電車の男

月世

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Ⅵ.加賀編

三人とも

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 店に着くと、「いらっしゃいませ」と声を張り上げた店員が俺たちを見て大きく手を振った。
「ななちゃん、イケメンのお兄さんもいらっしゃい。奥のほう、りっちゃん来てるよ」
 彼女が指差したほうに、ガラス窓のついたドアがある。どうやら個室のようだ。日曜の夜だからか、店は満席だ。
 個室のドアを開けると、十人くらいは座れそうな広いスペースに、六花がぽつんと一人で座っていた。俺たちに気づくと振り返り、スマホをテーブルに置いて椅子から腰を上げた。
「こんばんは、急にすいません。七世がお世話になって、ありがとうございました。迷惑かけませんでしたか?」
 この姉は、母親みたいだな、と思った。
「いえ、全然。楽しかったです」
 答える俺の顔をじっと見て、六花はにこりと微笑んだ。
「楽しかったみたいですね」
 六花が自分の首を人差し指で撫でて、口元をニヤニヤさせた。
「結構目立ちます。絆創膏ありますよ」
 襟のある服を選んで、なるべく隠そうとしてみたのだが、六花には通じないだろうと思っていた。絆創膏を倉知に渡すと、俺たちを奥の椅子に座らせてから腰を下ろす。
「七世、貼ってあげて」
「別に隠さなくてもいいのに」
 倉知は不思議そうだった。俺の首に絆創膏を貼り付けるのを、六花は唇を噛みしめて見ている。
「はあ……、ああもう、たまんない」
 身もだえる六花が、あ、と思いついたように言った。
「一応五月にも声かけたんですけど」
「え」
 俺と倉知の声がはもった。顔を見合わせる。
「どの面下げてって言ってたんで、来ないかもしれませんね。なんか適当に注文しちゃっていいですか?」
 言いながら呼び出しボタンを押す。
「自分から五月にばらすなんて、あんたもやるね」
「お呼びですか、六花様」
 突然ドアが開いて、エプロンをつけたピアスの若い男が現れた。店の人間らしい。
「あ、倉知。いらっしゃいまっせー」
「こんばんは。手伝ってるのか、偉いな」
 同級生の店だと言っていたから、この男がそうなのだろう。倉知の友人なのに、チャラい感じだ。
「ボランティアだけどね。ってお前、その人」
 俺を二度見して、男が目を見開いた。軽く会釈すると、「あっ、イケメンか!」と叫んだ。六花が男を振り返って眉根を寄せる。男は直立すると、愛想笑いを浮かべた。
「いやいや、イケメンですね」
「は、はあ、どうも」
「丸井君、注文していい?」
 六花がメニューをひらひらかざす。
「あ、はい、どうぞ、なんなりと」
 六花の注文を伝票に書き込んで、ちら、と俺を見る。視線の意味に、やんわりと気づいた。倉知は多分、友人に俺と付き合っていることを教えたのだ。
 こいつも思い切ったことをする。嫌われるどころか、いじめの対象にもなりかねないのに。
 軽薄そうに見えるが、信用できる相手なのだろう。
「加賀さん、ビール? ウーロン茶?」
 六花が訊いた。
「ウーロン茶で」
「じゃあウーロン茶三つ。丸井君」
「え、はい?」
「七世から聞いたんだね」
 何を、とは言わずに、メニューを閉じて、座ったまま下から男を見上げた。
「あ、あのー、えっと」
「これからも七世の友達でいてやってね」
 丸井の手を軽く握り、六花が言った。
「はっ、はいぃ!」
 裏返った声で返事をして、嬉々として飛び出していった。さすが、抜かりがない。というか、あざとい。自分に好意を寄せていることをわかっていて、やっているのだろう。
