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99.手作り弁当
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「ふふ」
あの時のシズクの顔を思い出して、エドワルドは小さく笑った。
冗談だろうとは、思った。
ノリがいつもの感じだったからだ。
それにしてもあのびっくりした顔……。エドワルドは思い出すとまた小さく笑う。
シズクからしたら急な話で、そりゃ、びっくりもするよな。
卒倒してふらふらになって文字通り倒れてしまったシズクとはそれ以上話すことが出来ず、部屋で寝かせてかれ、一瞬だけ意識が浮上してきたシズクに聞こえていたかは分からないが答えはまた今度聞かせてと声をかけ、今日待っているというメモを置いてリグとエリスに挨拶をしてその日はおいとました。
嫌われているわけはないと言う自信はあった。出会ってから友人という関係から少しだけでも心が少しは淡く色づくくらいには思ってくれていると。
エドワルドは元々結婚を前提とした交際を申し込むつもりでこの数日準備していた。自分で準備した弁当を渡すことは出来なかったし、プレゼントに持って帰ってきた魚は仕事でたまたま巡り合った魚だったが、ピンときた通り結果的にはその魚で大喜びしてもらえたのだから問題はない。
そんなことを考えていれば、部屋の外から声をかけられる。
「お連れ様がいらっしゃいました」
「ありがとうございます」
エドワルドが立ち上がって声をかければ頭を下げた給仕係の男性が部屋を出ていくのと入れ替わりで、妙にきりっとした表情シズクが部屋に入ってきた。しかしたまにふと不安そうに瞳を揺らしている。まだまだ先日の出来事を思い出したり弁明したりしたいのだろう。目まぐるしく変わるシズクの百面相のシズクちょっと面白い。
「来てくれてありがとう。食事は二人で食べるの決めようと思ってまだ注文はしてないよ」
「ほ、ほんと?」
エドワルドが指定したこの店は、一般市民が少し頑張って記念日に予約するようなユリシスでは比較的老舗の人気店だ。その中に自分が作った物が混じっていたとしても……おかしくはない程度には創作料理も沢山あってこの店を選んだ。
「この間は……」
せっかく笑ってくれたのに思い出したようにきりっとした眼差しのシズクに、エドワルドはシズクの座る椅子を引いて座らせ、肩をぽんっと叩いた。
「まずは腹ごしらえしようよ。ここのお店きっとシズクも楽しめると思う」
反対側に座り直してエドワルドはメニューをシズクに見せるように開いた。まだこの国の文字は勉強中と言っていたのを聞いたことがあるので、一つ一つゆっくりとエドワルドは読み上げる。
先ほど面目ないとしょんぼりしていたシズクは、今や読み上げるエドワルドに前のめりになりながらふんふんと相槌を打ち、目知らぬ店の見知らぬメニューに興味津々目が釘付けだ。
「前から来てみたかったけど、敷居が高くてねー。メニュー名からは想像できない感じのもあって、ワクワクしちゃうね!」
「そうだね。食べられる量には限界があるから選ぶのが難しいね」
「うーん、うーん」
結局沢山ありすぎて逆に決めることが出来ず、いくつかあるコースの中から『シェフの気まぐれまみれ』というコース食事を頼むことに決め、アルコール低めのほんのりと甘いながらもすっきりした味わいの食前酒を口に含むと、シズクは開口一番頭を下げた。
「この前はごめんね。想定外というか凄くびっくりしちゃって……。面目次第もない……」
例えば数回断られても憎からず思ってくれているならばチャンスはあるはずで、初めはダメでもさらに距離を詰めつつ交際を申し込む予定だったエドワルドにしてみれば、びっくりして倒れてしまったぐらい想定外ではあったが大したことではない。
「あれ、なんか整理して文章化したらちょっと俺、あれだな……」
「ん? なんて??」
「え、なんでもない、なんでもない。うん。なんでもない」
