一介の弁当屋は穏やかな日々を願う

大野友哉

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57.コーンポタージュ

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-びっくりした……-

 何でもないような顔をしているつもりで一緒に歩いているのだが、シズクは先ほどの出来事を反芻していた。
 
 びっくりしたし、恥ずかしいし、なんかよく分からないけど物凄くドキドキした……。

 自分の感情がぐるぐると目まぐるしく行ったり来たりして、隣を歩くエドワルドに伝わってしまわないか心配になるほど胸の鼓動が早い事に気が付いてさらに驚く。
 あんな大事なものを守るように抱き込まれてしまっては、勘違いしてしまいそうになるが、エドワルドには多分そんなつもりはなくて危なかったから助けてくれただけ。
 他意はない、他意はない……。

 シズクは火照った顔を手で覚ますように扇ぎながら自分自身に言い聞かせて家の玄関に辿り着くと、そこには不機嫌そうな表情で立つベルディエットとそれをなだめすかしているように見えるシャイロがいた。

「ベルディエット! シャイロさんも」
「シズク!!」

 ベルディエットは先ほどまで見せていたかなり不機嫌そうな表情がまるで嘘だったのかと思うほど、花が急に咲いたように笑顔をシズクに向けて振り返った。その横で見ていたシャイロは、うそだろ……という気持ちが隠しきれていない表情だ。

「ようやく抜けられましたわ。茶会の参加は義務ではありませんけれど今回は主催が国王様でしたから断りにくくて……。早々に一人で退散したエドワルドが憎いです」
「憎いって……。俺だってちゃんと参加してたよ」
「私を置いて先に出て行ってしまったではありませんか。シャイロン様が手を貸してくれなかったら、私はまだあの場所にとらわれたままだったかもしれないと言うのに」

 国王主催の音楽会だったので、シャイロも呼ばれていたのだ。
 音楽会前に屋台に顔を出すことが出来なかったのは、日程の調整がうまくできず公務としてしかこの国に足を運ぶことが出来なかった為だ。

 シャイロはただの私立探偵ではない。四男とはいえ一国の王子なのだからそれなりに仕事があるのだから。

「今回はたまたまお邪魔していたので……。ベルディエット嬢のお手伝いができて光栄でした」
「えー、でもさ、シャイロは音楽会にお呼ばれするほど凄腕の探偵なの?」

 しかしシャイロがいったい何者なのか、あまりよくわかっていないシズクからすれば至極真っ当な質問を投げかけると、しまった!と言うわかりやすい表情に変わったシャイロに変わってベルディエットが、その問いに答えた。

「この人が探偵と言うのは嘘よ」
「うっそ!」
「本当」

 シャイロが隣国リットラビア公国の第四王子だと告げてしまうのだろうか。それはそれで別に気にしなさそうではあるけれど、今まで探偵だとずっと思っていたことにある意味エドワルドはびっくりした。疑うことをしなさすぎである……。

「何を隠そう、この人はね、リットラビア公国でドラゴン研究なんかもしているちょっと有名な貴族なのよ」
「えー!! そうなの!? だからこの前の一件の時も騎士団と一緒に来てたのかー」
「その通りよ」
「不思議だったんだよね……。ただの私立探偵がドラゴンの探索に参加するなんてさ。アッシュ団長とか全然普通だったしさー。もー! 別に私貴族だからって今さら態度変えたりしないし、言ってくれたらよかったのに!」
「は……はは。すみませんでした」

 ベルディエットのいう事は間違いではない。リットラビア公国の第四王子なのだから間違いなく有名な貴族である。訪れた最初の目的はドラゴン調査のためだし、各国から来た要人と調査団であることも間違いない。
 全く嘘というわけではない。

「ドラゴンにそんなに詳しかったんなら、もっと早く教えてくれたらよかったのに。私、ドラゴンと対峙したことあるしさ、その時にベルディエットも一緒だったんだよ」
「女性二人がこの国で一番初めにドラゴンに遭遇したという話は聞いていましたが、お二人の事だったんですね」
「びっくりした?」

