一介の弁当屋は穏やかな日々を願う

大野友哉

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39.魔力の痕跡

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 ザッザッ……ザッザッザッザッ…… 

 暗闇の中、いくつもの靴が地面を踏みしめる音が続く。
 まもなく時間は真夜中を過ぎ、氷のような寒さがゆっくりと深い夜の闇に満ちる。

 今頃先に戻した近衛騎士団の半分とシズクとベルディエットも、移動門でユリシスに戻り自宅で暖かいベッドに入っている頃だろう。
 何かあった時の防衛のためにと、残った人員を念のため街の守りに残してきた。

 今回は本当に偵察のつもりで来ただけだったのだが、一連の出来事にどうにもきな臭さをぬぐえずに、どうしてもとアッシュが副団長のアレックスを泣き落としたのだ。

 その結果ドラゴンと遭遇した場所に数人を引き連れ、現在真夜中の森の中に戻っている最中という訳だ。

 朝を待たずに再度調査に赴いたことに関しては、正直アッシュはかなり悩んだ。

 しかしそれでも、である。

 明日の朝まで待ちドラゴンがいた辺りを捜索したとする。
 血が付着した土も回収対象にし、鱗などがあれば持ち帰る。遭遇した親子と思われるドラゴンが、あの場所にまた戻ってくることはほぼ無いと感じていたので、本来の目的を果たすための回収であれば安全だとアッシュは思っている。が、回収したい物はドラゴンの痕跡だけではない。
 急がなければどのような手段で手に入れたとしても、『どこぞの誰かが子供のドラゴンを意図的に傷つけた』と言う痕跡が、根こそぎ消されてしまう可能性があるからだった。

 ドラゴンの生態については調査中ではあるが、数百年に一度番いとの間に卵を産み、孵った子供を大事に育てると文献にあったという。

 先ほど遭遇したドラゴンが親子であったならば……。

 攫われた大事な我が子を探し親のドラゴンがこの森までやってきて子供を見つける。
 見つけた親ドラゴンは子供を傷つけられたことに怒り、槍に着いた匂いから人間の仕業だと考えるかもしれない。

 そうしてドラゴンに人間の匂いを覚えさせ、近くの街や村を手あたり次第襲わせるつもりだったのかもしれない……。

 そして首謀者は安全な場所から恐怖や混乱に乗じて地位や名誉、栄誉、果てはこの国も手にしたいと考えているかもしれない。

 かもしれない、かもしれない、かもしれない。

 考えれば考えるほど、かもしれないという可能性の全てを否定できない。特に腹の底が見えない貴族社会を思うと、どうにも不安を払拭するだけの材料をアッシュは見つけられないでいた。

 ユリシスは比較的穏やかな国である。
 建国から三百年。それなりに戦や内乱を経て小さな諍いはあったがこの百年は国対国の戦はなかった。それどころか大陸以外の国とも友好関係を築き上げている。

 そして光があれば影が出来る。

 どの国にも言える事だと思うが、善い行いをする貴族もいれば悪い行いをする貴族もいる。貴族に限らず普通に生活する人々の中にも悪事を働くものもいれば善良に日々を暮らす人々もいる。もちろん平和なユリシスの城下街でも貧富の差による犯罪だってなくならない。

 今回の事を考えたものがいるならば、自分の手を血で染めることなく自分にも捜査の手が伸びないと高を括っている貴族だとアッシュは考えていた。そして実行犯は首謀者本人ではないはずだ。
 決して簡単にはしっぽを掴ませたりはしないであろう首謀者を探すのは大変だと思うが、回収したものの中から繋がる何かを掴めるならばすべて集めておきたい。

 これが杞憂に終わればいいとは思うのに悪い方向の可能性を完全に否定することができないのは、騎士団を率いてきたカンなのか、はたまた社交界で見る底の知れない貴族の汚い面を見てきたからか……。

 アッシュは重たくなる思考を振り払うべく、深く深呼吸するように大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
 白い息がふわりと空気に溶けていくその向こう側でエドワルドも同じように大きく白い息を吐きだしているのが見えた。

 随分とわかりやすくご機嫌斜めですね……。

 森の中を警戒はし気配を探っているものの、その間に少しだけ違うことを考えて視線が動く。そしてたまに口を少しだけ突き出したかと思うとグッとつぐんでみたり、ほんの少しだけ観察しているだけも忙しく思考していることは分かる。
 十中八九シズクと一緒に帰れなかった事を悔しがり、そして任務中にそんなことを考えている自分を律しようと必死なのだろう。

 先ほどまでの仄暗い思考の中にあっても、あんなに面白いように分かりやすく機嫌が悪い人間を見るとつい頬が緩んでしまう。しかし今は仕事中だ。

「エドワルド。今は任務中です。シズクと一緒に帰りたかったのに残してしまったのは申し訳ないですが、万が一またドラゴンと会ったなら、あなたの氷魔法は必須なんです」
「わかって……分かっています」

 元々二人の距離感も近かったし年も近い。二人がどうなっていくのか気になってはいたが、先に気持ちが膨らんだのはエドワルドの方だったようだ。
 かといって何かすぐに大きく進展も発展するわけでもなさそうなのがエドワルドとシズクなのだが、そっと見守っているよという思いを込めて、エドワルドの肩を柔らかく数回叩いた。

「まぁ、頑張る事です」
「は? ……えっと、ありがとうございます?」

 疑問符が頭に浮かんでいるのが見えるようなエドワルドの表情についほっこりとしがちだが、今はしなくてはいけない事がある。
 それを思い出させるような冷たい風が頬を鋭い刃物のように掠め、アッシュのほっこりとした気持ちを現実に引き戻した。
 
