電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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年末年始ー同棲編ー ※

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途中、注意書きを設けています。
必ずお読みいただき、苦手な方はスルーでよろしくお願いします。

〈加賀編〉

 年末年始を倉知家で迎えるのは三度目だ。そう思うといよいよ長い付き合いになってきたな、と実感する。
 すでに客扱いではなくなり、まるで本当の家族のように団らんに迎えてくれた。
 年末恒例の麻雀大会も三度目で、過去二回優勝している俺に対して、特に六花が闘志を燃やして挑んでくる。優勝賞品は例年通り、「加賀さんを好きにできる権利」というものだった。五月は実力の問題で点差が広がり早々に優勝争いから離脱し、父は娘の勢いに気圧され気味で、集中力も欠いている。実質、俺と六花の一騎打ち状態だ。
 半荘を五回終えて、時間的にオーラスだな、と父が宣言すると、六花が腕まくりをして首を回し、手首を振ってから、大きく深呼吸をした。
「もう、絶対、勝ってやる」
「一体加賀さんに何させる気?」
 倉知が言った。
「教えてあげようか?」
 牌をかき混ぜながら六花がにやついた。
「あんたにとっても悪い話じゃないと思うんだけどな」
「な、何?」
「耳貸して」
 俺を抱きしめるようにしてこたつに入っていた倉知が、腰を上げて六花の隣で身を低くする。六花が耳打ちをすると、倉知の顔が驚いたように変化して、ハッと俺を見た。よくわからないが複雑そうな表情だ。
「悪くないでしょ?」
 六花が鼻を鳴らす。倉知は俺から目を逸らして「うん」と小さく肯定した。
「どうせりっちゃんのことだから、下ネタでしょ」
 五月が軽蔑のまなざしを妹に向けた。
「残念、はずれ。まあ五月は喜ばないだろうけど、お父さんは喜ぶ、かな」
「ん? 何、俺も得すること?」
 六花のたくらみがいよいよわからなくなってきた。牌を集めながら倉知を見る。
「なんなの?」
「な、なんでもないです」
 目が泳いでいる。怪しさ全開だ。
「まあ、負けないからなんでもいいんだけど」
「言いましたね? 約束ですからね、ちゃんと私の言うこと聞いてくださいよ」
「はいはい、勝ったらなんでも言うこと聞くから」
 牌を積んで目を上げると、倉知と目が合った。
「俺んとこ戻ってこないの? 背中が寒いんだけど」
 対面の六花の隣に腰を下ろした倉知がなぜか照れ笑いをする。
「ちょっと、六花に勝ってほしくて。応援しようかなって」
「はあ? なんだそれ」
 とんだ裏切りだ。まさか倉知が寝返るとは。
「加賀さん、大丈夫。あたしはいつでも味方だよ!」
 五月が言った。頼もしくもないし、あんまり嬉しくもない。
「俺はまあ中立かな。せいぜい空気読んで邪魔しないようにするよ」
 倉知の父が肩をすくめて、ちら、と時計を見た。来年が、あと三十分後に迫っている。
「よし、泣いても笑ってもこれで最後な」
 全員の牌が積み終わる。俺が親だ。さいころを手のひらで転がしながら、倉知を見る。
「倉知君」
「はっ、はい?」
「俺が勝ったときの優勝賞品、わかってるよな」
 倉知を好きにしていい権利、だ。途端に真っ赤になって、大きな体を小さくして六花の背後に隠れた。
「私が勝つので、そんなのは関係ないですよ」
 六花と俺の間に、火花が散る。過去二回、優勝した経験が自信に繋がっていた。負けるはずがないと決めつけていたが、最後の半荘になって風向きが変わった。
 おかしい。
 配牌が、クソだ。
 倉知を見る。倉知は俺を見ていた。まさか、あいつがあっちに行ったから、運がなくなった、とか。馬鹿げている。配牌が悪くても、なんとかなる。気持ちを切り替えて、戦法も変えた。とにかく、相手に振らないことだ。特に六花には。
