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第十一章:変化していく距離感
58:お出迎えしたい王女
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離宮での輝かしい日々を終えて、スーは再び妃教育に精をだしている。
「絶対に負けないわ!」
夕食を終えて入浴をすませ、寝台に入る時刻がきても、彼女は自室でクラウディアの情勢を学ぶために、通信記事に目を通しまくっていた。
帝国の情報を得ようとすると、嫌でも目に入ってくる帝室の話題。
「新しい婚約者をお迎えになるとしても、ルカ様の想い人でない限り、立場はわたしと平等のはず」
スーは既に皇太子が迎える新たな婚約者の噂を知って、寵を競う覚悟を固めていた。
「絶対にわたしがルカ様の気持ちを射止めてみせるわ! 正々堂々と戦ってみせる!」
ソファで端末にかじりついて、独りで宣戦布告しているスーに、ユエンが寝むための夜着を差しだす。
「姫様。ライバルの情報収集はその辺りにして、もうお休みください。本日はこちらの召し物で大丈夫ですか?」
「ありがとう、ユエン」
スーはフリルやレースがほどこされた、美しい夜着を受け取って袖をとおす。生地が透けるか透けないかのぎりぎりを攻めた、品のある女性らしい意匠である。
ルカにいつ部屋を訪問されても問題のないように、身に着けるものには気合をいれている。以前のような、ぼっさりとした格好を披露するような二の舞は避けたい。
隙あらば女らしさをふりまこうと、日夜、虎視眈々と機会を逃さないように努めているのだ。
「明日は休日のはずだけど、ルカ様はこちらにはお戻りにならないのかしら」
離宮から戻って以来、以前にもましてルカは忙しそうだった。帝都や近隣都市のみならず、地方へも足を運んでいるらしい。帝国元帥として、あるいは皇太子として、目まぐるしいスケジュールをこなしているのだ。帝国の規模を思えば無理もないが、スーにはとても把握できない。
着替えてからもソファに陣取り、スーは再び端末に目を向けた。皇太子の婚約者候補として噂にあがっている様々な貴族令嬢が記事にまとめられている。
ルカの忙しさには、新しい婚約者を迎えることも含まれているのだろう。
スーはハァッと溜息をついたが、すぐに楽しいことを考えようと、離宮での日々に思いを馳せる。
「思えば離宮でたっぷりとルカ様と時間を過ごせたのは、本当に贅沢だったのね」
「そうですね。とりあえず姫様の荒れた唇が綺麗になって良かったです」
スーは現実になった白馬の王子様とのキスを思い出してうっとりと浸る。
「ルカ様はとっても素敵だったのよ」
ユエンがまた始まったと言わんばかりに投げやりな相槌を打った。
「もう何十回も伺いました」
「キスしていただけるということは、わたしはルカ様に嫌われてはいないわよね?」
「もう何百回も、ルカ殿下も姫様のことを憎からず思っておられるのでしょうね、と申し上げました」
「そうよね! 少しはルカ様に女性として意識していただけるようになっているわよね!」
「もう何千回もそうですねと申し上げました」
「もう! ユエン! 少しはわたしの惚気につきあってくれてもいいじゃないの」
「惚気については、もう何万回も聞かされておりますので」
愛想もなく突き放されたが、スーがむっと頬を膨らませるとユエンがからかうように笑う。
「ルカ殿下は紳士な方ですね。そんな挨拶のような口づけだけで、その後、全く進展がないのですから」
ぐさぁっと一撃がスーに刺さる。ユエンが一番気にしていることを突いてきた。
「それは……」
「姫様の唇もこんなに綺麗になったのに。ぽってりと柔らかそうで完璧に仕上がっております。ルカ殿下は吸い付きたくならないのでしょうかね?」
「す、吸い付く!? ユ、ユエン!? 何を言い出すの?」
「事実をお話したまでですが……。ルカ殿下はご多忙な方なので、姫様とゆっくりと時間を過ごすことが難しいのかもしれませんね。大人のキスが待ち遠しいですね、姫様」
臆面もなく言い放ち、優秀で辛辣な侍女は、にやりと不敵に笑った。皮肉が耳に痛い。スーは何も言い返せない。再びむうっと顔をしかめて見せると、ユエンが何かに気づいたように室外に耳を澄ませる。
「どうしたの? ユエン」
「少し外が慌ただしくなった気配がいたします」
「え!?」
たしかにユエンの言うとおり、かすかに足音や声のようなものが聞こえる。スーはルカが帰宅したのではないかと、期待に胸が膨んだ。
「ルカ様がお帰りになったんじゃないかしら!」
