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93.茶葉は踊る
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――こんなことをしている場合ではないと言うのに。
色とりどりなフリルやリボンで飾られたドレスに、意匠をこらした髪飾りや小物と言った華やかな衣装に身を包み、ひそひそとうわさ話に花が咲く貴族の集まる茶会。
その中でもひと際シンプルですっきりとしたドレスに身を包んだベルディエットは、出かけにあった出来事に頭を抱えて地団駄を踏みたい衝動を抱えている事を同じテーブルを囲んでいる貴人たちには悟られぬよう相槌を返し微笑んだ。
愚弟エドワルドが、ベルディエットの大事な友人であるシズクと日をまたいで出かけたのはつい先日。一緒に年越ししようというシズクからお誘いを受けた唯一の一人という事もあって、約束をした日から見かける度にそわそわして鬱陶しいぐらい楽しみにしていたのが伝わってきた。
当日は移動門を使ってリエインに向かい、日の出前後以外はリエイン邸で過ごすために執事長であるアステルにシズクが使う個室を準備させたり湯あみの予定を告げたりと大忙しの様子にベルディエットも一緒に行けない事を、誘われてもいないのに心底呪ったものだ。
そんなエドワルドが帰ってきた日。
ベルディエットは年初めの夜会に出かける前に、主催者とは大して仲も良くないが一緒に招待された友人の手前どうしても断り切れなかった茶会に向かうため、玄関ホールで馬車を待っていた。自分もシズクと食事をしながら気兼ねなくだらだらと話をしたかったのにとシズクに誘われてもいなかったというのに仏頂面がなおらぬベルディエットを見かね、父であるロイルドが出発まで話を聞いてくれていた。
ようやく腹の虫も治った頃ベルディエットを送る馬車が到着。同時にエドワルドも家に帰ってきた。
話を聞きたかったが馬車も来た事だし、帰ってからエドワルド聞くことにして挨拶そこそこ馬車に向けて歩き出すと、すぐ後ろからロイルドとエドワルドの会話が聞こえた。
「父上」
「おぉ、良く帰ったな。シズクも元気にしていたか?リグやエリスも会えたかのか?」
最近忙しくてベルタ家に遊びに行く時間が捻出できなかったようで、リグやエリスの事も気になるようだ。しかし陽気に話しかけるロイルドと同じように、エドワルドもの声も楽し気だ。正直はらわたが煮えくり返るわっと思って馬車を待たせてしまうが二人を振り返った。
「はい。お二人共お元気そうでした。シズクももちろん元気……でした」
そう言って、エドワルドはロイルドから少し視線を外し、何度か自分の手をグーパーグーパーと握ったり開いたりしている。
いつもは快活なエドワルドの謎の言い淀みに、ロイルドは若干不思議に思いながらも話し始めるのをじっと待っている。
ようやく口を開いたかと思うと、意を決したような一言を発した。
「近いうち、シズクに、求婚しようと思っています」
――は?
ロイルドが大きく目を見開いているのが見える。
自分の顔を見ることは出来ないしもしかしたら聞き間違えかもしれないのだが、それでもベルディエットと同じ気持ちで驚愕に目を開いているようだ。
――その前に、まだお付き合いもしていなくない??
