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第六章
奇妙なお茶会
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夏の午後を少しまわった頃。真昼の熱気はようやく和らぎ、窓から射し込む光は金色にやわらぎはじめていた。白いレースのカーテンを透かした日差しが床に細かな斑を描き、開け放たれた窓から吹き込む風が、ミントやローズマリーの爽やかな香りを運んでくる。
セラの私室は、王妃の居所にしてはこぢんまりとしていた。重厚な装飾はなく、落ち着いた木のテーブルと椅子が中央に置かれている。壁際の棚に据えられた東方の名窯による青磁の水差しや、壁に掛けられた太陽神ソレイユを讃える古の聖句を織り込んだタペストリー、そして精緻な写本が並ぶ本棚は、目利きならば驚嘆を禁じ得ない逸品ばかりだった。
招かれた三人の令嬢――いずれも騎士の家の娘――は、意外なほど質素な部屋に一瞬驚き、背筋を硬くしたまま椅子に腰を下ろした。薄絹の袖が小さく震え、茶色や黒の瞳が不安げに揺れる。
セラは彼女たちの様子を見やり、穏やかに口を開いた。
「王妃の間にしては飾り気がなくて、驚かれたのではなくて?」
冗談めかした声音に、栗毛の娘が慌てて手を振る。
「い、いえ! とても落ち着いたお部屋ですわ。まるで祖母の応接間のようで……あっ、申し訳ございません!」
「ふふ、よろしいのよ。実は豪奢な王妃の間があるのだけど、私はこの部屋が性に合うので、こちらを主に使っているの」
黒髪の娘が目を輝かせる。
「けれど、エルダリス王国のソレイユ神殿はもっと豪奢だと聞きました」
「外から見る分にはそうかもしれませんね。けれど聖女の私室は、この部屋よりさらに簡素でしたの」
三人は目を丸くする。セラは青い瞳を細め、そっと笑んだ。
そのとき、赤毛を結い上げたリゼットが静かに盆を運び、茶を注いだ。湯気とともに立ちのぼるミントと柑橘の香りが部屋を満たし、娘たちの緊張をほぐしていく。
ひとりは薬草の話をし、もう一人は弟妹の世話を楽しげに語り、学び好きの娘は古い伝承を朗々と語った。セラは耳を傾けながら、仕草や声の調子に彼女たちの誠実さを見極めようとした。
その和やかな空気を破るように、扉が勢いよく開かれた。
「まあ、こちらにおられたのですね!」
華やかな声とともに、ガストン卿の娘オリヴィアが姿を現した。地味な焦茶の生地で仕立てられた訪問着をまとっているが、裾や袖に縫い込まれた繊細なレースと幾重ものリボンが地味な色合いをかえって引き立てる。淡い金髪が波打ち、彼女の周囲だけが舞踏会のように明るく見えた。
「突然のご無礼、どうかお許しくださいませ」
オリヴィアはそう言うや、裾を払ってセラの足元に膝をついた。
「先日の園遊会で、妃殿下をお守りせず逃げるという愚行をいたしました。ずっと心にかかっておりまして、お許しを乞いたく参上しました」
セラが「お気になさらずに」と口を開こうとした瞬間、オリヴィアは従者に目配せした。黒漆の箱が恭しく運ばれ、卓上に置かれる。蓋が開くと、室内が一層明るくなったかのように輝きがあふれた。
中央に大粒のサファイア、その周囲に細かなダイヤを散りばめた豪奢なネックレス。セラの瞳と同じ青が光を受けて瞬き、三人の令嬢は思わず息を呑み、目を丸くした。
「妃殿下の御瞳にぴったりですわ。父もぜひお納めいただきたいと」
オリヴィアは笑みを浮かべる。
セラは一瞬まばたきし、やわらかな笑みをたたえて答えた。
「まあ……ありがたいお心遣いですこと。けれど、これはきっと貴女にこそ似合いますわ」
彼女は箱をそっと押し戻した。だがオリヴィアは首を振る。
「そんな……わたくしが持ち帰れば、父に叱責されてしまいます。どうか妃殿下のお手元に」
セラは柔らかな声で告げた。
「それでは、こういたしましょう。いったん私が受け取ります。そして改めて、わたくしから貴女へ差し上げる。王妃からの贈り物を、お断りにはならないでしょう?」
オリヴィアの笑顔がわずかに強張ったが、すぐにまた艶やかな笑みを咲かせた。
