57 / 171
第十章:皇太子の抱える問題
57:系譜の理由
しおりを挟む
「サイオンの力を放棄することは、私の、いや、おそらく歴代の皇帝の夢のようなものだ。おまえがクラウディアの粛清で絶望し、第零都の真実を見て嫌悪したように、私もサイオンの力を恐れている。それは世界が安定するほど、歴代の皇帝の中で燻りはじめ、抱え続けた感情だろう」
皇帝であるユリウスの複雑な思い。ルカははじめて知った。
打ち明けられたことに、不思議と驚きはない。皇帝の葛藤はするりと心に馴染む。
「だから、見ていればわかる。おまえは外交を重んじる。それは私の目指す方向性でもあるが、帝国が軍事力で一強となることがないように、軍事以外の分野に視野を向けて国力を高めようとしている。第三都ガルバのルクスに肩入れするのもそうだ。第二都の工業でも、ある研究に力を入れていることがわかる」
「――陛下」
「クラウディアがサイオンの力を放棄して一番に問題になるのは兵力ではなく、無尽蔵に供給される動力だ。サイオンを放棄すれば、クラウディアは帝国を支える動力源を失う。帝国内の五割以上を賄うサイオンの動力。それに変わる新しい動力源の確保が不可欠だ」
「陛下が第零都で新たな動力の研究を推進していることは知っています」
クラウディアを遡れば、サイオンの動力が八割以上を賄っていた時代もある。帝国の豊かさはサイオンの技術とは切り離せない。
決別するためには、動力源の自立が必要だった。
「おまえも違う方向性から同じことを考えている」
「――はい」
「だから、私にはわかった」
ユリウスの言葉を疑う余地はない。
クラウディアとサイオンの関係を白紙に戻す。それが示す本当の意味は、途方もなく険しい。
「ルカ。おまえはサイオンの王女を愛しいと言ったね」
「はい」
「新たな天女を得る時期に、サイオンを放棄する野望を持つおまえが、その王女を愛した」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。私はすこし因果のようなものを感じた。大きな意味を持つかもしれないと、そんな期待を抱きたくなる」
因果。自分がスーと出会い、愛したことには意味があった。いつか、そんな風に言える時が訪れれば良い。ルカの胸の底にも堆積して、くすぶり始めた夢。
何も憚ることなく、想いを伝えて寄り添う未来。
自分の隣で、変わることなく朗らかに、スーの笑顔が輝いている光景。
途方もない、甘美な夢だった。
「陛下、ありがとうございます」
ユリウスに見抜かれていることが、今は素直に心地よい。
手元のグラスに口をつけると、苦いだけだったワインが仄かに甘い。
ルカは皇帝の労りに心を委ねて、思い切って問いかける。
「陛下は、なぜ私にルクスの話をされたのでしょうか。何かサイオンに関わることが?」
「ルクスの機動力が、おまえの力になるのではないかと思ったのだ」
「本当にそれだけの意味ですか」
「それだけとは?」
ルカは自分の胸に浮かぶ不穏な予感を打ち明けた。
「王女を幾度となく迎えながら、クラウディアにはサイオンの血が入っておりません。王女を妃に迎えても、私には後継の問題が残るのかと、少し邪推したくなります」
ユリウスが何と答えるべきなのか、言葉を選んでいるのがわかってしまう。
ルカは追い討ちをかけるように、さらに明確に問う。
「サイオンの王女は子を成すことができないのではないですか?」
「それは違う」
ユリウスがはっきりと答えた。
「では、系譜にサイオンの血が混ざっていないのは、ただの偶然なのですか?」
「――偶然、ではない」
皇帝が何かを言い淀んでいるのは珍しい。ルカは再びワインに含まれた仄かな果実の甘さを見失う。口に含んだのは、苦いだけの赤。
「陛下、どうか私に全てお話しください」
「……サイオンの技術の真の恐ろしさは、そういうところにある」
「サイオンの技術?」
「サイオンの王女が子を産むと、新たな天女となる条件を失う可能性がある」
ユリウスの説明は、これ以上はないくらい端的で明快だった。
ルカの脳裏で全てがつながる。
王女の役割を思えば、それは帝国にとって恐れるべき事実だった。
クラウディアがサイオンの全てを放棄することができない限り、王女との子は望めない。
「……よく、わかりました」
ようやく声を絞り出したルカに、ユリウスは無言でワインを振る舞う。
「飲みなさい」
グラスを満たす、深い色。ルカは一息にあおった。
この先、これ以上に苦く感じるワインを飲むことがあるだろうか。
「陛下」
卓の上にグラスを戻し、ルカは告げた。
「一大商家ルクスのご息女との話を、前向きに検討いたします」
「……ルカ」
