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反省すれども後悔せず
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〈後藤編〉
加賀君の元気がない。表面上は明るく振る舞っていても、ふとした瞬間に影が落ちる。考えごとをしているようにも見えた。
それに気づき、心配しているのは私だけじゃなかった。前畑はもちろん、高橋君ですら彼の異変に気づいていた。
なんとかしてくれ、と二人に頼まれ、今度飲みに行こうと誘った次の日、悩み事が解決したのか、元の彼に戻っていた。
いつもの居酒屋でいつもの個室。ここ最近ずっと、プラスアルファで誰かが一緒だった。二人きりで飲むのは何年ぶりだろう。
「で、結局なんだったの?」
ビールを半分に減らしてから、訊いた。加賀君は遠い目で苦笑いしている。
「あー、ほんと、なんだったんだろうね」
「七世君関係」
「うん、そう」
あっさり認めた加賀君は、何があったのかをぽつぽつと語り出した。聞いているうちに腹の底からふつふつと怒りが沸き起こり、手元にあった割り箸を真っ二つに折っていた。
「なんなのそいつは」
「めぐみさん怖い」
「人の恋愛にけちつけるために会社まで来るなんて、ご立派な能書きたれといて非常識もいいとこじゃない」
「まあまあ、悪意はないんだから」
加賀君が新しい割り箸を渡してくる。
「加賀君、こういうときくらい怒りなさい」
割り箸を受け取って、先端を突きつけると、困った顔で頭を掻いた。
「まあ、全然むかつかなかったかっていうとそうでもないよ」
「うむ、よろしい」
唐揚げに箸を突き刺して頷いてみせると、加賀君はネクタイを緩めながら苦笑する。
「ほっとけって思ったけど、正論だったから怯んじゃったんだよ」
正論。そうなのかもしれない。でもその橋場という男が語った正論には大事なものが欠けている。
「傍から見たら高校生に手ぇ出したただの変態のおっさんだよな」
清く正しくいられないときもある。
「強姦じゃないんだよ?」
「うん。でもやっぱり俺のしたことは褒められたことじゃない」
「ちょっと、しっかりしてよ」
まだ立ち直っていないんじゃないか、と慌てた。加賀君はジョッキの淵を指でなぞって、にっこりとほほ笑んだ。
「大丈夫だよ。どうしたって別れるのは無理だってわかったから」
当たり前だ。お互いに必要としていて愛し合っているのに、別れられるはずがない。
「それにもうあいつを泣かせたくない」
「うん、……うん」
ぐ、と胸がつまる。泣きそうになるのを堪えてビールをあおる。
「あ、ごめん。電話」
加賀君がズボンのポケットから携帯を取り出した。画面を確認して「え」と驚いた声を上げる。
「誰?」
「橋場君」
「はあ?」
「マジかよ、俺また怒られる?」
振動する携帯をテーブルに置いて、加賀君が頭を抱える。
「私が出ようか」
「え」
「説教してやる」
「いやいや、やめたほうがいい。勝てないよ」
加賀君が携帯をつかんで耳にあてた。
「はい、加賀です」
加賀君の目が、じっと私を見る。いつでも助けてやるから、とその目を見返した。
「あー……、うん、……え、いや、いいよ。いいって、ほんと」
何かしつこく言い続けている様子だ。ちっと舌打ちが出た。加賀君の目の前に手を伸ばして、代わってくれ、と口をパクパクさせた。
「もう気にしてないから、そっちも気にしないで」
手のひらを私に向けて、加賀君が言った。もしかしたら相手が謝っているのかもしれない。
「今? 今はちょっと外で飲んでて……、え、いや、ちょうどよくはないよ。連れいるし」
向こうの声は聞こえない。でも何を言っているのかは想像がついた。
「また今度でいい? ……え? いや、ほんとだって。大丈夫、約束するから」
