辺境の王弟と猛毒の医師

白槻

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魔物の呪

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病の王弟
 今、セリカ王国の王宮は暗く沈んでいた。今年26歳になったばかりの若き王弟、リューク・ヴィ・ジュノンが病床に伏せっているのだ。リュークは生まれた時から白銀の魔力を纏い、成長するにつけ剣士として類まれな能力を発揮した。魔物の巣窟である南大陸との海峡はわずか数十キロしかない。セリカ王国は絶えず魔物の脅威に晒されてきた。強力な魔力を操り一騎当千の力を誇るリュークは国防の要であった。

 そんなリュークが病を患ったのは8ヶ月前に起きたゴブリンの侵攻が原因だった。南大陸から船で侵攻してきたゴブリンたちを迎え撃ったのはリュークの率いる南方のディアラ要塞の騎士達だった。リュークの指揮した部隊はゴブリンたちを圧倒し、一掃した。しかし、その際リュークは右腕に刀傷を負った。ゴブリンの使うナタのような刃物が掠ったのだ。数日発熱したものの、元来丈夫で健康な彼はすぐに持ち直し、魔物討伐の報告のため一時王都に帰還した。王都は若き英雄の帰還に湧き上がり、その様はさながら祭りのようだった。

 王都に帰還したリュークは兄王の勧めで専門医の診察を受けた。唯一の弟であり、国防の要である弟がコブリンによって傷を負ったと聞き、兄である国王は万が一があってはいけないと、大変心配したのだ。傷はほとんど治り発熱も治っていたのだが、周囲の勧めもあり、兄の言う事を無下にすることもないかと軽い気持ちで王宮医の診察を受けることを決めた。
 しかし宮廷医達が診察したその時には、一見すると治りかけていたリュークの腕は内部で深刻な感染が広がっていた。即刻、刀傷を負った腕の手術が決まった。一時は騒然としたものの手術は問題なく終了し、傷の治癒も順調だった。

 一通りの治療を終え、南部要塞ディアラに戻る日程が決まった時だった。リュークは突然高熱を出し、容態は一変した。強いめまいに立っていることもできず、激しく吐き戻すようになり、水分も満足に受け付けなくなってしまったのだ。右手は血の気がなくなり氷のように冷えて青緑色に変色していく。それはまるで、リュークを王都に引き留め、南部に帰さんとする魔物の残した呪いのようであった。