一足飛びに結婚するのは他国の貴族であればなくもないだろうが、このユリシスでは貴族や裕福な商家でも半年から一年婚約期間を経て結婚するのが一般的だ。一般市民であれば婚約と言うよりもどちらかが愛の告白をして受け入れてもらえればお付き合いが始まり、それぞれのタイミングで共に生きていくことを誓い、結婚に至る。
あのエドワルドもそんなことは百も承知だと思うのだが、急に求婚するといいだすとは。
「もちろん……」
「お嬢様、出発のお時間は過ぎております。お急ぎくださいませ」
エドワルドが何かをロイルドに話しかけようとする小さく聞こえたその言葉をなんとか耳に入れたベルディエットに、御車の声が丁度重なってかき消され、ぐいぐいと馬車に追いやられる。
馬車に入る直前にちらりと見えた父ロイルドの微笑みの理由が、声が聞こえないだけに余計に気になる。
「ちょっと、お待ちなさい! 私あの話の続きを聞かなくては、落ち着いて茶会などに参加できませんわ!」
「そのようなことおっしゃらず。お帰りになりましたら存分にお聞きになればよろしい。ただでさえ時間が押しております故、お急ぎくださいませ」
「い、や、で、すっ!」
頑張って馬車に乗り込むのを嫌がってみてもしかしその望みは叶うことなく、ひょいっと執事に馬車に乗せられて今に至る。
思い出すとどうしても気になって今にも席を立ってしまいそうなので、なんとか落ち着かせるために先ほど出てきた紅茶を口に含んだ。
今日出てくるお茶の中で最高級の茶葉を使用した大変珍しい紅茶だと自慢していた家人だったが、煮出し過ぎたのかとても苦くて渋い。香りも、残念だが苦みが勝ちすぎてあまり感じられない。眉根にしわが寄るのを誤魔化すように一緒に出てきた茶菓子で一度口をリセットして別の飲み物を持ってきてもらうか思案していると、ベルディエットの横に誰かがやってきて立ち止まった。
「ご機嫌いかがです? ベルディエット嬢」
紅茶が存外渋くて出来てしまった眉間に寄る皺を隠さなくても良い相手であると、その聞き覚えのある声のする方へ手を伸ばす。
「えぇ、とても楽しくお話しておりましたの。おしゃべりに夢中になってしまって少し疲れてしまいましたわ」
「では、少し休まれますか?」
そっと手が伸びてきて、ベルディエットはその手に自分の手を重ねる。
手を取れば、会場にいる女性貴族の目がぎらりとベルディエットに向いたのが分かった。
「ありがとう存じます。シャイロン殿下」
事もなさげに優雅に微笑み、共にテーブルから離れグラスを受け取り部屋の少し奥まった窓の前にあるバーテーブルに陣取る。
興味津々で二人の動向を見ていたのが丸わかりで、ベルディエットが周りに目をやると露骨に視線を外してくる。
「本当に、面倒なのですわ……」
「君、何しに来たの? あまり仲がいいとは言えないご令嬢の茶会に参加するなんて」
「理由があるのですわ」
今日どうしても今日参加している懇意にしている令嬢からも誘われ、どうしても断り切れなかったのですわと力いっぱい、でも周りにはできる限り聞こえないぐらいの小声でシャイロンに憎々しいと語れば、なんとも気の抜けたような苦笑いをして肩をすくめる。
「まぁそう言ったお付き合いも、貴族には必要ですからね」
「わかっていますわ」
「それはそうと、今日は珍しくおちつきがありませんね。何かご心配事でも?」
「そうなのです。私、このようなところで美味しくもないお茶を飲んで、大して実にもならない会話に相槌を打っている暇などないのですわ。早く家に帰らないと……」
普段はそんなことはないのに早口でまくし立てるベルディエットに、シャイロンは若干驚いた表情をしつつさらに話に耳を傾けてる。
「こちらに向かう前に、エドワルドが父と話をしていたその続きが気になって、私、水も喉を通りませんわ」
そう言って手に持ったグラスを一気に飲み干す。
中身は水ではなく、ノンアルコールのワインだったが、水も喉を通らないと言ったそばからその飲みっぷりとは、と思わず笑いが出てしまいそうになるのをこらえ、シャイロンはベルディエットに尋ねた。
「エドワルドがなにかあった?」
