ぼくのベティちゃん

むらうた

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恋人

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 五十川さんの心境にどんな変化があったのか。皆目見当がつかない。

 花火の夜は確かに感じた両想い、の気配は日常生活に戻ってしまうとどこにも見当たらない。

 むしろ仕事面では厳しさが増した気さえする。

「弥田! 報告はちゃんとしろって言ってるだろ」

「すみませんっ、後でしようと思ってたんですが」

「言い訳すんな」

「…はい」

 その容赦のなさは、見兼ねた奈美枝さんが取り成してくれるほどで。

「まあまあ、カリカリしないで」

「俺は教育係として指導してるだけです」

「…そうね、うん」

「外回り行ってきます」

 ベティを掴んで颯爽と事務所を出て行く背中に向かって、俺と奈美枝さんは「いってらっしゃーい」と声をかけた。

「まぁったく、どうしてあんな言い方しかできないのかしら」

「いや、俺が悪いので」

「気にすることないからね? 辞めるとか、言わないでね?」

「…ツンデレだと思うことにしてるので大丈夫です」

 奈美枝さんはぱちくりと瞬きをすると「あははっ」と気持ちよく笑った。

「わたしも期待してたのよ、いつデレてくれるのかって…でもあの調子じゃそんな日は来そうもないわね」

 でも、この間は。

 まあ、ツンがきついぶん、ちょっと素直なだけでデレているように感じるだけかもしれない。

 自分だけが知っている五十川さんの一面に、優越感がくすぐられる。

「なぁに? にやにやしちゃって」

「え? な、なにがですか?」

「弥田くんって嘘が下手よねぇどういうこと? 気になるんだけどっ」

 奈美枝さんに詰め寄られるが本当のことを言うわけにもいかず、「深読みしすぎです」と誤魔化す。

「言いなさいよ!」

「なんでもないですって!」

 などと言い合っていると、出かけたはずの五十川さんが帰ってきた。

「なにやってんだよ」

「…五十川さんこそ」

「忘れ物」

「なるほど」

 俺たちの会話を奈美枝さんが疑わしそうに観察しているのを感じる。

 それを五十川さんも察知したようで、「なんですか?」と眉間にシワを寄せた。

「べつに。ほら、急がなきゃだめなんじゃない?」

 五十川さんは俺を軽く睨む。余計なことを言うなよ、とその視線は語っている。

 言うつもりはないんです。ただ、奈美枝さんの勘が鋭すぎるんです。

 心の中で叫んだが、伝わってはいないだろう。

 再び二人きりになった事務所で、俺は奈美枝さんからの追及をどうにかやり過ごした。

 俺たちって今、どういう関係なんだろう。

 正直、期待はしている。五十川さんもちゃんと俺のことを好きでいてくれていると。

 ただ明確な言葉がないから確信が持てない。

 どうすればまた身体に触れられるのか。

 五十川さんの答えとして、「俺ことが好き」よりも「気の迷いだった」のほうがより現実的に思えて俺は身動きがとれないでいた。


   ***


 もやもやとしたまま数日が過ぎたある日。

「公私混同はしたくない」

 五十川さんが思い出したように言った。

 俺はデスクを片付け帰ろうとしていたところで、言われていることがなにを指しているのか一瞬わからなかった。

 隣を見てもパソコンを見つめる横顔があるだけだ。

 なんのこと?

「だから」

 言葉の続きを待っていたが、近づいてくる足音に五十川さんは口をつぐんでしまう。

「たっだいま~」

「社長、お帰りなさい。あれ? 美優ちゃんも一緒ですか」

「きょうはね、ママだけでかけなの」

「そういうわけだ。でも俺にはまだ仕事が残ってるから、弥田、しばらく美優と遊んでてくれ」

 なんつームチャ振り。

 嫌だとも言えず、「オリガミもってきた」と言う美優ちゃんにつられてこちらも笑顔になる。

「折り紙かぁ、久しぶりだな」

 社長と繋いでいた手を離し俺の側まで来ると、美優ちゃんは五十川さんのことをじっと見た。

 ベティを狙ってるのか。

 気をそらすように、「美優ちゃーん」と声をかける。隅の応接用のソファを指差して、「向こうで座って遊ぼう」と誘ってみる。

「クマさん」

「美優ちゃん、折り紙で」

「クマさんであそびたい!」

 美優ちゃんは五十川さんのデスクに手を伸ばす。

 怖いもの知らずだな!