 少数出来たとはいえ念のため全員に注意喚起を行うためにアッシュは手招きして全員を集めると、小声で全員に伝える。
 
「悪党が考える理由など碌なものではありません。しかし万が一人間が関わっていたなら、国や国民に害をなすつもりであった可能性があります。人工的な罠や人の手が加えられていると感じるものも今回は全て回収してください。判断に迷うものがあれば僕を必ず呼ぶように。分かりましたね」

 全員が神妙な面持ちで顔を見合わせ、こくりと小さく頷く。

 しばし後。

 ドラゴンが捕まっていた場所から少し離れたところに、人がいた形跡をエドワルドが見つけた。

 枯れ木を拾って作った焚き火を消した跡があった。跡を見る限りここ数日はここにいたことが分かる。そして何か食べ物を乗せたであろう大きな葉っぱ、さらに小用の痕跡を消した跡。
 しかし野生動物は焚き火などしないし、こんなに綺麗に葉の上の食べ物を食べないばかりか、小用の痕跡をオリンジの香りのする香水で消したりもしない。

 ここ数日の間にいたであろう人間の痕跡が、至る所に残っていた。

「これは、まぁ間違いなさそうですね。食べ物の痕跡を見る限り三人から四人と言ったところでしょうか」

 辺りを警戒していたアッシュだが、団員以外の気配がないことを確認し声のボリュームをいつも通りに変え、注意深く魔法が使われた痕跡を探り始めた。

「申し訳ありませんが隠し方が雑過ぎて逆に斬新です。盗賊の方がまだましかもしれませんね」

 大きなため息をつきながら肩をすくめ苦笑いを浮かべたアッシュだが、再度集中して痕跡を探ったもののやはり何の手ごたえも感じられなかった。

「しかし、雑な割に魔法の痕跡が全くありませんね」

 ユリシスに住む人々はどんなに弱くとも魔力を持っている。シズクは全く魔力を放出しないのでその限りではないが、その魔力を使い魔法を使えば魔力の痕跡が必ず残る。その魔力の痕跡をたどれば必ず個人を特定することもできるが故、国民すべてが魔力を悪用したならば必ず捕まり罰せられると幼い頃から教育を受けているというのに、魔法を悪用する者はいなくならない。
 
 だからこそ、この場に魔法の痕跡がないという事は、不自然なのだ。

 人がいたというならば、寒さを凌いだり食事をしたりするために火を使うし、飲み水を出したりするために少なからず魔法を使うはずだ。そんな日常でも使うための魔法すらも懇切丁寧に薄めに薄められて、アッシュの腕をもってしても、痕跡に残されていた魔力の人物がどこにいるのかを掴むこともできない。そのこの場所にいた人物を特定できなければ、さらに先の首謀者への道も途絶えてしまう。

《偉大なる水の王に願い奉る 彼の者闇に足枷をされた者なり あなたのすべてを映す清らかな水面にその無事を映したもう》

 近くにあった水たまりから、小さくぽちゃんと音がして水の王がその願いに答えはした。

「ユリシスですか。さすがに捜索範囲が広すぎますね……。しかしこの感じ、僕は覚えていますよ」
「アッシュ団長、もしかしてあの時と同じ?」

 シズクが攫われた時、かすかに髪留めに残した謎の魔力の残滓を追っていた時と同じ感覚である。
 絶対にそこにあるのに届かない感覚。

 アッシュはもう一度水の王に願ってみたが、同じように得られた情報は先ほどと同じくユリシスの方角にいるという事だけだった。

「あれから鍛錬を続けていたのですが、僕もまだまだ……ですね」

 冷たい夜の帳にアッシュの声は飲み込まれアレックスにもエドワルドにも聞こえることはなかった。

「アッシュ団長! これどうでしょうか!」

 昼間に先を走ってくれていた斥候係の団員が、魔法布にくるんでとあるものをアッシュに渡した。

 白い魔法布にくるまれていたのは、半分だけ焦げた小枝。
 先ほど見つけた焚き火から少し離れたところに、一回り小さな焚き火があったそうだ。その中にあって土に半分埋まっていたものを持ってきたという。
 薄く、薄く、薄く……しかし確実にアッシュの目に揺蕩う魔力の残滓が見える。

「上出来です。さて、他にもいいものを見つけた人はいますか? そろそろいいでしょう。 みなさん探索は終了です。見つけたものはアレックスに預けてくださいね。お疲れさまでした」

 焦げていないところと焦げているところの丁度境目から、アッシュはわずかながらだが魔力の残滓を感じて不敵に笑った。
 
「時間は少しかかってしまいそうですが前回よりは魔力を感じます。ふふ。今回はしっぽを掴ませてもらいますよ。じっくりと追いつめて見せましょう。腕が鳴りますね」

 アッシュにとって大事なものがいくつもあるこの国の生活を脅かそうとする輩がいるのであれば、許しはしない。大事なものと言えば……。

「あぁ、そうだ! こんなに働いたのだし、帰ったらロイとゆっくりご飯でも食べに行きましょう。我ながらいい案です! アレックス、調整をお願いしますね」
「帰ってすぐに食事の時間を捻出するのは難しいですよ。犯人捜しに全力を出していただかないと」

 深い闇の夜が終わり朝と夜の境目が見えてきたころ、ふとロイが眉間にしわを寄せ集中して仕事をしているのに、自分を見つけた時にふわりとゆるんだように笑う顔を思い出した。

「すぐに、終わらせます!!」
 
 深い闇の夜が終わり朝と夜の境目が見える。
 冷たかった指先にようやく熱が戻ったように感じながら、アッシュは森を後にしたのであった。
 
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