性悪転生王子、全てはスローライフのために生きる

犬っころ

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西のアクアデル編

性悪王子、セレヴィスとハロー

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そして全ての準備が整い、セレヴィスは再びフードを深くかぶった。視界の端まで覆うその布が影を落とし、表情は闇に沈む。
 中央へと歩み出すその動きには、無駄がない。重心の移し方ひとつ、視線の配り方ひとつが、長く戦場を渡り歩いた者のそれだった。

 ギルド長ライラックが直々に頼み込んでくれたことで、列は割られ、俺の順番が強引に差し込まれる。
 ざわめきが一瞬だけ膨らみ、それから波が引くように静まった。酒場の視線が一点に集まる――ライラックの連れという肩書きと、俺の纏う歴戦の匂いが、場の空気を一変させたのだ。

 測定器の水晶球が、淡く脈打つ。古代文字の刻印がゆらめき、俺を呼び込むように光を増していく。
 俺が手を伸ばし、指先が球面に触れた瞬間――頭の奥で何かが弾けた。

 激しい痛みが脳髄を焼く。
 耳の奥で、金属を擦るような高い耳鳴りが鳴り続け、鼓膜が破れそうになる。視界が白く塗り潰され、立っている感覚すら消えた。

 そして、目を開く。

 そこに広がっていたのは、ギルドの喧噪でも水晶球でもなかった。
 どこまでも続く、果ての見えない白い空間。空も地もない。ただ、白。色も影も、音すら存在しない空虚な世界。


「おい、こっちだ」


 背後から声がする。振り返った俺は、一瞬、息を呑んだ。
 そこに立っていたのは、前世の俺――だが、目つきが違う。氷のように冷たく、感情の欠片もない瞳。
 それは、この体の本来の持ち主、セレヴィス本人だった。

 しかも、前世の俺の部屋着姿で。
 片手にポテチの袋、もう片手にコーラのペットボトルを持ち、まるで日曜の昼下がりにテレビを見ているかのような顔をしている。


「私は神に頼んで、お前と人生を入れ替わった。……このポテチとコーラ、美味いな。もう魔法だの戦だのに振り回されるのはごめんだ。それに、株で一発当てて会社を作った」


俺は言葉を詰まらせる。
 実は彼の人生を奪ってしまったことへの罪悪感が、胸の奥で疼いていたのに本人は随分と満喫しているようで――その事実が、妙に腹立たしい。
 それに、俺の意思も聞かず神が勝手に動いたというのも、納得いかない。


「いやいや、お前……俺の体で何してくれちゃってんの」


 そう吐き捨てるように言うと、彼は肩をすくめ、涼しい顔で答えた。


「だが、楽しいだろう? 神は、この世で一番退屈していて私と相性の良い人間の魂をと交換する、と言っていた」


 ……確かに、退屈していた。それは否定できない。
 でも、前世に未練はない。あるとしたら、彼が手にしているポテチとコーラくらいだ。


「そこで神がやらかした。私たちの魂が混ざりあってしまったのだ。このままでは、完全に一つになってしまう。だから――お前が神に干渉できる瞬間、その時に完全分離する」


 彼は一呼吸置き、続ける。


「安心しろ。過去の記憶はお互いに共有、ステータスも共有だ。私の体、気に入っているだろう? だが不思議なことに、私は髪を切って黒く染めれば、お前と瓜二つになる。……つまり、元々お前と私は魂の片割れなのだ」


ぼり、ぼり――ポテチを噛む音だけが、白い世界に響く。
 コーラを一口、喉を鳴らして飲み下す。その炭酸のはじける音が、不思議なくらい鮮明に耳に残った。

そして彼は、ままポテチをぼりぼりと噛みながら、実に軽い口調で爆弾を投げてきた。


「それに――私はこっちで恋人が出来た。名を、ななえちゃんという。あの大きな乳と、よく締まる中がやめられない。あの顔で俺に“愛してる”と言う姿が、可愛すぎてな。……だから、今さらまた入れ替わるなど断固お断りだ」


 ……はいはい。こいつは筋金入りの女好きでしたね。
 あの口ぶり、完全に骨まで溶かされてやがる。

だが「大きなおっぱい」という単語に、脳の奥で嫌なスイッチが入った。
 近所に住んでいた、俺の片思いの相手――彼女も、目を引くほど胸がでかかった。

 ……名前も、ななえだった。

 ちょっと待て。
 冷や汗が背中をつうっと流れる。

 いやいや、まさか。
 でも、その顔、その仕草……想像するだけで嫌な予感しかしない。


「……おい、それって――俺がこっぴどく振られた、あの、ななえ……?」


 彼は、コーラを一口啜ってから、何食わぬ顔で頷いた。

 ――終わった。

 あの日、血の気が引くようなお断りを告げられ、俺は恋愛に対して半分アレルギーみたいになった。その原因の張本人を、よりにもよってコイツが抱いているだと?

やっぱり金か……いや、前世の俺はクソニートで清潔感ゼロだったから、そもそも相手にされなかっただけだ。顔は悪くなかったはず――と、強引に思い込むことにした。

 それに……


「こっちだって、一度振られた相手と付き合うとか、無理すぎる」


 吐き捨てるように言った俺の声は、白い空間の中で妙に乾いて響いた。
 セレヴィスは、ポテチをもう一枚口に放り込み、面白がるように目を細めた。


「ならば丁度いい。また話したくなったら――水晶に語りかけろ」


 その言葉を最後に、視界の白がぱっと弾け飛んだ。
 耳にざわめきが流れ込み、熱気と人いきれが肺を満たす。

 ――戻ってきた。

 目の前には、相変わらず中央に鎮座する巨大な水晶球。だが、その内部は先ほどよりも眩しい光で満ちていた。
 まるで太陽を凝縮したような輝きが弾け、古代文字の刻印が次々と浮かび上がっては消えていく。

 やがて、その光が形を成した。

 ――光、水、土。
 その三つの属性が、まるで三重の冠のように並び、強烈な輝きを放っている。

 さらに、頭上の計測板には「魔力量:測定不能」の文字。その下にはスニークスキル、空間制御
 会場が一瞬、呼吸を忘れたかのように静まり返った。

 次の瞬間。

 パリン――!

 澄んだ音を立てて、水晶に亀裂が走った。蜘蛛の巣のように広がったそれは、瞬く間に全体を覆い、轟音と共に粉々に砕け散る。破片が光の粒となって宙を舞い、石床に落ちるより先に空気へと溶けて消えた。

 酒場は一拍遅れて大騒ぎになる。
 「見たか今の!?」「測定不能だぞ!」「水晶割ったぞあいつ!」と、口々に叫びが飛ぶ。

 俺は……というと、割れた水晶の台座を見下ろしながら、胃の奥がひやりとする感覚に襲われていた。

 ――これ、弁償しないといけないやつじゃない?

 背後から、誰かが「水晶ひとつで王都の城壁が建つ金額だぞ」と、笑っているんだか脅しているんだか分からない声を上げた。
 ライラックは頭を抱え、深くため息を吐いていた。











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