しつこいと思われたとしても彼女しか欲しくないのだから、多少ちょっとしつこかったとしても距離を間違えないようにじっくりと詰めていくのが賢明だなとエドワルドは一人頷く。
出てきた料理はどれも名前の割には美しく盛り付けられた美味しい料理だ。
地獄から戻って来た赤のボルス キャロッテと共に。朝もやに煙るスキュラ。賑やかしにもほどがある。などなど、お任せコースはどれも字面強めのメニューであったが、味は間違いない。ただ、シズクの店の心ごと温かく包み込むような味に慣れ切ったエドワルドからすれば、どちらかと言わなくても好きな方は決まっている。
「今回はこのコースにしたけれど、次に来た時には何食べるか迷っちゃうね」
シズクは食べている間は考えることを放棄していたようで、出てきたメニューを見ては『ほうほう、そう言う事ですか』『かー! これそっちの意味!?』なんて楽しそうにしていたのに、急に次の食事の約束が取り付けられたことにエドワルドは安堵して大きく頷いた。
「そうだね」
「ランチもやってるならランチに来てもいいよね。絶対ランチ専用メニューあるとみた。あー、でもね。エドワルドとは他にも行きたいお店もあってね」
「うん、うん」
「ちょっと、本当に聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
シズクの表情に取り繕ったりしている様子はない。
自分に向けてくれるシズクのその思いが恋愛感情かは分からないけれど、次の約束どころかそれ以降の約束をこんなに楽しそうにしてくれるのだと思うと嬉しさが込み上げてくる。
コースメニューのデザートの前の品が運ばれてくる。
シズクがおや?と言うような表情をしている。思ったよりも品数が少し少なく感じたからだろう。
エドワルドはオリンジデーに手作り弁当でシズクに交際を申し込むつもりだった。
今日はそのリベンジの日と定めたのだ。
量が少なかったのは、予め根回しして量を少なめにしてもらっていたからで、リベンジの弁当がこの後出てくるからである。
「ね、もうちょっと食べられるから単品で頼んでも……」
「お待たせいたしました」
やはりと言うべきかシズクがもう一品頼みたいと言い出すのと同時に、給仕係が部屋に入ってくる。ワゴンには……。
「ん? おべんとうばこ?」
不思議そうにエドワルドに向かってシズクが問いかける。
微笑むようにシズクに視線を返すと、給仕係がシズクとエドワルドの前にその弁当箱を大事なもののように丁寧に置いた。
そっと弁当箱をシズクが開けると、おぉ、と小さく声を上げた声がエドワルドに届く。
中身は若干焦げた卵焼き、ピギー肉のショウガ焼き、スピナッチのおひたし、固めに握られている三角と言うよりも丸いおにぎり一つ。
さらに給仕係がもう一度戻ってきて、ことりとお椀を置いた。ふわっと立ち上がるのは上品な出汁と味噌の香り、豚汁だ。
「これ……」
エドワルドの調査によれば、シズクは卵焼きは甘い派。好き嫌いなく何でも食べるけれど、昔からスピナッチのおひたしはあまり好きじゃないらしいという事を小耳に挟んだ。ピギー肉のショウガ焼きはシズクの店で出る総菜の中でエドワルドがかなり好きなメニューで、豚汁は屋台に通い始めた頃からずっと好きだし、おにぎりはエドワルドとシズクを繋いだ大事なメニューである。
「この店の料理じゃないけど、貰ってくれる?」
「これ、エドワルドが作ってくれたの?」
「そ、卵焼きはちょっと焦げちゃったりしてるけど味は、まぁ美味しいと、思う……」
ちらりと盗み見するようにシズクを見ると、喜んでいるかと思いきや口元に手を当て眉間にしわを寄せ少し思い悩んでいるような表情だ。エドワルドはと言えば喜んでもらえるとばかり考えていただけに、目の前のシズクの反応に次の言葉が上手く出てこない。
「いただきます。……。メニューはどうやって決めたの?」
少し間を開けてシズクがいつもよりもゆっくりと低めの声で、弁当に箸をつけた。
卵焼きをそっと二つに分けて口に入れ、おひたしに口をつけた。しょうが焼きを食べた後おにぎりに手をつけた。エドワルドに問いかけた。
