一介の弁当屋は穏やかな日々を願う

大野友哉

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46.唐揚げと特別

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 リグとエリスをようやく送り届けたシズクは、余ったとはいえ結構な量のパエリアとおかずをそれぞれ弁当箱に詰めてロイの工房に向かった。別に屋台に何かがあったわけでもないのだが、最近顔を合わせることがなかったので丁度良いと思っただけである。

 元気にしているらしいことだけは聞いてはいたが、たまに仕事が忙しすぎて食べることを忘れることもあるので、健康の為しっかりした食事をとってもらって今後も自分の屋台のメンテナンスを継続してもらわないといけない。

「ロイ―!」

 呼び鈴は鳴らしたので誰かが来たことは分かっているとは思うが、声をかけても作業場から出てこようとしないところを見ると仕事に集中し過ぎているのかもしれない。
 とりあえずは一旦持ってきた弁当箱と小瓶を台所に置いてロイを探す。

「ろーいー!」

 もう一度大きな声で呼ぶとドンっと強く壁を叩く音と『うるせー、仕事中!』という声が聞こえた。
 まぁなんだ……。おいこら言い方があるだろうがっ!とは思うが、とりあえず生きているようで一安心である。

 静かにしろと言われたが自分も仕事に向かわなくてはいけない。食事を置いていくのでちゃんと食べろと大声で伝えると、またドンっと壁を叩いて返事をされた。邪魔されたく無い急ぎの仕事でもあるのかもしれないと、シズクはロイの工房を後にした。

 仕事は出来るが仕事に集中し過ぎると他の事が手に付かなくなるタイプの人間は沢山いるとは思う。決して悪いとは言わないが、そう言う人にもせめて食事だけは食べて欲しいと思うのだ。食べたら片づけをしなくてはいけないし、片づけをするという事は一旦休憩を取る事にもなるので体も休められて、煮詰まった頭には丁度いい小休止となるのに。
 あくまで人それぞれだけれども、食事と睡眠は大事。そんなことを考えながら屋台を引き、いつもの場所に向かう。

 そろそろ店を出して一年になる。
 この世界に転生してきたころは、頭は混乱し体もかなり衰弱していて何もできない状態だった。リグとエリスに保護されなければ折角転生したこの世界でも何もできずに死んでいたかもしれない。
 本当に感謝しかない。
 そんな二人に何とか恩を返したいとは思いはするが、どうすることが恩返しになるのかわからないまま今に至っている。

 丁度店の場所に到着して開店準備を始めていると、向かいのベンチに座っていた初老の男性がゆっくりと立ち上がるのが見えた。この屋台を始めた頃から通う客ではあるが頻度は他の客よりも圧倒的に少ない。

「お嬢さん、来たところ申し訳ないが今日はあるはあるかな?」

 ゆっくりとした口調で屋台に並ぶメニューを見て、そのうちの一つで目を止めた。

「ありますよ! いつもの通り十個でよろしいでしょうか」

 シズクがその初老の男性に聞くと、よろしく頼む、と少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
 その男性は孫が家に遊びに来るときにだけ、シズクの屋台に足を運んでくれる。

「あれから一年経ったのか。早いものだな」
「そうですね」

 店を始めた頃は屋台が盗まれそうになったりもしたが、それ以上に色々な出会いがあったうちの一つでもある。

「奥様もお元気ですか?」
「あぁ、最近は寒い日が続いたから膝が痛くて今日は来ることが出来なかったが、次は一緒に来るよ」
「是非お待ちしていますね」

 あの日は天気が良くて、老夫婦がそろって朝からメルカド・ユリシスに足を運んでいた。
 物珍しいシズクの屋台を覗いてみると、見たことのない料理がたくさん並んでいるではないか。屋台を始めたばかりのシズクも顧客会得の為試食をしてもらっていたのだが、その中で塩唐揚げをいたく気に入ってくれたのを思い出す。

「今日は息子夫婦が遊びに来てくれるから、いくつか包んでもらいたいのだけれどいいかしら」
「もちろんです」

 その時から息子夫婦が遊びに来るときに店に来て唐揚げがあるか確認してから買っていくのだ。唐揚げがない時はその日のおすすめを買って行ってくれるが、事前に来る日を教えてもらえればその日のメニューの一つは唐揚げにしてくと言うのだが、来る日が直前まで決まらないので難しいのだと老夫婦は笑う。

