汝に我が尾と獣耳を捧げよう──。

ぱいん

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35話 帰郷

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 懐かしさと忌まわしい記憶が同居する私の故郷、ライセ王国。

 転移門を通り抜け、降り立ったのは私が魔女として火刑に処されそうになった街の大広場だ。

 一瞬、あの時の恐怖が蘇り過呼吸に陥りそうになったが、ルークがしっかりと私の手を握っていてくれたおかげで私は辛うじて平静を保つことが出来た。それでもほんの少しだけ呼気は荒くなってしまうも、私は過去に負けじとキッと両目を見開きながら久しぶりの故国の地を踏んだ。

 まず最初に飛び込んで来たのは、眩い光や民達が賑わう穏やかな街の風景、などではなかった。

 それを見た瞬間、私は思わず絶句した。隣にいるルークからも私と似たような反応を感じた。

「これは何が起きているの……⁉」

 街は瘴気が蔓延し、灰色の世界と化している。

 道には大勢の民達が倒れ、まるで戦争で虐殺の憂き目にあったような凄惨な光景が広がっていた。周囲は不気味な静寂に包まれ、死の世界を彷彿させた。

「死んではおらん。どうやら気を失っているだけのようだ。まだ微かにだが生命反応が感じられるぞ」

 ルークは真紅の双眸に魔力を迸らせながら、周囲に倒れている民達を観察しながら呟く。

「瘴気に耐性がないせいで軽いショック症状を起こしているようだな。即座に命に関わる状況ではないが、このままでは一日ともたずに衰弱死してしまうだろう」

 私は回復魔法をかけたくなる衝動を抑える為に、左手の手首を必死に掴んだ。もし衝動のまま回復魔法を使えばたちどころに私の魔力は枯渇してしまうでしょう。この状況がもしも国全体に広がっていたとしたら、私一人では到底対処することは出来ない。今は優先順位を考えなければならない。

 すると、ルークは少し驚いたように目を丸めながら私に話しかけて来た。

「驚いたな。ミアのことだからすぐにでも回復魔法でこ奴らを助け出すと思ったのだが」

「本当はそうしたい。でも、私達が優先すべきはニーノから夜の国の至宝を取り戻し、夜の国をスタンピードから救うこと。それに、回復魔法で彼等を治療しても蔓延する瘴気を何とかしないと根本的な解決には至らない。悔しいけれども、今は先を急ぎましょう」

「強くなったな……」

 ルークは目を細めると、口元に微笑を浮かべた。

「ルークのおかげよ。貴方が私の側にいてくれるだけで私は強くなれるの」

「そうか。それはなによりだ」

 ルークは目を細めると、フッと柔和な笑みを浮かべる。

「それにしても、ミア。お前の国にでも瘴気が蔓延することがあるのか?」

「いいえ、少なくとも人間が住む街で発生したなんて聞いたことがない。瘴気は呪われた地、特に迷宮内で発生したという話はよく聞くけれども」

 何故、街はこのような状況になってしまったんだろう?

 そんなことを考えると、自然と脳裏を過ったのはニーノの姿。いいえ、ここはもう認めてしまおう。この状況を引き起こしたのは間違いなくニーノに憑りついた魔女ランの亡霊に違いない。

「ルーク、聞いてもらいたい話があるの。一つはこの国に伝わる双子聖女の伝説よ。間違いないわ。私の国に伝わる双子聖女の伝説は意図的に真実が歪められている可能性が高い……いえ、間違いなく歪められているわ」

 ライセ王国に伝わる双子聖女の伝説は、とにかく妹である聖女リンが諸悪の根源とされている。姉の聖女ランが救国の英雄とされていたけれども、今ならばハッキリと分かる。魔女であったのは姉のランの方。そして、戦いに勝利した聖女ランは聖女リンを魔女として処刑した。その後、双子聖女の妹が呪われた存在と言い伝えたのも間違いなく聖女ランだろう。

「夜の国の双子聖女の伝説では、聖女リンは夜の国を救う為に両国に繋がったゲートを破壊したとされている。その後、ジークフリートは最愛の妻リンを喪ったショックにより、何処かの泉に身を投げ自死したとされている」

