【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩

文字の大きさ
10 / 53

第10話 すれちがう溺愛【皇帝編】

しおりを挟む
◆◆◆◆◆◆

「マリスは部屋に不自由を覚えてないだろうか……」
「不自由もなにも、まだなにも始まってないよ。さっき帝国に来たばかりだ」

 グレゴワールはじろりとヴェルハルトを見た。
 会議が終わって執務室に入ったが、ヴェルハルトはいつになく心ここにあらずである。
 普段は大国ダラム帝国の皇帝らしく威厳と風格にあふれ、政務に対しても責任をまっとうしている。皇帝でありながら度を越えて我欲に走ることはなく、広大な帝国を安定して統治している名君である。
 しかも広域支配に必要なのは畏怖いふであることを心得ていることもあって、近しい者以外はヴェルハルトを冷徹な皇帝だと思っている。
 この『冷徹な皇帝』、それはヴェルハルトにとって都合がよかった。
 帝国民は冷徹な皇帝に畏怖いふを抱くも、ときおりに見せる慈悲に涙するのだ。巨大な帝国を治めるに相応しい人心掌握だった。
 しかし今、その冷徹な皇帝が思案顔で執務室を行ったり来たりしている。

「気になる。様子を見てきたほうがいいかもしれん……」

 ヴェルハルトは深刻な顔で呟いた。
 恋とはこれほどに人を変えるものなのか……とグレゴワールは内心感心していた。誰にも見せられない姿である。

「様子を見に行く必要はない。マリスの世話係に用意した女官や侍女はベテラン揃いだ」
「そうか。それなら用意した衣装を気に入ったか確かめに行きたい。マリスに似合わぬものなどないとわかっているが、より似合うものがあるなら知っておきたいんだ」
「そんなことまでしていたのか……」
「当然だ。クチュリエには新しい衣装の制作に取り掛からせている。だが一つ問題があってな」

 ヴェルハルトは会議で重要案件を語るような口調で語る。
 グレゴワールはもう帰りたかった。
 なぜなら。

「マリスは何色が似合うと思う? 俺はグリーンだと思う。若葉のような淡いグリーンもいいが、エメラルドのような深いグリーンもいい。悩ましいな……、どう思う?」
「…………グリーンはグリーンだろ」
「お前、グリーンには何種類あると思っているんだ。もう少し芸術性をみがいたほうがいいぞ。それに俺が聞きたいのはそういうことじゃない。マリスはグリーンだけじゃなく純白も似合うんだ。なんなら夜の海のような漆黒も似合ってしまうだろう。ほんとうに悩ましいことだ」

 グレゴワールは目まいがした。
 ……大惨事すぎる。
 しかし恋をした皇帝は止まらない。

「今晩の食事は一緒のテーブルを囲みたい。呼んでくれ」
「嘘だろ。人質が皇帝と食事を囲むのか」

 さすがにこれには驚いた。
 人質を食事に呼ぶなどあり得ないことである。

「それはやりすぎだろう。他の人質に示しがつかない。後宮にどれだけの王女や令嬢がいると思っているんだ」
「マリスはエヴァンの世話役だ。あいつは手がかかるから食事も同席させたほうがいい。これも世話役の仕事だ」
「なにが仕事だ。私事だろ」

 グレゴワールは文句を言うが、そんなものはヴェルハルトの耳に入っていない。

「今夜の夕食の食材は帝国各地の美味と珍味と高級食材をふんだんに使ったものにしろ。気を引いて会話がしたい。飽きさせたくない」
「…………」
「これからの食事には定期的にヘデルマリアの料理や食材を使うようにしろ。故郷の味を恋しく思うこともあるだろう。慰めてやりたい」