「卵はお好きでしたよね?」

 たまに唐揚げ以外の総菜も買っていくのだが、卵料理がある時は大概一緒に買っていくからだ。今日はスパニッシュオムレツと実はもう一品隠し玉があるのだ。

「もちろんだよ。美味しい卵料理なんてなかなかお目にかかれないからね」
「そんなことないと思いますけど……。うちの料理を好きだと言ってもらえるのは嬉しいですけどね」

 さて、唐揚げとは別の容器にスパニッシュオムレツと入れてから、さらに別の瓶を取り出す。
 今日ロイのところにも置いてきたものと同じである。

「この小瓶の白いものは何だい?」
「これはタルタルソースです」

 胸を張ってそう答えた。

「たるたるそぅす?」
「はい」

 卵とケーパを具に使い、酢とクリームチーズ、砂糖、塩、出汁とほんの少しの醤油を使ったタルタルソースである。使える素材でそれっぽい味になるか試していたら一番初めに美味しいものが出来たので、出来上がった時には作ったシズク本人もびっくりしてしまったほどだ。先日試作に作っていたものをリグに味見をしてもらってからというもの、ドはまりしてしまい今回のお弁当にもリグの分にだけタルタルソースを入れたのであった。

「このソースを付けて唐揚げを食べてみてください。ハマる人はハマると思いますので。唐揚げじゃなくても揚げ物には結構合うと思いますよ」

 前世タルタリストという言葉があったほど好きな人がいたものだ。かく言うシズクもらっきょうを使ったタルタルを手作りするぐらいにはタルタル好きであった。

「そうかね、そうかね。折角だしいただいていくことにしようか」
「ありがとうございます。次に来た時にも作れるといいんですけど……。もし気に入ったらご連絡くださいね」
「そうしようかね。次は違う味の唐揚げを試してみたいんだが出来るかね?」

 絶対に予約はしないこの客に、もしもがあれば是非にと性懲りも無くまた伝えるといつもと違う反応があった。
 次の来店の約束をしてくれるとは思いもよらず、一瞬シズクは何が起こったのかわからななかったのだがじわじわと込み上げてきて顔がほころぶのに時間はかからなかった。

「是非是非! ご連絡お待ちしていますね!」
「次回来る前には仕えを出すようにしよう。ではまた」

 そう言うと初老の男性が足取りも確かに歩いていくと、シズクは初めて見かけたがその後を何人もの人たちが付いて行くのが見えた。もしかしてシズクと話している間もずっと見られていたのだろうか。
 仕えを出すと言っていた。身なりも良いし喋り方も丁寧だが特に名前も名乗らないのでもしかしたらどこぞの貴族のご隠居様が世を忍んで買い物に来ているのかもしれないな、などとシズクが考えていると今度は見慣れた二人組がやってくるのが見えた。

「シズク、おはよう。今日もいい天気だね」
「おはよう!」

 アッシュとエドワルドだ。
 エドワルドだけならまだしもアッシュまでこんな朝早くから市場に足を運ぶなんて珍しい。

「今日は先王陛下がお忍びで街を歩かれてたんだ。俺達は違う場所で警備していたのだけれど、解散になったんでお店に寄らせてもらったんだ。シズクのところで朝ごはん食べようと思って」
「もしかしたらこの辺りも歩かれたから、もしかしたらお見かけしたかもしれないね」

 それを聞いてもしや?と思いはしたが、先ほど合ったいつものおじいさんは、いつものおじいさんだったし、流石に先王陛下がたまに唐揚げを買いに来るなんてそんなことないだろう。それに先王陛下が供を一人もつけずに歩くなんてことはないだろう。とシズクは気にすることを止める。

「今日は何があるのかなー」

 嬉しそうにエドワルドは懐からキャラメル色のレザーウォレットを取り出した。
 そのウォレットには小さいのに凛とした雪の結晶のモチーフと赤い梅結びが共に仲良く揺れている。それをエドワルドが愛おしそうに一撫する姿に、大事にしてもらっているのだとわかった。
 