「まあ、妃殿下のご厚情に感激いたしました。心より御礼申し上げます!」
オリヴィアが大げさに声を張り上げた時、リゼットが、そっと椅子を運んできた。
「どうぞお座りになって、オリヴィア」
セラの進められるがまま、オリヴィアは椅子に腰を下ろした。三人の令嬢は依然としてネックレスの輝きから目が離れず、言葉を失っていた。
セラは場を整えるように声を上げた。
「では、先ほどの伝承のお話、続きを聞かせてくださいな」
学び好きの娘が慌てて本を開き、朗読を始める。だが部屋の空気は、奇妙な緊張が漂っていた。
(思った以上に骨の折れるお茶会になったこと。けれど、必ずふさわしい女性を見つけてみせます)
夏の陽が傾き、青い瞳を令嬢達に注ぎ、セラは静かに朗読に耳を傾けるふりをした。
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セラの私室は、王妃の居所にしてはこぢんまりとしていた。重厚な装飾はなく、落ち着いた木のテーブルと椅子が中央に置かれている。壁際の棚に据えられた東方の名窯による青磁の水差しや、壁に掛けられた太陽神ソレイユを讃える古の聖句を織り込んだタペストリー、そして精緻な写本が並ぶ本棚は、目利きならば驚嘆を禁じ得ない逸品ばかりだった。
招かれた三人の令嬢――いずれも騎士の家の娘――は、意外なほど質素な部屋に一瞬驚き、背筋を硬くしたまま椅子に腰を下ろした。薄絹の袖が小さく震え、茶色や黒の瞳が不安げに揺れる。
セラは彼女たちの様子を見やり、穏やかに口を開いた。
「王妃の間にしては飾り気がなくて、驚かれたのではなくて?」
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「い、いえ! とても落ち着いたお部屋ですわ。まるで祖母の応接間のようで……あっ、申し訳ございません!」
「ふふ、よろしいのよ。実は豪奢な王妃の間があるのだけど、私はこの部屋が性に合うので、こちらを主に使っているの」
黒髪の娘が目を輝かせる。
「けれど、エルダリス王国のソレイユ神殿はもっと豪奢だと聞きました」
「外から見る分にはそうかもしれませんね。けれど聖女の私室は、この部屋よりさらに簡素でしたの」
三人は目を丸くする。セラは青い瞳を細め、そっと笑んだ。
そのとき、赤毛を結い上げたリゼットが静かに盆を運び、茶を注いだ。湯気とともに立ちのぼるミントと柑橘の香りが部屋を満たし、娘たちの緊張をほぐしていく。
ひとりは薬草の話をし、もう一人は弟妹の世話を楽しげに語り、学び好きの娘は古い伝承を朗々と語った。セラは耳を傾けながら、仕草や声の調子に彼女たちの誠実さを見極めようとした。
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「妃殿下の御瞳にぴったりですわ。父もぜひお納めいただきたいと」
オリヴィアは笑みを浮かべる。
セラは一瞬まばたきし、やわらかな笑みをたたえて答えた。
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彼女は箱をそっと押し戻した。だがオリヴィアは首を振る。
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オリヴィアの笑顔がわずかに強張ったが、すぐにまた艶やかな笑みを咲かせた。
「まあ、妃殿下のご厚情に感激いたしました。心より御礼申し上げます!」
オリヴィアが大げさに声を張り上げた時、リゼットが、そっと椅子を運んできた。
「どうぞお座りになって、オリヴィア」
セラの進められるがまま、オリヴィアは椅子に腰を下ろした。三人の令嬢は依然としてネックレスの輝きから目が離れず、言葉を失っていた。
セラは場を整えるように声を上げた。
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学び好きの娘が慌てて本を開き、朗読を始める。だが部屋の空気は、奇妙な緊張が漂っていた。
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