性悪転生王子、全てはスローライフのために生きる

犬っころ

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南のザハラーン編

性悪王子、作戦会議する

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作戦会議が進むにつれ、俺は気づけば一人、背もたれにもたれることすら忘れ、掌の中でじっと湯呑みを握りしめていた。
 ――いや、これは単なる緊張や汗ではない。背骨の芯を伝って、氷柱を溶かした水がゆっくりと滴り落ちていくような、あの独特の感覚だ。

 どうやら、こいつらは“あえて”辺境伯が死ぬまで一切の手を打たず、砂の中に潜む毒蛇のように静かに機を窺っていたらしい。
 理由を聞かされた瞬間、俺の口は無意識に閉じ、言葉は喉の奥に張り付いた。

 ――辺境伯は王国から正式に任命された人物。そして、王国とドラゴン族の間には、遥か昔、歴史の最後の頁にも“おとぎ話の時代”としか記されない頃に結ばれた不可侵条約が存在する。
 それは単なる紙の契約ではない。双方の長を媒介に結ばれた、破れば相応の報復が確定する“魔法契約”だ。
 つまり、こちらからは一切手を出せない。どれほど無能でも、条約が生きている限りは手を下すことすら許されない。

 だが――ルルと、その幼馴染だという臣下たちは、その縛りすらも自分たちの都合に沿って編み替えていた。
 伯爵が自然死を迎える、その瞬間をただひたすらに待ち続ける。
 それまでの間、ルルは“おっとり”という仮面を完璧に被り、王族内や家臣団を時間をかけてふるいにかける。牙も爪も見せないまま、静かに、そして容赦なく――有能だけを手元に残すために。

 そして、辺境伯が死に、現竜王も死への眠りから還らぬまま正式にルルが王座についた、その日。
 奴らは動く。
 “見せしめ”としてドラゴンの貴族を公開処刑に処す。いや、ただ殺すだけじゃない。竜王の命として、その死骸を鎖で繋ぎ、南部全土を引き回し、民にも貴族にも「無能はこうなる」と骨の髄まで叩き込むつもりだ。

俺は唾を飲み込んだ。
 ――辺境伯はまだ五十になったばかりだぞ?
 人間で言えば中堅も中堅、これから脂が乗ってくる時期だ。
 だが、この長命種どもは悪びれもせず、平然と「まぁ数日普通に過ごせば死ぬっしょ」なんて口にする。
 数日と言っても、それは俺たち人間の感覚での“数年”や“数十年”だろう。それほどまでに、彼らの時間感覚は俺たちと乖離している。

 ……ここまでは、まだ理解できる。いや、正確に言えば“納得”ではなく“理解”だ。
 だが、本当の恐ろしさはその後にある。

 あの柔らかな笑顔。どこか間延びした喋り方。油断させるためだけに、何十年も同じ調子を保つその徹底ぶり。
 そして、いざ牙を剥く時には、まるで蛇が脱皮するように一瞬で皮を脱ぎ捨て、王としての本性を曝け出す――その落差は、ただの策略家のそれじゃない。

 俺は悟った。
 ルルはおっとりなんかじゃない。
 その仮面を被ったまま、何年、何十年と時をかけて周囲を試し、篩にかけ続ける、紛れもない“王の器”を持った化け物だ。

 笑顔を崩さぬまま、いつの間にか喉元まで剣を差し入れてくる。
 逃げ道は与えず、選択肢も与えない。
 ――これが、南を治めるに足る存在。
 そう認めざるを得ない自分に、俺はぞっとした。


 「さて――」


 ルルが、いつものおっとりとした口調で声を上げた。


 「王国からセレヴィスも来たことだし、これで辺境伯が死ぬのを待たなくて済むね」


 ――その笑顔が、背筋を撫でるように冷たい。
 口角は柔らかく上がっているのに、奥の瞳は寸分も揺れていない。


 「さぁ、始めよっか。南に……ドラゴンの記憶を、刻み込む時だよ」


 軽く言っているようで、その一言が持つ意味は重い。
 ここから先は、ただの政務じゃない。王の威を刻み、二度と逆らえない土台を作る――そういう類の仕事だ。

 俺に与えられた役目は、まず辺境伯をクビにすること。
 そして、俺の裁量で「使える」人物を新たな辺境伯に据えること。
 おまけに湿地帯の改善まで一任された。

その湿地帯は、人間から見ればまさに地獄だ。
 瘴気と腐敗臭が一年中漂い、空には昼夜を問わず毒虫が飛び交う。
 噛まれれば高熱や幻覚症状を引き起こす毒を持つ虫も珍しくないが――ドラゴンには一切効かない。だからこれまで対策らしい対策は取られたことがなかった。

 さらに、そこは水棲魔獣の縄張りでもある。
 人を丸呑みにする巨大な蛇や、鎧ごと噛み砕くワニのような魔獣が群れをなして棲んでおり、時折、ドラゴンの幼体ほどの大きさを誇る両生魔獣まで姿を見せる。
 計画では、まず数を徹底的に減らし、その後はドラゴンを常駐させて縄張りを固定化させるという。魔獣は本能的に強いドラゴンを避けるため、それだけで被害が激減するらしい。

 ……だが、湿地帯の恐ろしさはそれだけじゃない。
 迷いの地形。
 見渡す限り同じ光景が延々と続き、地図は無意味。
 濃霧は風向きひとつで流れを変え、音を呑み込み、方角感覚を奪う。
 魔力を持つ者ですら幻惑され、仲間の声が数歩先から聞こえたかと思えば、実際は数百メートル離れていた――そんな怪談が現地では日常のように語られる。

 これは……机の上で作戦を練ったところで何も分からない。
 実際に足を踏み入れ、地面を確かめ、風と霧の流れを肌で感じないと、対策のしようがないだろう。














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