「だ、だめだよ~」

 小さい身体を抱き上げて移動しようとすると、気配を消していた五十川さんがこちらを見上げた。

「貸すだけだからな」

「いいんですか?」

「わあい! クマさん!」

「後で返せよ」

「うん!」

 ベティを受け取ると美優ちゃんは満足そうにぎゅっと抱きしめた。

「おー、五十川も大人になったな。美優、お礼言えるか?」

 社長の声に、「イソカワ?」と美優ちゃんが俺を見るから、「このお兄さんが五十川さん」とすでに背を向けている人物を紹介する。

「…ヤタはイソカワとコイビトなの?」

 純粋な疑問を浮かべた瞳に見つめられていた。

「…ん?」

「美優ぅ、それは聞いちゃだめなやつ!」

「でもでもっ、ママとパパもはなしてたでしょ?」

「しゃ、社長?」

「子どもってすげえな、耳で覚えるんだな」

 感心してる場合ですか!

 五十川さんのキーボードを叩く音が苛立ちを含んでいるように聞こえる。

「ち、違うよ~」

 俺は慌てて否定した。

「でもね! ママとパパがね! ね、パパ!」

「そんなこと話したかなぁ…ちょぉっと覚えてねえや、ごめんな美優。とりあえず、その話はやめよう」

「へんなのぉ」

「さ、折り紙しようよ」

 納得していない顔に笑いかける。応接席へ向かう途中、社長に非難の眼差しを向けた。

 これで五十川さんがヘソを曲げたらどうしてくれんですか!

 社長は無責任に素知らぬふりをする。

 今、微妙なところなのに!

 美優ちゃんと折り紙で財布を作りながら、何度も五十川さんの背中に目をやった。

「またまちがえてるぅ」

「あっごめんごめん」

 手元に集中できず、その度に小さな先生から指導がはいる。

 財布は二人で四つ作った。ピンクが二つに青と黒が一つずつ。

 社長が「お待たせ」と声をかけてきたのは、財布に入れる偽札作りをしている最中だった。

「帰ろうか」

「はぁい。ヤタ、あとはじぶんでつくれる?」

 美優ちゃんは偽札作りを俺に託すと五十川さんのデスクへ行き、「ありがとぉ」とベティを返した。

 爆弾発言をしたことなど、すっかり忘れているようだった。

 残された応接席で、俺はのろのろと折り紙を片付ける。

 どれだけ時間をかけようと、いつかは片付けてしまえるわけで。

 俺も忘れたことにしよう。

 そう決心をして五十川さんの隣の席へ戻った。

 ああ、気まずい。なにか話題を。

「そぉいえば、社長が来る前なにか言いかけてましたよね?」

「さっきのなんだよ」

 ああ、忘れてくれてなかった。

 明らかに不機嫌な声にどう取りなそうと頭を働かせる。

 俺が奈美枝さんか社長かに話したとでも思ってるのかな。違うのに! 濡れ衣だ!

「ち、違いま」

「あんなことしておいて…俺たち、付き合ってることにならないのか?」

「っ、そっち?!」

「そっちってなんだよ」

「スミマセン思わず心の声が…いや、そうじゃなくて…付き合ってるんですか? 俺たち恋人ってこと?」

 赤くなっていく耳たぶに、俺はもっと五十川さんについて知らなきゃいけないと思った。

 顔をうつむけ、弱々しく「俺が聞いてんだよ」と言う。その姿はツンでもデレでもない本当の五十川さんな気がした。

「あ、あのっ恋人で! お願いします! でも…五十川さんはそれでいいんですか? 両想いってこと? 好きになってくれたってこと? なんで?」

 混乱で一気にまくし立てていた。

 どうなってんだ?