「七世、加賀さんと付き合えて嬉しいのはわかるけど、誰にでも言うんじゃないよ。理解しない人だっているんだから」
 釘を刺す六花に、倉知がごめんと謝る。
「丸井ともう一人、女の子の友達に知られたんだけど」
「女の子?」
 今度は俺と六花の声がはもった。六花が舌を打つ。
「女子はやばいよ。噂好きで口軽いんだから」
「風香は大丈夫」
「風香って女バスのあの子?」
 六花は風香を知っているらしい。ふうん、と言ったきり黙った。
「この前、加賀さんのことカッコイイって言ってた女子のこと、言いましたよね。あの子です」
 そういえばそんなことを言っていたかもしれない。六花が身を乗り出して言った。
「加賀さんって、モテますよね」
「うーん、どうだろう。そうかもしれない」
 曖昧に答える俺の顔をじっと見て、嬉しそうに目を輝かせて訊いた。
「男には? モテませんか? 言い寄られたりしたことは?」
「ないね。だから新鮮なのかも」
 倉知を見る。目が合った。照れ笑いをする倉知の鼻を、なんとなくつまんだ。
 六花が、はうっと妙な声を上げて、スマホをこっちに向けた。
「ちょっとそのままストップ。写真撮っていいですか?」
 息が荒い。
「いや、駄目でしょ」
「悪用しないんで。個人で楽しむだけなんで」
 拝んでくる。何をどう楽しむのだろう。
「俺、加賀さんとツーショット撮りたい」
 倉知が便乗する。六花ががたん、と椅子を鳴らして立ち上がる。小さく「ナイス」と呟いたのが聞こえた。
「俺のスマホで撮って、誰にも見せません。それならいいですか?」
 懇願する表情だ。来週の土日は一緒にいられない。だからせめて、写真を眺めて我慢しようということかもしれない。
「わかった。あとでな」
 頭を撫でると、はにかんだ。六花が「はあああ」と声を上げて椅子に倒れ込む。
「やっぱり、わかるもんですね」
 何が? と揃って六花を見る。
「出来上がっちゃったカップルって、雰囲気変わるんだなって。距離感? なんだろ、二人の間に流れる空気が、エロいっていうか」
 首に盛大にキスマークを作っておいて、やってません、は通用しない。俺は机に肘をついて、六花から目を逸らし、何気なく窓の外を見た。人が歩いている。
「ああ、すごい聞きたい。感想聞きたい」
 六花が喚いている。俺は窓の外を歩く人を目で追った。
「六花、やめてよ」
 恥ずかしがる倉知を無視して、六花が興奮しながら言った。
「気持ちよかったですか?」
 窓の外を歩く女性が見えなくなると、上の空で「うん、すげえよかった」と答えた。
 キャー! と六花が奇声を発したところでドアが開き、店の男が注文したものを持ってきた。
「楽しそうだなあ、いいなあ。俺も六花さんと食事したい」
 テーブルにお好み焼きの種と、焼きそばと、飲み物を置いて鉄板の火を点ける。六花は聞いていない。
「何回、何回したんですか?」
 完全に周りが見えていない状態だ。両手の拳を握りしめて、片方を俺に突きつけてくる。マイクに見立てているらしい。
 コンコン、とドアがノックされた。
 全員がそっちを振り返る。ガラス窓の向こうに、見知った顔があった。
 五月だ。さっき、外を歩いていたのはやはり五月だったようだ。
「あ、間に合った?」
 ドアを開けて入ってきた五月が、集中する視線を浴びて、少し恥ずかしそうに笑った。
「さ、五月さん……?」
 倉知の同級生の丸井が、唖然として、持っていたトレイを床に落とした。
「五月、その髪」
 倉知が魂の抜けた声で言った。
「切っちゃった」
 五月は、腰まであった長い髪を、ばっさりと切っていた。前髪も、眉毛より上で、いわゆるベリーショートというやつだ。服装も、この前のふわふわした感じではなく、普通のTシャツにジーンズ生地のショートパンツというボーイッシュな格好だった。
