性悪転生王子、全てはスローライフのために生きる

犬っころ

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西のアクアデル編

性悪王子、駄竜を空に放つ

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伯爵家の庭は、よく手入れされた芝が陽光を反射し、朝露のきらめきがまだところどころに残っていた。
花壇には見事なまでに咲き誇った花々が並び、噴水の水は透明な弧を描いて空気を震わせ、しぶきが微細な虹をつくっている。
……普段なら、この景色を眺めて一息つくのも悪くない。だが、今日の俺にとってはただの背景にすぎなかった。

エルネストは庭の中央、芝生の上で立ち止まり、顎でラヴェリオンに合図を送った。


「下ろせ」


低く響く声は、芝を揺らす風の音すら止めてしまいそうな重みを持っていた。

ラヴェリオンは無言のまま腕の中の駄竜――グランデを降ろす。
地面に下りた瞬間、グランデの爪が芝を軽く押しつぶし、葉の匂いがふわりと立ち上る。
その黄金の瞳が左右に動き、噴水や花壇、頭上をかすめる鳥影を追うが……次第に、視線は目の前の男へと釘付けになった。


「まずは翼だ」


エルネストの靴音が、湿った芝を押し分ける音とともに近づく。
そして駄竜の背後に回ると、厚い掌を翼の付け根に添え、慎重かつ容赦のない力で外側へ開いた。


「……ッ!」


短い鳴き声が駄竜の喉から漏れる。
それは明確な戸惑いであり、不意に触れられたことへの警戒でもあった。


「筋が固いな。羽ばたく以前の問題だ」


エルネストは低く呟き、骨のラインを指先でなぞる。
その動きは粗野に見えて、実際には関節の位置を的確に探り、腱の硬直をほぐすための圧を加えていた。
ぐっと押されるたび、グランデの肩甲骨のあたりがわずかに盛り上がり、筋肉が緊張と緩和を繰り返す。

俺は腕を組んだまま見ていたが、グランデの体がびくりと揺れるたび、指先に力が入った。


「おい、あまり無茶をするな――」


「無茶はしない。だが甘やかさない」


視線を一切こちらに向けず、淡々と返すその声音には、確固たる自信が宿っていた。

しばらく揉み解す作業を続けたのち、エルネストは手を離し、庭の端に築かれた低い土塁を指差す。


「あそこまで跳ばせる」


「……歩かせるんじゃないのか」


俺が眉を上げると、エルネストは首を横に振った。


「跳ばせるんだ。地面を蹴り、両足が同時に浮く感覚を叩き込む。それが飛翔の第一歩だ」


グランデは土塁を見つめたが、瞳の奥で一瞬、影が揺れた。
……そうか、こいつは本能で空を恐れている。契約を通して伝わる、その微かな怯えを俺は見逃さなかった。


「行け」


エルネストが軽く手を叩く。
だが、駄竜は動かない。耳を後ろに伏せ、尻尾を芝に垂らしたまま、前足すら動かさなかった。


「……駄竜、」


俺が一歩踏み出しかけたその時、ラヴェリオンの大きな手が俺の肩に置かれた。


「ヴィス、見てろ」

低く落ち着いた声に、俺は足を止める。
ラヴェリオンは微動だにせず、ただじっとその場面を見守っている。

エルネストはグランデの正面に回り込み、片膝をついて目線を合わせた。


「怖いか?」


問いかけは静かだったが、その眼光は真っ直ぐに駄竜の心を射抜くようだった。


「それでいい。ただ、一歩でいい、前に出ろ」


その声には、不思議な魔力も呪文もなかった。
それでも、拒否を許さぬ圧があった。

数秒間の沈黙。
そして、グランデは小さく前足を一歩、芝の上に踏み出した。


「そうだ」


エルネストの手が再び翼の付け根に触れる。
その瞬間、背中の筋肉が引き延ばされ、半ば強制的に翼が開かれる。

軽く腰を押される。
反射的に、駄竜は両足で地面を蹴った。

土がわずかに跳ね、芝の葉が舞う。
前足も後ろ足も同時に空へ浮く――ほんの一瞬、だが確かに宙にいた。

着地した瞬間、駄竜は驚いたように自分の足元を見下ろし、それから真っ直ぐ俺を振り返る。
契約を通して伝わってくるのは、戸惑いと興奮が入り混じった、生の感情の渦。

俺は口の端を上げた。


「……いいぞ。トカゲ卒業まで、あと少しだ」












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