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北の氷焔山地編
性悪王子、穂希と再開する。
しおりを挟むあの雪合戦選手権から早くも三日。
兄上率いる第一騎士団はようやく氷見ノ都に到着し、現在は北方駐屯地で態勢を整えているという報せが入った。
俺も明日の朝には「遅れて合流しました」と涼しい顔で顔を出す予定だ。
この高級旅館での滞在も今夜が最後。
障子越しに差し込む雪明かりと、畳に満ちる檜の香り。
食卓には穂希が考案し、代々の料理人が秘伝として磨き上げた日本料理が並び、ひと口ごとに郷愁を誘う味が広がる。
――この居心地の良さに、できれば永住したいと思うほどだ。だが現実はそうもいかない。
駄竜共――カリムとグランデをようやく寝かしつけ、俺も布団に潜ろうとした、その時だった。
外から、妙に落ち着いた気配が漂ってくる。
「……穂希か?」
障子を開けると、夜気に混じる湯気がふわりと流れ込んできた。
部屋に備え付けの露天風呂、その脇の椅子に腰掛けていたのは穂希だった。
背中に雪を受けながらも、淡い湯気に包まれている彼は、酒盃を指先で弄んでいた。
「どうした、こんな夜更けに」
「いやぁ、ドラゴンと一緒にいると時間の感覚が狂うんだよね」
彼は肩をすくめ、わざとらしく笑って見せた。
「雪合戦、見てたよ。……見事だった」
「ぁあ、グランデが景品の干し肉に釣られてな。俺としては適当に遊んだだけだ」
俺は苦笑しながら答える。
「どうだ、せっかくだし一杯やらないか」
穂希は一瞬驚いたように目を瞬かせ、間を置いてから「……当たり前。俺、飲み負けないからな」と豪快に笑った。
その笑みの裏に、どこか影が差しているのを俺は見逃さなかった。
二人で盃を交わし、熱燗の香りが夜気に溶ける。
やがて俺は切り込むように問いかけた。
「……で、何しに来た」
「鋭いな」
穂希は酒をひと口含み、静かに言葉を置く。
「ここには、グランデとカリムを探しに来たんだ。……いや、正確には“会わせたい子がいる”」
俺は眉を寄せる。穂希は盃を握りしめ、少し視線を落とした。
「俺の所にいる子、炎華って言うんだ。まだ幼いんだけど……目の前で両親を亡くしたショックで、焔以外が近づけば牙を剥く。警戒して、攻撃して、それ以上は誰も寄せ付けない」
彼の声には、普段の陽気さは欠片もなかった。
語られるのは、重い現実。
炎華――焔の弟夫婦の子。
病に倒れた両親を目の前で失い、心に深い傷を負った少年。
本来ならば“王弟の血筋”として北の竜たちに守られるべき存在だった。
だが、自由を尊ぶ彼らは「縛り」になる存在を嫌い、引き取りを拒んだ。
結果、炎華は“タライ回し”にされるように居場所を失い、心を閉ざしてしまった。
「……同じ年頃の友達がいれば、少しは変わるかもしれないと思った。だから、カリムやグランデなら、と……」
湯気の向こうで、穂希の横顔がかすかに揺れる。
その眼差しには、どうしようもなく切実な願いがあった。
俺は酒を煽り、喉に熱さを落とし込みながら答える。
「有難い話だが、断る。明日には騎士団と合流しなきゃならん。……ここにいるのがバレたら、また余計な問題になる」
言葉にした瞬間、自分でも苦しい言い訳だとわかっていた。
けれど、正論を盾にするしかなかった。
穂希はしばらく黙り込み、雪明かりに視線をやった。
そして、不意に口元を緩める。
「……もので釣るのは卑怯かもしれないけどさ」
そこで彼は、にやりと笑った。
「ラーメン、食べたくないか?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が跳ねた。
脳裏に浮かぶのは、湯気立つ丼、香ばしい醤油の香り、黄金色のスープの照り。
麺を啜れば立ち昇る湯気が顔を包み、肉厚のチャーシューの脂が舌に絡む……。
――異世界で決して再現できない、あの禁断の味。
俺は無意識に唾を飲み込んでいた。
「……行く」
盃を置き、気付けば即答していた。
任務も立場も、すべての理屈を蹴り飛ばしてラーメンを食わなければ俺は一生後悔する。
「……ありがとう。明日の朝、迎えに来る」
穂希は盃を置き、静かに立ち上がった。
雪明かりに照らされる横顔は、先ほどまでの柔らかい笑みを消し去り、何処か使命を帯びた表情に変わっていた。
彼は片手で着物の合わせを正し、もう一度だけ俺を振り返る。
その瞳は真っ直ぐで、冗談ひとつ交えない。
「待っててね、セレヴィス」
そう言い残すと、夜気に溶けるように足音もなく消えていった。
ただ微かに残ったのは、酒と湯気の香り、そして――ラーメンの幻の匂い。
俺は盃を持ったまま、しばらく動けずにいた。
胸の奥で、奇妙な高鳴りが続いていた。
怒られるのも、面倒ごとも分かっている。
それでも――朝が待ち遠しいと思ってしまった自分が、少しだけ悔しかった。
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