「加賀さん、なんか調子悪いですか?」
 六花が訊いた。
「そうでもないよ」
「ほんとに? 私、絶好調ですよ。リーチ」
 二巡目でもうリーチだ。捨て牌は、白、發の二つ。この局面は降りるしかないが、安パイの見極めが難しい。
「加賀さん」
 六花が次ツモの牌を俺に突きつけて不敵に笑った。
「ツモです。リーヅモ一発で清一色、おっと、ドラ乗りましたね。三倍満です」
 裏ドラを確認して、六花が言った。
「りっちゃん、鬼すぎ。何これ」
「お前まさか、いかさま?」
 五月と倉知の父が大声を上げて六花の倒した手牌を食い入るように見ている。
「七世が後ろについてるからかな? どうします? 返しましょうか?」
 得意満面の六花に点棒を渡すと、残った千点棒を耳に挟む。
「いいよ、俺にはこいつがついてる」
「千点でどうするんですか?」
 六花は勝ちを確信している。勝ち誇ったその顔を見て、生来の負けず嫌いが発動した。この崖っぷちの感じも悪くはない。負けたときのことは考えずに、豪運を身につけた六花に挑んだ。首の皮一枚で繋がっている今の状態に、心地よささえ感じる。
「しぶといですね」
 六花が言った。クソ配牌は相変わらずで、ツモも悪かったが、そういうときの打ち方もある。六花の親も喰いタンで流してやったし、持ち点も二万五千点まで持ち直した。マイナスはつくが、全六局のトータルならギリギリ負けない計算だ。
「でも私には幸運の女神がついてますから」
 六花の自信は揺るがない。倉知が六花の手牌を見て驚いた顔をする。そして、俺を見る。なんだよ、と言う間もなく、俺の捨てた北で六花が「ロン!」と宣言した。
「国士無双です」
 六花が牌を倒すと、父と五月がうおおお、と雄たけびを上げる。その声に驚いて、ソファに寝転んでいた倉知の母が、飛び起きた。
「な、なに? あっ、ハッピーニューイヤー?」
 よだれを拭い、きょろきょろしている。
「私の、勝ちですね」
 恍惚とした表情の六花が続けて言った。
「優勝賞品、いただきます」
 俺は姿勢を正し、頭を深く下げて「参りました」と負けを認めた。完全に、倉知と一緒に運気が去っていった。顔を上げて、倉知を確認する。俺の視線に気づいて、かあ、と頬を赤らめた。なんなんだよ?
「で、何? 俺に何させようっての?」
 頭を掻いて訊くと、五月と父が興味深そうに六花の答えを待つ。
「加賀さんに」
 うん、と相槌を打つ。
「女装していただきます」


〈倉知編〉

※というわけで、ここからは女装シーンがあるので苦手な方はご注意ください。女装エッチもあります。生理的に受け付けないという方は、責任を持てませんので無理に読まないでください。大丈夫な方のみお進みください。







 次の日。朝食を済ませると、加賀さんは二人の姉に、拉致された。
 俺は一人、五月の部屋の前でうろうろと歩き回っていた。ときおり中から聞こえる楽しそうな声に耳をそば立ててみたり、手持無沙汰で屈伸をしたり、落ち着かない。
 六花が、「私が勝ったら加賀さんに女装してもらう」と言い出したときは純粋に好奇心から味方についたが、徐々に冷静になってみると、加賀さんにひどいことをした、と後悔し始めた。
 男なら誰だって、女装しろなんて言われたら、気分が悪いに決まっている。
 五月も最初は反対した。馬鹿げてる、と随分ご立腹だった。父は鼻の下を伸ばして見たいなあ、とにやけ、母は寝ぼけ眼でハッピーニューイヤーを繰り返した。
 正気に戻った俺は、やっぱりこんなことはやめよう、失礼だ、と止めようとした。でも加賀さんは、負けたから約束は守る、とかたくなだった。あの人は、そういう人だ。変なところで義理堅い。
 はあ、とため息をついた。
 嫌われたらどうしよう。
 平身低頭して謝る俺に、加賀さんは笑って、いいよと許してくれた。どんな理由があっても、俺だけは加賀さんの味方でいるべきだった、と詫びたが、加賀さんはあっけらかんとして「おおげさだな」と笑い飛ばした。