「思い切ったね」
 全員が呆然とする中で、六花は冷静だった。
「何も言わないで出かけたから、どこ行ったのかと思ったら。五月の短い髪なんて何年ぶりかな」
「五月さん! なんてもったいない! 美しい黒髪が! 俺はあの黒髪で首を絞められるのが夢だったのに!」
 丸井が吠えた。気持ち悪い発言だ。五月が丸井を睨んで手で首を絞めた。
「ほらよ、絞めてやるよ」
 首を絞められながら、嬉しそうにデレデレする丸井を五月は乱暴に放り出し、テーブルの上のお好み焼きを数え始めた。
「これだけ? あともちチーズと、そばめしと、イカゲソ追加。それと、とりあえず生中ね」
「はい、喜んで」
 伝票に書き込みながら、五月をちらちら見ている。
「五月さんはどんな髪型でも素敵です」
 軽く投げキッスをしてから、そう言い残して消えた。五月は丸井の後ろ姿を横目で見て、体を掻きむしった。
「あいつ、安定のキモさだね」
「五月、なんで」
 倉知が悲しそうな顔で五月を見る。こいつはこいつで、姉の長い黒髪を気に入っていたのかもしれない。
「失恋したから」
 きっぱりと言って俺を見る。申し訳なくなった。
「失恋して髪切るなんて、今時いるんだね」
 六花が五月の顔を覗き込みながら言った。
「あ、でも似合ってる。可愛い可愛い」
「そりゃそうよ。あたしみたいな美女は何したって可愛いんだから」
 これが素の五月らしい。やっぱり、こっちのほうが面白い。
「加賀さん、この髪、似合ってます?」
 なんの気負いも感じさせない五月に、俺は笑ってうなずいた。吹っ切れてくれてよかった。
「可愛いよ」
 言った途端、五月の顔が真っ赤になった。
「駄目じゃん」
 六花が呆れ顔で肩をすくめる。
「加賀さん!」
 五月がテーブルに両手をついて、顔を近づけてくる。
「はい」
「私服、カッコイイ!」
 力強く言って、お好み焼きの種をぐるぐると混ぜ始めた。各自がそれにならう。
「カッコイイもんは仕方ないのよ。ねえ、そうでしょ? 七世、そうでしょ。別にいいよね、あんたのダーリン、カッコイイって誉めてるだけなんだから、ガタガタ文句言わないでよ?」
「俺、何も言ってないし。五月はどこかでもう飲んできた?」
 確かに酔っぱらいのテンションだ。
「今からしこたま飲むわよ。どうせりっちゃんの奢りだから、浴びるように飲んでやる!」
「まあいいけどさあ。加賀さんに迷惑かけそうで怖いわ」
 というと、やはり酒乱か。以前家にお邪魔したときに、五月が飲むと言ったら二人の様子が変だった。
 丸井の母が追加の料理と、五月のビールを持ってきたところで、六花が「乾杯しようか」と言った。
「はい、みなさん、グラス持って」
「何によ、あたしの失恋?」
「じゃなくて、七世の童貞卒業」
「ちょ……」
 倉知がむせた。五月の鋭い視線が、倉知を捕らえる。
「あんた、マジで?」
「か、加賀さんに失礼だから、やめようよ」
 正論なのだが、俺は別に構わない。ここまでばれていて、隠そうとすると逆に恥ずかしい。こういうのは開き直るのが一番だ。
「俺はいいよ。倉知君、おめでとう」
 ウーロン茶を掲げると、六花がキャーとはしゃいでグラスを合わせてきた。
「どちくしょう!」
 五月が生ビールをぶつけてくる。
「はい、倉知君も。おめでとう」
 倉知が戸惑いながら、三人のグラスに自分のグラスをくっつける。
「かんぱーい」
 六花が音頭を取り、四人のグラスが音を立ててぶつかった。
 五月がすごい勢いで生ビールを呷る。おっさんのような飲みっぷりだ。グラスから口を離すと、唇に泡をつけたままで「おかわり!」と喚く。
「はいはい。飲み過ぎると明日きついよ。私は知らないからね」
 呼び出しボタンを押して六花が言う。
「飲まなきゃやってられないわよ。七世!」
