汝に我が尾と獣耳を捧げよう──。

ぱいん

文字の大きさ
21 / 45

20話 油断

しおりを挟む
 私達が先へ進めば進むほど瘴気は闇の色を深めていった。

 途中、他の魔物に遭遇しなかったのは幸いだった。何度か魔物らしき獰猛な唸り声や禍々しい気配は感じたものの、奴らに気付かれる前に通り抜けることが出来た。きっとルークの走るスピードが速すぎて魔物に気付かれる前に通り抜けることが出来たんだろう。

 魔力を温存するだけ沼地の浄化の成功確率も上がる。聖女の力に覚醒したての私は、未だに自分の限界がどの程度であるのか分からない。今の状況では魔力は温存するにこしたことはないのだ。

 あと何回、私は浄化魔法を使うことが出来るだろうか?

 そんな不安が頭をもたげたが、私は出来ることを全力でやるのみよ、とそんな不安を振り払った。

 すると、ルークは速度を落とすと、ゆっくりと立ち止まった。

「着いたぞ」

 そう言うと、ルークは私を地面に降ろした。

「この先に件の沼地がある。ミアも警戒は厳にな」

「分かったわ」

 私は力強く頷くとルークと一緒にゆっくりと沼地に近づいて行った。

 森を抜けた先にその沼地はあった。

「何て酷い匂い……⁉」

 腐ったような悪臭が鼻をつんざき私は思わず顔をしかめる。

 沼地からは水が腐った匂いではなく、死体の腐乱臭のような悪臭が立ち込めていた。

 周囲に魔物の気配は無い。私は警戒を怠らず沼地の傍まで行く。沼地を覗き込んだ瞬間、想像を絶する光景が飛び込んで来た。

 沼地からは情報通り瘴気が噴き出していた。しかし、私が目を見張ったのはそれじゃない。沼地の水面に人の顔のようなものが無数映り込んでいたのだ。まるで冥府の底から亡者の顔だけが這い出ているような感じだ。亡者の顔は呪詛のようなものを呟いていた。沼の水は黒く淀み切っていて毒液でも湧いているかのようであった。

「これではまるで地獄の世界がそのまま沼地と繋がっているみたいだわ」

 ここまでおぞましいとは予想だにしていなかった。自分の考えは相当甘かったと言わざるを得ない。

 私にこの沼地を浄化することなんて本当に出来るの? 不安のあまり自分の腕をキュッと掴み上げる。思わず心が挫けそうになった。

「浄化出来そうか?」

「やってみるわ……! 少なくともやる前から諦めてなんかいられないしね」

「よくぞ言った。ミアになら絶対に出来ると信じているぞ。背中はオレに任せてミアは浄化魔法に集中しろ。どんな状況になろうとも絶対にオレが守ってやるから心配するな」

「ええ、分かったわ。お願いね、ルーク!」

「頼まれた!」

 そう言ってルークはほくそ笑むと全身から魔力を迸らせる。それと同時に周囲から魔物の気配が現れるのを感じた。でも、私は後ろに振り向かず、浄化魔法の発動準備をした。

 願いを神聖魔力に変換し、両手を組んで女神様に祈りを捧げる。たちまち全身が柑子色の魔素に覆われ、神聖魔力が全身に漲るのが分かった。

 これで浄化魔法を発動することが出来る。でも、これではまだ足りない。そう感じた私は更なる願いを神聖魔力に変換した。

 私は皆を救いたい。ルークも、村の人達も、ううん、そうじゃない。私はこの夜の国そのものを魔物の恐怖から救い出してあげたい。皆が笑顔で暮らせるように、もう怯えることもないように、この命を削ってでも、私はこの国に蔓延る瘴気を浄化したい!