「加賀君、来てもらって」
「ちょっと待って。めぐみさん、なんて?」
「どうせ会って話したいとかでしょ」
加賀君が携帯を胸に押しつけて、「どうしても顔見て謝りたいって」と困った顔で言った。
「来てもらいなよ」
「いや、今だよ?」
「私はいいよ」
とにかくひとことガツンと言ってやらないと気が済まない。
「いじめないでよ。倉知君の友達なんだから」
その保証はできないが、わかってる、とうなずいてみせた。加賀君は、胸に携帯を当てたままで一度大きく息を吐いた。
「連れがいてもいいならおいで」
優しくそう言うと、店の場所を告げて電話を切った。
「来る?」
「来るよ。あー、またいろいろ言われんのかな」
「加勢するから大丈夫だよ。ていうか謝りに来るのに喧嘩売られる心配?」
「倉知君が一発殴っときましたって言ってたし、前みたいにやり込められることはないと思うけど」
なんでもない口調で言って、串カツをかじる。
「ちょっと待って、七世君が殴ったって?」
「うん」
「そういうことするんだ、意外」
虫も殺せない、というイメージを勝手に抱いていた。加賀君もそうだが、この子は怒るんだろうか、と常々思っていた。
「俺もびびった。相当腹立ったんだろうけど、殴っときましたって誇らしげに言うのがまた可愛いっていうか」
「急にのろけないでよ」
と言いつつ顔がにやけてしまう。それから橋場君が来るまで最新の同棲情報を聞き出して一人で盛り上がっていた。こんなにラブラブな二人を引き裂こうなんて下劣な奴だ、せいぜい罵ってやろうと思っていたのに、現れたのは私より背の低い華奢な男の子だったので、振り上げたこぶしのやりどころに困った。
「無理言って会ってもらってすみません。どうしてもすぐに謝りたくて」
吹いたら飛びそうな小さな体をさらに小さくして、畳の上で正座をすると加賀君に向かって頭を下げた。他人の私がいても眼中にないようだ。
「そういうのいいから。頭上げてよ」
加賀君が言ったが、橋場君は頭を下げたままだ。
「すごく、おせっかいだったと思ってます」
「うん、まあ、ほんともう気にしなくていいから」
「加賀さんを傷つけて追いつめた、と倉知は怒ってました。僕の配慮が足りなかったと理解してます」
堅苦しい子だな、と思った。加賀君が論破されたのだから、きっとこの調子で一方的に言いたい放題言われたに違いない。反論の隙を与えずに、徹底的に叩きのめされたのだ。想像できる。
「でも、後悔はしてません」
頭を上げて、眼鏡の淵を持ち上げながら橋場君が小さく咳き込んだ。
「僕は倉知に、リスクを知っていて欲しかったんです」
「うん、ありがとう」
加賀君が礼を言ってほほ笑んだ。おい、とツッコミを入れるところだった。なんでそこで礼を言う。どこまで人がいいのやら。
「加賀君、ちょっと」
「ん?」
「ありがとう、じゃないでしょ」
「え、いや、変?」
「いい? ちょっと言わせて」
それこそおせっかいかもしれないが、二人の仲を脅かした相手に何も言わないわけにはいかない。
「加賀君の同僚の後藤と言います」
橋場君は、たった今私の存在に気づいた、という顔で驚いている。
「何があったのか大体聞きました」
驚きの表情が濃くなる。当たり前だ。こんなことを会社の同僚に話すなんて普通は考えられない。すべての事情を知っていないと話せない内容だ。
「君、さっき後悔してないって言ったよね」
「……はい」
橋場君は私に向き直り、視線を合わせた。初対面のおばさんに口を出されて少し困惑している。感情に任せて文句をぶちまけてやりたかったが、一度深呼吸をして堪えた。
「悪いと思ってないってことじゃない?」
目を伏せて考え込む仕草をした橋場君は間を置いてから「いいえ」と否定した。