「お前が俺の女装姿が見たいなら、お望み通り見せてやるよ」
 と言った。まったく気に病んではいなさそうだが、女装に食いついて六花の応援をした俺を、内心で気持ちが悪いと蔑んでいたら。
 ちょっと魔が差しただけだ。どうなるのか、見てみたかっただけだ。この世に存在するどの女性より、きっと綺麗だ。それを、確かめたい、と思った。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と頭を抱えてうずくまる。
 ドアの向こうでひときわ甲高い二人分の歓声と、拍手。それに、加賀さんの笑い声。楽しそうだからいいか、とは思えず、土下座をしていると、ドアが開いて頭頂部に激突した。
「びっくりした。あんたこんなとこで何やってんの」
 五月が俺の肩に軽く蹴りを入れる。
「あの、土下座を……」
 頭を上げて、絶句する。五月の背後に、絶世の美女が立っている。艶やかな唇に、色気を帯びた目元、長い黒髪に、膝上の丈の白いニットワンピースで、その下から細長い脚が伸びていた。Vネックの形に開いた首元に、ネックレスが揺れている。片方の耳に髪をかけて、そこから控えめなイヤリングが光って見えた。
「か」
 声が、喉に張りついてなかなか出てこない。
「か、加賀、さん?」
「はい、加賀さんです」
 確かに、加賀さんの声だ。
 土下座の体勢でぼんやりと眺めていると美女が「はは」と笑った。加賀さんの笑い方と同じだ。それはそうだ。この人は、加賀さんだ。
「なんかすげえいい女だと思わない?」
 加賀さんが言った。
「はい、あ、あの、下、それ、ストッキングですか?」
 黒いタイツかストッキングに見える。ドキドキしながら訊くと、加賀さんがニットワンピースの裾をつかんでめくりあげた。白い太ももがちら、と顔を出す。
「違うよ、ほら。これなんて言うんだっけ?」
「キャー、加賀さん、はしたない!」
 五月が騒ぐ。
「ニーハイですけど、めくらない。今は女の子なんだから」
 六花がたしなめる。俺は土下座の格好のまま、静かにうずくまった。
「七世、あんた……」
 頭上で、呆れた六花の声が聞こえる。
「ねえねえ、いいからさ、早くお父さんとお母さんにも見せにいこうよ」
「うわー、マジで? めっちゃ引かれるんじゃない?」
「大丈夫です。私たちの合作ですから。あ、写真撮ってアップしていいですか?」
「え、何、どこに?」
「ツイッターです」
「やめてお願い」
 三人が俺を放置して楽しそうに会話をしながら一階に下りていった。股間が収まったのを確認して、立ち上がり、後を追う。階下から父の興奮した声が聞こえてきた。
「すっげ、えー、ほんとかよ! 脚ながっ、顔ちっさ、うっそ、これ、どうすんだよ、お前ら本物の女なのに負けてんじゃん」
 リビングに入ると、二人の姉が一斉に父を殴りつけていた。
「痛い、ごめんなさい」
「あたしのメイクの腕がいいの! まあ、もちろん素材もいいんだけどさ」
「ファンデいらないもんね。海行ったときも思ったけど、肌白いし、綺麗だし、脚だって生足でいけるよね。加賀さん、脱毛してます?」
「まさか。俺、髭とかあんま生えないし、体毛も薄いんだよ」
「羨ましい! あたしの脚と取り換えたい!」
 褒め称える姉二人に、加賀さんが「いやいや」と苦笑する。父が加賀さんを舐めまわすように見てから、指を鳴らして言った。
「よし、初詣、このカッコのまま行くか?」
「賛成!」
「それいいね。見せびらかそう」
「いやいやいやいや、待って、外は無理でしょ。男だってバレるから」
 盛り上がるみんなを止めようとする加賀さんが俺に気づいて振り返る。
「倉知君、止めて」
「あ、あの」
 なんて綺麗なんだろう。手が震えた。緊張して目を合わせられない。
「すごく、綺麗です」
「え? いや、そうじゃなくて」
「ねえお母さん、どう、綺麗でしょ?」
