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06.ドラゴン
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今日シズクは弁当屋を午前中で店を閉じ、街外れの教会の人達と一緒に畑仕事の真っ最中である。
街から少し離れた場所にあると言っても街からは目と鼻の先。安心して小さな子供も楽しそうに畑仕事に精を出している。
そういえば、今朝エドワルドに渡したゴボウ入りの鳥つくねの丼は気に入ってもらえただろうか。とそのゴボウを掘り出しながら彼の喜ぶ顔を思い浮かべた。
街外れの教会が管理しているこの畑ではなんと、鳥つくねに入れたゴボウが取れる。管理者曰く、昔からあるけど食べ物だと思わなかったから放っておいた、らしい。
確かに前世でも、あんなに美味しいのにゴボウはほぼ日本でしか食べられていない食材だ。ひょろ長い栄養もなさそうに見える木の根っこみたいなものだし、誰も食べなかったのも頷ける。
さらに畑では、ゴボウの他にも生姜や大葉なんかも取れ放題の天国だと言うのに、周りの畑も一緒に手入れをしてくれれば好きに収穫していいと管理者に言われている。日本食を作るのには欠かせないので本当にありがたい事である。
昼食のおにぎりでお腹を満たし、ゴボウと大葉を収穫した後の畑仕事。お天道様が真上にきているが、ユリシスの夏はそこまで暑くないので野良仕事も辛くはない。
前世夏の風物詩と言えば蝉であったが、この世界にも同じような奴がやっぱりいるもので、ミョンミョンと鳴くその名もミョンがそこら辺の木々に止まって鳴いている。
「ミョン、こっち来ないで欲しいですわね」
そしてシズクに話しかけてきたのは教会の慈善活動に来ているベルディエット。
半年ほど前から街の外れの教会の慈善活動に参加している貴族のお嬢様だ。気が合うのかシズクとは出会った頃から仲良しだ。
そんな彼女の今日の服装は元々畑仕事をすることが決まっていたので動きやすいように他の庶民と同じように作業用のサロペットを着て、長い髪を綺麗に三つ編みにして大きな帽子かぶって日焼け対策もばっちりだ。
「それね! 近くでじたばたされるとめちゃくちゃ怖いもん」
「その通りですわ。シズクとは本当に気が合います」
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいけれど、大体みんなミョンには同じ気持ちを抱いていると思う」
「そうなんですの?」
「うん。そうなんですの」
目を大きく見開いて、口に手を当て本当にびっくりしている様子がなんとも可愛らしい。
イメージしている女の子の貴族っぽい喋り方ではあるが全然嫌味っぽくないので、シズクにとっては品が良いのに少しずれていて、笑った目元がエリにも似ていて……。なんだか勝手に身近に感じている。
「そう言えば、最近弟の様子がおかしいのですわ」
「弟? ベルディエット弟がいるんだね」
「えぇ、最近近衛騎士団に所属になったエドワルドと言うのですが、どこぞの誰かと昼食を作ってもらえる仲になっているようなのです」
「ん??」
ベルディエットが言うには、毎日ではないが数日に一回は家に帰ってくると、わざわざその弁当箱を自ら洗って大事にしているという。
「それは何かと聞いたのです。すると弟はこの弁当箱は継ぎ目もないから洗うのが凄く楽なんだ、と嬉しそうに言うではありませんか。知りたいのはそれではなく、中身を作った人は誰なのかという事なのにっ!」
美味しかったと言う割にはその令嬢を紹介してくれる素振りもないし、婚約などを前提にお付き合いしている人がいるというわけでもなさそうで……。弁当箱を洗う日は朝も早くからいそいそと出ていくことも多く、もしかしていい人ができたのではないかと兄二人と話しているという。
シズクの知っているエドワルドも毎日ではないにしても数日に一回はやってきて朝食を食べてお弁当を買っていってくれる……。それに、ベルティテットの髪の色はエドワルドと同じアッシュブルー。これはもうシズクの知っているエドワルドの姉で間違いないのではないだろうか、と思ってしまう。