 次々に注文されてグレゴワールは頭を抱えた。
 食事にまでヴェルハルトが口を出すのは初めてなのだ。

「君、面倒くさい男になったね……」

 心底呆れた様子のグレゴワールにヴェルハルトは苦い笑みを浮かべる。
 自覚がないわけではないのだ。

「言うなよ。自覚していないわけじゃない。だが欲しいという気持ちが抑えきれないんだ」
「ならば寝所に呼べばいい。君は皇帝だ」
「…………」

 ヴェルハルトは黙った。
 グレゴワールの言いたいことはわかるのだ。そしてそれを許されていることもわかっている。
 抱きたければ寝所に呼んで抱けばいい。側に置きたければ側に置いて、永遠を誓わせたければ誓わせればいい。それは可能だ。帝国の皇帝であるヴェルハルトが望んで手に入らないものなどないのである。
 だが。

「それ、かっこわるいだろ」

 ヴェルハルトはあっさり答えた。
 強引に手に入れてしまいたい衝動や欲望がないわけではない。そのほうが手っ取り早いこともわかっている。
 でもそれはヴェルハルトの理想とするところではない。帝国を統治するために冷徹で非情な判断をすることもあるが、それでも基本路線はかっこよくありたいのである。
 かっこよさとは威厳や風格だ。威厳や風格は自分自身の言動と精神性によって磨かれるのである。ヴェルハルトはそれを知っていた。
 そんな皇帝ヴェルハルトにグレゴワールは少し呆れた顔になったが、やれやれと口元に微かな笑みを刻む。

「この時代の帝国民ほど幸運な民はいないだろうね」
「俺は帝国民が誇れるようなかっこいい皇帝でいたい。即位した時からそう決めている」
「そうだね。君はそうだ」

 グレゴワールは納得して頷いた。
 しかし、それならば意見が一つ。

「それなら余計にエヴァン殿下の世話役で本当にいいのかい? 前の世話役は殿下にクビにされたと聞いたが」
「…………」
「前の前は書き置きだけ残して逃げたと聞いたが」
「…………」
「前の前の前は」
「もういいやめてくれ」

 ヴェルハルトが真顔でさえぎった。
 次に考えこむように渋面になり、困ったようにグレゴワールを見る。

「……やっぱりまずいと思うか」
「そりゃね。何人の世話役や女官が泣かされてきたことか」
「はやまったか……」

 ヴェルハルトはため息をついた。
 勢いでマリスを世話役に任命したが、弟のエヴァンは一筋縄ではいかない八歳児なのである。

「…………」
「…………」

 エヴァンを思い出してヴェルハルトとグレゴワールは疲れたようなため息をついたのだった。

◆◆◆◆◆◆





しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【本編完結】死に戻りに疲れた美貌の傾国王子、生存ルートを模索する

とうこ
BL
その美しさで知られた母に似て美貌の第三王子ツェーレンは、王弟に嫁いだ隣国で不貞を疑われ哀れ極刑に……と思ったら逆行!? しかもまだ夫選びの前。訳が分からないが、同じ道は絶対に御免だ。 「隣国以外でお願いします!」 死を回避する為に選んだ先々でもバラエティ豊かにkillされ続け、巻き戻り続けるツェーレン。これが最後と十二回目の夫となったのは、有名特殊な一族の三男、天才魔術師アレスター。 彼は婚姻を拒絶するが、ツェーレンが呪いを受けていると言い解呪を約束する。 いじられ体質の情けない末っ子天才魔術師×素直前向きな呪われ美形王子。 転移日本人を祖に持つグレイシア三兄弟、三男アレスターの物語。 小説家になろう様にも掲載しております。  ※本編完結。ぼちぼち番外編を投稿していきます。

溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら兄たちに溺愛されました~

液体猫(299)
BL
暫くの間、毎日PM23:10分に予約投稿。   【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸にクリスがひたすら愛され、大好きな兄と暮らす】  アルバディア王国の第五皇子クリスは冤罪によって処刑されてしまう。  次に目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。    巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。  かわいい末っ子が過保護な兄たちに可愛がられ、溺愛されていく。  やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな気持ちで新たな人生を謳歌する、コミカル&シリアスなハッピーエンド確定物語。  主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ ⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌ ⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

【完結済】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!? あらすじ 「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」 前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。 今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。 お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。 顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……? 「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」 「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」 スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!? しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。 【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】 「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」 全8話

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

処理中です...