「質問が多い」

「…俺のこと、どう思ってるんですか?」

「そういうガラじゃねえんだよ」

 もしかしたら、俺が迷ったり不安だったりするみたいに、五十川さんもいっぱい考えてくれているのかもしれない。

「聞かなきゃわからない…五十川さんのこともっと知りたいです。もっと…ちゃんと…」

「察しろ、嫌いなやつとあんなことできねえだろ」

「できる人もいます」

「俺はできねえからわかったか!」

 遠回しすぎて釈然としない。

 ただ、手の中で握り潰ぶされているベティを見ていると、五十川さんの精一杯で俺に向き合ってくれているとわかる。

 それでもいつか聞いてみたい。簡単な告白を。

「仕方ないですね、今はそれでいいです」

「何様だよ」

「素直じゃない五十川さんも好きですが、今後の成長を期待してます」

「だから何様だ」

 むすっとした顔と目が合った。

 硬い表情の奥でなにを考えているのか。

 イスを近づけ、力の入っている手に触れる。こんなことをしても気持ちが通じ合うわけではないけれど。

「職場だぞ」

「わかってます」


   ***


 「公私混同はしたくない」と五十川さんは言った。

 その言葉を俺は、「プライベートでならいちゃいちゃしていい」と受け取ることにした。

 恋人同士という俄かには信じがたい関係になることはできたが、安心してはいられない。

 一刻も早く、より強固なものにしなければ。

 その為に必要なこと…それは、五十川さんの前立腺の位置を知ることである。

 前立腺。それは、膀胱の下にあり尿道を取り巻くようにあるクルミ大の器官。そこを刺激することで得られる快感は、脳天を痺れさせるほどだという。

 それさえ分かれば!

「顔が怖ええよ」

 むに、と頬を摘まれる。

 重大なミッションを前に、俺はこれまでにないほど緊張していた。

「余裕なくて」

 五十川さんのベッドでこうして受け入れてもらえるな日が来るなんて!

「似合わねえから。いつもみたいにヘラヘラしてろ」

 そんなこと言われても!

「もう逃げねえからさ」

 つまんでいた指は離れ、かわりに手のひらが当てられる。その熱さに、見上げられる眼差しに、ぶわっと愛しさが込み上がった。

「い、五十川さん」

「ん?」

「俺…」

「なんだよ」

「俺、五十川さんの前立腺を必ず見つけてみせますから!」

 渾身の決意表明は五十川さんには響かなかったようで。

 顔を引きつらせ、「んなこと宣言すんな」と言われる。

 呆れつつも軽く笑う五十川さんはリラックスしているように見えた。そんな姿は職場ではお目にかかれない。

 あーもう、かわいい。

「なんとでも言ってください」

 そっと眼鏡を外し唇を寄せる。

 焦らない! 急がない!