「弟ももう大人ですし口を出すことではないとは思っているのですが、私気になって仕方がないのでやはりお相手がいるのか聞いてみようと思って……、ちょっと聞いていますの? シズク」
「ふふふ。もしかしたら私、そのお弁当箱こと知ってるかも……」
「まぁ、本当ですの!?」
女の影はなくっておそらくその弁当箱とお弁当はうちのなんですよー、と種明かしをしたらさぞ驚いた顔をするのだろうと、にやけそうになる顔を隠すことなくベルディエットに向けたのだが、その瞬間……。
「なっ!!」
突然木に止まっていた鳥が、大きな鳴き声をあげたかと思うと、一斉に飛び立った。
その後を追うように、先ほどまで盛大に歌い夏を謳歌していたミョン達も、歌うことを止めて大きな羽音と共にどこかへ散り散りに飛んでいくのが見える。
「急に何!?」
さらに荷物運びに一緒に連れてきていた馬は遠く一点を見つめて、歯を剥き出しにしてブルブルと小さく声を出して威嚇しているようにも見えたが、すぐに鳥とミョンを追うようにあらぬ方向に走って行ってしまった。
周りには太陽の光だけが残ったような、そんな錯覚を起こしそうになるほどしんとした静けさだけが残る。
すると、どこからか戦慄を覚えるような感覚に全身がビリビリと痺れて、背中に冷や汗が伝った。
「神父様……」
シズクはなんとか動いて近くにいた神父に話しかけた。
「シズク。何があったのかは分かりませんがこれほどまでに生き物が急いで逃げるという事は、大きな脅威が近づいているのかもしれません……。急いで街に戻りましょう」
「はい。収穫したものは……、残念ですが置いくしかありませんね」
「命には代えられませんからね」
神父と修道士たちが子供たちを集め、説明することなくとにかく急いで街に向かうように指示する。
何が起こっているのかわからず、泣いてしまう子供もいたがそれどころではない感覚が子供にもあるようで、嫌がるそぶりは見せるものの神父達に促され泣きながらもなんとか歩き始めた。
「ベルディエット、あなたは貴族だし護衛の方もいる。このままここから離脱してすぐに避難して」
「シズクはどうるすのですか」
「私? 少し後から出発して最後尾に付くよ。万が一集団から離されちゃった子がいても私が拾えるし」
避難できるようにベルディエットの護衛が荷物をまとめていたようで、すでにここから離れることが出来るといった面持ちで近づいてきたが、ベルディエットは何を思ったか声高らかに宣言した。
「駄目よ。私もシズクと共に最後尾を務めます。私はこの国の貴族です。セリオンの名のもとに一般市民を守る義務があります。あなたちは神父様と子供たちを守って街に帰りなさい」
自分を守ることではなく、一般市民を守るようにと護衛に命令をする。
護衛達も少し戸惑いながらも心得ましたと言って、神父と子供たちの後をすぐさま追いかけていく。
「ちょっ、お嬢様がそんなこと言って。ダメだって。何かあったら困るじゃん」
「シズクに何かあっても困る人や悲しむ人はいますし、私達貴族が守るべき一般市民でもあります。守るべき市民がいるのに無視することは私にはできません。それに私もセリオンの端くれ。攻撃魔法は得意ではありませんが治癒魔法は大得意です」
「治癒魔法なら、神父様達に付いて行った方が何かあった時絶対に役に立つってば」
「最後尾のシズクが怪我をしたら、誰がそれを見るというのですか!」
今こう言い合いをしている間にもジリジリと何かが近づいてくる気配がする。
ぞくりと上から押さえつけられるような威圧を感じたその時、頭上からばさりと翼音のような音が聞こえ、大地の土埃が盛大に舞った。
シズクもベルディエットも土埃を吸ってしまい何度もむせるように咳を繰り返し見上げたそこには、ゲームなどで画面越しにみたことのある、とある生き物がいた。
この世界に来て一年ほど、お会いしたことがなかったがファンタジー世界ではよくあることなのだろうか。