「シズクが好きなものと、苦手なもの、俺の好きなものと、俺達の思い出のもの。シズクに弁当として出すならばって考えて決めた」
じっとシズクを見て、どうにかそれだけ絞り出した。
言いたいことならいっぱいある。初めて会った時から目が離せなくて、ドラゴンと対峙した時や攫われた時なんて気が気じゃなかった。知らない人物がシズクに近づけばイライラが募る日もあるし、正直に言ってしまえばロイとの距離が近すぎるともずっと思っていた。クレドがシズクに恋心を抱いていると知った時には、自分の気持ちは良く分からないくせに絶対にダメだなんて勝手なことを言って牽制した事もあった。会える日は出来るだけ朝食を食べに行って、何気ない穏やかな時間がとにかく特別になって。会えない日があってもその姿を目に収めることが出来るだけで心の奥が温かくなる。
考えなくっても、グリューワインを一緒に飲んだ頃には彼女の事を完全に好きだったのだと分析できる。
そして一緒に年を越したことで、一歩を踏み出したいと強く思った。
弁当には、これからもシズクの好きと嫌いを沢山知りたいと好物だけではなくあまり好きじゃないと聞いていたものを入れた。自分の好きなことも知ってもらいたいと今までシズクが作ってくれた中で大好きなメニューを作ってみて、出会った頃からシズクの店で食べる大好きな塩むすびと豚汁を作ることにしたのだ。
しばらくしてまた、シズクは大きく頷き豚汁の具を大きな口でぱくりと食べ、汁をすすり、ほぅとため息ともつかないような小さな声を発した。
「美味しい。凄く気持ちが伝わるご飯。ありがとう」
ほぅっと小さな声の後、まっすぐにエドワルドを見てシズクは確かにそう言った。
気持ちが伝わるご飯と確かに言った。
「シズクが前に、愛情を持って美味しくなれーって思えば凄く美味しくなるし大好きが伝わるって言ってたから……。俺の大好きは伝わりましたか?」
じっとシズクの答えを待つ間、エドワルドから見えるシズクの耳がじわじわと赤くなるのが見えた。
顔を上げないシズクにじれて、表情が見えるようにエドワルドが覗き込むように見て見れば、その視線に気が付いたシズクが弾かれたように顔を上げた。
「えっと、エドワルドは、私の事、が?」
「好き」
ぼっと顔どころか首の辺りまで真っ赤にして、口をもごもごと動かしているシズクを見ると嬉しいような、ちょっと申し訳ないような気分になるほどだが、ここでエドワルドも引くわけにはいかない。
シズクは口をぎゅっと引き絞り、何かを決意したようにエドワルドと弁当箱を見た。
そして頷き引き絞った口を大きく開け、弁当を無言で食べ始める。
返事を貰えないままのエドワルドは、シズクの行動の意味が分からずそれを見ている事しかできない。
「ごちそうさまでした」
「お、お粗末様でした」
綺麗に弁当を食べ終えた頃、給仕係がデザートであるフルーツの盛り合わせと紅茶を持ってきた。
何やら緊張した雰囲気を感じたのか、給仕係が手早く準備してごゆっくりと声をかけて早々に部屋を出ていくのをしっかり見送ってから、シズクが紅茶を一口飲んだ後エドワルドはゆっくり口を開いた。
「えっと、結婚を前提にお付き合いを申し込みたい。沢山笑って本気で喧嘩して……、他愛のない日も特別な日も、この先一生シズクの一番そばにいたい」
喉の奥が干からびてしまったのではないかと思うほど、緊張で喉が渇く。
何度でも好きを伝えていくつもりだったけれど、緊張でどうにかなってしまいそうで、自分の気持ちも少し落ち着かせるためにエドワルドはカップに手を伸ばし、ごくごくと少し冷めた茶を飲む。
「えっと、ちょっと私の話を聞いて欲しいんだけど、いいかな」
それはもちろんだ。
受けてくれると信じているが、自分だけが舞い上がって都合よく話を進めることなどエドワルドは望んでいない。二つ返事でシズクの話を聞けば、それはにわかには信じがたいと思うような話だった。
シズクは日本という国に生まれ、家族との優しい生活の日々の思い出や、友人との面白おかしい毎日はとても充実していたのだろう。遠慮がちだが話の端々に家族や友人達への深い愛情を知る。
