汝に我が尾と獣耳を捧げよう──。

ぱいん

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36話 告白

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 活気に漲り人々で溢れるライセ王国の城下街。誰もが穏やかで幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 しかし、その大広間には先日行われた魔女ミアの火刑の焼け跡が残されたままだった。

 今では誰もそんなことは気にも留めず横を通り過ぎる。民衆にとってあれは一時の狂乱、一時のお祭り騒ぎ。ただの憂さ晴らしに過ぎなかったのだろう。

 すると、焼き焦げた火刑場跡地の空間がぐにゃりと歪んだ。小さな門のような光が現れると、そこから人影が現れる。

 夜の国より帰還したニーノである。身に纏っている聖女のドレスは激しい戦闘により焼き焦げ破損している。この国の者は誰もが彼女を聖女ミアと呼ぶが、それは偽りの姿。本来は魔女として処刑される運命であったものを聖女ランの亡霊と結託し実姉ミアと入れ替わった稀代の魔女。その事実を知るのはニーノだけ。

 ニーノを見た瞬間、民衆は感嘆の声を上げ、誰に命じられたでもなく次々と平伏した。地面に額をこすりつけながら、民衆は「聖女様!」と敬愛の言葉を叫び始める。それまで穏やかだった街の空気は、ニーノの登場で半ば狂気に満ちた熱気で溢れ返った。

 しかし、ニーノは喜怒哀楽、どの色も表情に表すこともなく城に向かって歩き出した。彼女の瞳には誰の姿も映ってはいない。誰の声も届かない。汚らわしい齧歯類が足元を這い回り耳障りな鳴き声を響かせている程度にしか認識していなかった。

 その時、ニーノの全身から瘴気が立ち昇り周囲の景色を灰色に変えていった。だが、誰もそのことに気付かない。もし、誰か一人でもその異変に気付いていたならば、彼等のその後の運命は変わったものになっていただろう。

 一度噴き出した瘴気は街の上空に塊となって留まると、すぐに街全体に雨雲のようになって拡がっていった。

 街は薄暗くなり、そこにいた人々は空を見上げて街を覆う積乱雲を見て一雨くるか、程度に軽く考えていたに違いない。

 降るのは雨ではなく死と絶望。鳴り響くのは雷鳴ではなく人々の悲鳴と嘆き。そのことに気付いた者はこの時点では皆無であっただろう。

 死と絶望を撒き散らすことを画策したニーノを除いて──。

 ニーノが城の門の前まで行くと、見覚えのある老年と若手の衛兵に呼び止められた。

「ミア様、そのお姿はどうなされたのですか⁉」

 老年の衛兵がボロボロの姿のニーノに駆け寄り心配そうに話しかけてくるも名前が思い出せない。確かミアお姉さまと親しくしていた何とかっていう衛兵だったことまでは覚えている。その後ろにいる若い衛兵もそうだったと思う。