分厚くて硬そうな紅い皮膚にとがった爪。玉虫色に光る目が何かを探すように大きくぎょろりと動いた。
多分、ドラゴンだ……。
上空から地上に降りてきてもなお威圧されているようで冷や汗が止まらない。
土埃が治まると自分達には気づいていないような素振りでドラゴンは翼を休めながらも先ほどからずっと何かを探しているようなしぐさを繰り返している。
「神父様と子供達は……」
ベルディエットが掠れてカラカラになった喉から絞り出すようになんとか声を出すと、シズクは神父たちが逃げた方向を確認した。もう目を凝らしても見えないほどには離れられたようだ。まぁ、どれだけ逃げたら安心なのかは、まったくわからないが。
「ここからはもう見えない、なんとか逃げれたかな」
「心から、そう願います」
どんどん口の中がカラカラにさらに乾いてくる。緊張と目の前の脅威に無意識につばを飲み込んだが口の中に入ってきてしまった先ほどの土埃の土が不快にじゃりじゃりと口の中で音を立てて、シズクを現実に引き戻した。
「この状態でみんなのところに追いつこうとするのは現実的じゃない……。この先に古井戸があった気がするんだよね。もう枯れていて水もないから梯子掛けて畑用の道具を入れる倉庫みたいにして使ってたはず。木や石の陰に隠れるよりはずっといいと思う。少しだけ距離があるけど……」
よく獣は獲物の匂いで分かるなどと昔読んだ小説には書いてあったが、ドラゴンの鼻にはまだ届いていないのかシズクとベルディエットを捉えていないようだ。今なら何とかなるかもしれないと少しだけ希望が見えた。
「わかりました。ドラゴンが出たとなれば街の警ら隊ではなく国王軍か近衛騎士団が動くでしょう。討伐するかは不明ですが、ここには来るはずですから井戸に身を潜めていたとしても見つけてくれるでしょう」
「そう願うしかないね。じゃ、いざ参らん」
シズクが小声だが自らを奮い立たせるように声をかけると、ベルディエットも頷いた。
木や大きな石の後ろぐらいしか隠れるところがないこの場所で古井戸までの移動を始める。
今いる地点から古井戸まではシズクの目視だがおおよそ三十メートルほど。
普通に歩けばなんてことのないこの距離が、とてつもなく長く思えるが進まなくては辿り着くこともできないのだ。
ドラゴンに注意しつつも、足音を立てないようにゆっくりと進む。動きやすく色も地味な野良仕事の格好で本当に良かったとこんな時だが思っていたのに、じわっとドラゴンの首が動き……、顔がシズクたちの方を向いた。
「!!」
声は出さず、じっと様子を見る。
ドラゴンには会った事はないが、学校の授業で何故かクマに遭遇した時の対処法を習った事を思い出した。
急に動かない。
腕を大きくゆっくりと動かして、クマよりも自分を大きく見せる……。
だめだ! どんなに体を大きく動かしたって目の前にいる飛行機と同じぐらいの大きさのドラゴンよりも、こんなちっぽけな自分を大きく見せるなんて出来るわけないじゃん!
全然対処できそうにもない対処法を思い出してしまったが、それでも急に動くと捕食される可能性もないとはいいきれない。ドラゴンから目を離さすにじりじりと古井戸に二人で近づいていくが、ドラゴンもゆっくりとした仕草でこちらをまだ見続けている。
そして、あと少しで古井戸というところで、背中の汗が伝い落ちていくのと同時にそれは起こった。
急にドラゴンが距離を詰めてきたのだ。
それに驚いたベルディエットの足がもつれ、転んでしまった。
ドラゴンの大きな体から繰り出された一歩で距離が縮まり、もう目と鼻の先に鋭い爪が向けられている。その爪が向かう先には、先ほど驚いて転んだまま動けないアッシュブルーの髪が揺れるベルディエットがいる。
「ごめん、痛くても我慢して。死ぬよりマシよ」
シズクは考える暇などないとばかりに、ベルディエットに駆け寄って古井戸に向かって足で蹴り飛ばした。
「早く中に!」
蹴り飛ばされたベルディエットが井戸側に体をぶつけて痛そうにしていたが、早く中に入れとシズクは大きく声を上げた。大きく頷いたベルディエットが中に入ったのを確認して、自らもその中へと急ぐ。
助かった!
