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西のアクアデル編
性悪王子、値段交渉をする
しおりを挟む――元外商の血が騒ぐ。
こういう場こそ、俺の得意分野だ。
高値で売りつけるのは、ただの取引じゃない。
相手の呼吸を読み、心の奥にある欲と恐れを釣り上げ、値札の数字を自分の思うままに膨らませる――それはもう、戦だ。
「……さて、どんな顔をして現れるか」
ラヴェリオンは壁にもたれ、無言で俺を横目に見ている。
きっと内心では呆れているが、こういう場では絶対に口を挟まない。
それを分かっているからこそ、俺はより自由に動ける。
俺の頭の中には、値を吊り上げるための手順がすでに組み上がっている。
最初は控えめに――あくまで「常識的」な範囲で始める。
そこから少しずつ、情報と数字を小出しにして、相手の欲を煽り、後戻りできないところまで引きずり込む。
最終的には、相手が「高いと分かっていながらも欲しい」と言わざるを得ない状況に持っていくのだ。
俺は膝の上に軽く手を組み、扉の向こうから近づく足音に耳を澄ませた。
――来たな。
ギルド長の足取りは、重く、慎重で、そしてどこか急いている。
その響きが近づくたび、俺の口元はわずかに釣り上がった。
「高値で売りつけてやる……覚悟して来いよ、ギルド長」
川の周辺を――たった一ヶ月で整備してやる。
普通なら一年単位でかかる工事だろうが、俺は時間をかけるつもりは毛頭ない。
金と人手をぶち込み、日が昇る前から落ちるまで作業させ、氾濫対策を一気に仕上げる。
土留め、堤防、排水路の確保。
安全な水路を確保したら、川沿いの土地を固め、船着き場の足場を整備する。
あそこは永久凍土だ。
春先の雪解け水が暴れ川となり、毎年周辺を荒らす。
だが――だからこそ、制御できれば莫大な価値を生む。
安定した流れを作り出せば、いずれは港にして、季節に左右されない交易の要所にできる。
魚の水揚げ、荷の積み替え、遠方からの交易船が寄港できる港……
商人も、物資も、金も集まる。
そうなれば、そこは王国の喉元どころか心臓部になるだろう。
だが、そのためには――金がいる。
腐るほど、際限なく。
労働者の雇用、資材の調達、専門家の招聘、そして賄賂や根回しにかかる裏金まで、すべてを現金で押し通すには、金庫に金貨の雨を降らせるくらいの資金が必要だ。
だからこそ、今日の取引は一歩も引かない。
目の前の宝石はただの飾りじゃない。
川を押さえ、港を築き、未来の富を手中に収めるための、最初の礎だ。
「――腐るほど稼いで、腐るほど使ってやる」
俺は心の中でそう呟きながら、マジックバッグの中に眠る宝石の重みを確かめた。
この重さこそが、未来の街を形作る資本であり、俺のスローライフを守るための最強の武器だ。
扉が、ゆっくりと音を立てて開いた。
磨き抜かれた真鍮の取っ手が、外から差し込む光を弾いて細く輝く。
その向こうから現れたのは、一歩ごとに空気を押し分けるような圧を纏った男――ギルド長。
年の頃は五十代半ば、いや、ひょっとするとそれ以上かもしれない。
だが背筋は軍人のように真っ直ぐで、分厚い胸板と広い肩幅は、若き日から今に至るまで鍛錬を怠らなかったことを物語っていた。
顎には短く刈り込まれた灰色の髭。
深く刻まれた皺は年月の証であるはずなのに、むしろ鋼のような精悍さを増している。
そして何より――その眼光。
獣が茂みの奥から獲物を射抜く瞬間のように鋭く、しかも一度捕らえたら逃さぬという執念めいた重さがある。
彼は静かに部屋へ足を踏み入れた。
分厚い革靴が絨毯を踏みしめる音はほとんど響かないのに、空気が確かに変わる。
背後で扉が閉じる音がした瞬間、その音すらやけに大きく、耳の奥に残った。
ギルド長は、すぐには俺たちを見ない。
まず部屋の隅に置かれたキャビネットへ視線を滑らせ、壁に掛かった地図を確認し、机の上の銀製の水差しを一瞥。
それは、まるでこの部屋とそこにいる人間が、信用に足るかどうかを静かに査定する儀式のようだった。
俺はその間、椅子の背に軽く寄りかかり、わざと退屈そうに指先を組む。
だが掌の内側には、じんわりと汗が滲んでいた。
ラヴェリオンは隣で腕を組み、表情ひとつ変えず石像のように座っている。
しかし、その視線は獣のごとく、ギルド長の動きを一瞬たりとも逃していなかった。
やがて――
ギルド長の視線が机の中央、そこに並ぶ五つの宝石へ落ちた。
