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北の氷焔山地編
性悪王子、初めまして
しおりを挟むそして俺たちは、穂希の背を追って城の奥へと進んでいった。
石畳はまるで磨き上げた鏡のように滑らかで、雪を寄せつけぬほど乾いている。軒下には古びた木枠に収められた紙灯籠が整然と吊り下げられ、淡い橙の光をゆらゆらと揺らしていた。その光は雪壁に映り込み、まるで水面の反射のように揺れ、道全体を静謐な幻想へと染めていた。
だが――その幻想的な雰囲気をぶち壊す存在がいた。
駄竜共だ。
道の脇に立ち並ぶ茶店や菓子屋から漂ってくる甘い匂いに釣られては「おいしそう!」と声を上げて駆け出し、餅を焼く香ばしい煙の方へ鼻先を突っ込もうとする。
グランデは串団子に視線を釘付けにして尻尾をばたばたさせ、カリムは器用に首を伸ばして湯気の立つぜんざいを覗き込もうとする。
「こら、やめろ!」
俺は慌てて手綱をぐいと引き、二匹を制した。
人様の領地で何をやらかすか分からん……油断すれば、あっという間に甘味処の暖簾ごと食い破りかねない。
周囲の町人たちは、俺たち一行をちらりと横目で見やり、すぐに視線を逸らす。その表情には驚きと、わずかな警戒の色。北のドラゴンが群れをなすこと自体珍しいのだろう。ましてや駄竜共の無邪気な騒ぎなど、彼らには異様に見えているに違いない。
「いいなぁ、グランデもカリムも元気だな」
穂希が歩みを止め、肩越しに振り返る。その声音は羨望と、少しの切なさを含んでいた。
「炎華にも……その元気、少しでいいから分けてやってほしいよ」
「当たり前だろう!」
「ピルピル!」
駄竜共は胸を張り、声を揃えて威勢よく返す。
その瞬間、穂希はふっと笑い、両腕を広げて「おいで」と呼んだ。
グランデは尻尾を振りながら飛びつき、カリムは弓を引くように軽やかに跳ねて穂希の胸へ収まった。
彼はしっかりと二匹を抱きとめ、頬ずりするように額を寄せる。だがその笑みの奥に――ふと影が差した。
瞳の奥で揺れるそれは、まるで言葉にならぬ後悔か、誰にも癒せぬ孤独の色。
――これからが本番だ。
俺たちは今から、北のドラゴンの長――焔に謁見することになる。
そして、その隣の部屋には、心を閉ざし、人を寄せつけぬ少年――炎華がいる。
俺は自然と背筋を正した。
この無邪気すぎる駄竜共の元気が、どうか少年の凍りついた心を少しでも溶かしてくれますように――そう祈らずにはいられなかった。
城奥の襖を静かに滑らせた途端、鼻腔を突き刺すように濃厚な墨と紙の匂いが押し寄せた。
湿った墨の鉄のような匂いと、乾きかけた羊皮紙のざらついた香りが空気に溶け合い、まるでこの部屋そのものが巨大な書庫のようだった。
灯籠の淡い橙光が、夜の残滓を払いきれず漂う薄闇をかすかに押し退けている。光は弱々しくも絶えず瞬き、積み上げられた紙束の影を幾重にも落としていた。
床一面に散乱するのは戦況地図、報告書、軍需調達の書き付け――端から端まで文字で覆われた紙片が雪のように積もり、墨で黒ずんだ筆が何本も無造作に転がっている。乾いた墨壺は幾つも口を開けたまま、そこかしこに置き去りにされ、机上の筆立てもすでに限界を超えていた。
その混沌のただ中に、ひとりの男がいた。
北の竜王――焔。
背丈はラヴェリオンより少し小さいくらい。だが空気を切り裂くような鋭さをまとい、ただそこに座しているだけで室内の重心をすべて彼一人に引き寄せていた。
炎を彷彿とさせる赤い髪は短く刈り込まれ、一本の乱れもなく額へと流れ落ちている。だがその下の瞳は、雪嶺の氷よりも冷たく、光を受けてもなお鋭さを増す。
人を見据えるというより、まるで心臓の奥底を射抜き、魂ごと秤にかけるかのような視線。
だがその完璧な威容の下には、確かに疲労の影が刻まれていた。
目の下には深々とした隈が沈み、皮膚は青白く痩せた。額には夜通し働いた痕跡が滲み、細かい汗が光を反射して小さな粒となっていた。