ここにきてもったいぶったつもりではないのだが、さすがに求婚するしないなどという話をおいそれと当事者でもないのに話すつもりはない。というか求婚しようと思っていますと聞こえたが、それをしっかり聞いたわけでもなくすべてはまだ『そう聞こえた……と思う』みたいなふわふわした内容なのだ。
そしてそのふわふわとした気になる内容を、今すぐ家に帰って確かめたいのだ。
「ちょっと出かけに気になる事がございまして……。エドワルドにちゃんと確認して聞かなくてはいけないのです。それはもう気になりすぎてしまって、あまり来たくもなかったせいかこの会に集中することが出来ないのです」
間違ったことも言っていないけれども、何となく真綿に包んだようにやんわりとこれ以上踏み込んで聞いてくれるなと言った風情でベルディエットが答えれば、そうなんですね、とたくらみ顔で微笑み返される。
「ちょっと、何か面白そうな感じがしますね……。でもこの会は始まったばかりでまだ流石にお暇することは難しいでしょう。あぁ、そうだ。この茶会のお茶があまりにも美味しくなかったので、時間つぶしに私が淹れて差し上げましょう」
さっと手を挙げて給仕を呼ぶと、お湯は沸かし過ぎに注意して、ポットは温めて、茶葉は……と持ってきてもらいたいものを手早く指示する。メモを取ることなく一つ一つ丁寧に頷いて、給仕はすぐにお持ちしますと足早にテーブルから離れ、本当にすぐにティーワゴンが現れた。
「ありがとう。助かるよ」
給仕に礼を告げ、さっそく準備に取り掛かった。
ポットにかぶせてあったティーコジーを取ると、中から透明なガラスでできたティーポットがお目見えした。温めてあっただけで中にお湯は入ってない。茶葉の入っている缶の香りを嗅ぎ、ティースプーンに大盛で三杯ポットに入れた。
「葉が多いのではないかしら?」
「いえいえ、二人分であればこんなものですよ」
ベルディエットからしたら少し少なく見えたのが、自信満々に微笑んでシャイロンは勢いよく高い所からお湯をポットに注ぎ入れた。
「まぁ! 茶葉が踊っているようですわ」
「茶葉がポットの中で良く動くと美味しくなると言われているのですよ。さて、このまま少し待ちます」
ポットの中で舞い踊る茶葉をベルディエットが楽しそうに見ているその間に、別に用意していた陶器のカップとティーポットをシャイロンは準備し始めた。
「こちらにもお湯を入れるのですね」
「えぇ、カップもこちらのポットも温めておきます。そろそろ頃合いでしょうか」
ティーコジーを開けると先ほど舞い踊っていた茶葉が落ち着いて、水色は少し薄く見える紅茶の色だが透明感があって、ベルディエットには輝いているように見えた。
シャイロンは温めていたカップとティーポットの湯を捨て、手慣れた様子で濾し器を手にしてカップに注ぎ入れる。香りは先ほどと段違いにその水色同様に雑味を感じられない華やかな香りである。
二杯分を注ぎ入れた後、残った分は陶器のポットに注ぎ入れ冷めないようにティーコジーを被せるとようやくシャイロンはベルディエットに茶を勧めた。
「ミルクはお入れになりますか? 一応準備してもらったのでもしよかったら試してみて」
「えぇ、まずはこのままいただきますわね」
温かく包み込むような優しい香りは何だろうと疑問に思いながら、こくりと一口、口に含むとふわりと香る香りの奥にほんのりとミーロンの甘みを感じられた。
透明な水色のように雑味や渋みはなく、砂糖を入れなくとも十分楽しめる逸品である。
「こんなに完成されたの見方があったとは、私知りませんでしたわ……。とても美味しい」
「先ほど出てきたものと同じ茶葉なんですがね」
「あのしっぶしぶの苦々しい紅茶と同じものですの!?」
「ほんの少し香り付けで乾燥したミーロンが入っている、珍しいものなのですよ」
驚いて大きな声を出してしまう。
急いで口を押えて、何もなかったかのように少し小さめの声でシャイロンに「本当ですの?」と話しかければ、「えぇ。食事と一緒で味付けが濃すぎても美味しくないのと一緒ですね」といたずらっ子が内緒話をするようにさらに小さな声でベルディエットに返した。
「シャイロン様はこのお茶の淹れ方はどこで習ったのですか?」
「習ったと言うか、以前シズクに聞いたことがあってそれを自分なりに実践しただけで……」
つい紅茶の淹れ方に見とれ、美味しい紅茶に舌鼓を打っていたがベルディエットだったが、シズクの名前を聞いてハッと思い出した。そう。ちょっと早く帰りたかったのだと。