「悪かったと思っているからこうやって謝りにきました」
怯む様子もなく、胸を張って答えた。
「倉知に言われるまで二人を傷つけたとは思わなくて、でもそうか、確かに言い方がきつかったかなと思い返して反省をしたところです」
淡々と自分の思いを口にする。やっぱり、と思った。この子は喜怒哀楽が乏しい。それに多分、人の気持ちがわからない。
加賀君がやり込められた話を聞いて、大事なものが欠けている、と思ったのはそのせいだ。二人が大事に築いてきた関係を土足で踏みにじったのは、やりすぎだとわかっているのか。
「言い方の問題だけ? 自分の物差しで他人を測るやり方はやめたほうがいいよ」
かすかに頭をよぎるのは、私も論破されるかも、という恐れだった。今のところそういう気配はなく、私の次の言葉を待っている。
「自分の正義を押しつけてたら、そのうち痛い目に遭うから。許されるのは学生のうちだけ。社会に出たら自分の思ってる常識が通用しないこともあるし、受け入れないといけないときもあるの」
おとなしく聞いていた橋場君が、ふ、と口元だけで笑った。
「すでに許されないことも受け入れられないこともたくさんあります」
身じろぎ一つせず、私の目をしっかり見て続けた。
「僕は人に嫌われるんです。多分、言われたくないことを言ったり、押しつけたりしてしまうからだと思います」
なんだ、と肩の力が抜けた。意外と自分のことをわかっているじゃないか。
「そんな僕でも倉知は友達を続けてくれると言ったんです。その厚意に報いたい。倉知といれば、僕は変われる気がします」
加賀君の顔を確認する。すごく穏やかで、優しげな目で橋場君を見ていた。本当に、人がいい。
「加賀さんを泣かせたって聞いて、振り返ると確かに僕はひどいことを言ったかもしれないと思いました。だから早く謝りたかったんです」
橋場君の科白に加賀君は笑顔のまま固まって、ひたいを押さえた。
「ふしだらだとか、好きな人の足かせになるとか、言われたくないですよね。それで泣かせてしまったのなら、本当にすみませんでした」
橋場君が頭を下げると、加賀君はテーブルに肘をついてひたいを押さえた格好のまま、静かに「うん」と返事をした。
「ほら、そういうのだからね」
テーブルを軽く手のひらで打って、私が声を上げると、橋場君が不思議そうにこっちを見た。
「そういうのがダメだって言ってるの」
「そういうの、とは」
「泣いたとか知られたくないに決まってるでしょ。わざわざ言わない」
私が言うと、深刻な顔になり加賀君にもう一度頭を下げた。
「大の男の人が、泣いたなんて知られたら恥ずかしいですよね。気づかなくてすみません」
「こら、傷口に塩を塗らない」
注意すると、わかっているのかいないのか、はあ、と答えた。加賀君が咳ばらいをしてからビールに口をつけ、一気に飲み干すと、手のひらを打ち合わせた。
「この話はもうおしまい。橋場君、奢ってあげるから食べていきなよ」
「謝罪に来た身で奢っていただくわけにはいきません。これで失礼します」
すっくと立ち上がり、お辞儀をして個室を出て行った。
七世君の友達だから、悪い子じゃないのはわかる。でもこれは、なかなかに手強い。
というか、加賀君になつかない子は珍しい。この顔で優しく甘やかされれば誰でも落ちると思っていた。
「やるね、彼」
「うん、なんかすげえだろ」
顔を見合わせて、二人で声を出して笑った。
「可哀想に。苦労するね、あれは」
「自分で自分の首絞めるタイプだな」
「ねえ、あの子さ、人を好きになったことなさそうだよね」
「俺もそう思う。多分、ないよ」
「でもなんか、憎めないな」
「うん、根はいい子だよ」
もし彼が誰かを好きになったら。恋を知れば、変われる。
狂おしいほどの恋を経験して、他人の心の機微というものが少しでもわかるようになればいい。
