性悪転生王子、全てはスローライフのために生きる

犬っころ

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西のアクアデル編

性悪王子、やられたら3倍返し

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 腹の奥底から、熱が逆巻く。
 濁流の轟音が全身を包み込み、皮膚の裏まで震わせる中、俺は一歩、川縁へと踏み出した。
 深く息を吸い込み、肺をいっぱいに膨らませる。指を大きく開き、掌を前へと突き出す。

 ――その瞬間、指先から世界が変わった。
 空気がビリビリと震え、まるで雷雲の下に立っているかのような緊張感が肌にまとわりつく。
 魔力が血管を逆流するように全身を駆け巡り、心臓の鼓動と同じリズムで熱が脈打つ。
 目の奥が焼けるように熱く、視界の端がじわじわと白く滲んでいく。


「――《空間支配》」


 声と同時に、足元から広がる見えない裂け目が水面へと伸びていく。

ユニークスキルが開いたその“間”は、底知れぬ虚無のように水を吸い寄せた。
 凄まじい勢いで濁流が渦を巻き、そのまま吸い込まれていく。耳が圧迫され、頭蓋の奥でキン、と高い音が鳴る。
 場所は無限でも、俺の体力は有限だ――わかっている。
 だが、引くわけにはいかない。

 呼吸は荒く、胸が焼けるように熱い。
 頭の芯がぐらぐらと揺れ、吐き気が込み上げる。
 それでも、濁流の表面へ掌をかざし、ありったけの魔力を流し込む。
 やがて水面が不自然に盛り上がり、まるで巨大な透明の壁に押し当てられたかのように動きを止めた。

 ――が、そこで終わりじゃない。
 押し寄せる力は、凄まじかった。
 壁を叩く圧力が、全身を通して骨まで響く。筋肉は軋み、関節は悲鳴を上げ、手のひらは今にも裂けそうだ。


「……っ、まだだ……」


 俺は歯を食いしばり、同時に土魔法を叩き込む。
 堤防の高さを一気に引き上げ、土の厚みを増す。
 土塊が重なり合う音と、魔力のうなりが同時に響き渡る。
 地面の奥深くまで補強を走らせ、万が一の決壊を防ぐための楔を打ち込む。

 濁流は必死に魔力の壁を突き破ろうと渦を巻き、堤防を乗り越えようとする。
 その度に、全身にのしかかる重圧が増し、膝がきしむ。
 だが俺はさらに魔力を押し込み、壁を厚くし、川底の泥ごと押さえ込む。

 足元から伝わる震動が、まるで大地そのものが呻いているように感じられた。
 あと一歩でも集中を緩めれば、すべてが崩れる――そんな緊張の極地だった。

押し寄せる濁流とせめぎ合い、全身から汗と魔力が同時に噴き出す。
 足元は泥に沈み、靴底が地面に吸いつくように重い。
 俺の掌に伝わる水圧は、もはや生き物の牙のように鋭く、噛み千切ろうと暴れ続けていた。


「押さえてる間に何か策を――」


 俺が息も絶え絶えに声を絞り出した瞬間、背後から低く、だが確信に満ちた声が落ちた。


「――王都に三倍返しで叩きつけるぞ」


 耳朶を打つその言葉に、脳内の疲労が一瞬で吹き飛ぶ。
 目が合ったラヴェリオンの瞳は、濁流よりも冷たく鋭く、それでいて底に熱を孕んでいた。
 短い視線の交差で、全てを理解する。言葉はいらない。

王都がどうなろうが上流の氾濫対策や水害対策を怠ってきた貴族の責任だ。そもそもそれが出来るだけの予算を毎年与えていたはずだ。

 俺は魔力の壁の一部を、ほんの僅かに開けた。
 その隙間は、堰き止められた力を一点に集中させるための導線。
 同時にラヴェリオンが剣を抜き放ち、刃全体に魔力をまとわせる。
 青白い稲光のような光が刀身を走り、空気が一気に張り詰めた。