そしてその国でしっかりとした教育を受けたからこそ、シズクの持っている知識や教養はやはり本物だったのだと思い知った。
そして、この国に来たきっかけとなった痛ましい事件も、生まれ育ったその国で発生したとも。
向こうで死んで、何かの拍子でこちらに来たという。元の自分とは髪の色も目の色も顔も声も、すべてが他人だったがまぎれもなく自分はここにいるの来た時にはすでに死にかけた状態でベルタ夫婦に発見され、数か月の養生の末に屋台を開いたのだ。その後は、エドワルドも知っての通り。
「元の私とは髪の色も目の色も顔も声も……全部全部違う。髪も目の色も黒いし肌だってもっと浅黒かった。でも、外見が違っても私はここで生きてて、あー、何が言いたいかって言うと」
荒唐無稽に思うかもしれないけれど……。信じて。
と初めこそ自信なさげに話していたと言うのに、最終的には不敵に笑ってエドワルドに聞いた。
それはもちろんだ。
荒唐無稽だとは思う。だけど、彼女が嘘や虚構を話しているなんて全く思わなかった。日本という場所で間違いなくシズクは生きていたのだろう。そして悲しい事件ではあったけれどその果てにこの国に来て、元来出会うはずもなかったエドワルドと出会ってくれた。それはもう奇跡だ。
「信じるよ。だからもっとシズクの事聞かせて。それとね、話を聞いたからと言って俺の気持ちが変わったりなんかしないよ」
「ふ、ふふ。そっか、そっか」
何か一瞬シズクの瞳に力がこもる。
一拍おいて、この前と同じ言葉を発した。しかし今回はノリなどでは決してない。
幸せそうに、エドワルドに向けてしっかりと。
「好き。結婚して」
「だから俺も、そう言ってる。ほんとに一緒になってくれる?」
ふふふ、と二人でひとしきり笑った後いたずらっ子のようににかっと笑ってシズクが拳を前に突き出した。
ほれほれといわんばかりに拳をさらに突き出す。意図は良く分からないけれど、とエドワルドも同じように拳を前に突き出し、シズクの拳とこつんと付き合わせると、自信に満ちたような、でも照れ笑いのような表情で微笑み返事を返した。
「もちろん、どんとこいよ! エドワルドともっと幸せになるから覚悟してね」
あの時のシズクの顔を思い出して、エドワルドは小さく笑った。
冗談だろうとは、思った。
ノリがいつもの感じだったからだ。
それにしてもあのびっくりした顔……。エドワルドは思い出すとまた小さく笑う。
シズクからしたら急な話で、そりゃ、びっくりもするよな。
卒倒してふらふらになって文字通り倒れてしまったシズクとはそれ以上話すことが出来ず、部屋で寝かせてかれ、一瞬だけ意識が浮上してきたシズクに聞こえていたかは分からないが答えはまた今度聞かせてと声をかけ、今日待っているというメモを置いてリグとエリスに挨拶をしてその日はおいとました。
嫌われているわけはないと言う自信はあった。出会ってから友人という関係から少しだけでも心が少しは淡く色づくくらいには思ってくれていると。
エドワルドは元々結婚を前提とした交際を申し込むつもりでこの数日準備していた。自分で準備した弁当を渡すことは出来なかったし、プレゼントに持って帰ってきた魚は仕事でたまたま巡り合った魚だったが、ピンときた通り結果的にはその魚で大喜びしてもらえたのだから問題はない。
そんなことを考えていれば、部屋の外から声をかけられる。
「お連れ様がいらっしゃいました」
「ありがとうございます」
エドワルドが立ち上がって声をかければ頭を下げた給仕係の男性が部屋を出ていくのと入れ替わりで、妙にきりっとした表情シズクが部屋に入ってきた。しかしたまにふと不安そうに瞳を揺らしている。まだまだ先日の出来事を思い出したり弁明したりしたいのだろう。目まぐるしく変わるシズクの百面相のシズクちょっと面白い。
「来てくれてありがとう。食事は二人で食べるの決めようと思ってまだ注文はしてないよ」
「ほ、ほんと?」
エドワルドが指定したこの店は、一般市民が少し頑張って記念日に予約するようなユリシスでは比較的老舗の人気店だ。その中に自分が作った物が混じっていたとしても……おかしくはない程度には創作料理も沢山あってこの店を選んだ。