親心に似た思いで見守る対象が、また一人、増えた。
〈おわり〉
加賀君の元気がない。表面上は明るく振る舞っていても、ふとした瞬間に影が落ちる。考えごとをしているようにも見えた。
それに気づき、心配しているのは私だけじゃなかった。前畑はもちろん、高橋君ですら彼の異変に気づいていた。
なんとかしてくれ、と二人に頼まれ、今度飲みに行こうと誘った次の日、悩み事が解決したのか、元の彼に戻っていた。
いつもの居酒屋でいつもの個室。ここ最近ずっと、プラスアルファで誰かが一緒だった。二人きりで飲むのは何年ぶりだろう。
「で、結局なんだったの?」
ビールを半分に減らしてから、訊いた。加賀君は遠い目で苦笑いしている。
「あー、ほんと、なんだったんだろうね」
「七世君関係」
「うん、そう」
あっさり認めた加賀君は、何があったのかをぽつぽつと語り出した。聞いているうちに腹の底からふつふつと怒りが沸き起こり、手元にあった割り箸を真っ二つに折っていた。
「なんなのそいつは」
「めぐみさん怖い」
「人の恋愛にけちつけるために会社まで来るなんて、ご立派な能書きたれといて非常識もいいとこじゃない」
「まあまあ、悪意はないんだから」
加賀君が新しい割り箸を渡してくる。
「加賀君、こういうときくらい怒りなさい」
割り箸を受け取って、先端を突きつけると、困った顔で頭を掻いた。
「まあ、全然むかつかなかったかっていうとそうでもないよ」
「うむ、よろしい」
唐揚げに箸を突き刺して頷いてみせると、加賀君はネクタイを緩めながら苦笑する。
「ほっとけって思ったけど、正論だったから怯んじゃったんだよ」
正論。そうなのかもしれない。でもその橋場という男が語った正論には大事なものが欠けている。
「傍から見たら高校生に手ぇ出したただの変態のおっさんだよな」
清く正しくいられないときもある。
「強姦じゃないんだよ?」
「うん。でもやっぱり俺のしたことは褒められたことじゃない」
「ちょっと、しっかりしてよ」
まだ立ち直っていないんじゃないか、と慌てた。加賀君はジョッキの淵を指でなぞって、にっこりとほほ笑んだ。
「大丈夫だよ。どうしたって別れるのは無理だってわかったから」
当たり前だ。お互いに必要としていて愛し合っているのに、別れられるはずがない。
「それにもうあいつを泣かせたくない」
「うん、……うん」
ぐ、と胸がつまる。泣きそうになるのを堪えてビールをあおる。
「あ、ごめん。電話」
加賀君がズボンのポケットから携帯を取り出した。画面を確認して「え」と驚いた声を上げる。
「誰?」
「橋場君」
「はあ?」
「マジかよ、俺また怒られる?」
振動する携帯をテーブルに置いて、加賀君が頭を抱える。
「私が出ようか」
「え」
「説教してやる」
「いやいや、やめたほうがいい。勝てないよ」
加賀君が携帯をつかんで耳にあてた。
「はい、加賀です」
加賀君の目が、じっと私を見る。いつでも助けてやるから、とその目を見返した。
「あー……、うん、……え、いや、いいよ。いいって、ほんと」
何かしつこく言い続けている様子だ。ちっと舌打ちが出た。加賀君の目の前に手を伸ばして、代わってくれ、と口をパクパクさせた。
「もう気にしてないから、そっちも気にしないで」
手のひらを私に向けて、加賀君が言った。もしかしたら相手が謝っているのかもしれない。
「今? 今はちょっと外で飲んでて……、え、いや、ちょうどよくはないよ。連れいるし」
向こうの声は聞こえない。でも何を言っているのかは想像がついた。
「また今度でいい? ……え? いや、ほんとだって。大丈夫、約束するから」
「加賀君、来てもらって」
「ちょっと待って。めぐみさん、なんて?」
「どうせ会って話したいとかでしょ」