「はい」
 五月はすでに目が据わっている。倉知はお好み焼きを取り分けながら、こっそりため息をついた。
「あんた、ほんと、なんなの? 加賀さんみたいな人に、あんなことやこんなこと、しちゃったの? けしからん! ちょっと詳しく教えなさい!」
「そうそう、詳しく教えて欲しいよね」
 してやったり、という顔で五月に便乗する六花。
「詳しくなんて、言えないよ」
「出し惜しみしやがってえぇ。ちょっとビールまだ?」
 注文もしてないのに無茶を言う。
「これは俺と加賀さんだけの、大切なことだよ。すごく、大切なんだ。人には言えない。絶対。いくら兄弟でも、言えないよ」
 五月と六花が動きを止めて、静かになった。ドアが開いて、丸井が顔を出す。
「お呼びでしょうか」
「生中追加。二杯持ってきて」
 空になったグラスを丸井に渡して、五月が淡々と告げた。丸井が消えると、五月が笑って頭を掻いた。
「ほんと、馬鹿真面目。本気で教えて欲しいわけないし。ていうか普通、兄弟だからこそ、こういうネタは言えないんじゃん」
「そっか、そうだよな」
 倉知が安堵の息をつき、笑う。
「私は本気で教えて欲しいんだけど」
 六花がぼそりと言った。
「あたしもりっちゃんみたいに腐女子になれたらいいのに」
 お好み焼きを頬張りながら五月が言った。
「そしたらこんなに嬉しいことないよね。超身近なとこで萌えられるんだから」
「うん、いいでしょ。おかげで創作がはかどってしょうがないよ」
 もしかしなくても、俺たちをネタに漫画を描いているのだろう。まあ、実名さえ出なければどうでもいい。
「あの、六花」
 倉知が箸を置いて、ウーロン茶を一口飲んでから言った。
「今度の三連休、その……」
 言い淀んで俺を見る。六花の許可が出ればそれでいいような節がある。早いとこ味方にして抱き込んでおくといい。
「ちょっとぉ、今度は二泊三日で泊まる気? 厚かましい奴ね」
 五月が顔をしかめて、再び「ビールまだ?」とぼやく。
「そうじゃなくて」
「三連休に、どこか旅行に行こうかと思ってるんだけど。な」
 代わりに言ってやると、倉知がうんうんと相づちを打つ。
 六花は口の中の物を慌てて飲み込んで、首を三回縦に振った。
「それ、素敵ですね。いってらっしゃい。両親には私から言っておきますから」
 唇についたソースを舐めて、恍惚とした表情になる六花をつまらなそうに見る五月が、鉄板の上にイカゲソを蒔き散らかした。
「何よそれ、超羨ましい。あたしだって加賀さんと、露天風呂付きの客室で、のんびりイチャイチャしたいわよ」
「露天風呂付き」
 倉知が復唱する。
「それにしよう」
「テメー、あたしの夢を横取りするんじゃない! そしてビールはまだなの!」
「七世、旅費とかお金いろいろかかるんだから、ちゃんと半分出すんだよ」
 六花が現実的なアドバイスをしたが、俺はすぐに手のひらをかざして言った。
「それは大丈夫。高校生に金出せなんて言わないよ」
「でも、二泊だったらそれなりの金額になるだろうし。この子貯金多いんで、半分出させます。こういうのはちゃんとしとかないと」
 六花が折れない。貯金があるのは俺も同じで、社会人と高校生の蓄えに差があるのは確認しなくてもわかる。俺は焼きそばを皿に盛って、倉知の前に置いてから、言った。
「就職して自分で稼ぐようになったらちゃんと折半するし、それまでは体で払ってもらうから」
 半分受け狙いで言った科白に、六花が撃沈した。へなへなと椅子の背もたれに倒れ込み、顔を覆って足をじたばたさせた。
「もう、思う存分搾取してやってください」
「体で払ってもらうからって……、エロい、カッコイイ、あたしも言われたい!」
 五月が歯ぎしりをしながらテーブルを叩いた。倉知は赤面状態で水を飲み続けている。
