電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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電車の男たち

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 むしゃくしゃしていた。
 ミスを指摘した職場の上司に、「女なんだから出しゃばるな」とたしなめられた。女だったらミスに気づいても見て見ぬふりをしろと?
 イライラして帰宅すると、小六と中二の二人の息子が腹減った、早くしろと急かしてくる。腹が減るのはわかる。でも私は魔法使いじゃない。ステッキを振れば食卓に料理が並ぶとでも思っているのだろうか。
 ムカムカしながら夕食を作っていると、帰宅した夫が言った。
「廊下に埃溜まってるけど」
 はあ? と声が出るところだった。埃溜まってるけど? けどなんなんだ? 気づいたのなら、あなたが掃除すればいいじゃない。
 どれか一つなら、我慢ができた。腹が立つことが多すぎて私はパンクした。
 次の日の土曜日、眠っている家族を置いて、静かに家を出た。別に、家出じゃない。ただ気晴らしがしたかっただけだ。ちゃんとテーブルに食パンを置いてきたし、炊飯器に炊き立てのご飯もある。ポットには満タンのお湯がある。インスタントの味噌汁と、粉末のコーンスープも添えた。休日の朝食くらい、なんとでもしてくれ。
 これは小さな反乱なのだ。
 でもきっと、私がどうしてこんな行動に出たのかは、彼らは気づかない。
 言わなきゃわからない、と逆ギレする男たちの反応は想像がついた。
 もう、なんだか、男という男に腹が立つ。道を歩いていても、男を見ればイラつく自分がいた。
 歯ぎしりをしながら電車に乗る。男の顔を見たくなかったから、女性専用車両にした。ふう、と息をつく。居心地がいい。男がいないというだけで、何か一体感というか、仲間意識が働くのが不思議だった。
 特に目的地も決めないまま、電車に揺られる。次第にうとうとしてきた。居眠りも、あり。何をしてもいい。私は自由。
 目を閉じて気持ちよくなっていると、頭上から声が降ってきた。
「加賀さん」
「うん」
「気づいてます?」
「うん、気づいた」
 ハッと目を開ける。男の声だ。ここは女性専用車両のはず。
 痴漢野郎どもめ、と二人の男の足から、視線を上に移動させた。敵意むき出しに睨みつけたのは、一瞬だけだった。つり革につかまる目の前の二人が、いい男だったからだ。
 大学生だろうか、スポーティな感じの長身の男の子と、清潔感のある瑞々しい美形の男性。
 汗が出た。
 ちょっと、なんで私の前にいるの?
 化粧もろくにしてないのに、なんでこんなところに、洗練された感じの男が立つのよ。
「なんかやけに見られてるなと思ってたんです」
「うん、さすがの俺も気づいた」
 二人のヒソヒソ声の会話が聞こえる。
「加賀さんが見られるのは当たり前だから、仕方ないかなって思ってたんですけど、違いますよね」
「やべえな、俺ら変質者じゃん」
「次の駅で隣の車両行きましょう」
「うん」
 二人の会話に耳を傾けながら、わずかに目を上げてちら見する。
 なんだか、すごい。男くさくない。清潔ないい香りが漂ってくる。
 普通、故意であろうと間違いであろうと、男が女性専用車両に乗ればもっと冷たい視線が集中するはずなのだが、彼らを見る女性たちの目は、好意的に見えた。みんなニヤニヤして、なんだか微笑ましそうだ。
「加賀さんはギリギリセーフだけど、俺は完全アウトですよね」
「なんでだよ、俺もアウトだよ」
「だって加賀さん、綺麗だし、美しいし、カッコイイし、イケメンだから許されます」
「じゃあお前も可愛いからセーフ」
 口の端が、勝手に歪んでしまう。必死で唇を噛んで、耐えた。
 何、この二人の会話は。
 可愛いな、と思いながら口元を覆い、何度も盗み見る。
 はた、と長身の子と目が合った。まずい、見ていたのがバレてしまった。慌ててうつむいた。
「あの、すいません」
 彼が小さな声で言った。もしかして私に話しかけてる?
 恐る恐る顔を上げると、申し訳なさそうに眉を下げ、困った様子でもう一度「すいません」と謝った。
「違うんです」
 何が違うのかわからないが、ドキドキしながら「はい?」と聞き返す。
「普段使わない路線で、だから、その、間違えちゃって、痴漢とかじゃないんです。ごめんなさい、次、移動しますから我慢してください」
「は、はあ」
「俺、絶対痴漢はしません」
 きりっとした顔で彼が宣言する。誰も痴漢だとは言っていないのだが、確かに男が乗っていると気づいた時点で、「痴漢野郎」と決めつけてしまった。
「俺はこの人のお尻しか」
「はい、ストーップ」
 連れの美形が彼の口を手で塞ぐ。止めたのが遅かった。
 この人のお尻しか。確かに聞こえた。
 この人のお尻しか触りません? そういうことなの?
 すごい。
 顔が熱くなり、汗が吹き出してきた。更年期とかじゃない。ただひたすらに、恥ずかしい。
「兄ちゃんら、ここにいたらいいよ」
 私の隣に座っていた年配の女性が言った。
「男前だねえ、最近の若い子は。ばばあに潤い与えてくれてありがとね」
 確かに。同感だった。この人たちならここにいて欲しい。可愛いしカッコイイし、見ていたい。見ているだけで若返る気もする。
 周囲を見渡すと、こっちを見ている人たちがうんうん頷いている姿が見えた。若い女の子二人組がスマホを向けて「イケメン、イケメン」とキャアキャア騒いでいる。
 どう見ても、歓迎されている。
「ルールを破るのはよくないし、男が乗って不快な方もいらっしゃると思います。本当にすみません、すぐ消えますので」
 乗っている人たちにごめんなさい、ごめんなさいと何度も頭を下げる彼を、隣の美形がニコニコしながら見上げている。
 電車が駅に停まると、二人揃って「お邪魔しました」と頭を下げて、車両を移動していった。ああ、という残念そうなため息が聞こえてくる。名残惜しい。もう少し、いて欲しかった。
 何か、ささくれだった心が修復された気がする。
 ひたすら腹を立てていたのが嘘のように、気持ちが温かく、優しくなっている。
 女性専用車両に間違って男が乗った。本来なら怒り心頭で不愉快なハプニングなのだが、不思議と浄化された。
 怒りが消えた分、肩が軽くなり、力がいい具合に抜けている。
 ふわっとした心地よさだ。
 正面の窓ガラスに自分の顔が映っていた。
 笑っている。あんなに激昂していた自分が、微笑んでいる。
 なんだか急に、家族に会いたくなってきた。
 欲求に忠実なだけの、息子たち。無神経だけど決して怒らない穏やかな夫。
 彼らが目を覚ます前に、家に帰ろう。
 そう思った。

〈おわり〉
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