加賀君が携帯を胸に押しつけて、「どうしても顔見て謝りたいって」と困った顔で言った。
「来てもらいなよ」
「いや、今だよ?」
「私はいいよ」
とにかくひとことガツンと言ってやらないと気が済まない。
「いじめないでよ。倉知君の友達なんだから」
その保証はできないが、わかってる、とうなずいてみせた。加賀君は、胸に携帯を当てたままで一度大きく息を吐いた。
「連れがいてもいいならおいで」
優しくそう言うと、店の場所を告げて電話を切った。
「来る?」
「来るよ。あー、またいろいろ言われんのかな」
「加勢するから大丈夫だよ。ていうか謝りに来るのに喧嘩売られる心配?」
「倉知君が一発殴っときましたって言ってたし、前みたいにやり込められることはないと思うけど」
なんでもない口調で言って、串カツをかじる。
「ちょっと待って、七世君が殴ったって?」
「うん」
「そういうことするんだ、意外」
虫も殺せない、というイメージを勝手に抱いていた。加賀君もそうだが、この子は怒るんだろうか、と常々思っていた。
「俺もびびった。相当腹立ったんだろうけど、殴っときましたって誇らしげに言うのがまた可愛いっていうか」
「急にのろけないでよ」
と言いつつ顔がにやけてしまう。それから橋場君が来るまで最新の同棲情報を聞き出して一人で盛り上がっていた。こんなにラブラブな二人を引き裂こうなんて下劣な奴だ、せいぜい罵ってやろうと思っていたのに、現れたのは私より背の低い華奢な男の子だったので、振り上げたこぶしのやりどころに困った。
「無理言って会ってもらってすみません。どうしてもすぐに謝りたくて」
吹いたら飛びそうな小さな体をさらに小さくして、畳の上で正座をすると加賀君に向かって頭を下げた。他人の私がいても眼中にないようだ。
「そういうのいいから。頭上げてよ」
加賀君が言ったが、橋場君は頭を下げたままだ。
「すごく、おせっかいだったと思ってます」
「うん、まあ、ほんともう気にしなくていいから」
「加賀さんを傷つけて追いつめた、と倉知は怒ってました。僕の配慮が足りなかったと理解してます」
堅苦しい子だな、と思った。加賀君が論破されたのだから、きっとこの調子で一方的に言いたい放題言われたに違いない。反論の隙を与えずに、徹底的に叩きのめされたのだ。想像できる。
「でも、後悔はしてません」
頭を上げて、眼鏡の淵を持ち上げながら橋場君が小さく咳き込んだ。
「僕は倉知に、リスクを知っていて欲しかったんです」
「うん、ありがとう」
加賀君が礼を言ってほほ笑んだ。おい、とツッコミを入れるところだった。なんでそこで礼を言う。どこまで人がいいのやら。
「加賀君、ちょっと」
「ん?」
「ありがとう、じゃないでしょ」
「え、いや、変?」
「いい? ちょっと言わせて」
それこそおせっかいかもしれないが、二人の仲を脅かした相手に何も言わないわけにはいかない。
「加賀君の同僚の後藤と言います」
橋場君は、たった今私の存在に気づいた、という顔で驚いている。
「何があったのか大体聞きました」
驚きの表情が濃くなる。当たり前だ。こんなことを会社の同僚に話すなんて普通は考えられない。すべての事情を知っていないと話せない内容だ。
「君、さっき後悔してないって言ったよね」
「……はい」
橋場君は私に向き直り、視線を合わせた。初対面のおばさんに口を出されて少し困惑している。感情に任せて文句をぶちまけてやりたかったが、一度深呼吸をして堪えた。
「悪いと思ってないってことじゃない?」
目を伏せて考え込む仕草をした橋場君は間を置いてから「いいえ」と否定した。
「悪かったと思っているからこうやって謝りにきました」
怯む様子もなく、胸を張って答えた。
「倉知に言われるまで二人を傷つけたとは思わなくて、でもそうか、確かに言い方がきつかったかなと思い返して反省をしたところです」