今はまだ自分の野望を成し遂げられる保証も、夢を叶える自信もない。
この先に何が起きようとも、ルカには帝国の未来を担う責務があるのだ。
皇帝であるユリウスの複雑な思い。ルカははじめて知った。
打ち明けられたことに、不思議と驚きはない。皇帝の葛藤はするりと心に馴染む。
「だから、見ていればわかる。おまえは外交を重んじる。それは私の目指す方向性でもあるが、帝国が軍事力で一強となることがないように、軍事以外の分野に視野を向けて国力を高めようとしている。第三都ガルバのルクスに肩入れするのもそうだ。第二都の工業でも、ある研究に力を入れていることがわかる」
「――陛下」
「クラウディアがサイオンの力を放棄して一番に問題になるのは兵力ではなく、無尽蔵に供給される動力だ。サイオンを放棄すれば、クラウディアは帝国を支える動力源を失う。帝国内の五割以上を賄うサイオンの動力。それに変わる新しい動力源の確保が不可欠だ」
「陛下が第零都で新たな動力の研究を推進していることは知っています」
クラウディアを遡れば、サイオンの動力が八割以上を賄っていた時代もある。帝国の豊かさはサイオンの技術とは切り離せない。
決別するためには、動力源の自立が必要だった。
「おまえも違う方向性から同じことを考えている」
「――はい」
「だから、私にはわかった」
ユリウスの言葉を疑う余地はない。
クラウディアとサイオンの関係を白紙に戻す。それが示す本当の意味は、途方もなく険しい。
「ルカ。おまえはサイオンの王女を愛しいと言ったね」
「はい」
「新たな天女を得る時期に、サイオンを放棄する野望を持つおまえが、その王女を愛した」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。私はすこし因果のようなものを感じた。大きな意味を持つかもしれないと、そんな期待を抱きたくなる」
因果。自分がスーと出会い、愛したことには意味があった。いつか、そんな風に言える時が訪れれば良い。ルカの胸の底にも堆積して、くすぶり始めた夢。
何も憚ることなく、想いを伝えて寄り添う未来。
自分の隣で、変わることなく朗らかに、スーの笑顔が輝いている光景。
途方もない、甘美な夢だった。
「陛下、ありがとうございます」
ユリウスに見抜かれていることが、今は素直に心地よい。
手元のグラスに口をつけると、苦いだけだったワインが仄かに甘い。
ルカは皇帝の労りに心を委ねて、思い切って問いかける。
「陛下は、なぜ私にルクスの話をされたのでしょうか。何かサイオンに関わることが?」
「ルクスの機動力が、おまえの力になるのではないかと思ったのだ」
「本当にそれだけの意味ですか」
「それだけとは?」
ルカは自分の胸に浮かぶ不穏な予感を打ち明けた。
「王女を幾度となく迎えながら、クラウディアにはサイオンの血が入っておりません。王女を妃に迎えても、私には後継の問題が残るのかと、少し邪推したくなります」
ユリウスが何と答えるべきなのか、言葉を選んでいるのがわかってしまう。
ルカは追い討ちをかけるように、さらに明確に問う。
「サイオンの王女は子を成すことができないのではないですか?」
「それは違う」
ユリウスがはっきりと答えた。
「では、系譜にサイオンの血が混ざっていないのは、ただの偶然なのですか?」
「――偶然、ではない」
皇帝が何かを言い淀んでいるのは珍しい。ルカは再びワインに含まれた仄かな果実の甘さを見失う。口に含んだのは、苦いだけの赤。
「陛下、どうか私に全てお話しください」
「……サイオンの技術の真の恐ろしさは、そういうところにある」
「サイオンの技術?」
「サイオンの王女が子を産むと、新たな天女となる条件を失う可能性がある」
ユリウスの説明は、これ以上はないくらい端的で明快だった。
ルカの脳裏で全てがつながる。
王女の役割を思えば、それは帝国にとって恐れるべき事実だった。
クラウディアがサイオンの全てを放棄することができない限り、王女との子は望めない。
「……よく、わかりました」
ようやく声を絞り出したルカに、ユリウスは無言でワインを振る舞う。
「飲みなさい」
グラスを満たす、深い色。ルカは一息にあおった。
この先、これ以上に苦く感じるワインを飲むことがあるだろうか。
「陛下」
卓の上にグラスを戻し、ルカは告げた。
「一大商家ルクスのご息女との話を、前向きに検討いたします」
「……ルカ」
今はまだ自分の野望を成し遂げられる保証も、夢を叶える自信もない。
この先に何が起きようとも、ルカには帝国の未来を担う責務があるのだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる