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北の氷焔山地編
性悪王子、門をくぐる
しおりを挟む――夕暮れを告げる鐘の音が鳴り響く頃、俺はようやく列の最後尾に辿り着いた。
寒風の中で並ぶ旅人たちは、毛皮に身を包んで鼻を赤くし、疲れ切った表情を浮かべている。荷車に積まれた薪や穀物、商人が抱える箱……それらの検査を行う兵士の声が絶えず飛び交い、氷見ノ都の関所は昼間よりもむしろ活気を帯びていた。
やがて列が縮まり、俺の番になる。
「――ギルド証をこちらへ」
低く無機質な声。槍を持った兵士が、慣れた仕草で俺を見据えている。
俺は首に下げていた銀細工のギルド証を差し出した。兵士が受け取り、目を通した瞬間、その顔色が変わった。
「……コルデリア公爵家の……」
次の瞬間、緊張で固まっていた周囲の空気がほどけ、検査は大雑把で形だけのものに変わる。
やはりな。コルデリア公爵家の威光は絶大だ。国中どこに行こうが名だけで信用が転がり込んでくる。
もっとも、俺が“第二王子”だなんてことがバレれば話は別だ。即座に尾ひれがついて噂が広がり、宮廷に届くのは目に見えている。
――母上は甘やかされすぎて残念なことになったが、おじい様もおばあ様も鋭い経営者であり、先見の明を持つ人たちだ。父上が愚王であろうと、国がすぐに傾かなかったのはひとえに彼らと兄上の手腕のおかげだ。俺はそれを骨身に染みて理解している。
「……カバンの中を確認させていただけますか?」
兵士の問いかけに、心臓が一拍強く鳴った。
俺は平静を装いながら肩のカバンを開ける。
――その瞬間、もぞもぞと革袋が揺れ、二つの小さな頭がぴょこんと顔を出した。
金色の鱗を持つカリムと、透明めいた白鱗のグランデ。チワワサイズに縮んだ駄竜たちが、ぱちくりした目で兵士を見上げた。
兵士の目がわずかに見開かれる。
国が管理する竜を無断で持ち出したとなれば本来は死罪――だが、こいつらは俺と正式に契約を交わしている。法的には家畜扱い。つまり、ただのちょっと高価なペットだ。
「……幼竜、ですか」
兵士は目を逸らすようにして帳簿に字を書き込む。
「一人分が銅貨三枚、幼竜二体で銅貨二枚。――合計、銅貨五枚です」
……助かった。
俺は用意していた銅貨を五枚、じゃらりと音を立てて差し出す。兵士はそれを受け取り、門の横に控える仲間へ軽く合図を送った。
分厚い氷を模した城門がゆっくりと開いていく。松明の灯りが風に揺れ、その奥に氷見ノ都の街並みが姿を現す。
「……ふぅ」
俺は小さく息をつき、肩のカバンを撫でた。中からは「ピル!」と元気な返事が返ってくる。
こうして、俺と駄竜たちは楽々と氷見ノ都の門をくぐった。
門の内側は外よりさらに賑わっていて、雪深い都の石畳を踏みしめる人々の声や、屋台から立ち上る香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。吐く息が白く立ち昇る中、俺は心の中でただひとつの計画を反芻していた。
――これから俺は、この街で一番高級な旅館に泊まる。
「到着次第、騎士団の駐屯地へ顔を出せ」と兄上から釘を刺されていたが、そんなもの知ったことか。どうせ第一騎士団はまだ雪原で魔獣を狩りながら牛歩戦術をしているに決まっている。だから俺は、彼らが到着してから「今来ました」としれっと顔を出すつもりだ。ばれやしない。
俺が目指すのは――例の宿。
ガイドブックをめくったとき、胸をぶち抜かれたあの赤と白で描かれた日本列島の紋章。豪華な和食と共に紹介されていた、格式高い旅館だ。
部屋付きの露天風呂。畳の間に並ぶ漆塗りの膳。湯気の向こうに広がる雪景色。……考えるだけで震える。
当日予約で本当に部屋が取れるかは分からない。だが俺は、スキップでもしそうな浮き足立つ気持ちを必死に押さえ込みながら石畳を歩いていた。