「わかんない、なんでこんなのがいいの? 加賀さん、あたしのおっぱい見る? おっぱい見たらあたしのこと好きになる?」
 これは酔っているのか普段通りなのか、どっちなのだろうか。五月がおもむろに立ち上がり、服に手をかけた。
 こういうとき頼りになる六花は沈没したままで、倉知は赤い顔で空になったコップに水をつぎ足していて、五月を止めようとしない。
「五月ちゃん、落ち着いて」
 タイミングが悪くドアが開き、丸井がジョッキを二杯抱えて「お待たせしました」と威勢よく現れた。直後に五月がシャツを放り投げ、それは宙を舞い、丸井の頭に着地する。
「じゃーん、どうですか! Fカップ!」
 ブラジャー姿で両手を突き上げて、高笑いをする。多分これは、もうすでに酔っている。正気でここまで弾けられるとは思えない。
「待ってね、次はこれを……」
 五月が背中に両手を回す。ホックを外そうと試みていると気づき、さすがに慌てた。
「マジかよ、待て待て早まるな。ねえ、ほんと待って」
 止めながら、それにしても確かにすごいな、と目を見張っていると、倉知がやっと気づいた。
「五月、なんで脱いで……、ちょっと、丸井、五月、丸井がいる!」
「はあっ? あんた、見たわね?」
 五月が丸井を振り返り、手のひらを差し出した。
「百万円寄越しなさい」
「は、はい、百万円でも一千万円でも、払いたい気分です」
 紅潮した顔で鼻の下を伸ばしている。
「六花、六花!」
 倉知が六花を正気に戻そうと名前を呼び続ける。
「駄目だ、なんか知らないけどトリップしてる。加賀さん」
「うん」
「見すぎじゃないですか?」
 倉知が冷めた声で言った。
「いや、だってお前、普通見るぞ」
 見たいとかではなく、男の本能的なもので自然と目がいく。それにしても立派だ。見せびらかしたくなるのもうなずける。
「加賀さん」
 倉知の声は怒っていた。顔をつかまれる。強引に右を向かされ、目の前に倉知の顔が。
 逃げる間もなく口を塞がれた。すぐに舌が侵入してくる。攻撃的なキスだった。歯がぶつかったが、無視して舌を吸ってくる。
「ん……、んぅ、……は、なせ!」
 喘ぐように呼吸して、倉知の胸を必死で押した。倉知は止まらなくなった。目の奥で静かな怒りがギラギラ燃えたぎっている。
 俺の体を抱きしめて、唇に噛みついてくる。どれだけ抵抗しても、無駄だった。倉知はオーディエンスがいることに気づいていない。いや、気づいてやっているのか、もうわからない。
 俺が抗えば抗うほど、余計に反発して抑えつけようとする。だから、力を抜いた。抵抗をやめて、好きにさせた。
 次第に乱暴さが抜けて、柔らかいキスになり、そのうちに唇を離して、至近距離で俺の顔を覗き込む。そして、じわじわと表情が歪んでいく。目が、俺から逸れて、ゆっくりと横を見た。俺も、つられてそっちを見る。
 三人が、俺たちを見ていた。
 五月と丸井はあんぐりと口を開け、六花は涙を浮かべてスマホを向けている。
「あ……、あの、すいません」
 倉知がか細い声で謝った。
「いいけど、六花ちゃん、撮るのやめようか。それ動画だよね」
 六花はスマホを下ろし、泣きながら拍手をした。
 五月がその音に驚いて、ビクッとした。それからのろのろとした動作でTシャツを着直すと、何事もなかったかのように丸井の手からジョッキを奪い取り、呷りながら椅子に座った。
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「加賀さんが、五月の体、見るのが嫌だったんだ」
「ごめんて。男のさがだから、許してよ。五月ちゃん」
「は……はい」
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「そのビール俺にちょうだい」