 六花が加賀さんの腕を組んで、母のところに引っ張っていった。キッチンにいた母は、ずっと不思議そうにこっちを見ていたが、女装の加賀さんを前にしていよいよきょとんとなった。
「うん、六花のお友達? はじめまして」
 ばふー、と六花が盛大に吹き出して、父と五月も笑い転げている。
「大きいねえ、モデルさんか何か?」
「いえ、あの」
「あれ、そういえば加賀さんどこ行ったの? そんな、帰っちゃった?」
「帰ってません、俺です」
「俺? 女の子が俺なんて言っちゃ駄目だよ」
「いや、よく見てください。ていうかこんな低い声の女いないし、胸もまな板だし」
 加賀さんが笑いを堪えて言った。母が「あっ」と小さく声を漏らす。やっと気づいたらしい。
「ううん、大丈夫よ、私の友達にもハスキーな声の子いるから。そんなこと気にしちゃ駄目。その子だって結婚して子どももいるよ。年を重ねたらね、声なんて気にならなくなるからね。それにおっぱいだって、小さいのが好きな人だっているんだから。あ、でも俺なんて言ってたら、男の人もがっかりするからそこは変えないと」
 母が筋違いな励ましを始めた。父と五月と六花は、再起不能なまでにツボにはまってひーひー言いながら腹を押さえてのたうち回っている。
 このままではらちが明かない。
「お母さん、この人、加賀さんだよ」
 俺が口を挟むと、母がぽかんとしてから、ふふ、と笑って困ったやつを見る顔になった。
「七世、今日はエイプリルフールじゃないよ?」
「知ってるよ、元旦だよ」
 真面目に返すと、母が腕組みをして、なんなんだ、という顔になる。そして、ふと加賀さんの顔を二度見して、距離を縮め、あっ、と声を上げた。
「加賀さん!」
「はい、そうです」
「気づくの遅いよ……」
「なんで女の子の格好? そういえばそれ六花の服じゃない? それに五月のウィッグ?」
 そこから説明しないといけないのか。
「おーい、お前ら支度しろ。初詣行くぞ、初詣」
 笑いのるつぼから脱した父が、自分だけさっさとジャケットを羽織って出かける準備をしている。
「加賀さんのアウターどれにする? あたしの赤のPコートは?」
「ボアついたあれ? ワンピの丈より長いほうがいいかな。私の貸すよ、黒いやつ」
「靴どうしよっか?」
「加賀さん、サイズ何センチ? 私のブーツ、履いてみてください」
「ちょっと待って。俺はこのままなの?」
 加賀さんが両手のひらを上に向けて途方に暮れている。
「その格好でいれば、七世と堂々と手繋いで歩けますよ」
 ハッとした。そうだ、加賀さんが女の人の今なら、誰にも変に思われない。お花畑が見えた。
「加賀さん、それで行きましょう」
「嘘だろ」
 そういうことになった。


〈加賀編〉

 一体俺が何をした。ただ、麻雀で負けただけだ。それだけで、この辱めは割に合わない。まるで罰ゲームだ。
 全員が、俺を見ている気がする。いや、実際に、見ている。初詣客は少なくなかった。老若男女問わず、誰もがこっちを見ている。賽銭を放り投げ、鈴を鳴らし、二拝二拍手一拝すると、嘆息のような男くさいうめきがあちこちから聞こえてきた。
 疑心暗鬼。ではない。確実に注目されている。今も、少し前を歩く高校生らしき男二人組が、何度も振り返ってにやけながらじろじろと見てくる。
「駄目だ、絶対バレてる」
 目の前に手をかざして顔を隠しながら呟くと、隣を歩く倉知が握り合わせた手に力を込めて、断言した。
「バレてませんよ」
「なんでわかるんだよ、すげえ見られてんじゃん」
「普段見られてても気にしないのに、今は気になるんですか?」
「ノーパンの心境と一緒だよ、わかる?」
「ノーパン」
「うん、ノーパン」
 倉知はよくわからない、という感じで首を傾げたが、何かに気づいた様子で俺を見下ろした。視線が股間に注がれている。
「加賀さん、今……」
「あ、違う、今は履いてるよ」
「はい、えっと、あの、女物じゃないですよね?」
「自前のだけど、確認する?」
「見てもいいんですか?」
「別に、いつもお前が見てるボクサーパンツだよ? 見たいの?」