淡々と自分の思いを口にする。やっぱり、と思った。この子は喜怒哀楽が乏しい。それに多分、人の気持ちがわからない。
加賀君がやり込められた話を聞いて、大事なものが欠けている、と思ったのはそのせいだ。二人が大事に築いてきた関係を土足で踏みにじったのは、やりすぎだとわかっているのか。
「言い方の問題だけ? 自分の物差しで他人を測るやり方はやめたほうがいいよ」
かすかに頭をよぎるのは、私も論破されるかも、という恐れだった。今のところそういう気配はなく、私の次の言葉を待っている。
「自分の正義を押しつけてたら、そのうち痛い目に遭うから。許されるのは学生のうちだけ。社会に出たら自分の思ってる常識が通用しないこともあるし、受け入れないといけないときもあるの」
おとなしく聞いていた橋場君が、ふ、と口元だけで笑った。
「すでに許されないことも受け入れられないこともたくさんあります」
身じろぎ一つせず、私の目をしっかり見て続けた。
「僕は人に嫌われるんです。多分、言われたくないことを言ったり、押しつけたりしてしまうからだと思います」
なんだ、と肩の力が抜けた。意外と自分のことをわかっているじゃないか。
「そんな僕でも倉知は友達を続けてくれると言ったんです。その厚意に報いたい。倉知といれば、僕は変われる気がします」
加賀君の顔を確認する。すごく穏やかで、優しげな目で橋場君を見ていた。本当に、人がいい。
「加賀さんを泣かせたって聞いて、振り返ると確かに僕はひどいことを言ったかもしれないと思いました。だから早く謝りたかったんです」
橋場君の科白に加賀君は笑顔のまま固まって、ひたいを押さえた。
「ふしだらだとか、好きな人の足かせになるとか、言われたくないですよね。それで泣かせてしまったのなら、本当にすみませんでした」
橋場君が頭を下げると、加賀君はテーブルに肘をついてひたいを押さえた格好のまま、静かに「うん」と返事をした。
「ほら、そういうのだからね」
テーブルを軽く手のひらで打って、私が声を上げると、橋場君が不思議そうにこっちを見た。
「そういうのがダメだって言ってるの」
「そういうの、とは」
「泣いたとか知られたくないに決まってるでしょ。わざわざ言わない」
私が言うと、深刻な顔になり加賀君にもう一度頭を下げた。
「大の男の人が、泣いたなんて知られたら恥ずかしいですよね。気づかなくてすみません」
「こら、傷口に塩を塗らない」
注意すると、わかっているのかいないのか、はあ、と答えた。加賀君が咳ばらいをしてからビールに口をつけ、一気に飲み干すと、手のひらを打ち合わせた。
「この話はもうおしまい。橋場君、奢ってあげるから食べていきなよ」
「謝罪に来た身で奢っていただくわけにはいきません。これで失礼します」
すっくと立ち上がり、お辞儀をして個室を出て行った。
七世君の友達だから、悪い子じゃないのはわかる。でもこれは、なかなかに手強い。
というか、加賀君になつかない子は珍しい。この顔で優しく甘やかされれば誰でも落ちると思っていた。
「やるね、彼」
「うん、なんかすげえだろ」
顔を見合わせて、二人で声を出して笑った。
「可哀想に。苦労するね、あれは」
「自分で自分の首絞めるタイプだな」
「ねえ、あの子さ、人を好きになったことなさそうだよね」
「俺もそう思う。多分、ないよ」
「でもなんか、憎めないな」
「うん、根はいい子だよ」
もし彼が誰かを好きになったら。恋を知れば、変われる。
狂おしいほどの恋を経験して、他人の心の機微というものが少しでもわかるようになればいい。
親心に似た思いで見守る対象が、また一人、増えた。
〈おわり〉
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