しかし、目の前にある美味しそうなお茶を飲まずに帰るわけにもいかない……、とカップの香りを嗅ぎながらそんなことを考えているのだろうと思うような百面相を見せるベルディエットに、シャイロンは笑いをこらえるのに精一杯だ。そんなシャイロンに些か腹が立ってくる。
「!! そんなにお笑いにならなくてもいいのでは?」
「あなたの百面相が面白くて……。ほら、踊る茶葉に心を落ち着けて紅茶を楽しんでください。二杯ほどの時間を私と過ごせば、この茶会への参加義務は果たせるでしょう」
「確かに……。ゆっくりと動く葉の動きは、なんだか心が穏やかになるような気がしますわ。あなたに借りが出来たようで癪ですけれどもっ」
笑いで震えそうになる声を押さえてシャイロンがなんとかそれだけ絞り出すと、確かにこの美味しそうなお茶には罪はないと、ほんのりとミーロンの香りを感じることのできる紅茶をエドワルドの件についてシャイロンに愚痴りながらも、美味しい紅茶の効果なのかゆったりとした心持ちで二杯飲み干す。
焦燥に駆られてこの会場に来た時とはうって変わって、心はまだ少し急いではいるけれどゆっくり踊る様に舞っていた茶葉をみて、ほんの少しだけゆとりが出来たような気がする。
出来れば私も一緒に行きたかったけれどそうもいかないですねと残念そうに手を振るシャイロンに見送られて、ベルディエットは颯爽と軽やかなステップを踏んで馬車に乗り込み、茶会を後にしたのであった。
色とりどりなフリルやリボンで飾られたドレスに、意匠をこらした髪飾りや小物と言った華やかな衣装に身を包み、ひそひそとうわさ話に花が咲く貴族の集まる茶会。
その中でもひと際シンプルですっきりとしたドレスに身を包んだベルディエットは、出かけにあった出来事に頭を抱えて地団駄を踏みたい衝動を抱えている事を同じテーブルを囲んでいる貴人たちには悟られぬよう相槌を返し微笑んだ。
愚弟エドワルドが、ベルディエットの大事な友人であるシズクと日をまたいで出かけたのはつい先日。一緒に年越ししようというシズクからお誘いを受けた唯一の一人という事もあって、約束をした日から見かける度にそわそわして鬱陶しいぐらい楽しみにしていたのが伝わってきた。
当日は移動門を使ってリエインに向かい、日の出前後以外はリエイン邸で過ごすために執事長であるアステルにシズクが使う個室を準備させたり湯あみの予定を告げたりと大忙しの様子にベルディエットも一緒に行けない事を、誘われてもいないのに心底呪ったものだ。
そんなエドワルドが帰ってきた日。
ベルディエットは年初めの夜会に出かける前に、主催者とは大して仲も良くないが一緒に招待された友人の手前どうしても断り切れなかった茶会に向かうため、玄関ホールで馬車を待っていた。自分もシズクと食事をしながら気兼ねなくだらだらと話をしたかったのにとシズクに誘われてもいなかったというのに仏頂面がなおらぬベルディエットを見かね、父であるロイルドが出発まで話を聞いてくれていた。
ようやく腹の虫も治った頃ベルディエットを送る馬車が到着。同時にエドワルドも家に帰ってきた。
話を聞きたかったが馬車も来た事だし、帰ってからエドワルド聞くことにして挨拶そこそこ馬車に向けて歩き出すと、すぐ後ろからロイルドとエドワルドの会話が聞こえた。
「父上」
「おぉ、良く帰ったな。シズクも元気にしていたか?リグやエリスも会えたかのか?」
最近忙しくてベルタ家に遊びに行く時間が捻出できなかったようで、リグやエリスの事も気になるようだ。しかし陽気に話しかけるロイルドと同じように、エドワルドもの声も楽し気だ。正直はらわたが煮えくり返るわっと思って馬車を待たせてしまうが二人を振り返った。
「はい。お二人共お元気そうでした。シズクももちろん元気……でした」
そう言って、エドワルドはロイルドから少し視線を外し、何度か自分の手をグーパーグーパーと握ったり開いたりしている。
いつもは快活なエドワルドの謎の言い淀みに、ロイルドは若干不思議に思いながらも話し始めるのをじっと待っている。
ようやく口を開いたかと思うと、意を決したような一言を発した。
「近いうち、シズクに、求婚しようと思っています」
――は?