 心の中で念じながら衣服を剥いでいく。

 首筋にキスをしながら、ローションを手に取り標的を目指した。

「や、弥田…」

「大丈夫ですよ、こっちに集中しててください」

 臍の下からつつと指を這わせると身体が震える。

「っん」

 鼻にかかったような声が甘い。

 優しく陰茎を掴み扱きながら、襞をゆるゆるとほぐした。

 前よりは柔らかいかも。

「入れますよ」

「ぁ…うぁ」

 臍側の腸壁にそって指を滑らせ中を探る。

「っ」

 指がしこりを探り当てると、五十川さんの身体が強張った。

「ここですかっ!」

「…っ知らねえよ!」

「気持ち良くないですか?」

「わかんね…ぇけど、ッあ」

 色めく声。身体中が欲望で痺れている。指を動かすたびにぬちぬちと音がする。首筋を汗が伝う。耳元に心臓があるみたいだ。

「あッぁ…っんぅ」

 堪えようとしているのに吐き出される声が容赦なく欲情を煽った。

 張り詰めた先からは先走りが溢れている。

「やたぁ」

「はい」

「っや、ば…」

 ぎゅううと指が締めつけられたかと思うと精液が飛び散っていた。

 えっろ。

 俺は我慢ができず、ひくつく後孔から指を抜き自分の屹立に手をかけた。

 これは、すぐ抜ける。

「おい」

 見られている、と思うと余計に興奮する。

「なに一人でやってんだよ」

「も、我慢ができなく…っ」

 びゅくりと内側から放出されたものを手のひらで受け止めた。

「ティ、ティッシュ」

 慌ててサイドテーブルにある箱ティッシュへ手を伸ばす。二、三枚引き抜き手を拭いて一息ついた。

「…挿れるんだと思ってた」

「…へ?」

「いや、いいんだ。やらねえなら、それに越したことはねえし」

「え? あ…挿れていいなら、まだ、イケます」

 五十川さん視線が俺の顔から下に落ちる。

 再び上がった視線と目が合うと、「別にいいですよ、またの機会でも」と弁解した。

 前立腺の位置はわかったし。五十川さんも気持ちよさようだったし。今日の課題はクリアだ。

「でもそれ」

「ああ…うーん、素股とか? 腿ではさんでくれますか?」

 冗談めかして言ってみたのに渋い顔をされ、俺は慌てて訂正する。

「嫌ならいいんですっ放っておけばおさまりますし」

 次があることのほうが大事なのだ。

 ところが、五十川さんは真剣に考え込んでしまった。

 なにをそんなに迷う必要があるんだろう。

 お預けをくらい高揚していた気分も落ち着きはじめたころ、やっと結論は出た。

「…いいぞ」

「あの…無理にしなくてもいいんですよ? 本当に」

「なんかさ」

 言い澱み、それから不機嫌そうに、「弥田がさっき触ってたとこが疼いてんだ…」と言われた。

 思いもしなかった誘惑に俺はしばし固まってしまう。

 それから言い表すことのできない気持ちにオロオロし、どうしようもなくなって五十川さんを抱き寄せた。

「ただし、俺が痛いっつったらすぐやめろよ?」

 肌から伝わるどこか不安げな声が愛しくて、俺は腕の力を強めた。

「…はい」

 乱暴に、奪うように、五十川さんの中をめちゃくにゃに犯したい衝動をどうにか引き止める。

「後ろからのほうが負担少ないらしいです」

 動かされる身体を抱きしめ、うなじに唇を寄せた。それから言い訳をするように「好きです」と耳元で囁く。

「俺、こんなに誰かを抱きたいって思ったのはじめてですよ」

 向けられた背中はもちろん男のものだった。確認するように肩甲骨から腰骨まで手を這わせる。

 腰を軽く持ち上げ、先ほどまでローションを塗り込めていた窪みに昂りを押しつけた。

「力、抜いててくださいね」

「っ…あぁ」

 狭く侵入を拒む場所を時間をかけて拡げていく。時折、五十川さんの身体がびくりとはねた。

「息止めちゃだめですよ」

「ん゛」

 苦しそうな声にきっと痛いに違いないと思う。

 言わないでいてくれてる?

 ぐぐっと押し込んでいた力を弱める。

「奥は今後の楽しみに取っておきますね」

 何より俺が限界だった。

 浅いところでしだいに律動を早めていく。五十川さんの内側が蠢くのを感じる。

 生々しい実感に荒くなる腰使いを止めることができなかった。

「あっ…ンぁ…」

「すっげ、気持ちい…」

 動きに合わせて漏れる掠れた声がたまらない。

 再び五十川さんの陰茎に触れようと手を伸ばす。

「さわん、な」

「…だめ?」

 制されるのを無視して俺は手を動かした。

「ふっ、はぁ…ァ」

 熱く脈打つと同時に繋がった部分がきつく締めつけられる。

「五十川さん、気持ちいい? 俺、も…」

 達する手前、はっと我に返って勢いよく引き抜いた。

「はっ、ぁ…」

 あ、危ね。中出しするとこだった。

「大丈夫ですか?」

 肋を撫でると、五十川さんは息を整えながらこちらを見上げる。

「…無茶すんなよ」

「スミマセン、つい」

「尻がへん」

「ですよねぇ痛くなかったですか?」

「痛くないかっつったら、まあ…でも、できなくはない」

 俺は隣に向き合うようして寝転がると五十川さんの手を握り指を絡めた。

「へへへ、恋人繋ぎ」

 怪訝そうな表情は俺をじっと見つめ、やがてバッテリーが切れるようにふっと目蓋を閉じる。

 寝ちゃった。

 しばらく寝顔を見守ってから俺は手を離しベッドを抜け出した。

 脱ぎ捨てた衣服から自分の下着を探し出し、風呂場へ向かう。

 シャワーを浴びて汗を流してからリビングダイニングのソファに腰を落ち着けた。

 明かりもつけずしんとした室内を見回す。

 身体の奥はまだ熱を帯びていた。よくできた夢を見ていたようで現実味がない。

 ふと、指先に柔らかいものが触れる。

「ベティ」

 ここにいたのか。

 無垢な瞳に見つめられ、居心地の悪さを感じる。

 いつも五十川さんと一緒のベティだが、さすがに情事の場には持ち込まれなかった。そのことを無言のうちに責められている気がした。

 お前を蔑ろにしてるわけじゃないんだぞ。ぬいぐるみには刺激が強すぎるからな。

 もちろん返事などないが、なにもかも見透かされている気がして落ち着かない。

 だいたい、いっつも一緒にいるんだからたまには俺に譲ってくれてもいいと思うんだ。

 ふわふわとしたぬいぐるみを手に取り、対峙する。

 言わば俺たちは…志を同じくしたライバル同士だ! なぁんて。

「ベティの三分の一でも頼りにされたいもんだな」

 ふにふにと柔らかい腹を揉む。

「いいよなぁ、お前は」

 俺も五十川さんに抱かれて寝てみてぇよ。

 ぬいぐるみに嫉妬をしている自分が情けなくて笑えてくる。

「ベティ先輩、一緒に寝ましょうか」

 俺はクマのぬいぐるみと共に五十川さんの眠る部屋へ戻った。
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