「見たいです」
 背後で六花が「ひいえええ」と謎の声を発した。
「萌える、やはり、いい。女装もの、大いにあり」
 ブツブツと声が聞こえてくる。
「着替えるとき、どうしたんですか? 二人の前で裸になった?」
「なんの心配してんだよ」
「だって、誰にも見られたくない。俺のだし」
 今度は倉知の父の景気のいい口笛が聞こえてくる。もはや身内の前でイチャつくことをなんとも思っていない様子だ。繋いだ手を持ち上げて、感慨深そうに見つめたあとで、俺の手の甲に唇を押し当てた。
「今なら、外でこういうことしても許されるんですね」
「はい、残念、許されまっせん!」
 後ろで五月が喚いた。
「加賀さんすごいなあ、どこからどう見ても立派な美女だよ」
 はあ、とため息をついて倉知の母が物憂げに言った。
「お父さんが加賀さんにのぼせ上がるのも無理ないよね」
 と、よくわからないことを言い出した。これには倉知の父も驚いて素っ頓狂な声でまくしたてる。
「待て、のぼせ上がってないぞ! 確かに綺麗だよ? でも決してのぼせ上がってなどいない! そもそも加賀さんは七世のもんだろ」
「でもさっきからずっと、可愛いとか綺麗とか美人とか、足細いとか長いとか散々褒めてるじゃない。私、そんなこと言われたことないもん」
「何言ってんの? だってお母さん、脚短くて太いじゃん。お父さんに嘘つけっての?」
 五月が失言というか、暴言を吐いた。
「どうせ……、トドの脚ですよ」
 母が拗ねだした。どうすんだよ、と恐る恐る後ろを確認する。
「違う、俺はお母さんの短くて太い脚が好きなんだよ。可愛くて仕方がないんだよ。トド大好き!」
 苦しい言い訳を展開する父に、母が「ほんと?」とほだされそうになっている。
「加賀さん」
「ん?」
 倉知が俺の耳に口を寄せる。
「二人でどこか、行きませんか?」
「え、お、おう」
 倉知が足を止めて、家族を振り返る。
「みんな、先帰ってて。俺、加賀さんとデートしてくる」
「え、ちょっと待て、着替えさせてくれないの?」
「その格好でデートです。人前で手繋いだり、腕組んだり、キスしたり、イチャイチャできるのは今だけなんですから。誰にも文句言わせない」
 人前でキスは、男女でもどうかと思う、と言いたかったが倉知がやけに男前で、キリッとした表情をしていたので言いそびれた。
「行きましょう」
 手を引かれて連れ去られる俺を、みんながまったりとした柔和な笑顔で手を振って見送った。
「何、どこ行くんだよ」
「とりあえず、電車乗って、ゲーセン行きましょうか」
「別にそれ、今じゃなくてもよくない?」
「二人でプリクラ撮りたいんです。男二人じゃできないじゃないですか」
「いいの? 俺、今こんなんだけど」
「加賀さんはどんなでも加賀さんです」
 そうか、と何かがストンと胸に落ちてきた。俺としては、女装姿のプリクラなんて撮りたくもない。でも倉知にとってはどんな格好をしていても「加賀さん」で、いつもならできないことをできる喜びしか感じていない。
 ひたすら上機嫌で、ずっと手を離さない。電車に乗っても、離さない。
 車内はそれなりに混んでいたが、座れないほど混雑もしていなかった。倉知が俺を座らせ、隣に密着して腰を下ろした。
 視線が集まっている。素早く車内を見回して、いろんな男と目が合った。その目は、好奇で輝いている。いや、好奇というか色欲か。どいつも目つきがエロい。男だとバレていないならいいが、新年早々、俺は何をやらされているのだろう。そもそも六花は俺に女装させて、何が楽しいのかがわからない。
 はあ、と息をつくと、倉知が握り合わせた手の甲で、俺の膝を押して囁き声で言った。
「加賀さん、脚」
「あし?」
「閉じて、開いてます」
 指摘されて、自分の脚を見る。股が全開だった。どおりで周囲の男の挙動が変だと思っていた。
 体が不自然に傾いていたり、靴ひもを結び直すふりをしていたり、とにかく中を見ようと必死になっている。