ロイルドが大きく目を見開いているのが見える。
自分の顔を見ることは出来ないしもしかしたら聞き間違えかもしれないのだが、それでもベルディエットと同じ気持ちで驚愕に目を開いているようだ。
――その前に、まだお付き合いもしていなくない??
一足飛びに結婚するのは他国の貴族であればなくもないだろうが、このユリシスでは貴族や裕福な商家でも半年から一年婚約期間を経て結婚するのが一般的だ。一般市民であれば婚約と言うよりもどちらかが愛の告白をして受け入れてもらえればお付き合いが始まり、それぞれのタイミングで共に生きていくことを誓い、結婚に至る。
あのエドワルドもそんなことは百も承知だと思うのだが、急に求婚するといいだすとは。
「もちろん……」
「お嬢様、出発のお時間は過ぎております。お急ぎくださいませ」
エドワルドが何かをロイルドに話しかけようとする小さく聞こえたその言葉をなんとか耳に入れたベルディエットに、御車の声が丁度重なってかき消され、ぐいぐいと馬車に追いやられる。
馬車に入る直前にちらりと見えた父ロイルドの微笑みの理由が、声が聞こえないだけに余計に気になる。
「ちょっと、お待ちなさい! 私あの話の続きを聞かなくては、落ち着いて茶会などに参加できませんわ!」
「そのようなことおっしゃらず。お帰りになりましたら存分にお聞きになればよろしい。ただでさえ時間が押しております故、お急ぎくださいませ」
「い、や、で、すっ!」
頑張って馬車に乗り込むのを嫌がってみてもしかしその望みは叶うことなく、ひょいっと執事に馬車に乗せられて今に至る。
思い出すとどうしても気になって今にも席を立ってしまいそうなので、なんとか落ち着かせるために先ほど出てきた紅茶を口に含んだ。
今日出てくるお茶の中で最高級の茶葉を使用した大変珍しい紅茶だと自慢していた家人だったが、煮出し過ぎたのかとても苦くて渋い。香りも、残念だが苦みが勝ちすぎてあまり感じられない。眉根にしわが寄るのを誤魔化すように一緒に出てきた茶菓子で一度口をリセットして別の飲み物を持ってきてもらうか思案していると、ベルディエットの横に誰かがやってきて立ち止まった。
「ご機嫌いかがです? ベルディエット嬢」
紅茶が存外渋くて出来てしまった眉間に寄る皺を隠さなくても良い相手であると、その聞き覚えのある声のする方へ手を伸ばす。
「えぇ、とても楽しくお話しておりましたの。おしゃべりに夢中になってしまって少し疲れてしまいましたわ」
「では、少し休まれますか?」
そっと手が伸びてきて、ベルディエットはその手に自分の手を重ねる。
手を取れば、会場にいる女性貴族の目がぎらりとベルディエットに向いたのが分かった。
「ありがとう存じます。シャイロン殿下」
事もなさげに優雅に微笑み、共にテーブルから離れグラスを受け取り部屋の少し奥まった窓の前にあるバーテーブルに陣取る。
興味津々で二人の動向を見ていたのが丸わかりで、ベルディエットが周りに目をやると露骨に視線を外してくる。
「本当に、面倒なのですわ……」
「君、何しに来たの? あまり仲がいいとは言えないご令嬢の茶会に参加するなんて」
「理由があるのですわ」
今日どうしても今日参加している懇意にしている令嬢からも誘われ、どうしても断り切れなかったのですわと力いっぱい、でも周りにはできる限り聞こえないぐらいの小声でシャイロンに憎々しいと語れば、なんとも気の抜けたような苦笑いをして肩をすくめる。
「まぁそう言ったお付き合いも、貴族には必要ですからね」
「わかっていますわ」