 あまり動じていないのは、シャイロの事をシズクが普通の貴族だと思っているからだろう。
 あくまでドラゴンの研究をしている、という事が凄いのであって、貴族だから凄いという認識ではないのだろう。
 しかし彼女もびっくりするほど大人の考え方をする瞬間があって、そう言ったお役目中の場合はちゃんとその場に適したそれ相応の大人の対応で接するし、それ以外では今までと変わりがないと思う。
 驚きはすれど、今後本当にシャイロが公国の第四王子だとわかったとしてもシズクの態度に変化は今さらないかもしれない。

「さて、シズク。私ご褒美をもらわなくてはいけないのですわ。しっかりと音楽会に出席しましたし、嫌でしたが茶会にも参加しました。昨日の約束、しっかり果たしてもらわなくては」

 ベルディエットがそう言うと、にやりとシズクは笑った。

「さっきエドワルドと準備したからね。これから作っちゃうよ。シャイロさんも食べていってください」
「もちろん、俺も食べるからね」

 くいっぱぐれてはいけないと、エドワルドも声をあげるとシズクからはもちろんという声が帰ってきた。

 リグとエリスが帰ってきたらびっくりするかもしれないが、シズクは三人をダイニングで待たせて台所に向かう。しかし、座らずにエドワルドはシズクの後ろをついてきた。

「手伝うよ」

 何事もなかったかのようにエドワルドがするりと横に立って、シズクの顔を覗き込む。

 先ほどの出来事がシズクの頭に浮かんで、じわっとまた頬が熱くなるのを感じる……。
 
 心があたふたとしてしまうのをなんとかわからないように、平静を保っているように見せかけてシズクはキッチンに立った。

「じゃ……、じゃぁ、メイスの実をこんな感じでそいでもらっていい?」
「全部?」
「うん」

 少し距離を取って勘違いするなー!と、また心の中で数回大声で叫んで、ようやく収まってくれた赤くない顔をエドワルドに向けてお願いすると、ニコリと笑って頷いた。

 なんだろなぁ、今日は。
 
 ともすれば、すぐにじわじわと何かが込み上げてくる感覚。これは、あれだ。
 いや、でも、吊り橋効果的な感じで先ほどの焚き火の時のドキドキが残っているのかもしれない。決定的な結論は後回しにしておこう……。

「こんな感じ? すっごい綺麗にそげた!」
 
 何となく決定的な気持ちになるのを誤魔化しながら、シズクはそんなことを一人ぐずぐずと考えていると、エドワルドは綺麗にメイスの実を削ぎ終わっていた。自慢げにメイスの芯を突き出すエドワルド。
 
「ほんとだ! 凄い凄い!」
「……」

 一瞬だけエドワルドがふいと顔を逸らした。何か口元が動いたように見えたがまたシズクに向き合って続きの作業を促された。気にはなったが、作業を進めようとシズクは説明を始めた。

「ケーパをみじん切り。削いだメイスの実をケーパと一緒にバターでくたくたになるまで炒めて……ボルスミルクと一緒に煮るよ」
「わかった。焦がさないようにすればいい?」
「それはもちろん! よろしくね。で、私は……」

 そう言って、エドワルドが焦がさないように小鍋と格闘していると、シズクは麻袋からメイスを取り出して皮を剥ぎ、焼いたり蒸したりせずそのままおろし金でがしがしとおろし始める。

「えー!! シズク、新しいの作るの?」
「どっちも美味しいはずだから、試しに作りたくって。ちょっとすりおろすだけだから」

 すりおろし終わった辺りで、先に進めていた方を一旦火からおろしてすり鉢で丁寧に潰した後ボルスミルクと合わせて煮るのを、またエドワルドに見てもらう。

 シズクは自分ですりおろした生のメイスを小鍋に移し、ボルスミルクと合わせてバターと塩で味を調えると、エドワルドが見ていた小鍋にも少し塩を入れる。味見をすると、これはもうびっくりするほど美味しい。さらに生からすりおろした方はさらに甘味と旨みがあってより一層の美味しさである。

