潜魔窟物語

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第九章『それぞれの潜魔窟』

第七十話『振り払う勇気』

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 一つ一つ罠を慎重に解除しながら進んでいたウルは、二ケーブ先の仄暗い広間に明確な殺気を感じた。
 潜む罠によるものではなく、明らかに強い意思を示した生き物からの殺気だ。

 ウルは短剣を抜き、左手にある二枚の幸運のコインをカチャリと鳴らした。
 刹那、ウルの首元に向け一条の銀光が奔った。
 これを短剣で受け止め、続く斬撃を身を屈めて回避する。
 すぐさま立ち上がり二度ほど後ろに跳躍して、距離を取った。

「こんなところまで、一体誰に呼ばれたんだか……」
 ウルの声が低く、冷たく響いた。

「貴様は我々を裏切った。裏切者には確実な死を」
 広間の奥から、ウルに匹敵するほどの冷気を纏った声が聞こえた。
 遅れて現れたのは、殺意そのものを具現化したような闇を抱えていた。
 暗黒の衣に身を包み、長剣を帯び、双眸はウルに明確な敵意を放っている。

 ウルの出身地で暗躍する、暗殺者の姿だった。


「裏切者って言われても、俺はただその家に生まれただけだ。俺が盗賊や暗殺者になってやる義理はねぇし、そんなことで恨まれてちゃたまんないぜ」
「問答無用」
 ウルの言葉を無視して、暗殺者はウルへの距離を一気に詰めた。
 長剣の唸りがウルへの死を歌う。ウルの短剣がそれを止め、火花が散る。

 長剣は獲物を狙う毒蛇のようにウルに迫る。
 さすがのウルも、力では太刀打ちできないので受け流しつつ隙を狙う。

「ふん、実力はあるようだが、お前程度の実力だと、御館様も嘆かれるだろう」
 反撃ひとつできないウルの様子に、暗殺者は嘲笑をこぼした。
 思いのほか若い声だ。

「俺はガキと違って力だけじゃねぇんだわ。帰ってババァのご機嫌取りでもしてろ、見逃してやるから」
 挑発においては、ウルの方が一枚も二枚も上手だった。
 激昂した暗殺者は、さらに一段階速度を増して攻撃をしかけてくる。
 その攻撃は弱点を正確に狙うだけでなく、荒々しさと凶暴さを兼ね備えており、ナシャが闘技場で相対した暗殺者キマーダを凌駕する実力を示していた。

 ウルは肩で息をしながらも、必死に致命傷を避け、攻撃を受け切る。
 緊張感が高まり、額から汗が流れる。
 目に入らぬよう一瞬だけ頭を振り、汗を飛ばす。
 その一瞬の視線の動きに乗じて、暗殺者は死角を作り出し、ウルにさらなる追撃を図った。

 体力差を利用し俊敏な動きで翻弄しつつ、壁際まで追い詰めるように攻撃を浴びせ続け、ついに、ウルは態勢を崩して膝をついた。
 とどめの一撃が、ウルの心臓を深々と貫いた。

 そのはずだった。

 目の前に、ウルはいなかった。
 まさに音もなく忽然と姿を消していた。
 空を切った長剣の切っ先が、驚きと焦りで、微かに震えた。
 左右に視線を振っても気配すらない。

「どこを見ているんだか……こっちだよ」
 数ケーブ背後から、ウルの声が聞こえた。
 にっこりと笑顔を見せ、わざとらしく手を振ってみせている。

「貴様、どうやって……」
 暗殺者は動揺を隠せなかった。

「教えるかよ、知りたきゃ俺を殺してみるんだな」
 ウルの声にはあからさまな嘲りが込められていた。

 暗殺者は全身の筋肉を完璧に連動させ、凄まじい勢いで迫り、岩をも穿つほどの突きを放ったが、ウルは再び直撃の寸前で姿を消し、またも数ケーブ先まで移動していた。
 ご丁寧にあくびまでして挑発を重ねる。

「私を愚弄するな!」
 暗殺者は叫び、三度、ウルに突進した。
 その速度は神域といって差し支えないほどであり、英雄ドレープをも超えるものだった。

 が、ウルの前にたどり着く前に、足元にぽっかりと開いた奈落への入口へと吸い込まれていった。
 断末魔が長く、長く、聞こえたが、落下が終わった音は最後まで聞こえなかった。

「罠の位置くらい把握しておけよ、若造」
 激戦を潜り抜けたウルは、いつもの調子に戻って軽口を叩いた。


 ――――

 先に進んだ広間には、仰々しいほど立派な宝箱が鎮座していた。
 当然、周囲には一つ間違うとすぐさま死につながる罠が多数ある。

 ウルは、先ほどの戦闘とは比べ物にならないほどの集中力を持って、罠に挑んだ。
 微かな兆しを感じ取り、罠の連動を想像し、決して焦らず、一つ一つ解除していく。

 そして、最後の罠を外し、開錠し、宝箱を開けた瞬間、次の階層への入口が開く音が聞こえた。


「今、次の階層への入口が開きました」
 すぐにハーシマの声が頭の中に聞こえてきて、ナシャのコインも二回震えた。
 どうやら、三人の道を開くのがウルの役割だったようだ。

 自分のコインを二回叩き、宝箱の中を確認してみると、漆黒の薄板でできた金属鎧が入っていた。
 持ってみると、自分が今着ている革鎧よりも軽く、そして堅牢だと思えた。

 ハーシマに魔力鑑定をしてもらうまでは身に着けないが、おそらくかなりの値打ちものだと感じられた。
 それを背負い袋の端に引っかけ、ウルは立ち上がった。

「しかし、潜魔窟もずいぶんと手の込んだ動揺を誘うような仕掛けをしてきやがる。俺はもう、あいつらとは縁が切れたんだよ」

 無感情な眼差しのウルの呟きは、潜魔窟に吸い込まれるように消えていった。



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