「この間は……」
せっかく笑ってくれたのに思い出したようにきりっとした眼差しのシズクに、エドワルドはシズクの座る椅子を引いて座らせ、肩をぽんっと叩いた。
「まずは腹ごしらえしようよ。ここのお店きっとシズクも楽しめると思う」
反対側に座り直してエドワルドはメニューをシズクに見せるように開いた。まだこの国の文字は勉強中と言っていたのを聞いたことがあるので、一つ一つゆっくりとエドワルドは読み上げる。
先ほど面目ないとしょんぼりしていたシズクは、今や読み上げるエドワルドに前のめりになりながらふんふんと相槌を打ち、目知らぬ店の見知らぬメニューに興味津々目が釘付けだ。
「前から来てみたかったけど、敷居が高くてねー。メニュー名からは想像できない感じのもあって、ワクワクしちゃうね!」
「そうだね。食べられる量には限界があるから選ぶのが難しいね」
「うーん、うーん」
結局沢山ありすぎて逆に決めることが出来ず、いくつかあるコースの中から『シェフの気まぐれまみれ』というコース食事を頼むことに決め、アルコール低めのほんのりと甘いながらもすっきりした味わいの食前酒を口に含むと、シズクは開口一番頭を下げた。
「この前はごめんね。想定外というか凄くびっくりしちゃって……。面目次第もない……」
例えば数回断られても憎からず思ってくれているならばチャンスはあるはずで、初めはダメでもさらに距離を詰めつつ交際を申し込む予定だったエドワルドにしてみれば、びっくりして倒れてしまったぐらい想定外ではあったが大したことではない。
「あれ、なんか整理して文章化したらちょっと俺、あれだな……」
「ん? なんて??」
「え、なんでもない、なんでもない。うん。なんでもない」
しつこいと思われたとしても彼女しか欲しくないのだから、多少ちょっとしつこかったとしても距離を間違えないようにじっくりと詰めていくのが賢明だなとエドワルドは一人頷く。
出てきた料理はどれも名前の割には美しく盛り付けられた美味しい料理だ。
地獄から戻って来た赤のボルス キャロッテと共に。朝もやに煙るスキュラ。賑やかしにもほどがある。などなど、お任せコースはどれも字面強めのメニューであったが、味は間違いない。ただ、シズクの店の心ごと温かく包み込むような味に慣れ切ったエドワルドからすれば、どちらかと言わなくても好きな方は決まっている。
「今回はこのコースにしたけれど、次に来た時には何食べるか迷っちゃうね」
シズクは食べている間は考えることを放棄していたようで、出てきたメニューを見ては『ほうほう、そう言う事ですか』『かー! これそっちの意味!?』なんて楽しそうにしていたのに、急に次の食事の約束が取り付けられたことにエドワルドは安堵して大きく頷いた。
「そうだね」
「ランチもやってるならランチに来てもいいよね。絶対ランチ専用メニューあるとみた。あー、でもね。エドワルドとは他にも行きたいお店もあってね」
「うん、うん」
「ちょっと、本当に聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
シズクの表情に取り繕ったりしている様子はない。
自分に向けてくれるシズクのその思いが恋愛感情かは分からないけれど、次の約束どころかそれ以降の約束をこんなに楽しそうにしてくれるのだと思うと嬉しさが込み上げてくる。
コースメニューのデザートの前の品が運ばれてくる。
シズクがおや?と言うような表情をしている。思ったよりも品数が少し少なく感じたからだろう。
エドワルドはオリンジデーに手作り弁当でシズクに交際を申し込むつもりだった。
今日はそのリベンジの日と定めたのだ。
量が少なかったのは、予め根回しして量を少なめにしてもらっていたからで、リベンジの弁当がこの後出てくるからである。
「ね、もうちょっと食べられるから単品で頼んでも……」
「お待たせいたしました」
やはりと言うべきかシズクがもう一品頼みたいと言い出すのと同時に、給仕係が部屋に入ってくる。ワゴンには……。