 両手に持っていたジョッキの片方を俺に渡すと、「ごめんなさい」と体を小さくした。
「いいよ。酔い醒めた?」
「あんなの見せられたら、そりゃ醒めます」
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「七世」
「は、はい、ごめんなさい」
「危うくあたしも目覚めそうになったわ。ごちそうさま」
 やけになっているのか、焦げたイカを次から次へと口に放り込む。六花を見ると、拝むような格好で両肘をテーブルについて、俺と倉知を見比べていた。
「六花ちゃんは、それ、どうするつもりかな?」
「え、それって?」
 とぼける六花をじっと見て、ジョッキを傾けた。俺の視線を受け止めて、諦めた。息をつき、スマホの画面をこっちに向ける。再生前の静止画が映っている。
「この動画ですか?」
「そう、その動画」
「ネットに流すとでも思いますか? 当然、個人で楽しみます」
「ちょっと見せて」
 手のひらを六花に向けると、怪訝そうに「え?」と聞き直す。
「客観的に見てみたい。な、お前も見たいよな」
 倉知に同意を求める。頬を赤らめて顔を背けた。
「俺、無理です、恥ずかしい」
 六花の顔が見事に溶けていく。
「どうぞ」
 興奮した様子で俺にスマホを差し出した。受け取って、画面をタップする。倉知がおそるおそる覗き込んでくる。
 動画を削除するつもりで受け取ったのだが、機嫌を損ねて協力してくれなくなっても困る。六花はしっかりしているから、管理も任せていいだろう。
 息を吐いてから、再生した。
 えっ、うそ、待って、と六花の声が入っている。
 画面が大きく揺れて、そのあともしばらくガタガタと震えていたが、二人を捕らえてしばらくすると、揺れが止んだ。倉知が半切れで俺を押さえつけ、無理矢理キスをしている。見ようによっては強姦に見えなくもない。
「うわ、ご、ごめんなさい」
 倉知が声を漏らして俺を見る。にこ、と笑うと、弱々しく笑い返した。
「なんで自分たちのキスシーン見て笑い合ってるの? ラブラブなの?」
 五月が歯ぎしりをしてからジョッキを一気に傾けた。あっという間に空になったジョッキを天井に突き上げて、叫ぶ。
「おかわり! おかわりおかわりー! 生中おかわりー!」
 呼び出しボタンを押すのがまどろっこしくなったのか、ドアを開けて叫んだ。店の奥のほうから「はーい」と声が返ってくる。
「六花ちゃん、これ消したら怒る?」
「え、……えっ? あっ! 加賀さん、消す気ですね?」
 六花がやっと気づいた。慌てて俺のほうに飛んでくる。
「と思ったけど、まあいいや。はい、プレゼント。これからもいろいろとお世話になります」
 あっさりスマホを返す俺を、六花は拍子抜けしたような顔で見る。
「加賀さんって、本当に心広いですよね」
 動画が消されていないことを確認して、安堵のため息をつくと、俺の隣に腰を下ろした。
「モテるのわかります。優しい」
 優しさではなく、打算で動いただけなのだが。俺はこれで狡猾だと思う。
 そんなことは知りもしない六花は、体ごとこっちを向いて、俺の左手を両手で包み込む。
「ああっ、りっちゃん、ちょっと、何してんの!」
 五月が箸を突きつけて立ち上がる。
「加賀さん」
 手を握ったまま、距離を詰めてくる。目が、爛々としている。
「今度は本番の動画、撮らせてもらってもいいですか?」
「それはごめんなさい」
 速効で断ると、落胆した六花がすごすごと自分の席に戻っていった。
「あたしも加賀さんの手、握りたい」
 乙女モードになった五月が、上目遣いで見てくる。倉知を確認すると、あまり嬉しくない顔をしていた。
「何よ、手ぐらい、いいじゃない」