井戸に足をかけてそう思った瞬間、ドラゴンの大きな爪がシズクに振り下ろされた。
街から少し離れた場所にあると言っても街からは目と鼻の先。安心して小さな子供も楽しそうに畑仕事に精を出している。
そういえば、今朝エドワルドに渡したゴボウ入りの鳥つくねの丼は気に入ってもらえただろうか。とそのゴボウを掘り出しながら彼の喜ぶ顔を思い浮かべた。
街外れの教会が管理しているこの畑ではなんと、鳥つくねに入れたゴボウが取れる。管理者曰く、昔からあるけど食べ物だと思わなかったから放っておいた、らしい。
確かに前世でも、あんなに美味しいのにゴボウはほぼ日本でしか食べられていない食材だ。ひょろ長い栄養もなさそうに見える木の根っこみたいなものだし、誰も食べなかったのも頷ける。
さらに畑では、ゴボウの他にも生姜や大葉なんかも取れ放題の天国だと言うのに、周りの畑も一緒に手入れをしてくれれば好きに収穫していいと管理者に言われている。日本食を作るのには欠かせないので本当にありがたい事である。
昼食のおにぎりでお腹を満たし、ゴボウと大葉を収穫した後の畑仕事。お天道様が真上にきているが、ユリシスの夏はそこまで暑くないので野良仕事も辛くはない。
前世夏の風物詩と言えば蝉であったが、この世界にも同じような奴がやっぱりいるもので、ミョンミョンと鳴くその名もミョンがそこら辺の木々に止まって鳴いている。
「ミョン、こっち来ないで欲しいですわね」
そしてシズクに話しかけてきたのは教会の慈善活動に来ているベルディエット。
半年ほど前から街の外れの教会の慈善活動に参加している貴族のお嬢様だ。気が合うのかシズクとは出会った頃から仲良しだ。
そんな彼女の今日の服装は元々畑仕事をすることが決まっていたので動きやすいように他の庶民と同じように作業用のサロペットを着て、長い髪を綺麗に三つ編みにして大きな帽子かぶって日焼け対策もばっちりだ。
「それね! 近くでじたばたされるとめちゃくちゃ怖いもん」
「その通りですわ。シズクとは本当に気が合います」
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいけれど、大体みんなミョンには同じ気持ちを抱いていると思う」
「そうなんですの?」
「うん。そうなんですの」
目を大きく見開いて、口に手を当て本当にびっくりしている様子がなんとも可愛らしい。
イメージしている女の子の貴族っぽい喋り方ではあるが全然嫌味っぽくないので、シズクにとっては品が良いのに少しずれていて、笑った目元がエリにも似ていて……。なんだか勝手に身近に感じている。
「そう言えば、最近弟の様子がおかしいのですわ」
「弟? ベルディエット弟がいるんだね」
「えぇ、最近近衛騎士団に所属になったエドワルドと言うのですが、どこぞの誰かと昼食を作ってもらえる仲になっているようなのです」
「ん??」
ベルディエットが言うには、毎日ではないが数日に一回は家に帰ってくると、わざわざその弁当箱を自ら洗って大事にしているという。
「それは何かと聞いたのです。すると弟はこの弁当箱は継ぎ目もないから洗うのが凄く楽なんだ、と嬉しそうに言うではありませんか。知りたいのはそれではなく、中身を作った人は誰なのかという事なのにっ!」
美味しかったと言う割にはその令嬢を紹介してくれる素振りもないし、婚約などを前提にお付き合いしている人がいるというわけでもなさそうで……。弁当箱を洗う日は朝も早くからいそいそと出ていくことも多く、もしかしていい人ができたのではないかと兄二人と話しているという。
シズクの知っているエドワルドも毎日ではないにしても数日に一回はやってきて朝食を食べてお弁当を買っていってくれる……。それに、ベルティテットの髪の色はエドワルドと同じアッシュブルー。これはもうシズクの知っているエドワルドの姉で間違いないのではないだろうか、と思ってしまう。
「弟ももう大人ですし口を出すことではないとは思っているのですが、私気になって仕方がないのでやはりお相手がいるのか聞いてみようと思って……、ちょっと聞いていますの? シズク」