「何て酷い話なの……。そんなのあんまりだわ」

 何故、聖女ランが実の妹をそこまで憎んだのかは分からない。でも、あの時、あの夢の中で見た彼女の悪意には底が見えなかった。

 愛情と憎悪がないまぜになったような混沌の感情が感じられた。

「それで、もう一つの話とはなんだ?」

「これはさっき私が意識を失っていた間に見ていた夢の話なんだけれども……」

 私は夢の話をルークに語って聞かせた。

 ルークは腕組みしながらも真剣な表情で私の話に耳を傾けていた。時折相槌を打ったりして、自分の考えとまとめているような仕草を見せた。

「というわけなんだけれども、ルークはどう思う?」

「間違いない。それは魂の共鳴現象だ」

「魂の共鳴現象?」

「オレとミアの魂は誓約によって繋がっている。恐らくはジークフリートも聖女リンもオレ達と同じ契約を交わしたはずだ」

 汝に我が尾と獣耳を捧げる──、というルークの情熱的な求愛の言葉が私の全身を駆け巡る。あの時に見た夢の中でも、彼女も同じ言葉をジークフリートから囁かれていた。

「ジークフリートの放った魔力とお前の妹の魔力が衝突した際に、何かしらの縁を持つミアの魂が二人の魂に共鳴したのだろう。ミアが見た夢と言うのは、きっと二人の記憶に間違いない」

 あれが二人の記憶。なら、やっぱりあれはニーノではなく聖女ランの記憶だったということになる。となれば、やはり魔女化したのはランということになるだろう。

 でも、ルークの推測が正しかったとしても、聖女ランの記憶を垣間見たのは分かる。彼女が憑りついていた肉体はニーノのもの。私とニーノは元々一つの魂を二つに分かち合った双子。しかし、ジークフリートと縁があるとはどういうことなんだろうか?

「それならどうしてルークには魂の共鳴が起こらなかったのかしら?」

「答えは出ているだろう。オレはジークフリートの血は受け継いでいても、ミアの妹とも、その中に入っている亡霊とは何の縁もない。ミアが分からずとも、ジークフリートと何かしらの宿縁を持っているということになるな。ふむ、流石のオレにもそこまでは分からんが……」

 今のままではいくら考えても答えは出ないってことよね。

「なら、本人に直接聞けばいい。オレ達の目的は聖女リンの形見をジークフリートの元に届けることだからな」

「そうね。今はやれることをやりましょう」

 目的は二つ。ニーノを魔女ランから救い出し夜の国の至宝『神獣ヴェルズの魔石ペンダント』を取り戻しジークフリートの亡霊に返すこと。それによって夜の国に迫っているスタンピードを食い止めること。やることはたったのこれだけ。私一人だけでは絶対に達成不可能なこともルークがいればきっと達成することが出来ると確信した。

「行きましょう、ルーク。ニーノはきっとあそこにいると思うわ」

「分かるのか?」

「かつて光と夜の世界を繋げていたとされるゲートは聖女神殿にあるの。私達聖女の役目は聖女像に魔力を注ぎ加護の結界を国全体に張り巡らせてあらゆる邪悪を退けること。でも、本来一人しか現れないはずの聖女が双子として誕生した結果、あの事件が起こったのよ」

 私はルークを見つめながら言った。

「二人の聖女が同時に聖女像に魔力を注いだ結果、時空が歪みゲートが出現した。そして光と夜の世界は繋がり、獣人と人間の物語が始まった」

「ということは、ミアの妹は再びゲートを開こうとしている……?」

「だってニーノは……魔女ランは軍勢を率いて現れると宣言したんでしょう? なら、ルークが使うような転移門の魔法では無理。もっと大きなゲートを開かないと大勢を連れては来れない」

「だが、両国を繋ぐゲートを開くには聖女が二人必要になるのでは……⁉ いや、そういうことか!」

 ルークも気付いたみたいね。

「ニーノに憑りついている悪しき者は間違いなく魔女ラン。聖女二人分の魔力は十分にある。それに加えてあちらには所有者の魔力を増幅させる神獣ヴェルズの魔石ペンダントがある。双子聖女の伝説の時以上の大きなゲートを開くことが出来るはずよ……!」

 どうやら時間はあまり残されていないようね。

 間違いない。この瘴気を発生させているのは魔女ラン。ゲートを開くために何かを画策しているに違いない。

 しかし、その時、突如として私達の前に闇が現れた。

 それが周囲の景色を埋め尽くすほどの黒蛇の群れだと気づいた時には、私達は闇に呑み込まれた後だった。
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