 姉の懇願する視線に負けた倉知が、「五秒だけなら」と妥協した。
「よし、じゃあ握手」
 手を差し出すと、五月がはち切れんばかりの笑顔になる。自分の手をおしぼりで拭いてわざわざ席を立ち、俺の隣に正座した。
 俺の顔と右手を見比べて、一瞬泣きそうになった。ゆっくりと手を握ると、今まで見せたことがない、優しい表情になった。
「えへ、加賀さんの手、冷たいね」
「ジョッキ触ってたからね」
「気持ちいい」
 五月の目が赤くなる。涙で潤んだ瞳が、俺を見上げた。
「加賀さん」
 五月の顔が、近づいてくる。倉知が俺の肩を抱き寄せて、唇の衝突を阻止した。
「五秒経った」
「ケチ!」
「加賀さん、これ、モチチーズ美味しい」
 倉知は姉を無視して、あーんと言いながらお好み焼きを俺の口元に押しつけてくる。
「あっ、それあたしの! あんた何勝手にあたしの食べてんの?」
 色気より食い気の勝利だ。五月の乙女モードがあっさりと終了した。自分の席に急いで戻って、鉄板の上のお好み焼きを確保している。
「追加注文すれば? それよりはい、あーんの続きどうぞ」
 スマホをこっちに向けて六花が親指を立てた。
「六花ちゃんは、貪欲だね」
 呆れて言うと、六花は軽く片目を閉じてウインクしてみせた。
「大丈夫、安心してください。今度は動画じゃなくて、写真です」
「何が大丈夫?」
「加賀さん、あーん……」
 取り残された倉知がお好み焼きを俺に向けたまま、切なそうに呟いた。やけくそになってかぶりつくと、六花が歓喜の悲鳴を上げる。
「もう私、幸せすぎて怖い」
「りっちゃん、そんなことで幸せ感じてちゃヤバイよ。いつまでも腐女子やってないで自分の恋を見つけなさいよ」
「え、やだ、めんどくさい」
 六花は彼氏がいないのだろうか。これだけしっかりしていて綺麗な子だと、理想は高そうだ。
「あのー、生中お待たせいたしました」
 ドアが開いて丸井が顔を覗かせる。
「丸井なんかどう?」
 五月が言った。
「は? 論外だよ、こんな奴」
「はい、こんな奴ですが、なんの話でしょうか」
 ビールを五月の前に置いて、ヘラヘラ笑っている。
「りっちゃんにも彼氏が必要かなーって」
「お、俺、立候補します、彼女絶賛募集中です」
「気持ち悪いからこっち見ないで。私より五月だよ。失恋したばっかりだから、押せば落ちるかもよ。頑張りな」
「誰が落ちるか。もうあたししばらく彼氏いらない」
「えっ」
 六花と倉知が同時に素っ頓狂な声を上げた。
「何よ」
「えっ」
 もう一度二人が声をだぶらせる。
「なんなのよ! 別に男なんていなくてもいいんだから!」
「えっ」
 恐ろしいほど息ぴったりだ。見ていて和む。本当に仲のいい兄弟で羨ましい。
 笑う俺に気づいて、全員がこっちを見る。
「俺、三人とも大好きだわ。これからもよろしくお願いします」
 姿勢を正して頭を下げる。
「三人って、あたしも? あたしも入ってる?」
「入ってるよ」
 五月の必死の問いかけに答えると、ひゃっほうと雄叫びを上げて隣に立っていた丸井に抱きついた。
 六花が咳払いをして、箸を置き、立ち上がる。最敬礼をしてから顔を上げる。
「こちらこそ、七世ともどもよろしくお願いします」
「俺も」
 倉知が泣き笑いの顔で俺の手を取る。
「加賀さんのこと、大好きです」
 抱きついてくる倉知を受け止めて、頭を撫でて、笑った。
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「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

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