「それ……」
「えへへ、使ってくれてるんだね」
「……、もちろんだよ」

 とても気に入ってくれているはずなのに、何故かそれをアッシュの目から隠そうとする。
 するとようやくその理由を見つけたとばかりにアッシュがシズクに詰め寄った。

「最近凄く大事にしてて自慢するくせに誰にもらったとか、見せてくれるのに触らせてもらえなかったりとかしたんですよ。これはシズクのプレゼント?」
「そうなんです! この前のオリンジデーで。リグとエリスにも渡したし、ベルディテットとクレドさんとも似た感じのものなんですけど、エドワルドだけモチーフも付けちゃいました」
「オリンジデーにですか。それはそれは……。良かったですねぇ。エドワルド」

 アッシュはふんふんと頷きシズクの話を聞きながら、エドワルドを眩しいものを見るような顔で見ている。

「みんなと違うものにしたのはどうして?」
「えっと、梅結びの何かをプレゼントにと思った時にリグとエリスはお揃いで、本当はベルディエットとクレドさんとエドワルドの三人もお揃いのものにしようと思ったんです。けど丁度エドワルドのイメージにぴったりなモチーフ見つけちゃったんで一緒に付けたくなっちゃって……」
「三人の中で一番特別だね」
「です、です!」

 びっくりするほど照れずに堂々と特別だと言われると、こちらの方が恥ずかしくなってしまうなとアッシュが思っていると、エドワルドの耳が見る見る赤くなるのがアッシュには見えた。

「特別だそうだよ。エドワルド」
「はい……」

 シズクは小さく頷くエドワルドのレザーウォレットに付いて揺れる雪の結晶を見る。
 エドワルドが使う魔法は氷魔法だ。なので本当なら氷モチーフのものが合うのかもしれないと思ったのだが見つけた時は絶対にこの雪のモチーフが似合うとシズクは確信したのだ。手に持っている本人を目の当たりにするとその確信が間違いでなかったと、ついニヤニヤしてしまう。
 
「あ、お弁当券の方がもしかしたら気に入ってくれるかもしれないけど、これもずっと大事にしてね」
「もちろん、もちろんだよ。俺大事にする。お弁当券、今日一枚使う!」
「まいどありー!!」

 何とも見ているこちらが恥ずかしくなってしまうような、心がくすぐられてしまうやり取りである。
 アッシュは目の前の二人を見ているとほっとして優しい気持ちになるような気がするのだ。なんとも初々しくもじれったい、微笑ましいやり取りにとても甘酸っぱい何かを感じるからかもしれない。
 
「さてと、僕はこれからロイのところにお邪魔する予定があるので、何か包んでもらおうかな?」
「あ。ロイのところには朝寄ってこの間アッシュさんから頂いたアサリを使った炊き込みご飯……パエリアって言うんですけれど、そのパエリアと色々置いてあるんで一緒に食べて下さいよ。ロイってば凄い仕事に夢中になって食べてないかも……」
 
 ……そっか、アッシュさんと約束があったから寝食そっちのけで仕事をしてたってわけだ!

「あ、ははーん、そう言うことか」

 真相に気が付いたシズクは、大きな独り言をつぶやき合点が言ったぞと言った風に手を叩いた。

「多分アッシュさんが来るから急いで仕事を終わらせようとしてるんだと思うんです。約束の時間には何でもない顔してお迎えすると思うんですけれど、絶対ご飯食べてないと思うんで一緒に食べてくださいね」
「本当に君は、ロイの事を何でも知っているね」

 声色はいつもと変わっていない。口調も穏やか。表情だって先ほどエドワルドとシズクの二人を微笑ましく見ていた時とそんなに変わらないはずだ。しかし……。ほんの少しだけ、ほんの少しだけだがアッシュの眉がピクリと動いた。

「何でも知っているわけではないですけど、ロイは見てるとわかりやすいですからね」
「変人だけど、確かに分かりやすいなって思う時はあるね」
「そうですよ。あとで会った時によく観察してみてくださいね。なんていうか、アッシュさんは特別だからすぐに分かっちゃうかもですよ」
「そう?」

 エドワルドが分かると言っていたし、自分にもすぐにわかると聞くと、ふっと軽くなった気がする。
 どうしてなのか分からないまま、アッシュは先ほどとは一転して足取り軽くロイの工房に向かった。
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