「それはそうと、今日は珍しくおちつきがありませんね。何かご心配事でも?」
「そうなのです。私、このようなところで美味しくもないお茶を飲んで、大して実にもならない会話に相槌を打っている暇などないのですわ。早く家に帰らないと……」
普段はそんなことはないのに早口でまくし立てるベルディエットに、シャイロンは若干驚いた表情をしつつさらに話に耳を傾けてる。
「こちらに向かう前に、エドワルドが父と話をしていたその続きが気になって、私、水も喉を通りませんわ」
そう言って手に持ったグラスを一気に飲み干す。
中身は水ではなく、ノンアルコールのワインだったが、水も喉を通らないと言ったそばからその飲みっぷりとは、と思わず笑いが出てしまいそうになるのをこらえ、シャイロンはベルディエットに尋ねた。
「エドワルドがなにかあった?」
ここにきてもったいぶったつもりではないのだが、さすがに求婚するしないなどという話をおいそれと当事者でもないのに話すつもりはない。というか求婚しようと思っていますと聞こえたが、それをしっかり聞いたわけでもなくすべてはまだ『そう聞こえた……と思う』みたいなふわふわした内容なのだ。
そしてそのふわふわとした気になる内容を、今すぐ家に帰って確かめたいのだ。
「ちょっと出かけに気になる事がございまして……。エドワルドにちゃんと確認して聞かなくてはいけないのです。それはもう気になりすぎてしまって、あまり来たくもなかったせいかこの会に集中することが出来ないのです」
間違ったことも言っていないけれども、何となく真綿に包んだようにやんわりとこれ以上踏み込んで聞いてくれるなと言った風情でベルディエットが答えれば、そうなんですね、とたくらみ顔で微笑み返される。
「ちょっと、何か面白そうな感じがしますね……。でもこの会は始まったばかりでまだ流石にお暇することは難しいでしょう。あぁ、そうだ。この茶会のお茶があまりにも美味しくなかったので、時間つぶしに私が淹れて差し上げましょう」
さっと手を挙げて給仕を呼ぶと、お湯は沸かし過ぎに注意して、ポットは温めて、茶葉は……と持ってきてもらいたいものを手早く指示する。メモを取ることなく一つ一つ丁寧に頷いて、給仕はすぐにお持ちしますと足早にテーブルから離れ、本当にすぐにティーワゴンが現れた。
「ありがとう。助かるよ」
給仕に礼を告げ、さっそく準備に取り掛かった。
ポットにかぶせてあったティーコジーを取ると、中から透明なガラスでできたティーポットがお目見えした。温めてあっただけで中にお湯は入ってない。茶葉の入っている缶の香りを嗅ぎ、ティースプーンに大盛で三杯ポットに入れた。
「葉が多いのではないかしら?」
「いえいえ、二人分であればこんなものですよ」
ベルディエットからしたら少し少なく見えたのが、自信満々に微笑んでシャイロンは勢いよく高い所からお湯をポットに注ぎ入れた。
「まぁ! 茶葉が踊っているようですわ」
「茶葉がポットの中で良く動くと美味しくなると言われているのですよ。さて、このまま少し待ちます」
ポットの中で舞い踊る茶葉をベルディエットが楽しそうに見ているその間に、別に用意していた陶器のカップとティーポットをシャイロンは準備し始めた。
「こちらにもお湯を入れるのですね」
「えぇ、カップもこちらのポットも温めておきます。そろそろ頃合いでしょうか」
ティーコジーを開けると先ほど舞い踊っていた茶葉が落ち着いて、水色は少し薄く見える紅茶の色だが透明感があって、ベルディエットには輝いているように見えた。
