虫 ~派遣先に入って来た後輩が怖い~

銀色小鳩

文字の大きさ
13 / 53
虫 派遣先に入って来た後輩が怖い

第13話

しおりを挟む
 本屋で、雑誌を見ていると、隆史が遅れてやってきた。
「ごめん! 仕事が入ったから行かないといけないんだけど、話したい。さき帰ってて」
 隆史が合鍵を放ってよこした。別れてから、まだ一度も部屋には入っていない。
 一度成り行きで隆史についていき、その鍵を開けるのを見た。前と同じ、いつもと同じ部屋の空気が感じられた。私はそれに怯えて逃げたのだ。はるかとの約束を思い出したからではない。別れる前の空気が漂ってきたから逃げたのだ。
「行かないよ!」
「待ってて。たのむよ」
 返したはずの合鍵が、手元に戻ってきた。私のつけたのとは違うストラップがついていた。
 小さな、300円ショップで買ったような白い玉の沢山ついたストラップ。
 私のつけたのは違う――。私のつけたのは、私の好きな、クマクマのストラップ。自分の携帯とおそろいにした、クマクマのストラップだ。お茶のペットボトルに付いてくるおまけで、お茶を飲んでいるやつだ。それに、白い玉を追加でつけたもの。同じに見える――かもしれない。隆史には。
 今付いているクマなしのストラップは、きらきらと揺れて、「きれいでしょ? わたし」とでも言っているかのように見えた。
 隆史がやるわけない。
 ぐらり、と本たちがうねった。
 この前、私が部屋に入らなかったあの晩、この鍵にはまだ私のストラップがついていたはずだ。
 確かめなくては……このぐらぐらする、めまいのようにはっきりしない何かを、整理しなくてはいけない。
 その辺の、読みたいとも別に思わない本をなぜか一冊手にとって、会計に向かった。この時の私は、なにか買って落ち着きたかっただけだったんだと思う。
 隆史が部屋に戻ってきたのは、10時を過ぎてからだった。
「未来!」
 玄関先でまるくなっている私に、隆史は驚いたように声をかけ、背中をさすった。
「なんで中に入らないんだよ!」
 なんとか喉から押し出した言葉は、小さな声にしかならない。
「入ったよ」
 はるか。はるか。助けて。はるか。
「入ったけど……もうここに来るのはいやなの」
 昔のとおりに、私の歯ブラシはコップにささっていたし、私の選んだタオルもきちんとかけられていた。
 でも、コーヒーを淹れてミルクを垂らそうとすれば、冷蔵庫の中に見慣れぬ使われていないドレッシングが入っている。かき混ぜようとスプーンを探せば、見知らぬスプーンが1セット増えている。
 隆史、あなたは、雑貨屋めぐりは嫌いだよね? このスプーンは、自分で買ったもの? ごまだれのドレッシングを選んだことは、一度もないよね?
 部屋のぬいぐるみに、新しい女物のパンツをはかせるような趣味は、なかったはずだよね? お客様はぶらし三本セットが一本なくなっているのはどうして? 部屋がまったく男臭くないのは?
 それなのに、それが言えない。言ってしまったら、あなたが浮気をしたことを、今もまだしていることを言ってしまったら、もう二人は戻れない。
 言わなくても、もう戻れない。
 自分の息を吸う音が、震えて、不自然に聞こえた。
 私がはるかに与えた苦しみを、今度は私が隆史から受け取っていた。隆史が私の肩をつかむ。肩から、じんわりと伝わってくるものは、はるかから感じるような温かいものではなかった。
「とにかく、入ろう」
「いやだよ」
「じゃあ、ホテルに行こう」
 信じられない、という目つきで見上げる私に、隆史は小さく言った。
「本当に話したいんだよ。家が嫌なら外でもいいけど、大声を出してしまいそうだから」
 隆史――。
 大声を出してしまいそう? どうして? それはこっちのセリフだよ。何を話したいの?
 家には入りたくなかった。ホテルも嫌だった。
「喫茶店で」
 隆史の車に乗ってから、そう言うと、隆史は黙って車を発進させた。
 着いた先は、またしてもいつものバーだった。
「未来、このスパゲティ好きだよな? これと、あと、なにか適当にカクテルをお願いします」
 このスパゲティ好きだよな……。
 大嫌い。大嫌い。大嫌い。
 私は話し合いに来たことを忘れた。
 だんまりを通した。目の前でカクテルだけがいろんな色で運ばれてきて、いつのまにかなくなっていく。甘いけれど、味がわからない。トイレにたつと、自分が酔っているのがわかる。
 なにも聞きたくない。
 苦しいのに、口元だけにやにや笑ってしまう。酒の力は偉大だ。はるかならなんていうだろう? お酒よりお菓子のほうがいいです。そう言うかな。
 意味もないのに笑って、隆史とくだらない話をする。パスタに入れられたプチプチとした食感のなにかが、今日は砂を噛んでいるかのようにむなしくはじける。熱々のはずのチーズは乾燥している。食べるのがいつもより遅いせいだ。
 二人の合間に黒い水たまりのような空間が見える。黒くて、何もなくて、真夜中の海のように下に気味のわるい静けさを隠している。海のようには広くない。水溜りだ。ただの。
 帰りに、隆史は私を抱きしめた。
「俺が悪かった。俺が飲ませたのが悪かった。また次に会うよね? ちゃんと話そう」
「もう会わない」
「なんで」
「もう会わないよ」
 言った。息ができるのは、酒のせいだろうか。気持ちがわるい。
 私は、吐いた。隆史は、私の背中をさすって、しばらくしてから車に乗せた。足元がふらついて、車の踏み台にすねをぶつけた。あまり痛みを感じなかった。
「ホテルに行くよ」
 私は答えなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

身体だけの関係です‐原田巴について‐

みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子) 彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。 ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。 その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。 毎日19時ごろ更新予定 「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。 良ければそちらもお読みください。 身体だけの関係です‐三崎早月について‐ https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

身体だけの関係です‐三崎早月について‐

みのりすい
恋愛
「ボディタッチくらいするよね。女の子同士だもん」 三崎早月、15歳。小佐田未沙、14歳。 クラスメイトの二人は、お互いにタイプが違ったこともあり、ほとんど交流がなかった。 中学三年生の春、そんな二人の関係が、少しだけ、動き出す。 ※百合作品として執筆しましたが、男性キャラクターも多数おり、BL要素、NL要素もございます。悪しからずご了承ください。また、軽度ですが性描写を含みます。 12/11 ”原田巴について”投稿開始。→12/13 別作品として投稿しました。ご迷惑をおかけします。 身体だけの関係です 原田巴について https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/734700789 作者ツイッター: twitter/minori_sui

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

処理中です...