 その時、ニーノは思い出す。この二人は愛するミアお姉さまを口汚く罵りながら乱雑に処刑場に引きずり出した奴らであることを。

 たちまちニーノの表情は憎悪に歪み、二人に鋭い眼光を放つ。全身から瘴気が立ち昇り、そこから何十匹もの黒蛇が現れた。

「聖女様⁉ その黒蛇はいったい……⁉」

 二人は強張った表情のまま数歩、後退った。

 何十匹もの黒蛇は、シャーシャーと唸り声を上げると、そのまま一斉に二人の衛兵に襲い掛かった。

 ニーノは二人には目もくれず歩き出す。背後から絶叫が響き渡るも彼女は二度と振り返ることはなかった。

「ミアお姉さまを傷つけた者は誰一人として許さない……!」

 そう呟くニーノの瞳には狂気と殺意が漲っていた。

 すると、ニーノは立ち止まり、「ああ、そうそう。ガレンとリック……だっけ?」そう呟くも、すぐに興味を無くし歩き出す。

 もう悲鳴は聞こえなかった。
 
 ニーノは瘴気をばら撒きながら聖女神殿に向かった。

 その間、すれ違う者は瘴気に冒され次々と倒れて行った。

 異変に気付いた国王バルカンは神官長レオや騎士達を引き連れ聖女神殿に駆けつけると、既にそこには瘴気を身に纏うニーノが皆を待ち構えていた。

 国王や大神官、それに護衛の騎士達は神殿内に漂う瘴気にむせそうになるも、多少は耐性があるのかすぐに意識を失い卒倒する素振りは見せなかった。

「我が娘ミアよ⁉ これは何が起こっているのだ⁉」

 国王バルカンは顔を蒼白させ、動揺に塗れながらニーノに問う。

「瘴気が国内に蔓延しているのです。このままでは民は死に絶え国が亡ぶでしょう」

 すると、大神官レオ前に出て叫ぶ。

「今こそミア様のお力を聖女像に注ぎ、聖女の聖なる加護の力を使う時です! この程度の瘴気など、聖女像が放つ加護結界の前ではただの塵芥に過ぎないでしょう」

 興奮気味に瞳を童の様に輝かせながら神官長レオは叫んだ。

 その言葉を聞き、国王バルカンだけではなくその場に居た騎士達も歓喜に満ちた声を張り上げた。

「聖女? それは誰のことですか、お父様?」

 ニーノは無表情のまま、まるで人形に話しかけるような空虚な眼差しで国王バルカンに話しかけた。

 異様な空気を悟り、歓声はピタリと止んだ。

 国王バルカンは息を呑み込むと強張った表情でニーノに話しかける。

「ミア、我が娘よ。お前は何を言っているのだ? 我が国に聖女はミアしかおらぬではないか」

「ミア、ミアですって? ミアお姉さまはお父様が処刑したではありませんか。いえ、違いますわね。処刑しようとして横から汚らしい獣人に搔っ攫われたんですわね。どの道、ミアお姉さまはお前によって火刑に処されそうになった時点で死んだも同然よ」

 空気が凍り付いた。その間にも瘴気は濃くなり、騎士の何人かは床に崩れ落ちて行く。しかし、あまりに衝撃なニーノの告白に誰もそのことに気付かない。

「ば、馬鹿なことを申す出ない! お前はミアだ。断じて魔女ではない! いい加減にせぬか⁉」

「私はニーノよ。処刑前日、ミアお姉さまと無理矢理入れ替わったの。思い出してみて。あの日、ミアお姉さまが真実を述べ必死に命乞いをしていたじゃありませんの。実娘の言うことを頭ごなしに否定して刑を執行したのはお父様ご本人だったのをもうお忘れ?」

 そう言ってニーノはニタリとほくそ笑む。その歪んだ笑みを見て国王バルカンは絶句し膝が崩れ落ちた。顔は蒼白し、ダラダラと滝の様な汗が額から流れ落ちる。

「ミア様⁉ 貴女は疲れておいでなのです。私には分かります。ミア様の全身から迸る女神エレウスのごとき清らかな神聖力を。これを聖女と呼ばずして何者を聖女と呼ぶのでしょうか⁉」

 ニーノは笑みを止めると、パチン、と指を鳴らす。同時に首に下げていた神獣ヴェルズの魔石ペンダントが妖しく光り輝いた。

「これでも私をまだ聖女と呼んでくれるのかしら、神官長レオ」

 次の瞬間、ニーノの髪は白銀から漆黒に変色し、全身からは闇のような瘴気が噴き出した。

 白銀の髪は聖女の証。黒髪は魔女の証。

 今、ニーノは自分が魔女であることを証明したのだ。

 自分はミアではない。魔女ニーノ。それはつまり、お前達の業をも暴き出したということ。

 敬うべき聖女をお前達は殺そうとしたのだ。その罪は未来永劫消えることはない。そのことに気付いた者は絶望のあまり両膝をつき神に許しを請い始めた。騎士や神官の中には自らの命を断つ者さえ現れ、神殿内はたちまち血に塗れた。

 気づけばその場で意識を保っているのは国王バルカンと神官長レオだけになっていた。

「ミア……いや、ニーノ。お前は何をするつもりなのだ? 入れ替わったのであれば、何故そのことを打ち明けたのだ? そのままであれば願い通り、一生贅沢な暮らしを謳歌できたであろうに」

「贅沢な暮らしですって? お父様、頭の中にウジ虫でも湧いていらっしゃるんじゃありませんこと? いつ、誰がそのようなものを望んだというのですか?」

「地下牢でパン一つ、塩スープだけの生活に嫌気がさし、王宮内での贅を尽くした料理を食らい、好きなように生きることが誰もがうらやむ生活を送りたいが為に実の姉を陥れたのではないのか……?」

 国王バルカンは唖然としながら呟く。

「勘違いしないで。私は一生地下牢に閉じ込められ、パンと塩スープだけの人生でも不幸に思ったことはない。私はどんな贅沢な料理よりもミアお姉さまが持ってきてくれたアップルパイに勝る物は無いって思っている。自分の尺度で私の不幸を語らないで!」

 ニーノは感情を露わに呼気を荒らげながら実父に対して怒声を張り上げた。

「お父様、私が何をしたいのかとおっしゃいましたよね? もちろん、復讐よ。今から私、古のゲートを開こうと思っておりますの」

 ゲートの言葉に反応し、神官長レオは引きつった形相で叫んだ。

「それだけはなりません! かの聖女ラン様が命を懸けて閉じた忌まわしきゲートを再び開くなどと女神様が許しても聖女ラン様の御霊が許そうはずもありません! 天罰が下りましょうぞ⁉」