カバンの中で小さくなった駄竜たちも、俺の心境を察してか落ち着きなく身じろぎする。「ピル!」と短く鳴いては、和食の匂いを探るように鼻をひくひくさせているのが可愛い。
ああ、もうだめだ。
俺の頭の中は完全に「極上和食」「雪見露天風呂」「日本列島マークの謎」の三拍子で埋め尽くされていた。
任務?遠征?……そんなものはどうでもいい。
――今の俺にとっては、ただの豪遊スローライフの幕開けに過ぎない。
ああ……懐かしい。
俺は思わず足を止め、周囲をぐるりと見渡した。
街並みそのものが日本の建築様式だった。
急な雪にも負けぬよう大きく反り返った瓦屋根、白と黒の格子が規則正しく並ぶ家々。寒冷地に合わせて壁は分厚い砂と土で塗り固められ、けれどどこか温もりを孕んだ曲線を描いている。
風に乗って漂ってきたのは、畳のい草に似た乾いた香り。決して本物ではないはずなのに、鼻腔に染み込むその懐かしさに胸がぎゅっと掴まれる。
――畳。
視線の先、開け放たれた民家の奥に見えたのは、明らかに畳を模した床だった。多少材質は違えど、編み込まれた模様と落ち着いた緑の色合いは紛れもなく俺の知る故郷のそれ。
「……っ」
喉の奥が熱くなった。危うく声を上げそうになり、慌てて息を呑む。
さらに進むと、眼前に広がるのは段々と重なり合う棚田だった。
白雪を抱えながら陽光を反射する水面は、かつて見た日本の山間の景色と寸分違わぬ光景で――俺は堪えきれず目頭が熱くなった。異世界に来てから幾度となく強がりと虚勢を張ってきたが、この瞬間ばかりはどうしようもなかった。
そして、棚田の向こうにそびえていた。
まるで山の懐に抱かれるようにして建つ、一際大きな宿。深い紅の柱に金の飾り、黒漆塗りの屋根瓦。門構えだけで「高級」の二文字を叩きつけてくる。旅館――そう呼ぶ以外に言葉が見つからない。
ああ……懐かしい。
胸の奥から込み上げるものが、勝手に目を潤ませる。
ここは異世界だ。だが、確かに俺の知る日本の気配が息づいている。
――必ず会わなければならない。
この街に、日本人がいる。
俺は旅館の前に立ち、胸を大きく上下させて深呼吸した。
――久しぶりに見る、横にスライドするタイプの引き戸。
木枠に掛けられた深い藍色の暖簾には、やはり赤と白の紋章が染め抜かれている。雪を背景にその色が映えて、胸の奥を強く揺さぶった。
意を決して暖簾をくぐり、引き戸を横に滑らせる。
カラリ、と木と木が擦れるあの独特の音。
その瞬間、鼻先に広がるのは畳と木材の、乾いたのに温かい香りだった。
懐かしさに、喉が勝手に震える。
玄関で草履のような履物を揃えて上がると、すぐに迎えの女将らしき人物が小さく頭を下げた。
地元の人間はみな着物姿らしく、その立ち居振る舞いまでも俺の記憶の奥底を刺激してくる。
「何名様でございますか?」
「一人と……二匹、大丈夫ですか?」
俺が肩掛け鞄を軽く叩くと、中から小さな頭を二つ、駄竜たちがひょこっと覗かせる。
女将は目を瞬かせた後、思わず口元を綻ばせた。
「まあ……可愛らしい。もちろんでございます」
その柔らかな声に、俺は安堵と同時に胸が熱くなる。
当日予約なんて無理だろうと半ば覚悟していたが、あっさりと受け入れられたのだ。
通された部屋は――息を呑むほどに完璧だった。
雪見障子の向こうに広がるのは、雪を被った小庭。そこに据えられた石灯籠が、ほんのりと温かな光を灯し、白銀の中に小さな橙色の揺らめきを生んでいた。
畳はきっちりと青々しく香り立ち、部屋の中央には低い座卓と座布団。壁際には真新しい布団が畳まれている。
俺はもう堪えきれなかった。
畳の上に敷布団を広げ、その上に転がり込み、子どものようにゴロゴロと転げ回った。
い草の香りが頬に、鼻に、胸にまで染み込む。
「ああ……帰ってきた……」
異世界に居ながら、俺は確かに故郷を感じていた。
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