汝に我が尾と獣耳を捧げよう──。

ぱいん

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40話 奇跡

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 私は何て罪深い人間なんだろうか?

 目を閉じれば思い浮かぶのはミアお姉さまの笑顔。生まれながらに魔女の烙印を押された私を最後まで見捨てず愛情を注いでくれた自慢のお姉ちゃん。

 でも、そんな大切なミアお姉さまを私は裏切ってしまった。

 あまりの罪悪感に自分で自分を引き裂きたい衝動にかられた。一番辛かったのはそれでも私を愛し続けてくれたこと。

 再会した時、いっそのこと恨み言の一つでも言われた方がどれだけ楽だっただろうか。

 何度悪ぶって突き放そうとしても、ミアお姉さまは私を見捨てようとはしてくれない。獣人の魔王さんが怒りに任せて私を殺してくれることを期待したけれども、彼は私に殺意すら向けて来なかった。

 誰か私を殺して? 私は自分の後始末もつけられない臆病者。最期の瞬間すら他人に依存するしかないほどの弱者なのだ。

「お願い……誰か、誰でもいいから私を楽にして……」

 その時、誰かの声が聞こえた。これはそう、私のもう一人のお姉さまの声。

 何処か遠くからランお姉さまの声が聞こえてくる。

 私は耳を澄ます。

 すると、突然、ランお姉さまが私の目の前に現れると、私の胸倉を掴み上げながら怒鳴り声を張り上げて来る。

「お前、甘ったれるんじゃないわよ⁉ 死ぬなら精一杯生きてから勝手に死になさい!」

 ランお姉さまの怒りの形相を前に私は何も言えずただ怯えることしか出来なかった。

「それでも死にたいって言うならこうよ⁉」

 ランお姉さまはそう叫ぶと片手を上げた。

 ぶたれる! と思い目をつぶった瞬間、私は全身に温もりを感じた。

 恐る恐る目を開けると、ランお姉さまが私を優しく抱擁している姿が見えた。

 私は胸をトクン、と動悸させた。 

「生きなさい。誰の為でもなく貴女自身の為に。もし生きる理由が欲しいなら目覚めなさい。お前の大切なミアお姉ちゃんが危機に陥っているわよ」

「ミアお姉さまが⁉」

 こうしちゃいられない。死ぬのはいつでも出来る。その前にまずはミアお姉さまに謝らなくっちゃ!

「生きなさい、ニーノ。私のもう一人の大切な妹……いえ、貴女は本当は私の……」

 ランお姉さまは最後まで言葉を続けずに、パチンと私の目の前で指を鳴らした。
 
 次の瞬間、私の意識は覚醒した。

 目覚めると、そこは戦場だった。

 爆音と轟音が響き渡り、獣の咆哮が周囲から響いてくる。

「目が覚めたか、ミアの妹!」

 大きくて広い背中が私に話しかけてきた。よく見ると彼はミアお姉さまと一緒にいた獣人の魔王さん。名前をルークさんっていったっけ?

「詳しい話は後だ! お前、ヒールは使えるか⁉」

「ヒール? え、ええ、使えるけれども……?」

 ルークさんは私に振り返ると、必死な形相に真紅の瞳を荒々しく輝かせた。見ると彼は全身ボロボロだった。いたるところから出血していて大怪我ではないにしても相当酷い怪我を負っているようだった。

「あ、貴方を治せばいいんですか?」

「違う! オレのことなど捨てておけ! 救って欲しいのはミアだ、お前の姉だ!」

 ミアお姉さまを救う?

 その時、私は手に何かドロッとしたものが付着していることに気付く。手を見ると真っ赤に染まっていた。そこでようやく私の側で血塗れの状態で倒れているミアお姉さまに気付いた。

 たちまち私は驚きと恐怖のあまり全身の筋肉が硬直するのが分かった。情けない。ミアお姉さまの危機を前にして私は狼狽するしか出来なかった。

「ミアお姉さま⁉ 酷い傷……いったい何があったの⁉」

「いいから早くミアにヒールを! このままでは出血死してしまうぞ⁉」

 ルークさんの悲痛な叫びが私の硬直を解いてくれた。

 早く、早くヒールをかけないと!