 願えば願う程、神聖魔力は強化されていった。聖女の力は自分の為に使うことは出来ない。何故なら、女神の力は私利私欲の為に使うことを禁じられているからだ。

 その時、私の背後に魔物の咆哮が轟いて来る。

「させぬよ」

 ルークの悠然とした声が聞こえると、背後で爆発音が轟いた。

 振り返るまでもない。ルークは私を守ると言った。私はそれを信じるだけ。安全の確認など不要だ。

 私が女神様に祈りを捧げている間も背後では激しい戦闘の轟音が響いていた。

 おびただしい魔物の気配をいくら背中に感じても、ルークの気配を感じるだけで恐怖は微塵も湧いてこない。

「魔物どもよ、いくらでもかかってくるがいい。だが、夜の魔王の名に懸け、ミアには指一本触れさせぬ!」

 ルークの叫びの後に、爆炎魔法が炸裂する衝撃音と魔物達が凍結し、粉々に砕け散る音が響いて来る。

 そして、遂に私の祈りは完成を迎えた。

 私は最後にルークの想いを胸に抱きながら詠唱を唱えた。

「光輝く聖なる乙女よ、女神の加護に守られし者よ、闇を照らし、光を纏え。
 聖なる光の煌めきが盃に満たされし時、不浄を祓う清らかな風が大地をそよぐ。
 闇の奈落に囚われし不浄なる者よ、我が魂に宿る浄化の力を解き放ち、光の世界へと導かん。
 漆黒の闇の糸を断ち切り、深淵に漂う魔の影を祓いたまえ。
 ゴッド・ブレス女神の息吹!」

 私は聖女にのみ使用することを許された最上位の浄化魔法『ゴッド・ブレス女神の息吹』を沼地に向けて放った。

 一瞬、目の前に女神様の姿が降臨される幻を垣間見る。

 究極の女神様の癒しの力が沼地に降り注ぐと、たちまち光の大爆発が起こった。あまりの眩しさに私は両目を腕で覆った。

 その瞬間、沼地や森の中から断末魔の叫びが轟いた。

 それが魔物や死霊達のものであることは後に知ることになる。

 光の大爆発がおさまると、周囲から禍々しい気配は消滅していた。

 沼地から腐乱臭は消え、亡者の呪詛のような呟きも聞こえて来ない。

 両目を覆っていた腕を下ろすと、眼前に神秘的な光景が広がっていた。

 沼は澄んだ水が張られ、空から降り注ぐ日差しに照らされ煌びやかな輝きを放っていた。

 振り返るとルークが穏やかな笑顔を湛えながら佇んでいた。彼の背後には緑に生い茂る森の姿が見えた。穢れの無い澄んだ新鮮な空気がこんなにも美味しいものだと初めて知った。

 私は沼地の浄化に成功したんだ。そう実感した瞬間、全身から力が抜け落ちてしまい倒れそうになった。

 すかさずルークが駆け寄り私を抱き止めてくれた。

「ルーク、私、やったよ!」

 酷い疲労感に襲われ一瞬気が遠のいた。

「ああ、よくやってくれた……!」

 ルークはそう言って私を力強く、それでいて優しく抱擁してくれた。

 その時、鼻腔を甘い香りがくすぐる。

 私はハッとなりルークにしがみつきながら立ち上がると、香りがする方向に目を向けた。

 そこには一面に咲き誇る黒百合の姿が見えた。

 来るときは気付かなかったけれども、沼地の周辺は一面黒百合の花が咲き乱れていた。瘴気にも負けず、黒百合達は長い間、そこにひっそりと咲き続けていたに違いない。瘴気が晴れ、陽の光を浴びた黒百合達は風に揺られてまるで嬉しそうにはしゃいでいるように見えた。