「ん? おべんとうばこ?」
不思議そうにエドワルドに向かってシズクが問いかける。
微笑むようにシズクに視線を返すと、給仕係がシズクとエドワルドの前にその弁当箱を大事なもののように丁寧に置いた。
そっと弁当箱をシズクが開けると、おぉ、と小さく声を上げた声がエドワルドに届く。
中身は若干焦げた卵焼き、ピギー肉のショウガ焼き、スピナッチのおひたし、固めに握られている三角と言うよりも丸いおにぎり一つ。
さらに給仕係がもう一度戻ってきて、ことりとお椀を置いた。ふわっと立ち上がるのは上品な出汁と味噌の香り、豚汁だ。
「これ……」
エドワルドの調査によれば、シズクは卵焼きは甘い派。好き嫌いなく何でも食べるけれど、昔からスピナッチのおひたしはあまり好きじゃないらしいという事を小耳に挟んだ。ピギー肉のショウガ焼きはシズクの店で出る総菜の中でエドワルドがかなり好きなメニューで、豚汁は屋台に通い始めた頃からずっと好きだし、おにぎりはエドワルドとシズクを繋いだ大事なメニューである。
「この店の料理じゃないけど、貰ってくれる?」
「これ、エドワルドが作ってくれたの?」
「そ、卵焼きはちょっと焦げちゃったりしてるけど味は、まぁ美味しいと、思う……」
ちらりと盗み見するようにシズクを見ると、喜んでいるかと思いきや口元に手を当て眉間にしわを寄せ少し思い悩んでいるような表情だ。エドワルドはと言えば喜んでもらえるとばかり考えていただけに、目の前のシズクの反応に次の言葉が上手く出てこない。
「いただきます。……。メニューはどうやって決めたの?」
少し間を開けてシズクがいつもよりもゆっくりと低めの声で、弁当に箸をつけた。
卵焼きをそっと二つに分けて口に入れ、おひたしに口をつけた。しょうが焼きを食べた後おにぎりに手をつけた。エドワルドに問いかけた。
「シズクが好きなものと、苦手なもの、俺の好きなものと、俺達の思い出のもの。シズクに弁当として出すならばって考えて決めた」
じっとシズクを見て、どうにかそれだけ絞り出した。
言いたいことならいっぱいある。初めて会った時から目が離せなくて、ドラゴンと対峙した時や攫われた時なんて気が気じゃなかった。知らない人物がシズクに近づけばイライラが募る日もあるし、正直に言ってしまえばロイとの距離が近すぎるともずっと思っていた。クレドがシズクに恋心を抱いていると知った時には、自分の気持ちは良く分からないくせに絶対にダメだなんて勝手なことを言って牽制した事もあった。会える日は出来るだけ朝食を食べに行って、何気ない穏やかな時間がとにかく特別になって。会えない日があってもその姿を目に収めることが出来るだけで心の奥が温かくなる。
考えなくっても、グリューワインを一緒に飲んだ頃には彼女の事を完全に好きだったのだと分析できる。
そして一緒に年を越したことで、一歩を踏み出したいと強く思った。
弁当には、これからもシズクの好きと嫌いを沢山知りたいと好物だけではなくあまり好きじゃないと聞いていたものを入れた。自分の好きなことも知ってもらいたいと今までシズクが作ってくれた中で大好きなメニューを作ってみて、出会った頃からシズクの店で食べる大好きな塩むすびと豚汁を作ることにしたのだ。
しばらくしてまた、シズクは大きく頷き豚汁の具を大きな口でぱくりと食べ、汁をすすり、ほぅとため息ともつかないような小さな声を発した。
「美味しい。凄く気持ちが伝わるご飯。ありがとう」
ほぅっと小さな声の後、まっすぐにエドワルドを見てシズクは確かにそう言った。
気持ちが伝わるご飯と確かに言った。
「シズクが前に、愛情を持って美味しくなれーって思えば凄く美味しくなるし大好きが伝わるって言ってたから……。俺の大好きは伝わりましたか?」
じっとシズクの答えを待つ間、エドワルドから見えるシズクの耳がじわじわと赤くなるのが見えた。
顔を上げないシズクにじれて、表情が見えるようにエドワルドが覗き込むように見て見れば、その視線に気が付いたシズクが弾かれたように顔を上げた。
「えっと、エドワルドは、私の事、が?」
「好き」