シャイロンは温めていたカップとティーポットの湯を捨て、手慣れた様子で濾し器を手にしてカップに注ぎ入れる。香りは先ほどと段違いにその水色同様に雑味を感じられない華やかな香りである。
二杯分を注ぎ入れた後、残った分は陶器のポットに注ぎ入れ冷めないようにティーコジーを被せるとようやくシャイロンはベルディエットに茶を勧めた。
「ミルクはお入れになりますか? 一応準備してもらったのでもしよかったら試してみて」
「えぇ、まずはこのままいただきますわね」
温かく包み込むような優しい香りは何だろうと疑問に思いながら、こくりと一口、口に含むとふわりと香る香りの奥にほんのりとミーロンの甘みを感じられた。
透明な水色のように雑味や渋みはなく、砂糖を入れなくとも十分楽しめる逸品である。
「こんなに完成されたの見方があったとは、私知りませんでしたわ……。とても美味しい」
「先ほど出てきたものと同じ茶葉なんですがね」
「あのしっぶしぶの苦々しい紅茶と同じものですの!?」
「ほんの少し香り付けで乾燥したミーロンが入っている、珍しいものなのですよ」
驚いて大きな声を出してしまう。
急いで口を押えて、何もなかったかのように少し小さめの声でシャイロンに「本当ですの?」と話しかければ、「えぇ。食事と一緒で味付けが濃すぎても美味しくないのと一緒ですね」といたずらっ子が内緒話をするようにさらに小さな声でベルディエットに返した。
「シャイロン様はこのお茶の淹れ方はどこで習ったのですか?」
「習ったと言うか、以前シズクに聞いたことがあってそれを自分なりに実践しただけで……」
つい紅茶の淹れ方に見とれ、美味しい紅茶に舌鼓を打っていたがベルディエットだったが、シズクの名前を聞いてハッと思い出した。そう。ちょっと早く帰りたかったのだと。
しかし、目の前にある美味しそうなお茶を飲まずに帰るわけにもいかない……、とカップの香りを嗅ぎながらそんなことを考えているのだろうと思うような百面相を見せるベルディエットに、シャイロンは笑いをこらえるのに精一杯だ。そんなシャイロンに些か腹が立ってくる。
「!! そんなにお笑いにならなくてもいいのでは?」
「あなたの百面相が面白くて……。ほら、踊る茶葉に心を落ち着けて紅茶を楽しんでください。二杯ほどの時間を私と過ごせば、この茶会への参加義務は果たせるでしょう」
「確かに……。ゆっくりと動く葉の動きは、なんだか心が穏やかになるような気がしますわ。あなたに借りが出来たようで癪ですけれどもっ」
笑いで震えそうになる声を押さえてシャイロンがなんとかそれだけ絞り出すと、確かにこの美味しそうなお茶には罪はないと、ほんのりとミーロンの香りを感じることのできる紅茶をエドワルドの件についてシャイロンに愚痴りながらも、美味しい紅茶の効果なのかゆったりとした心持ちで二杯飲み干す。
焦燥に駆られてこの会場に来た時とはうって変わって、心はまだ少し急いではいるけれどゆっくり踊る様に舞っていた茶葉をみて、ほんの少しだけゆとりが出来たような気がする。
出来れば私も一緒に行きたかったけれどそうもいかないですねと残念そうに手を振るシャイロンに見送られて、ベルディエットは颯爽と軽やかなステップを踏んで馬車に乗り込み、茶会を後にしたのであった。
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ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
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