 なんて哀れな生き物だ。覗いたところでこの中にはお前らと一緒なものしかついていない。と言ってやりたい。
 それにしても女というのは大変だ。座るときに股を閉じることを常に意識していなければいけない。男でよかった、と心底思う。
 電車を降りてゲーセンに到着すると、他のものには目もくれず、プリクラのコーナーに連れられた。どれも一緒だろう、と思ったが、何かこだわりがあるのか、これでもないあれでもない、とえり好みしている。
「あ、ちょっと待ってください」
「何?」
「六花から……」
 立ち止まり、スマホを出して画面を見ている。その顔がにわかに赤くなり、俺を見た。
「なんだよ?」
「いえ……、なんでもないです」
「なんで赤面?」
「えっ、あ、赤いですか? なんでかな?」
 自分の顔を撫でながら目を泳がせている。
「怪しい。六花ちゃんに何言われた?」
「何も……、あ、これ、これで撮りましょう」
 やけに明るい声で宣言すると、中に引きずりこまれた。うやむやにしようとしている。悪いが、六花が言いそうなことは大体想像がつく。女装姿でエッチしろ、とか、ついでにラブホで休憩してこい、とか、その辺のことを言われたに違いない。
 何食わぬ顔でプリクラを撮り終え、出来上がりに満足そうな倉知を下から覗き込んだ。
「わっ、な、なんですか?」
「次どこ行く?」
「え、っと……、普通に、手を繋いでウインドウショッピングとか」
 照れくさそうに言う割に、面白みがない。買うものが決まっていない買い物は、時間の無駄な気がした。それに、サイズの合わないブーツが歩きにくいし、できるならもう歩き回りたくない。
「本当にそんなことしたい?」
 ゲーセンの耳障りな機械音に邪魔されながら、声を張り上げて訊いた。倉知が目線を地面に落としてごにょごにょと何かを呟いた。
「聞こえない。なんて?」
 距離を詰めて体をすり寄せる俺の耳に、倉知の声が控えめに届く。
「誰にも邪魔されない場所で、二人きりになりたいです」
「もっと具体的に言うと?」
「加賀さんに、触りたい」
「触るだけ?」
 手を取って、意地悪く笑う。倉知は欲情した目で俺を見て、腰を抱き寄せてきた。
「抱かせてください」
 はっきりとした声で、やけくそ気味に、叫ぶように言った。
 可愛い奴め。空いているほうの手で、真っ赤になった頬をこねくり回して笑った。
「いいよ」


〈倉知編〉

 本当は、もっと正統なデートをしたかった。する予定だった。
 でも、六花から「今年の姫始めは女装かな?」とメッセージが来て、すっかり調子が狂ってしまった。
 ごまかしきれない欲求に気づいてしまうと、もうどうにもできない。
 女装姿の加賀さんを見てからずっと、思っていた。
 ワンピースの下から、手を突っ込んでみたい。
 めくり上げたらどうなるだろう、とモヤモヤ、もとい、ムラムラしていた。
 再び電車に乗って、向かったのは自宅マンション。ラブホテルに行くか、と加賀さんが提案したが、今年初のセックスがラブホテルというのはなんとなく嫌だった。
「誰にも会わなくてよかった」
 マンションの住人と顔を合わせることもなく、自室にたどり着く。加賀さんが六花のブーツを脱ぐと、そのまま体を横たえてうめいた。
「あー、脚が変」
「大丈夫ですか?」
 履き慣れない靴を履いているのに連れ回して可哀想なことをしてしまった。というか、靴だけじゃない。人前で堂々といちゃつきたいからというだけで、女装のまま外を連れ回したのは、どう考えても失礼だった。
「ごめんなさい」
 加賀さんのかたわらに正座をして、頭を下げる。
「何が?」
 寝転がったまま、加賀さんが俺を見る。
「錯覚したんです。あまりにも綺麗だから、加賀さんも喜んで受け入れてるとか、そんなはずないのに……、傲慢でした。本当に、ごめんなさい」
「別にいいよ。だから、大げさなんだって、お前は」
「いえ、同じ男として、本当に失礼な真似をしました。こうなったら俺も女装します。今度は俺が女装して、デートしましょう」