背筋こそ折れることなくまっすぐに伸びている。だが肩は僅かに落ち、筆を持つ手は紙をめくるたびにわずかな震えを隠しきれない。
その震えですら、力尽きた人間の弱さではない。
むしろ、膨大な責務を一身に背負い、それでもなお立ち続ける意志の痕跡だった。
机の上に並ぶ紙は、ひとつでも誤れば領土を揺るがす決断が詰め込まれたものばかりだろう。
焔はそれらを迷いなく仕分け、墨を走らせる。筆先が擦れる音だけが室内を支配し、その静寂は戦場の轟音にも勝る圧迫感を孕んでいた。
――北の竜王。
この男の存在そのものが、北を守るために削ぎ落とされた刃。
疲れに沈みながらも、その刃は一度も鈍っていない。
「……来たか」
低く、掠れた声。
だが言葉には迷いも隙もなかった。
俺は自然と膝をつきかけたが、横の穂希に軽く袖を引かれ、形式ばった礼は不要だと知る。
「何徹したらそんな顔になんのさ……こっちがセレヴィスで、こっちがグランデとカリム」
障子を閉めながら穂希が軽い調子で口を開く。
だが焔は机に向かったまま、わずかに眉をひそめただけだった。視線は紙から動かない。
「……全部、聞いてる」
吐き捨てるような短い声音。
けれどそこには確かに「すでに把握している」という確かな重みがあった。
焔は筆を置き、僅かに顔を上げる。
「炎華のこともな」
冷ややかな声色だったが、不思議と俺の胸には安堵が広がった。
ただ一言で、この男が全てを理解していると伝わってきたのだ。
「……悪いな。今は祭りの準備で地獄みてぇに忙しい。書類が片付いたら、炎華の部屋へ案内する。……待てるか?」
その時、初めて焔の視線がこちらを射抜いた。
背骨に冷気が走る。
――睨まれた、ではない。
――試された、でもない。
“値踏みされた”のだ。
わずか数秒で俺の呼吸、姿勢、眼差し、すべてを計ろうとするあの眼差し。
まるで刃を突きつけられたような緊張が、室内の空気を一瞬にして支配する。
「ああ……分かった」
自然に背筋が伸び、声は硬く引き締まっていた。
焔の前では、そうせずにはいられない。
焔は短く鼻を鳴らし、机に視線を戻した。
書類をめくる音、筆先が紙を走る音――それだけが執務間に響き渡る。
だが不思議と、静けさは緊張を和らげるのではなく、逆に張り詰めた糸をさらに強く締め上げていく。
セレヴィスと同じか、あるいはそれよりも低い身長。
だが背後にまとわせる気配は、俺よりもはるかに重く鋭い。
積み上げられた疲労すら力づくで押し殺し、なおも机に向かい続けるその姿は、ただの人ではなく「竜王」と呼ばれるに相応しい鉄の意志そのものだった。
その時、穂希が湯呑を差し出した。
焔は言葉ひとつなくそれを受け取り、一息で飲み干す。
「……ふぅ」
短く息を吐き、ちらと穂希へ目をやる。
その目尻が、ごくわずかに――ほんの刹那だけ緩んだ。
だがすぐに表情は元に戻り、鋭い瞳が再び紙の文字を追い始める。
俺は直感する。
――この人が、北の竜を束ねる長。
徹夜で憔悴していようとも、決して隙を見せず、誰よりも先に自らを律する。
そして、その中で唯一「人間らしさ」を引き出せるのは、番である穂希だけなのだ。
「炎華は隣にいる」
焔は筆を走らせながら、低く告げた。
「俺が一区切りつけたら、連れて行く。……それまで大人しくしてろ」
命令とも忠告ともつかない声音。
だが拒む余地はない。
俺は深く頷いた。
――炎華。
心を閉ざした少年に会う前に、まずは俺自身が試されている。
この北の竜王の前で、どれだけ「見せられるか」。
すると隣で、穂希が本当に「大人しく」床にごろりと横になった。
懐から取り出した文庫本を開き、退屈そうに頁をめくり始める。
駄竜共はすぐにその背に乗り、尻尾を揺らしながら「構って」とばかりに身をすり寄せる。
穂希はくすぐったそうに笑い、片手で彼らの頭を撫でながら読書を続けていた。
――その様子は、目の前の王の緊迫感とは対照的だった。
だからこそ、焔と穂希の関係の強さが一層際立って見えた。
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