深紅のルビーが炎のように揺らめき、翠玉が水面のようにきらめき、真珠が月光のような光を返す。
その光を受け、ギルド長の瞳が一瞬だけ細くなる。
空気がさらに沈み、沈黙が一拍、二拍と重なった。
やけに鼓動の音が自分の耳に響く。
そして――
ゆっくりと、その鋭い眼光が俺に向けられた。
視線が交わる瞬間、背筋に細い刃をすっと当てられたような感覚が走る。
そのまま、ほんの一呼吸置いてから――ギルド長が口を開いた。
「……どこの貴族のガキが来たかと思えば、家出費用でも稼ぎに来たか?」
低く、乾いた声。挑発の響きが混じっているが、同時に探りの色も濃い。
お、なかなかいい線を突くじゃないか――半分正解だ。
俺は口元にわずかな笑みを浮かべ、あえて正面から言い返した。
「ああ、そうだ。五年以内に王都を出るつもりだ。だから、まとまった金が欲しい」
真正面から宣言してやると、ギルド長の眉がわずかに跳ね上がった。
駆け引きはもう始まっている――そういう空気が、部屋をさらに熱く、そして冷たくした。
「……ギルド長のライラックだ。」
低く抑えた声が、室内の空気を震わせる。
まるで名乗ることそのものが、この部屋の支配権を奪う儀式であるかのようだった。
「お忍びでここまで来てんだろう、名乗らなくてもいい。ただ、不便だから――偽名でも教えてくれ。」
「なら……ヴィスだ。」
短く返すと、ライラックの口元にわずかな笑みが浮かぶ。だがそれは歓迎の色ではなく、獲物が自ら檻に入ったのを眺める捕食者の笑みだ。
彼は白手袋をはめた手を伸ばし、机上の宝石のひとつ――深紅のルビーを指先でつまみ上げた。
光源の下で傾けるたび、内部に閉じ込められた炎が脈打つように揺れる。
その瞳の奥で、何かを計算する光が走った。
「……悪くない。」
呟きは短く、だがその響きには長年、価値を嗅ぎ分けてきた職人の確信があった。
「これひとつで、王都の小さな屋敷が一つ買えるな。」
宝石をそっと置き、今度は翠玉を取る。翡翠色の奥行きを覗き込み、爪先で軽く弾き、音を確かめる。
――この男、完全に品定めをしている。だが対象は石だけじゃない。俺の呼吸、視線、ほんの一瞬の頬の筋肉の動きまで値踏みしている。
ライラックは椅子にもたれ、指先を組んだ。
「……そうだな、八十万金貨ってところだ。」
静寂。
提示額を言い終えたその瞬間、彼の視線が俺の目の奥をまっすぐ刺しにくる。
わざと沈黙を引き延ばし、その数字の響きを脳裏に焼き付けようとするやり口だ。
経験上、この種の相手はまず低い額を投げ、相手の反応で底値を探る。
俺は鼻先で笑った。
「八十万……随分安いな。」
わざと視線を宝石に戻し、指先でルビーを転がす。硬質な光沢が天井の灯りを跳ね返すたび、ライラックの瞳がわずかに細くなる。
「その数字じゃ、せいぜい土手の片側を盛るくらいしかできない。」
「ほう?」
声は愉快そうだが、目は全く笑っていない。
「つまり、あんたはこの金で何かデカいことをやるつもりってわけだ。」
「そうだ。川を整える。氾濫を抑え、港にして貿易の要所にする。そして俺は五年以内に王都を出る。そのためのまとまった資金がいる。」
ライラックは肘掛けに片肘を置き、顎に指を添えたまま俺を見つめる。
「野心家だな。だが――八十万で十分だろう?」
「十分じゃない。」
俺は翠玉を手に取り、光を反射させながら淡々と言う。
「この石ひとつで鉱山を三つ買ってもお釣りが来る。ここにあるのは五つだ。
……百五十万金貨。これが俺の希望額だ。」
わずかな間。
ライラックは笑みを深くし、机に身を乗り出す。
「強気だな、ヴィス。だがそこまでの価値があるかどうかは――俺が決める。」
「買うかどうかを決めるのはあんただ。
だが、売るかどうかを決めるのは、俺だ。」
数秒の沈黙が、やけに重い。
互いの視線が絡み合い、空気が熱を帯びる。
やがて、ライラックは一つ息を吐き、手元の宝石を順に持ち上げ、天井の灯りに透かして見た。
「……百二十万金貨。これ以上は、俺でも通せねぇ。」
「百三十万。」
間髪入れずに返す。視線は逸らさない。
ライラックの眉が僅かに動き――唇が、短く笑みに変わる。
「交渉上手だな。いいだろう、百三十万で手を打つ。」
握手はしない。ただ、互いに頷いた瞬間、この部屋の空気はようやく少しだけ緩んだ。
――この金で、川は整えられる。俺のスローライフ計画に、また一歩近づいた。
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