないというのは、本当のことなのだろう。

 まあ、そんな感じでユーインの元に付き添ってもらうことにした。
 最初は痩せ過ぎて朦朧としたユーインの意識も、徐々に回復していた。 
 元気になれば離そうと思ったのだが、夜に不安が強くそのまま残ってもらうことになった。

 夜にベランダから、エレノアが落ちた夢を見る。
 飛び起きるユーインだが、手を繋いでくれる母(役のカレン)が「大丈夫よ」と声を掛けると、再び微睡みにつくのだ。

 今日は打ち明けよう、今日は打ち明けようと思っているうちに10年が経過した。
 今日こそは打ち明けようと、ユーインの誕生日の本日、カレンに挨拶を先にしてもらったのだ。
 カレンも楽しんだと言うが、そろそろ自分の人生を生きたいとも言っていた。 
 子供を育てる喜びを味わえたと、微笑んで城を出ていく。 

 王となったトルシェもフルーチェインもサライも、深く頭を下げて彼女を見送った。

 混乱しているユーインに、生きている時のエレノアの話をしていく。
 思い出す景色、会話、笑顔。 
 そして最後のベランダの情景を思い浮かべる。
 動悸がする、思い出したくない、でも…………本当の母を覚えていたい。 

「あの時確かに、「母上は良かった」って。
 俺に、微笑んで、言った、んだ。
 笑って、たんだ…………うっ、わぁあ」
 涙が溢れ、嗚咽になって、どんどん記憶が蘇っていく。

 確かあの後俺は気を失って、夜に魘され始めてカレンさんが助けてくれたんだ。


 ああ、そうか。
 今までいてくれたのは、母上じゃなかったんだ。 
 俺の叔母さんになる人だったのだ。
 だから、あんなに似てたのかな?

 でも母上が死んでから、確かにカレンさんは俺の母上だったよ。
 2人とも母上だ。
 育ての母だって、母上でしょ?


 もっと混乱するかと思われていた俺は、比較的落ち着いていたみたいだ。心はぐちゃぐちゃで辛かったけど、これ以上は甘えられないと思ったのだ。

 母は、命をかけて助けてくれた。
 いつか俺も誰かを助ける為に、生きていくよ。




 王太子妃をそろそろ決めるような時、口下手な父上が教えてくれた。
 母上と父上の馴れ初めを。
ちょっと恥ずかしそうにして。

 母上には政略だから、愛はないと言って結婚したけど、本当はずっと好きだったみたいなんだ。

 「ノワール叔父から救いだしたのも、一目惚れだったからかもしれん。いやいや、今までも困っている人がいたら助けたけど、その後に熱心に話したのはエレノアだけだな」

 こんな私だけど、エレノアは好きだよと言ってくれた。
 ちょっとずれたとこがあるから、愛情じゃなく友愛だったかもしれん。
 でも良いんだ、幸せだった。
 勿論今も幸せだぞ、ユーインもフルーチェインもいるしな。

 「だからまあ、言いたいことは、友愛からでも良いと言うこと。
 少しづつ尊重すれば良いと思う。
 絶対の好きなんて、それこそめずらしいからな。
 話の聞ける子が良いかなあ、あ、でも、ユーインの好みで良いぞ。
 どうやら家の家系は、母さんに似た顔が好きみたいだしな」

 なんて、惚気られた俺。

 心配かけたから、頑張ってるよ。
 俺が片付かないと、フルーチェインも(嫁に)行けないからな。

 ユーインが回復後、サライはひっそりと城を去った。

 「隣国に住む妹が病気だから付き添いたい」と言って。

 彼に妹はいない。
 隣国に住む両親も、既に他界している。
 彼はエレノアに仕える為に、この国にいただけ。

 「恨みますよ、エレノア様。命をかけて貴女を守る目的を奪ってしまった、貴女のことを」

 サライはエレノアを愛していた。
 一言、自分エレノアを守れと命じてくれたなら、他の誰を犠牲にしても優先したのに………………
 ユーイン様よりを貴女を。
 それをエレノアが望まなかったことを、分かっていても考えてしまうのだ。
 もし………………だったならと。

 彼は世界をさ迷い、生きる意味を探す旅を続けている。



◇◇◇
 無事、事件解決のトルシェ一家。

 でも霊体になったエレノアは、ちょっとご立腹。
 勿論家族ではなく、ノワールにだ。
 本当に危なかったんだから !!
 家の子が怪我してたら、許さないとこだよ!!!