「ふふふ。もしかしたら私、そのお弁当箱こと知ってるかも……」
「まぁ、本当ですの!?」
女の影はなくっておそらくその弁当箱とお弁当はうちのなんですよー、と種明かしをしたらさぞ驚いた顔をするのだろうと、にやけそうになる顔を隠すことなくベルディエットに向けたのだが、その瞬間……。
「なっ!!」
突然木に止まっていた鳥が、大きな鳴き声をあげたかと思うと、一斉に飛び立った。
その後を追うように、先ほどまで盛大に歌い夏を謳歌していたミョン達も、歌うことを止めて大きな羽音と共にどこかへ散り散りに飛んでいくのが見える。
「急に何!?」
さらに荷物運びに一緒に連れてきていた馬は遠く一点を見つめて、歯を剥き出しにしてブルブルと小さく声を出して威嚇しているようにも見えたが、すぐに鳥とミョンを追うようにあらぬ方向に走って行ってしまった。
周りには太陽の光だけが残ったような、そんな錯覚を起こしそうになるほどしんとした静けさだけが残る。
すると、どこからか戦慄を覚えるような感覚に全身がビリビリと痺れて、背中に冷や汗が伝った。
「神父様……」
シズクはなんとか動いて近くにいた神父に話しかけた。
「シズク。何があったのかは分かりませんがこれほどまでに生き物が急いで逃げるという事は、大きな脅威が近づいているのかもしれません……。急いで街に戻りましょう」
「はい。収穫したものは……、残念ですが置いくしかありませんね」
「命には代えられませんからね」
神父と修道士たちが子供たちを集め、説明することなくとにかく急いで街に向かうように指示する。
何が起こっているのかわからず、泣いてしまう子供もいたがそれどころではない感覚が子供にもあるようで、嫌がるそぶりは見せるものの神父達に促され泣きながらもなんとか歩き始めた。
「ベルディエット、あなたは貴族だし護衛の方もいる。このままここから離脱してすぐに避難して」
「シズクはどうるすのですか」
「私? 少し後から出発して最後尾に付くよ。万が一集団から離されちゃった子がいても私が拾えるし」
避難できるようにベルディエットの護衛が荷物をまとめていたようで、すでにここから離れることが出来るといった面持ちで近づいてきたが、ベルディエットは何を思ったか声高らかに宣言した。
「駄目よ。私もシズクと共に最後尾を務めます。私はこの国の貴族です。セリオンの名のもとに一般市民を守る義務があります。あなたちは神父様と子供たちを守って街に帰りなさい」
自分を守ることではなく、一般市民を守るようにと護衛に命令をする。
護衛達も少し戸惑いながらも心得ましたと言って、神父と子供たちの後をすぐさま追いかけていく。
「ちょっ、お嬢様がそんなこと言って。ダメだって。何かあったら困るじゃん」
「シズクに何かあっても困る人や悲しむ人はいますし、私達貴族が守るべき一般市民でもあります。守るべき市民がいるのに無視することは私にはできません。それに私もセリオンの端くれ。攻撃魔法は得意ではありませんが治癒魔法は大得意です」
「治癒魔法なら、神父様達に付いて行った方が何かあった時絶対に役に立つってば」
「最後尾のシズクが怪我をしたら、誰がそれを見るというのですか!」
今こう言い合いをしている間にもジリジリと何かが近づいてくる気配がする。
ぞくりと上から押さえつけられるような威圧を感じたその時、頭上からばさりと翼音のような音が聞こえ、大地の土埃が盛大に舞った。
シズクもベルディエットも土埃を吸ってしまい何度もむせるように咳を繰り返し見上げたそこには、ゲームなどで画面越しにみたことのある、とある生き物がいた。
この世界に来て一年ほど、お会いしたことがなかったがファンタジー世界ではよくあることなのだろうか。
分厚くて硬そうな紅い皮膚にとがった爪。玉虫色に光る目が何かを探すように大きくぎょろりと動いた。
多分、ドラゴンだ……。
上空から地上に降りてきてもなお威圧されているようで冷や汗が止まらない。