 加賀さんが両手で顔を覆う。そして体を震わせて、大笑いを始めた。
「本気で言ってんの?」
 しばらくして、笑い疲れた声で加賀さんが訊いた。
「本気です」
「ごめん、それ俺が無理だわ。お前が女装? 物理的にも無理だって」
 物理的にとは、どういう意味だろう。
「ごついから、ですか?」
「お前が着れる女物、あるの?」
 ああ、おかしい、と言いながら、加賀さんが体を起こす。正座をする俺の前で、同じように正座をして、頭を撫でてきた。
「謝らなくていいよ」
「でも」
「楽しくもないけど、まあ、なかなか刺激的な体験ではあった。五月ちゃんと六花ちゃんのおかげで完成度も高かったし、そこは感謝かな」
 落ち込んでいる俺を気遣って、加賀さんらしく、ポジティブに慰めてくれる。
「お前、女と付き合いたいとか、俺に女になって欲しいとか、ましてや女を抱いてみたいとか、思ってないだろ?」
「当たり前です」
 そんなことは思ったことがない。力強く言い切ると、加賀さんがふっと笑って立ち上がった。
「女の格好に欲情するんじゃなくて、俺の、見えそうなの想像すんのが燃える?」
 俺の、と強調してから、服の裾を焦らすようにめくってみせた。
 俺は颯爽と立ち上がっていた。加賀さんを壁に押しつけて、ワンピースの裾に手を差し入れた。内腿を撫でながら、上へと指を這わせる。下着にまで到達すると、その中に指を侵入させてまさぐった。指先に、柔らかいものが触れる。加賀さんの体が、小さく反応した。体を少しだけ離して、顔を確認した。伏せていた目を、上げた瞬間だった。目が合う。引き寄せられるように、キスをした。
 見た目は女性でも、この人は男で、俺の、大事な人。
「加賀さん、好きです」
 長い髪を手ですくいよけ、首筋をあらわにして、そこにキスをする。舌でなぞり、吸って、軽く噛む。加賀さんが鼻から抜けるような、甘ったるい吐息を漏らす。
 我慢の限界だった。ワンピースをへその上までめくり上げて、加賀さんの前に、膝をつく。ボクサーパンツの中のものが、大きくなりつつあるのがわかる。顔を寄せて、下着の上から口の中に含む。
「倉知君、ちょっと待って」
 加賀さんが俺の髪に指を絡めて押し戻そうとする。その力に抵抗して、口に入れたまま視線を上げる。加賀さんがニットを胸の辺りまでたくし上げて懇願する目で俺を見ていた。
「服、脱がせて。汚れる」
「大丈夫です」
「何が大丈夫……」
 根元から先端に向かって舌で舐め上げてから、カリの部分に吸いついて、手のひらで布越しに優しく擦る。裏返った声を上げる加賀さんが俺のひたいを軽快に叩いた。
「待てって言ってるだろ」
「待てません」
 加賀さんの股間に、自分の股間をこすりつけた。ズボンの中で、硬く、大きく育っていく下半身。股間同士をこすり合わせていると、加賀さんが俺の首に腕を絡ませて大きく息をついた。
「も、だめ……、直接触って」
 お許しが出たところで、急いで加賀さんの下着をずり下げた。屹立するペニスを眺めながら、ベルトを外し、ズボンとパンツを下して自分も下半身をむき出しにした。
「加賀さん、俺、すごい漏らしたみたいになってる」
 腰を突き出して、天を向く自分自身を指さした。先走りが垂れてきて、ひどいことになっている。加賀さんが俺の股間を凝視しながら、膝まで下がったパンツを脱ぐと、足の甲に引っかけて、遠くに投げた。
「それ、履いたままでお願いします」
 黒の長い靴下を、脱ごうとするのを止めると、呆れたような顔で俺を見る。
「女相手みたいで興奮する?」
 勃起したペニスをさらして加賀さんが言った。
「少なくとも今はどう見ても男です」
「だよな」
 綺麗に笑う加賀さんを抱きしめた。
「加賀さんだからです」
「うん」
 わかっている、という声色で加賀さんが答えた。
「いいですか?」
「ん?」
「ここで、挿れても」
「え」
 加賀さんの片足を持ち上げて、濡れた先端を押し当てる。下から突き上げるように腰を動かすと、ぬる、と滑り込んでいく。