 私はミアお姉さまの前に両手をかざすと神聖魔力を集中させ始める。

 だが──。

「ど、どうして? 魔力が出ない……⁉」

 動揺のあまり手が震えた。手から滴り落ちるミアお姉さまの血を見て更に心の動揺は激しさを増した。

 私の状態を察してか、ルークさんは爆炎の魔法を周囲に放つと私に駆け寄って来る。轟音の後、獣の様な断末魔の叫びが響いてきた。

「簡単に状況を説明しておくぞ⁉ 現在、オレ達はライセ王国から夜の国に戻って来た。今、オレ達を襲ってきているのはスタンピードによって大量発生した魔物の大群だ。控えめに言ってもオレ達の状況は想像しうる最悪を遥かに凌駕している! ここまで何か質問はあるか⁉」

 私はただ首を横に振って質問の答えとした。

「なら、ミアはお前に任せるぞ⁉ オレは可能な限り魔物を食い止め時間を稼ぐ。その間にお前がミアを救うんだ!」

 私にミアお姉さまを任せるですって⁉ あんなことをしでかした私を、この人は信じるというの⁉

「あんなことをしでかした私を信じるっていうんですか⁉」

「ああ、そうだ」

「ど、どうして? 私がまたミアお姉さまを殺そうとするとは思わないんですか⁉」

 すると、ルークさんは穏やかな笑みを浮かべると一言呟いた。

「ミアが信じると言った。オレはそれを信じるだけだ」

 ルークさんはそう言うと、全身に膨大な魔力を漲らせる。たちまち身体が肥大化し、巨躯を誇る黒いフェンリルの姿に変化した。

「後は頼んだぞ、ニーノ!」

 フェンリルと化したルークさんは大気を震動させるほどの咆哮を発した後、魔物の気配のする方向に向かって駆け出した。

 その直後、再び爆音と轟音が響いて来る。ルークさんはミアお姉さまを守るために必死に戦っている。なら、私も立ち向かわなければ!

 私はもう一度両手に神聖魔力を集中させる。しかし、やっぱり何の反応も起こらなかった。

 たちまち絶望の淵に叩き落されそうになるも、私は寸前で踏みとどまった。

 脳裏にランお姉さまの声が過ったのだ。

『死ぬなら精一杯生きてから勝手に死になさい!』

 たちまち私の心の奥底から勇気が湧きだし力となる。

「私の命と引き換えにしても構わない! どうか私の魔力よ、ミアお姉さまを助けて!」

 私は悲痛な叫びと共に魔力を両手に集中させる。

 でも、奇跡は起こらなかった。何をどうしようとも癒しの魔法は発動しなかった。

「どうして、どうしてよ⁉ たった一度でいい。もう一度私に魔法を使わせてよ⁉ 私にミアお姉さまを助けるチャンスをください! 誰でもいい、助けて、助けてよ……」

 私はミアお姉さまの手を握りながら天を仰いだ。冷たい感触が死を連想させた。

 すると、獰猛な気配がこちらに迫っているのに気づいた。

 グールのような黒い影が獰猛な唸り声を上げながら私達の前に現れた。

 私は咄嗟に立ち上がると、両手を広げてグールの前に立ちはだかった。

「ミアお姉さまは私が守る! もう誰にも傷つけさせないんだから!」

 怖い。恐怖のあまり歯の根の音が止まない。私は生きたまま食い殺されようとも構わない。どんな惨たらしい死を迎えたっていい。でも、ミアお姉さまだけは死なせない!