「エドワルド、ちょっと氷取って貰ってもいい?」
「便利屋だと思ってない? お代、高いよ?」
「冷蔵庫からだから!! お手伝いの範疇!!」

 ニッと笑ったエドワルド。お手伝いではなかった場合お代はどれだけ高くつくのかと聞くと、笑いながら冗談冗談と頭を数回ぽんぽんと撫でるように触れて、エドワルドが穏やかに笑う。

「あ、り、がと」
「はは。どうしたの? 片言すぎ」

 撫でられた当たりが、ふわふわして暖かい。
 やばいな。先ほど後回しにしようと思っていたこのじわじわとくすぐったい気持ちに、とうとう名前がついて明確になってしまう。
 前世では恋愛もあまりせずに仕事ばかりしていた弊害か、自分の未開拓な心の奥に踏み込むのに躊躇してしまいがちだが……。

 なるようになるか?
 なるようになるな!

 ただ、ロイには大口叩いておいてなんだが、シズクのこの気持ちをエドワルドに明らかに出来るかは不明だけれど、恋なんて……、久しぶり過ぎる。
 良い人だし、性格も優しくて、一緒にいればいるほど楽しいのだ。
 
「でもさ、なんで二種類作ったの?」

 自分の気持ちの方向性が決まったことに何故だか安堵し、ちらりとエドワルドを見ると、急に現実に戻してくる話を振ってきた。一旦自分の心の中の話は置いておいて、慌てていつもと同じようにシズクは返事を返す。

「折角美味しく焼けたからそれも使いたかったし、生ですりおろすと美味しいのも分かってたからさ。どっちも美味しいから、どっちも味わって欲しくって」
「それは楽しみだ」

 焼いた後のメイスを使ったものと、生のメイスを使ったもの。味見の段階ではどちらも美味しいが好みもあるだろう。

「まだ熱いけど味見してみる?」
「いいの!?」

 まだ冷やす前のコーンポタージュをまず一つ、焼いたメイスで作ったものをエドワルドに手渡した。

「んん!! 何これ!」
「メイスのポタージュです」
「知ってる! 知ってるけど、メイスだよ? こんなことってある? 甘くて濃厚……」
「ふふふ。ではこちらもご賞味ください」

 今度は生のメイスをすりおろしたものを使って作ったものを渡す。口にした後余程好きな味なのか、味わい尽くしたいとばかりに唇をぺろりと舐めた。

「貴殿……。これは、また危険なものをお作りになりましたな。広まったらメイスの奪い合いになるかも」
「それは大げさじゃない? でもそれぐらい気に入ってくれたって事?」
「年中飲みたい」

 先ほどよりも目が輝いて、もう少し味見したいと言っているようにも見えるがこれから冷やさなくてはいけない。残念だがまた別の機会に温かいものを味わってもらおう。

「これを冷やして飲むから、また少し味の感じがかわるよ」
「えー! 楽しみなんだけど。焼いてから作った方は気持ちさっぱりしてるし、生のメイスをすりおろしたのは、なんでこんなに濃厚な甘さになるのか不思議……」

 メイスのポタージュを冷やしている間台所で二人で話し込んでいると、じっとこちらを窺う視線を感じてハッとしたシズクが入口に目を向けた。
 そこにはジト目のベルディエットが……。

「二人でイチャイチャしていないで、早くこちらにいらしてくださいな。シャイロン様と二人では間が持ちませんわ……。あら、凄く甘い香り……」
「イチャイチャなんてしてませんっ」
「あらあら、どうかしらー?」

 そのまま飄々とした表情で台所の中へやってきて、甘い香りの根源の前に辿り着くと大きく深呼吸してその香りを目いっぱい吸い込む。

「充分二人の時間を堪能したのであれば、そろそろ私達にもこの美味しいものをお披露目してくれてもいいのではないかしら?」
「ごめんごめん、冷やして持っていくからもうちょっと待ってて」

 そのエドワルドの返事を聞くとベルディエットは腕を組み、何を思ったのかエドワルドとシズクの顔をじっと見てから、返事を返す。

「冷やしている間、またイチャイチャしないで頂戴よ」
「「ーーーっっ!」」

 それぞれ顔を真っ赤にして、今度は何故か否定する言葉が出てこないエドワルドとシズクの二人であった。
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