「…開けろ」


「いえっさぁー」


 剣が振り下ろされる。
 空間そのものを断ち切るような音と共に、水流の通り道が切り裂かれた。
 その瞬間、俺の肩越しに、笑えるほど巨大な炎の塊が上空へと打ち上がる。
 燃え盛るその火球は、まるで空そのものを焦がすように轟き、遠く王都の方向を指し示す狼煙となった。

 解き放たれた濁流が、轟音と共に一斉に吐き出される。
 大地が震え、足元の石が跳ね上がるほどの衝撃波が走る。
 水は迷うことなく一直線に王都へ向かい、川筋を遡る怒涛の奔流となった。
 まるで巨大な龍が逆流していくかのような迫力だ。

 俺の耳には、はるか彼方で鳴り響く鐘の音が届く。
 王都の城壁を守る非常警鐘――あいつらが恐れていた“水害”が、今まさに牙を剥いている。
 ざまあみろ。
 下流を切り捨てた報いを、骨の髄まで味わえ。

 その間にも、こちら側の川は見事に干上がっていく。
 さっきまで命を奪おうとしていた水が、嘘のように消え失せ、川底の泥と石だけが姿を晒していた。
 息を整えながら、俺は心の中で冷静に算段を立てる。
 あとでユニークスキルで取り込んだ水を、時間をかけてゆっくり戻せばいい。
 今はそれよりも、この場を収めることが先だ。

全身の芯まで、魔力という魔力を搾り尽くした。
一応魔力無限なはずだけどごっそりと奪われていく感じが耐えられなかった。これは要修行だ。
 骨の髄すら空洞になったかのように軽く、それでいて重い。
 指一本動かすのも億劫で、両脚は石柱のように固まり、踏み出す力を失っていた。

 視界の端がじわじわと黒く染まり、色彩が抜け落ちていく。
 耳の奥では、鼓膜を震わせる轟音が雨のように降り続け、その中に「キーン」という高い耳鳴りが混じっていた。
 呼吸は荒く、肺の奥まで空気が入っているはずなのに、酸素が血まで届かない感覚。

 ――倒れる。

 そう思った瞬間、背後から強く、確かな力が俺を包み込んだ。
 ごつごつとした鎧越しにも伝わる、無骨で温かな体温。
 その腕は迷いなく俺の胸の下に回り込み、腰を支え、体ごと持ち上げる。
 視界に映ったのは、厚い肩越しの灰色の空と、霧のような水飛沫だけだった。


「…良くやった、悪くはない」


低く、腹の底から響くような声が、耳のすぐそばで落ちた。
 その声音は戦場の喧噪をも押し退け、まるで直接心臓に触れるように深く届く。
 押し殺していた緊張が、声と同時に解け、全身から力が抜けていくのが分かる。

 背中から伝わる熱は、今まで必死に押しとどめていた寒気と疲労を、じわじわと溶かしていった。
 震える指先も、張り詰めた首筋も、包み込まれるその感触に沈んでいく。
 耳鳴りが遠のき、代わりに自分の心音と、ラヴェリオンの安定した呼吸だけが聞こえる。

 意識が薄れる直前、視界の中で揺らいだのは――
 押し返した濁流の向こうに広がる、澄み渡った空。
 そして俺を抱きかかえたまま、口の端をわずかに上げるラヴェリオンの横顔だった。
 その表情には、戦いの余韻と、得体の知れない満足感が入り混じっていた。

 ――ああ、もういいや。

 抗う気力は、欠片も残っていなかった。
 その腕の中は不思議なほど安定していて、体が勝手に委ねようとしていた。
 緩やかに沈む感覚と共に、思考も記憶も、闇の底へと落ちていく。

 そして俺は、最後の一息すらもその腕に預け、深い眠りに飲み込まれた。















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