ぼっと顔どころか首の辺りまで真っ赤にして、口をもごもごと動かしているシズクを見ると嬉しいような、ちょっと申し訳ないような気分になるほどだが、ここでエドワルドも引くわけにはいかない。
シズクは口をぎゅっと引き絞り、何かを決意したようにエドワルドと弁当箱を見た。
そして頷き引き絞った口を大きく開け、弁当を無言で食べ始める。
返事を貰えないままのエドワルドは、シズクの行動の意味が分からずそれを見ている事しかできない。
「ごちそうさまでした」
「お、お粗末様でした」
綺麗に弁当を食べ終えた頃、給仕係がデザートであるフルーツの盛り合わせと紅茶を持ってきた。
何やら緊張した雰囲気を感じたのか、給仕係が手早く準備してごゆっくりと声をかけて早々に部屋を出ていくのをしっかり見送ってから、シズクが紅茶を一口飲んだ後エドワルドはゆっくり口を開いた。
「えっと、結婚を前提にお付き合いを申し込みたい。沢山笑って本気で喧嘩して……、他愛のない日も特別な日も、この先一生シズクの一番そばにいたい」
喉の奥が干からびてしまったのではないかと思うほど、緊張で喉が渇く。
何度でも好きを伝えていくつもりだったけれど、緊張でどうにかなってしまいそうで、自分の気持ちも少し落ち着かせるためにエドワルドはカップに手を伸ばし、ごくごくと少し冷めた茶を飲む。
「えっと、ちょっと私の話を聞いて欲しいんだけど、いいかな」
それはもちろんだ。
受けてくれると信じているが、自分だけが舞い上がって都合よく話を進めることなどエドワルドは望んでいない。二つ返事でシズクの話を聞けば、それはにわかには信じがたいと思うような話だった。
シズクは日本という国に生まれ、家族との優しい生活の日々の思い出や、友人との面白おかしい毎日はとても充実していたのだろう。遠慮がちだが話の端々に家族や友人達への深い愛情を知る。
そしてその国でしっかりとした教育を受けたからこそ、シズクの持っている知識や教養はやはり本物だったのだと思い知った。
そして、この国に来たきっかけとなった痛ましい事件も、生まれ育ったその国で発生したとも。
向こうで死んで、何かの拍子でこちらに来たという。元の自分とは髪の色も目の色も顔も声も、すべてが他人だったがまぎれもなく自分はここにいるの来た時にはすでに死にかけた状態でベルタ夫婦に発見され、数か月の養生の末に屋台を開いたのだ。その後は、エドワルドも知っての通り。
「元の私とは髪の色も目の色も顔も声も……全部全部違う。髪も目の色も黒いし肌だってもっと浅黒かった。でも、外見が違っても私はここで生きてて、あー、何が言いたいかって言うと」
荒唐無稽に思うかもしれないけれど……。信じて。
と初めこそ自信なさげに話していたと言うのに、最終的には不敵に笑ってエドワルドに聞いた。
それはもちろんだ。
荒唐無稽だとは思う。だけど、彼女が嘘や虚構を話しているなんて全く思わなかった。日本という場所で間違いなくシズクは生きていたのだろう。そして悲しい事件ではあったけれどその果てにこの国に来て、元来出会うはずもなかったエドワルドと出会ってくれた。それはもう奇跡だ。
「信じるよ。だからもっとシズクの事聞かせて。それとね、話を聞いたからと言って俺の気持ちが変わったりなんかしないよ」
「ふ、ふふ。そっか、そっか」
何か一瞬シズクの瞳に力がこもる。
一拍おいて、この前と同じ言葉を発した。しかし今回はノリなどでは決してない。
幸せそうに、エドワルドに向けてしっかりと。
「好き。結婚して」
「だから俺も、そう言ってる。ほんとに一緒になってくれる?」
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ほれほれといわんばかりに拳をさらに突き出す。意図は良く分からないけれど、とエドワルドも同じように拳を前に突き出し、シズクの拳とこつんと付き合わせると、自信に満ちたような、でも照れ笑いのような表情で微笑み返事を返した。
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