 その時、何処からか女性の声が響いて来る。見ると、ニーノの頭上に聖女のドレスを身に纏った聖女ランの霊体が現れていた。

「私は構わないわよ? だって、私がそうしろってニーノと契約を交わしたんですもの」

「お、お前は誰だ⁉」

「私? お前達が聖女ランと崇めている存在の成れの果てよ。ついでに教えておいてあげる。双子聖女の伝説は私が後世に残したの」

 そう言って聖女ランはくっくっくと嘲りの笑みを口元に洩らした。

「そ、それはどういう意味だ?」

「お馬鹿さん。本来、聖女と崇められるはずの聖女リンを魔女に仕立て上げ処刑したのはこの私、聖女ラン様ってこと! 妹のことが憎たらしくて、今後誕生するやもしれない双子聖女の妹を未来永劫苦しめる為だけに、私が双子聖女の魔女伝説を残したのよ! 笑っちゃうわね。あの後、誰も疑うことも無くせっかくの双子聖女の片割れを処刑しまくるんですもの。おかげで私はこんな霊体になりながらも処刑された聖女から力を吸い取り続け、こうやって存在し続けることが出来たんですから」

「う、嘘だ……そんなことは嘘に決まっている! それじゃ、我々の一族は何のために魔女を処刑してきたというんだ? だとすれば本当の罪人は……」

「お前達ってことね。きゃははははははは!」

 聖女ランの甲高い嘲笑いが神殿内に木霊すると、神官長レオは放心状態に陥り床に崩れ落ちた。その金色の髪が一瞬で白髪になり、若々しい肌は老人のようにしわがれてしまいミイラのようになってしまっていた。

「ラン。そろそろゲートを開きましょう」

 ニーノが頭上に浮かぶ聖女ランに言う。

「遊びはこの辺にしておきましょう。それよりもニーノちゃん、約束は覚えているわよね? ゲートを開いたら約束通り貴女の身体は貰うわよ?」 

「分かっている。後は好きなようにして」

「ふふふ、いい娘ね。だから大好きよ」

 聖女ランの霊体はそう言うと、スーッとニーノの身体の中に入った。

「ニーノ! 止めよ、止めてくれ! ゲートを開けば我が国は夜の魔王によって滅ぼされるのだぞ⁉ お前とて故国の滅亡は望んでいまい⁉」

「あの時、止めてと懇願したミアお姉さまのお言葉に少しでも耳を傾けたかしら?」

「そ、それは……!」

「どの道、止めても無駄よ。だって、私の願いはこの国と夜の国の滅亡なんですから」

「な、なんと愚かなことを……!」

「ただのクソったれなしきたりなんかを理由に実の娘を処刑すること以上に愚かなことなんてあるのかしら? もう全て手遅れよ。だって、私、お前のことを父だなんて思ったこと、一度だって無いんですもの」

 ニーノはつまらなさそうにそう言い放つと、指をパチンと鳴らした。たちまち無数の黒蛇が召喚されると、それらは国王バルカンや神官長レオ、床に倒れている騎士達に襲い掛かった。

 黒蛇の侵入を体内に許した国王バルカンは呻き声を発した後、白目をむいて仰向けになって倒れた。

「私とランの魔力にこのペンダントの力があれば容易くゲートを開くことが出来る。待っていて、ミアお姉さま。今、貴女を救って差し上げます。そして、一緒にこの腐った世界を浄化しましょう」

 ニーノが聖女像に手を触れ、魔力を注ごうとした瞬間だった。

 神殿内に衝撃が走った。天井が崩れ落ち、そこから大きな影が躍り出た。

 黒い影は床に降り立つと、二つの人影に縮む。

「ニーノ! ゲートを開くのは止めて!」

「ミアお姉さま……どうしてここに?」

 そこに現れたのはミアとルークであった。

「貴方を助けに来たに決まっているでしょう」

「私を助けにですって?」

 ニーノは驚いたように両目を見開くと、ブルブルと全身を震わせながら呻き声をもらした。

 そして、身体の震えを止め見上げると、嬉しそうに目を細めながら一言呟いた。

「本当、ミアお姉さまって馬鹿がつくほどのお人好しなんだから」

 ニーノの瞳から一筋の涙が頬を伝い床に流れ落ちた。

「だから私に殺されるのよ」

 次の瞬間、神獣ヴェルズの魔石ペンダントが妖しく光り輝いた瞬間、無数の黒蛇が召喚されミアに襲い掛かった。
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