 一陣の風が吹きすさび黒百合の花びらが舞い散った。

「ミア、見てみろ。瘴気が晴れ、枯れた草木に緑が戻っている。黒百合の花もこんなに……全てミアのおかげだ」

「本当だ……私、村を救うことが出来たのね?」

「いいや、そうじゃないよ、ミア。お前は夜の国を救ったんだ。これはその大いなる第一歩。今、夜の国に希望の光が灯された。全てはミア、お前のおかげだ」

 ルークの双眸が潤んでいた。感動に打ち震えたような表情を浮かべながら、彼は私を優しく抱きしめて来た。

 私はルークに身を任せ、彼の温もりを味わった。

〈私でも皆の役に立つことが出来た。こんなに嬉しいことはないわ……!〉

 その時、私は達成感からくる感動のあまり油断をしていた。

 次の瞬間、私に悲劇が訪れた。

 ぐうううううううううう! と、私のお腹の虫が盛大に鳴り響いたのだ。

 そう言えば昨日から何も食べていなかったっけ!

 不意を突かれたルークの笑い声が森の中に木霊した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

私は、聖女っていう柄じゃない

波間柏
恋愛
夜勤明け、お風呂上がりに愚痴れば床が抜けた。 いや、マンションでそれはない。聖女様とか寒気がはしる呼ばれ方も気になるけど、とりあえず一番の鳥肌の元を消したい。私は、弦も矢もない弓を掴んだ。 20〜番外編としてその後が続きます。気に入って頂けましたら幸いです。 読んで下さり、ありがとうございました(*^^*)

異世界に行った、そのあとで。

神宮寺 あおい
恋愛
新海なつめ三十五歳。 ある日見ず知らずの女子高校生の異世界転移に巻き込まれ、気づけばトルス国へ。 当然彼らが求めているのは聖女である女子高校生だけ。 おまけのような状態で現れたなつめに対しての扱いは散々な中、宰相の協力によって職と居場所を手に入れる。 いたって普通に過ごしていたら、いつのまにか聖女である女子高校生だけでなく王太子や高位貴族の子息たちがこぞって悩み相談をしにくるように。 『私はカウンセラーでも保健室の先生でもありません!』 そう思いつつも生来のお人好しの性格からみんなの悩みごとの相談にのっているうちに、いつの間にか年下の美丈夫に好かれるようになる。 そして、気づけば異世界で求婚されるという本人大混乱の事態に!

一般人になりたい成り行き聖女と一枚上手な腹黒王弟殿下の攻防につき

tanuTa
恋愛
 よく通っている図書館にいたはずの相楽小春(20)は、気づくと見知らぬ場所に立っていた。  いわゆるよくある『異世界転移もの』とかいうやつだ。聖女やら勇者やらチート的な力を使って世界を救うみたいな。  ただ1つ、よくある召喚ものとは異例な点がそこにはあった。  何故か召喚された聖女は小春を含め3人もいたのだ。  成り行き上取り残された小春は、その場にはいなかった王弟殿下の元へ連れて行かれることになるのだが……。  聖女召喚にはどうも裏があるらしく、小春は巻き込まれる前にさっさと一般人になるべく画策するが、一筋縄では行かなかった。  そして。 「──俺はね、聖女は要らないんだ」  王弟殿下であるリュカは、誰もが魅了されそうな柔和で甘い笑顔を浮かべて、淡々と告げるのだった。        これはめんどくさがりな訳あり聖女(仮)と策士でハイスペック(腹黒気味)な王弟殿下の利害関係から始まる、とある異世界での話。  1章完結。2章不定期更新。

【完結】聖女と共に暴れます

かずきりり
恋愛
湖に現れた少女は異世界より来た聖女である。 民意により選ばれたハイルド・ラスフィード殿下の婚約者であるレイドワーク辺境伯令嬢アリシア。 聖女をいじめたとして婚約破棄に追放を言い渡されるが、実は聖女のマユとは大親友。 人の言葉を聞かないハイルド殿下は聖女マユを溺愛するが、マユは 「ストーカー王子」と命名する。 って聖女って意外と便利!? 隣国を巻き込み暴れますかね!? -------------------------- ある程度書き溜めているのですが、恋愛遅めで長編の予感…… ------------------------------- ※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...