老聖女の政略結婚

那珂田かな

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第八章

試練

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 王宮内は、息を潜めたように静まり返っていた。
 蝋燭の灯がわずかに揺れ、長い影が壁を這う。
 エドモンドは王妃の寝室の隣、私室の机に向かい、掌の中の一通の手紙を見つめていた。
 その封筒には、淡い筆跡で――「エドモンドへ」と記されている。
 王の毒殺事件について書かれた、セラの手紙だった。

 迷っている時間はない。
 エドモンドは立ち上がり、自らリゼットを呼ぶ。

 侍女リゼットは訝しげに王の前に立つ。看病の疲れを隠しきれぬ顔であったが、その瞳には確かな意志が宿っている。
 エドモンドは、声を落として言った。
 「これを読んでほしい。――すぐにだ」
 小声でそう言い、手紙を手渡す。
 リゼットは一瞬ためらい、しかし王の視線の強さに抗えず、震える指で封を開けた。

 蝋燭の炎が紙面を照らす。
 セラの筆跡は、いつものように静かで揺るぎなかった。
 ――王が毒に倒れたとき、私は一つのことに気づきました。
 ――それが憶測であれば、貴方を苦しめるだけでしょう。
 ――けれど、もしそれが事実であるなら、放ってはおけません。
 ――陛下、ご自身の目で見極めてください。

 読み終えたリゼットは、唇を噛んで沈黙した。
 やがて小さく息を吐き、頭を下げる。
 「……妃殿下は、陛下に真実を託されたのですね」
 「そうだ」
 エドモンドの声は低く沈んでいた。
 「私は見極めねばならぬ。彼女のために――そしてこの国のために」
 「どうなさるおつもりですか」
 「確かめる。だが、それには人の目を避けねばならん。今夜、医師たちを下がらせ、私とお前で看病を続けることにしよう」
 「……承知いたしました」

 短い沈黙のあと、リゼットが言った。
 「陛下。もし妃殿下が命を賭して神と契約ななさったのだとすれば、それはお止めできぬ御覚悟の上です。ですが……真実を見極めるお手伝いは、必ず」
 その真っすぐな眼差しに、エドモンドはかすかに息を呑む。
 「ありがとう、リゼット。――頼む」

 二人は短く頷き合った。
 それは王と臣下ではなく、一人の忠義を試す男と忠義の女としての約束だった。

 やがて夜半。
 エドモンドはまだセラの私室にいた。
 医師たちは命を受けて退き、部屋の中は蝋燭の燃える音だけが響く。
 隣ではリゼットが看病を続けていた。

 静けさを破るように、扉が叩かれる。
 「陛下、失礼いたします」
 現れたのは、王の腹心の騎士。榛色の瞳が柔らかく光る。
 銀の杯を手に、恭しく膝を折った。
 「侍医よりの薬でございます。どうか今夜は少しでもお休みを」
 「セラが目覚めるまで休む気はない」
 それでもエドモンドは杯を受け取った。
 液体は淡い琥珀色。香草のような甘みとともに、ほのかな苦味が舌に広がる。

 「すぐに楽になります」
 その声が遠のいていく。
 次第にまぶたが重くなり、視界が霞んだ。
 「……ラファ、エル……」
 呟きを最後に、エドモンドは椅子にもたれ、静かに眠りへと落ちた。

 騎士はその姿をしばらく見つめ、動かない。
 やがて杯を持ち直し、もう一つの扉へと向かう――王妃の寝室である。

 中では、リゼットが看病を続けていた。
 セラの手を握り、時折その名を呼んでいる。
 「リゼット殿もお疲れでしょう。陛下のご命令で、あなたにも薬を」
 穏やかな声とともに、杯が差し出された。
 「……ありがとうございます」

 リゼットは深く頭を下げ、わずかに口をつけた。
 温かな甘みが広がり、すぐに瞼が重くなる。
 「……あ……」
 言葉を終える前に、彼女は静かに崩れ落ちた。

 そして寝台の方へ向かう。
 銀灰の髪が枕に広がり、セラは深い眠りの中にあった。
 男はただ無言でその姿を見つめた。
 蝋燭の灯が揺れ、影が二人を包む。
 やがて小さな声が漏れた。
 「……妃殿下。私はあなたに、謝らねばなりません」

 その言葉は、炎に呑まれ、闇へと沈んでいった。

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