土埃が治まると自分達には気づいていないような素振りでドラゴンは翼を休めながらも先ほどからずっと何かを探しているようなしぐさを繰り返している。
「神父様と子供達は……」
ベルディエットが掠れてカラカラになった喉から絞り出すようになんとか声を出すと、シズクは神父たちが逃げた方向を確認した。もう目を凝らしても見えないほどには離れられたようだ。まぁ、どれだけ逃げたら安心なのかは、まったくわからないが。
「ここからはもう見えない、なんとか逃げれたかな」
「心から、そう願います」
どんどん口の中がカラカラにさらに乾いてくる。緊張と目の前の脅威に無意識につばを飲み込んだが口の中に入ってきてしまった先ほどの土埃の土が不快にじゃりじゃりと口の中で音を立てて、シズクを現実に引き戻した。
「この状態でみんなのところに追いつこうとするのは現実的じゃない……。この先に古井戸があった気がするんだよね。もう枯れていて水もないから梯子掛けて畑用の道具を入れる倉庫みたいにして使ってたはず。木や石の陰に隠れるよりはずっといいと思う。少しだけ距離があるけど……」
よく獣は獲物の匂いで分かるなどと昔読んだ小説には書いてあったが、ドラゴンの鼻にはまだ届いていないのかシズクとベルディエットを捉えていないようだ。今なら何とかなるかもしれないと少しだけ希望が見えた。
「わかりました。ドラゴンが出たとなれば街の警ら隊ではなく国王軍か近衛騎士団が動くでしょう。討伐するかは不明ですが、ここには来るはずですから井戸に身を潜めていたとしても見つけてくれるでしょう」
「そう願うしかないね。じゃ、いざ参らん」
シズクが小声だが自らを奮い立たせるように声をかけると、ベルディエットも頷いた。
木や大きな石の後ろぐらいしか隠れるところがないこの場所で古井戸までの移動を始める。
今いる地点から古井戸まではシズクの目視だがおおよそ三十メートルほど。
普通に歩けばなんてことのないこの距離が、とてつもなく長く思えるが進まなくては辿り着くこともできないのだ。
ドラゴンに注意しつつも、足音を立てないようにゆっくりと進む。動きやすく色も地味な野良仕事の格好で本当に良かったとこんな時だが思っていたのに、じわっとドラゴンの首が動き……、顔がシズクたちの方を向いた。
「!!」
声は出さず、じっと様子を見る。
ドラゴンには会った事はないが、学校の授業で何故かクマに遭遇した時の対処法を習った事を思い出した。
急に動かない。
腕を大きくゆっくりと動かして、クマよりも自分を大きく見せる……。
だめだ! どんなに体を大きく動かしたって目の前にいる飛行機と同じぐらいの大きさのドラゴンよりも、こんなちっぽけな自分を大きく見せるなんて出来るわけないじゃん!
全然対処できそうにもない対処法を思い出してしまったが、それでも急に動くと捕食される可能性もないとはいいきれない。ドラゴンから目を離さすにじりじりと古井戸に二人で近づいていくが、ドラゴンもゆっくりとした仕草でこちらをまだ見続けている。
そして、あと少しで古井戸というところで、背中の汗が伝い落ちていくのと同時にそれは起こった。
急にドラゴンが距離を詰めてきたのだ。
それに驚いたベルディエットの足がもつれ、転んでしまった。
ドラゴンの大きな体から繰り出された一歩で距離が縮まり、もう目と鼻の先に鋭い爪が向けられている。その爪が向かう先には、先ほど驚いて転んだまま動けないアッシュブルーの髪が揺れるベルディエットがいる。
「ごめん、痛くても我慢して。死ぬよりマシよ」
シズクは考える暇などないとばかりに、ベルディエットに駆け寄って古井戸に向かって足で蹴り飛ばした。
「早く中に!」
蹴り飛ばされたベルディエットが井戸側に体をぶつけて痛そうにしていたが、早く中に入れとシズクは大きく声を上げた。大きく頷いたベルディエットが中に入ったのを確認して、自らもその中へと急ぐ。
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