 なので、軽く脅すだけはするよ。
 と、毎日ちょっとずつ出没し、ノワールと父侯爵と継母を脅すエレノア。

 まあね、悪いことしないように無駄な体力落としとくかと。



 ノワールは、北の王族用の部屋で生涯幽閉。
 領地、敷地、財産没収。
 王弟夫人は慌てて、「婚姻関係はずっと破綻してた」と、被害が無いように財産放棄して離婚。
 そのまま生家で暮らすことに。

 継母は間接的に殺害に関与。
 ノワール邸に行かなければ、私の母リューズは死ななかったからね。
 父侯爵も、殺害に関与してないけど、母の駆け落ちの捏造等の名誉毀損と、エレノアへの虐待(育児放棄)とか、ノワールに襲われ未遂とか。
 とんでもないね。

 弟のアルノは、口の悪い子だけど…………。
 両親の被害者的なとこあるし、これから苦労しそうだから、うん、見逃しちゃる。しっかり生きていきなよ!
 既に侯爵家は、継母のやらかしで子爵位まで落ちている。
 今までのように贅沢はできないし、噂と言うか事実で苦しんでいるようだ。
 プライド高い人達だから、大丈夫かな?

 まだ心配してあげるエレノアっば、人が良い。
 でも、それはそれ、これはこれだからね。


 じゃあ、いっちょ脅かすか!

「うらめしや~~ 赦さない~~~~」 
 地に響く程低い唸り声だ!

「「「ぎぃやあああああーーー!!!!!!」」」
「うそ、やだやだ、助けてーーーー!!!!!!!!」
「いやーー、エレノアが怒ってる、恐いーーーー!!!!!!」
「もうやだ、もうやだ、もう、いやーーーーー恐っえぇぇーよ!!!!!!」


 おお、まだまだ活きが良いねえ、あと2年くらい行くか~!!!
 エレノアは最早楽しんでるし、悔いはないよう。
 今日も3人にだけ、血濡れの怨嗟を含んだエレノアが姿を現すのだ。

 3人が呪われているのではと言う噂は、国中に広まった。
 異母姉の状況を正しく知ることで、アルノは自分のした仕打ちに震えた。
 何も調べることなく、異母姉を罵った己の罪を。

「ああ、姉上。僕は僕は…………なんて酷い。姉上だけでなく、姉上の母上にまで、なんたる侮辱を! 
 どうか僕にも恨み言を言ってください。ううっ」

 アルノの懺悔を見たエレノアは、微笑んだ姿を彼に見せた。

 「その気持ちで十分よ。今度は人をきちんと見て、噂に惑わされないようにね」

 一言だけ告げて、消えたのだ。

 「ああ、なんで、許すと。僕はどうしたらいいんだ!」

 アルノは暫くの期間苦悩し、神殿に入った。
 きっと姉上は、家を継いで自分にも領民にも幸せになって欲しいと思っただろう。
 人から聞く姉上の話は、とても優しい人のようだから。

「でも僕には、人の上に立つことは無理です。……済みません、姉上」

 両親に愛され、全てが上手くいくと思っていたアルノは既になく、一人の憐れな子羊は縋る者を探した。
 両親は……もう、その対象ではないから。

「私は祈ります。人々の幸福を。……私にはそれしかできない。…………機会をくれたのに済みません、姉上」

 アルノは生涯を神に捧げ、質素倹約に努めて過ごしたと言う。
 醜聞により侯爵から子爵家に落ち、後を継ぐ者もいないその家は、彼らの死後爵位は国に返還された。
 継母が人を殺めても欲した幸せは、多くを不幸に落として幕を閉じたのだ。
 最期までエレノアに怯えながら。

 エレノアの父侯爵と継母は、子爵へ降爵になってから数年で衰弱して息絶えた。
 ノワールは幽閉後すぐ、寂しさに堪えきれず精神に異常をきたす。
 今は幻覚の母親に抱かれた夢を見ながら、寝たきりの日々を過ごしていた。
 兄である前国王は、愛しき弟ノアールの手を握りしめて泣いている。

「どうすれば、お前を幸せにできたのかな?」

 今のノアールは、衰弱し痩せ細っている。
 それでもその表情は、いつも微笑み幸福そのものである。
 後悔の尽きない兄の苦悩だけが続くのだ。


 エレノアは、彼が壊れた後は彼には姿を見せていない。
 弱者をいたぶることはしなかった。





 旧王弟邸の黄色い薔薇の中から、エレノアの母の遺体は見つかった。
 石灰を多量にかけたせいか腐敗せず、ほぼ生前の姿だったらしい。
 彼女の遺体は王家で引き取り、きちんと荼毘に付したそうだ。



 黄色い薔薇の花言葉は、平和の他、薄らぐ愛、嫉妬などがある。



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