悪役令嬢の金魚のフンが返り討ちにされ美味しく食べられた話

犬っころ

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第三章 アナスタシアの反撃

38 挑発

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教室に落ちた静寂を、かすかな笑い声が破った。

「……ははっ」

 レオナール=ルクレールは、エマの鋭い言葉を受けてもなお、口元を歪めて笑った。
 銀の髪を揺らし、頬杖をついたまま肩を震わせる。
 その笑みはあくまでも余裕に見えた。――だが、その瞳の奥では、煮えたぎる感情が黒く渦を巻いていた。

 ――腰巾着。
 何度陰で囁かれたか知れない言葉。
 だが、女王とまで恐れられる妹の前で、正面から叩きつけられたのは初めてだった。
 怒りが喉までせり上がる。だが、同時に奇妙な愉悦もあった。

 彼はそれ以上言葉を発さず、ただ笑いの仮面で己を覆った。

その間にも、エマは濡れた制服のまま、怒りを燃料にしたかのように動いていた。
 ばしゃり、と水滴を撒き散らしながら歩み寄り、机を越え、アナスタシアの襟元を掴み上げる。

「――今日は、部屋の鍵、閉めないで寝てやる」

 教室中が息を呑む。
 エマの声は怒気に満ち、震え一つなく、まるで宣戦布告の鐘の音のようだった。

「私たちは魔法使いよ。文句があるなら、そのご立派な爆裂魔法で証明しなさい」

 紅玉の瞳が見開かれる。
 アナスタシアは誰からも逆らわれない女王であり続けてきた。だが、今目の前の少女は怯むどころか、真正面から挑んでいる。

「喧嘩なら――受けて立つわ、このクソ野郎ッ!」

 その叫びは教室の壁を震わせるほどだった。
 取り巻きの令嬢たちは声を失い、クララは両手を口に当てて蒼ざめる。
 紅玉と黒曜石、二つの瞳が真っ向からぶつかり合う。

 爆裂魔法の燻る気配に、教室全体が凍りついた。
 次の瞬間にも爆風が巻き起こりかねない――そんな緊張が張り詰める。

 だが、アナスタシアは唐突に顔を歪め、大きく舌打ちを鳴らした。

「チッ……くだらない」

 彼女は椅子を乱暴に引き、立ち上がる。紅玉の瞳はなお怒気を孕んでいたが、口元には嘲るような笑みを浮かべていた。

「レオナール、帰るわよ。今日の夜、待ってなさい」

 冷たく吐き捨て、翻ったケープの裾が水滴を跳ね飛ばす。
 取り巻きの令嬢たちは慌てて後を追い、通路を空けるように身を引いた。

レオナールも肩をすくめ、ゆったりと席を立つ。
 銀の髪をかき上げながら、ちらとエマへ視線を送る。
 その笑みは飄々としていて、何も考えていないように見えたが――奥底には、先ほどの一言が深く刺さったまま抜けていなかった。

「……ま、好きにやれよ」

 そう言い残し、彼は妹の後ろをついて教室を後にした。

 エマの濡れた制服からは、ぽたりぽたりと水滴が床に落ち続けている。
 教室は沈黙に沈み、誰も声を上げられない。
 ――嵐は去った。だが、それは嵐の前触れにすぎなかった。

 アナスタシアもレオナールも、単位などとうに足りている。
 必修もない二人にとって、授業に残る理由はなかった。

 廊下を歩きながら、アナスタシアの紅い瞳はぎらぎらと燃えていた。
 ――今夜。
 必ず、あの女の部屋に忍び込み、思い知らせてやる。

 その決意を胸に、彼女はすでに次の計画を組み立て始めていた。
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