猫とのご縁、おつなぎします。~『あわせ屋』ミケさんと猫社の管理人~

香散見羽弥

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想い合いとすれ違い

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「…………っ……バカだよなぁ、俺」


 しぼり出すようなうめき声がもらされる。

 後悔、悲しみ、苦しみ……。それらがすべてない交ぜになった声だった。


「本当は、分かっていた。アズキが俺のことを恨んでいるわけがないって……。アズキは、優しくて強い子だったから……っ」


 黒永は嗚咽おえつを漏らしながらも、ぽつり、ぽつりと語りだした。


 アズキと黒永が出会ったのは九年前――黒永が妻を失ってすぐのことだった。

 悲しくて寂しくて、後を追ってしまおうかとも思っていた。


「……いや、半分追いかけていたな。酒を浴びるほど飲んで、冬なのに外で寝たりしてさ。……そんなとき、アズキが近寄って来たんだ」


 当時のことを思いだしたのだろうか。黒永は懐かしむように目を細めていた。


「警戒心が強いはずの猫が、明らかに様子のおかしい人間に近寄ってきてくれた。それだけじゃない。初めて会ったはずなのに、アズキは俺の傍から離れようとしなかった。どれだけ風が吹いても、雪が降ってきても、ふり払っても……全然離れず俺を温めようとしてくれた」


 自分だって寒かったはずなのにな。

 そう零した黒永は握りしめた拳で乱暴らんぼうに目をこすった。


「生きろと言われているみたいだった。離しても寄り添うようにさ、傍に来てくれた。だから連れて帰った」


 初めのうちはすぐに出ていくだろう。去っていくだろう。そう思っていた。

 けれど予想に反してアズキは離れていこうとはしなかった。


「それどころか、俺が投げやりになったらすぐに噛みにくるような猫だった。……そんなところも妻と似ていた」


 黒永の妻はおっとりとした見た目とは裏腹に、肝っ玉の女性だったという。
 アズキと同じように黒永の変化はどんな小さなものでも見逃さず、前を向けるように発破をかけて来てくれたらしい。

 奇妙な共通点ばかりだったと小さく笑った。


「だから俺、アズキは死んだ妻の姿なんじゃないかって思ったんだ。……変なこと言っている自覚はあるけど、でもだからこそ悲しくても踏んばらないとって思えたんだ。だからさ、俺が立ち直れたのはアズキのおかげなんだよ。……でも、似なくていいところまで似てしまうなんて」



 妻もアズキも、黒永のことにはどんな些細なことも気が付くのに、自分のことは後回しにしてしまうところがあったらしい。

 風邪気味なのを隠していたのも、苦しむところを見せてくれないところも。


「……去り際も一緒だった。気が付いたときには手遅れだったんだ。俺はなんにもできなかった。なんにもしてやれなかったのに……なんで……っ」


 顔を覆った手の隙間から涙が零れ落ちていく。


 そんなところまで似ないでほしかった。
 人のことよりも自分のことを気にかけてほしかった。
 なにもできなかったやつのことなんて心配する必要はない。恨んでくれていたよかったのに。



「なんで死んでまで、こっちの心配なんかするんだよ……っ。バカだ。っほんとに、バカ」


 黒永は最後にもう一度「バカ」とこぼすと、その場に力なく崩れ落ちた。


 きっと初めから分かっていた。アズキが恨んでいる訳がないと。

 それでもなにもできなかった自分を呪わずにはいられなかった。
 呪って、自分を消せたらいい。そう思っていたのだろう。

 紡生はゆっくりと黒永の前にしゃがみ込み、その手を取った。


「自分を責めることをやめろとは言えないです。前を向こうと思っても、どうしようもなく自分が無力に思えてしまうことなんてたくさんあるから。……けど」


 顔を上げた黒永をまっすぐに見つめる。


「黒永さんがそうであったように、アズキちゃんもきっとあなたのことが大切だった。……そうじゃなかったら魂を危険にさらしてまで発破をかけたいだなんて思わないはずです」


 九年間。黒永がどれだけアズキを思ってきたのかは、先ほどの話で分かる。

 一緒に暮らしていて楽しかったこともたくさんあっただろう。
 それこそ、自分のことよりも相手のことを優先してしまうくらいには。


「だからこそ……アズキちゃんの願いを無視しないであげてほしい」


 黒永がどれほど自分の呪っても、アズキの願いは変わらない。
 それは黒永の願いとは真逆で、それでいて切実で……


「生きてほしい。前を向いて……自分がいなくても生きていてほしい。そう願われている」


 いくら己を消してしまいたくても、どれだけ辛くても、そこに自分がいなくても。
 それでも生きていてくれと――。


 その事実はとほうもなく残酷だ。
 それでも伝えなくては。


「願われたのなら、応えてあげなくちゃ。……それが飼い主の最後の役目でしょう?」


 そう伝えると黒永の顔が歪んだ。


「アズキが、そう願っているんだな」
「はい」
「そうか……」


 黒永はきつく目を瞑った。


「……生きている間には何もしてやれなかったけど、そう言うことなら応えてやらないわけにはいかないよなぁ」
「……なにもしてあげられなかっただなんて、ないと思う」
「え?」


 ぽつりとこぼされた言葉につい、反応してしまった。
 見開かれた瞳に、思わず苦笑を零してしまう。


「だって楽しい記憶も、幸せだと思える瞬間も、確かにあったんでしょう?」


 一緒にご飯を食べたこと。同じ布団で眠ったこと。

 小さなことでも、些細なことでも、普通のことでも。なんでもいい。
 一度もそう感じなかったことなどきっとないのだから。


「そう……なのかな」
「はい、きっと」
「……そっか」


 伝わってほしくて真っ直ぐに見つめる。


(――……にゃあ)


 ふいに風が吹いた。
 室内なのに吹いた風は、まるで猫の鳴き声のようなか細い音だった。


「…………アズキ?」


 耳をすましても微かにしか聞こえない音。それでも黒永には十分だったらしい。


「う、あぁ……!」


 せきを切って流れ出る涙。

 けれどもう悲壮感を漂わせるものではない。


 流して、零して、出し切って。

 そしたらきっと立ち上がれる。

 そんな涙だった。

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