「う、あっ……、うそ、入った? 待って、この体勢?」
「きついですか?」
 片足で立たせている状態だ。腰を進めて、中に侵入を試みる。加賀さんが体を震わせて、俺の胸に頭をすり寄せてくる。
「加賀さん、顔上げて、見せて」
「いやだ……、う、……んっ、はぁっ」
 体を揺すると、喉から引きつった声を出して俺の腕に爪を立ててきた。長い髪が、邪魔だ。顔が見えない。
 繋がったままの体勢で、両足を抱えて、持ち上げた。加賀さんが慌てて俺にしがみついてくる。
「ちゃんとつかまってて」
「え、わ、ちょ、マジか……」
 両足を抱え上げた状態で、下から腰を突き上げる。加賀さんの体が跳ねて、大きく揺れ動く。奥のほうに、一気に深く突き刺さる感覚。加賀さんが悲鳴を上げて、のけ反った。抱えている太ももが、小刻みに痙攣している。気持ち良すぎて、理性が切れる寸前だ。俺は動きを止めて、一度大きく息を吸って、吐いた。中はきつくて、誘うように蠢いている。
「大丈夫ですか?」
「だい、じょうぶ、ではない……、軽く、イッた……」
 息を荒げて告白する加賀さんの目に、涙が浮かんでいる。火照った頬と涙目が、さらに俺の性欲を煽ってくる。加賀さんの体を持ち上げて、ゆさゆさと揺らした。
「あっ、待て、動かす、な……っ」
「気持ちいい?」
「ふ、あ、あっ、や、やめ……、イク、また……っ」
 引き攣れた声を上げて体をびくつかせている。加賀さんの顔に、長い黒髪がかかっている。その隙間から覗く表情は、淫靡で、目が離せない。
「おち、る、おちる」
 加賀さんがうわ言のように繰り返す。
「落としませんよ。ちゃんと持ってます」
 鍛えていてよかった、と思った。筋力が、こんなふうに役に立つなんて。筋トレに似た感覚もある。気持ちいい。全身が心地よい快感に、支配されている。
 加賀さんの体を持ち上げて揺さぶりながら、腰を突き上げる動作に没頭した。体重がかかっている分、いつもより深く繋がっているのかもしれない。
 突くたびに、加賀さんが、乱れていく。
「も、イク、な、なせ……っ」
 加賀さんが俺の名を呼んで、果てた。締めつけられ、目がくらむ。加賀さんの体を抱えたまま背中を壁に押しつけて、激しく腰を振る。爪が、首に食い込む痛みを感じながら、絶頂を迎えた。繋がったまま、ずるずるとその場にしゃがみこみ、しばらく抱き合って動悸が鎮まるのを待った。
「すいません、中に出してしまいました」
「……うん、知ってる」
「シャワーしてから、実家戻りましょう」
「あー、やべえ、どうすんだよ服。精液べったりだよ」
 加賀さんがぼやいて俺のほほを憎々しげにつねった。
「大丈夫です」
「だからなんで大丈夫なんだよ」
「六花のLINE、見ますか?」
 脱ぎ散らかしたズボンを、手を伸ばして引き寄せて、ポケットのスマホを取り出した。
 ついさっき、六花から送られてきたメッセージを画面に出して、加賀さんの顔の前に突きつけた。
「今年の姫始めは女装かな? うわ、バレてんじゃん」
「その次です」
「何? あー、その服記念にあげるから、思う存分汚しちゃっていいよ?」
 六花のメッセージを読み上げて、加賀さんがうなだれる。
「変な姉ですいません」
「いや、うん、もう今更なんだけどな」
 はあ、とため息をつく加賀さんの顔を両手で挟み込んだ。加賀さんが、顔を上げる。
 不思議だ。加賀さんであって、加賀さんじゃない、美しい人。いや、やっぱり加賀さんだ。加賀さんの、俺を見る優しい瞳。それは変わらない。
 きっと、もう二度と、この姿を見ることはない。
 少し惜しい気もする。
「加賀さん」
「うん」
「今年もよろしくお願いします」
 頭を下げると、ものすごく可愛い顔で笑って少し首を傾けて言った。
「こちらこそ」
 今年も加賀さんとの大切な一年が、幕を開ける。

〈おわり〉
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