 私はキッとグールを睨みつけた。それが精一杯にして唯一の抵抗。

 次の瞬間、グールが鋭い牙を剥き出しにしながら私に襲い掛かって来た。

「ホーリーアロー!」

 背後から懐かしい声が叫んだ。

 それと同時に聖なる魔法の矢がグールを貫き一撃で消滅させた。

「ミアお姉さま⁉」

 振り返ると、ミアお姉さまが苦悶の表情を浮かべながら佇んでいるのが見えた。

 あんな状態で魔法を使うなんて自殺行為よ⁉

 私はミアお姉さまに駆け寄り力いっぱい抱きしめた。

「あらあら、ニーノはいつになっても甘えん坊さんね」

 クスリと、ミアお姉さまの微笑が耳に響いて来る。だけれども、それは今にも消えてしまいそうな弱々しい響きだった。

「私がなんとかするから、ミアお姉さまは休んでいて⁉ それ以上魔法を使えば本当に死んじゃうよ⁉」

「ルークが戦っている。私だけ休んでいられないわ」

 しかし、ミアお姉さまは顔を苦痛に歪めると、苦しそうな呻き声を洩らすとうずくまった。

「お願い、ミアお姉さま! 無理はしないで……死んじゃ嫌よ……」

 涙がこぼれてきた。情けないことに私は涙を止めることが出来ず泣きじゃくるしか出来ない。

 すると、頭に暖かい手の感触を感じる。

「ニーノ、朝陽を一緒に見るって約束を覚えている?」

「そ、そんなの今はどうでもいいでしょう⁉」

「私の夢はね、ルークとニーノと三人で朝陽を見ることなの。常闇の世界と呼ばれた夜の国でその夢が実現したらとても素敵なことだって思わない?」

 ミアお姉さまはそう言って微笑んだ。口元から一筋の血が流れる。もう私の頭を撫でるミアお姉さまの手から温もりは感じられない。冷たくなる一方だった。

「ニーノ、ごめんね?」

「何で謝るの? お願い、謝るのは止して」

 もうその先は言わないで。言ったらもうミアお姉さまに会えなくなる。そんな予感が頭をもたげた。

「約束、守れそうにない……貴女だけは生きてちょうだい……」

 そう呟いた瞬間、ミアお姉さまは静かに目を閉じた。がっくりとうなだれ私にもたれかかってくる。もう温もりは感じられなかった。まるで氷のような冷たさが伝わって来た。

「ミアお姉さま? ねえ、起きて? 寝たらダメだよ? 私、まだちゃんと謝ってない。恩返しだってまだしていないよ? お願いだから返事をして? 甘えん坊さんって意地悪を言ってもいい。悪い娘だってお仕置きをしてくれたっていい。毎日アップルパイを食べたいってわがままも言わないから……」

 私はミアお姉さまに謝りたい。アップルパイは私の一番の好物だって。私も一緒に夜の国で朝陽を見たいって言いたい。

 だから、だから……!

「奇跡よ、起こって⁉」

 次の瞬間、私の首にぶら下げていたペンダントから柑子色の光が溢れ出した。これは確かランお姉さまがミアお姉さまから奪い取ったペンダントだ。そんなことを考えている間に、私の意識は一瞬闇に囚われた。

 気付くと、私は灰色の世界に佇んでいた。

 目の前に灰色のドレスを身に纏った黒髪の女性が佇んでいた。

 私は目の前に佇む女性を見て、思わず「ランお姉さま⁉」と叫びそうになった。顔は瓜二つだったけれども、別人だとハッキリ分かった。

 理由は分からない。でも、とても懐かしい匂いがした。

「ありがとう」

 黒髪の女性は慈愛に満ちた笑みを浮かべながら一言呟いた。

「何がですか?」

「生まれてくれて、生きてくれてありがとう」

 黒髪の女性は唇を震わせると、瞳から涙をこぼした。

 彼女の涙を見た瞬間、私の胸は切なさで満たされた。そして、私もいつの間にか涙を流していたことに気付く。

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 すると、黒髪の女性は何かを言いかけるも、グッと吐きかけた言葉を呑み込んだ。

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「それはなに?」

 そして黒髪の女性は一言「それは奇跡よ」と呟いた。

 次の瞬間、灰色の世界は消滅し、私の意識は現実世界に引き戻された。

 ミアお姉さまを助ける! 

 私はミアお姉さまを抱きしめながら叫んだ。

「ヒール!」

 奇跡は間もなく起こるのだった。 
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