 王宮の一室、国王の私的な会議室では、国王の他、宰相、騎士団団長、宮廷医長が集まっていた。
「一体なぜ、このようなことになったのかっ」
 絞り出すようにして声を振るわせたのは騎士団団長のダンテだった。南方要塞の総指揮を任されたリュークは騎士団副団長の地位にある。団長ダンテとは親子ほど歳が離れているが、大切な仲間に違いなかった。
「我々も手を尽くし治療に当たっておりますが、リューク殿下の経過や症状は、これまれ経験したことのないもので、」
 答える宮廷医長の声もまた、震えていた。現国王のたった一人の弟であり、国防の要でもあるリュークの治療にあたっている宮廷医たちには重圧が伸し掛かっていた。初めはただ感染がぶり返したのだろうと思われたリュークの症状は刻々と悪化していく。宮廷医達を責める声が鳴り止まない。
「手術を行なった右腕の傷に関しましては、問題なく抜糸も終えました。治癒も順調でございました。術後の発熱も予測した範囲を超えるものではなく」
 言い訳のように捲し立てる医長に、騎士団長は声を荒げた。
「では何故悪化するっ」
「それが分からんのです!!」
「ダンテよ、宮廷医たちはこの国随一の優秀な医者達だ。彼らに休日も返上し弟の治療にあたってくれておる。彼ら責めることは信義に反する」
 感情的に言葉を荒げる医長と騎士団長を止めたのは国王だった。
「しかし陛下、」
「巷には魔物の残した呪いではないか、と噂する声もあるという。神殿に祈らせよう」
「良いお考えかと思います」
 ついに神頼みなどと言い出した国王と医長に、騎士団団長は震える拳を握りしめた。リュークの命がかかているのだ、今は祈っている場合などではない。宮廷医で手に負えないのならば、別の医者を招聘しリュークの治療に当たらせるべきではないのか。
 国王は穏やかで温厚な性格をしているが、いまいち決断力や行動力に欠けるきらいがある。歳の離れた王弟リュークの方がよほど判断力に富み、統率力がある。
「陛下、恐れながら」
 国王の隣に座っていた宰相も、思わずと言った様子で口を開いた。しかしその時、会議室の扉を重たくノックする音が開いた。
「誰だ」
 国王の声に、入り口に立っていた近衛騎士がドアを開けて対応する。顔を覗かせたのは騎士団の重鎮であり、リュークの側近でもあるロバート伯爵だった。ロバートは初老で髪の半分が白髪混じりだったが、その体躯は堂々として筋肉質で、見上げるほどの長身だった。その体躯で部屋に入るなり、床に膝をついた。宰相含め、国王以外の者が何事かと腰を浮かせた。
「リューク殿下の件にございます。何卒、発言をお許しください」
「許可しよう」
「もはや治療の施しようがないと聞きました。王宮の宮廷医たちを持ってしてもリューク殿下の体調が改善しないのであれば、」
 ロバートは声を震わせて、頭を床に押し付けた。
「何卒、何卒、殿下を南方要塞ディアラに連れ帰るご許可をいただきたい」
「何を、馬鹿なことをっ」
 医長の声は悲鳴のようだった。南部要塞は王都から遠く離れた半島の最南端にある。どんなに急いでも十日はかかるだろう長旅だ。故にリュークは南部要塞ディアラの守りを任されてから、滅多に帰還しなかったほどだ。せいぜい魔物の動きが乏しくなる冬に数日帰ってくる程度、それも街道の視察を兼ねてのことだった。
「ここにいても治療の施しようがないのであればっ、どこにいても同じはず。殿下は皆様のまでは気丈に振舞っておいでですが、私めの前では南部に帰りたいと話されるのです。殿下は18歳で騎士団に入隊し、すぐに南部要塞に封じられました。南部の紺碧の海と空に親しまれて育った」
 ロバートの乾いた皮膚に大粒の涙が転がる。
「国王陛下っ。何卒、リューク殿下に南部要塞に帰還する許可をお出しくださいっ」
「歩くこともできないほど、衰弱していると聞いているが?」
 国王の声は揺れていた。
「私が抱えてお連れしますっ」
「なりませんぞっ、陛下っ。今の状態で長旅など。最悪、南部に着く前に命を落としますぞ」
 騎士団団長が席を立った。そのままロバートの元までいくと、その隣に腰を下ろし頭を下げた。
「陛下、私からもお願い申し上げます。ロバートの言うとおり、殿下は南部を愛しておられます。南部要塞の軍医では王都ほどの医療は期待できますまい。ですが慣れ親しんだ土地の風は必ず、殿下の慰めになりましょう。殿下の搬送は騎士団が細心の注意を持って行います。何卒、」
 国王は重々しくため息を吐いた。その顔には悲哀が浮かぶ。
「いいだろう、弟の搬送を許可しよう」
「陛下!!」
 宮廷医長は責めるような声をあげたが、国王はゆるく首を振った。
「決して宮廷医たちの働きを軽視してのことではない。そなたらの献身には感謝しておる。だが、ことここに至っては……。本人のしたいようにさせてやるほかあるまい。弟を頼んだぞ」
「はっ」
 騎士団団長ダンテとロバートはもう一度深く頭を下げると、颯爽と立ち上がり、足早に退出した。
 
 会議室を出た二人はそのまま駆け出す。陛下の気が変わる前に、早急にリュークを連れて王宮を出なくてはならない。
「準備は」
「馬車を裏門に待機させてあります」
 団長は小さく頷いた。
「王家の紋章の入った馬車を正面に付けさせ、影武者を運び出す。お前はリュークを連れてすぐにロイズに発て」
「はっ」
「全ては手筈通りに。あとはリュークの体力との戦いだ」
 王宮から王族を一人攫うのだ。二人の声は緊張に満ちていた。それでもやらねばならない。


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