スーが端末を放り出してソファから立ち上がると、ぐいっとユエンに腕をつかまれる。
「姫様、まさかそのような格好でお出迎えしようとお考えではありませんよね?」
「あっ!」
スーは何も考えず飛び出して行こうとしていたが、すでに夜着を纏っている。胸元を強調するように、襟ぐりが深く白い肌が広めに露出している。ルカに見せることには何のためらいもなく、むしろ彼の周りをうろついてお色気作戦をしたいくらいだが、館には大勢の使用人がいる。さすがに夜を意識した格好のまま、玄関ホールへ出ていくことはできない。
「では、すぐに着替えるわ!」
「お待ちください。とにかく状況を確認してまいりますので、そのままお待ちください」
「ユエン! もしルカ様がお帰りになったのであれば、私は一目でいいからお会いしたいわ!」
「ルカ殿下もお疲れかもしれませんよ」
「では、こっそり一目だけでも拝見する機会があれば!」
「ご帰宅であれば、明日の朝までお待ちになればよろしいのでは?」
「朝起きたらもう出られた後なんていうこともあるかもしれないわ! そんなことになったら悔やんでも悔やみきれない! わたしがどれほどルカ様欠乏症か、ユエンが一番わかっているでしょう?」
スーが子犬のように吠えると、ユエンがふうっと吐息をついた。完全に呆れた顔をしている。
「とにかく様子をうかがってまいりますので、姫様はそのままお待ちください」
どこにも同情の余地はないと言いたげに、ユエンが部屋を出ていった。置き去りにされたまま閉じられた扉にびたっと張りついて、スーは外の様子をうかがう。一声でもルカの声が漏れ聞こえてこないかと、じっくりと耳を澄ました。
外で幾人もの気配が動いているのがわかる。スーは絶対にルカが帰宅したに違いないと確信するが、ユエンはなかなか戻ってこない。
びったりと扉に張り付いたまま物音を追っていたが、しばらくすると騒がしかった館の気配が再び静まり返る。
(ルカ様はお部屋に入ってしまわれたのかしら? やっぱり着替えて出ていっちゃうべき?)
スーがこらえ切れず衣装を物色しはじめるとユエンが戻ってきた。
「何をなさっているのですか、姫様」
「あ、おかえりなさい、ユエン」
咎めるような眼で仁王立ちする侍女の背後には、穏やかな顔で侍従長のオトが立っている。
金銀細工の美しいトレイを両手で掲げていた。水差しとグラスが目にはいる。
「スー様、まだお休みではありませんでしたか」
「ええ。あの、オト。それはルカ様のために用意したお水?」
「はい。珍しく相当飲まれてお帰りになられたようです。水をご所望されましたのでお持ちしようかと思ったのですが」
オトが手にしているものをスーへ向かって差しだした。
「せっかくなので、スー様がお待ちください」
「え? いいの? わたしがルカ様のお部屋を訪れても?」
「はい。お怒りにはならないでしょう。よろしくお願いいたします」
オトが優し気に微笑みながら、あっさりとスーにトレイを渡す。スーの赤い瞳が喜びと感謝でキラキラと輝いた。
「ありがとう! オト!」
「どうぞルカ様をよろしくお願いいたします、スー様」
ユエンを振り返ると苦笑しながらも頷いている。「姫様、いっていらっしゃいませ」と言いながら、そっと肩に上着を羽織らせてくれた。
「ありがとう! ユエン! オト!」
スーは意気揚々と自室をでて、オトに付き従われながら通路を進み、ルカの部屋へと向かった。
「絶対に負けないわ!」
夕食を終えて入浴をすませ、寝台に入る時刻がきても、彼女は自室でクラウディアの情勢を学ぶために、通信記事に目を通しまくっていた。
帝国の情報を得ようとすると、嫌でも目に入ってくる帝室の話題。
「新しい婚約者をお迎えになるとしても、ルカ様の想い人でない限り、立場はわたしと平等のはず」
スーは既に皇太子が迎える新たな婚約者の噂を知って、寵を競う覚悟を固めていた。
「絶対にわたしがルカ様の気持ちを射止めてみせるわ! 正々堂々と戦ってみせる!」
ソファで端末にかじりついて、独りで宣戦布告しているスーに、ユエンが寝むための夜着を差しだす。
「姫様。ライバルの情報収集はその辺りにして、もうお休みください。本日はこちらの召し物で大丈夫ですか?」
「ありがとう、ユエン」
スーはフリルやレースがほどこされた、美しい夜着を受け取って袖をとおす。生地が透けるか透けないかのぎりぎりを攻めた、品のある女性らしい意匠である。
ルカにいつ部屋を訪問されても問題のないように、身に着けるものには気合をいれている。以前のような、ぼっさりとした格好を披露するような二の舞は避けたい。
隙あらば女らしさをふりまこうと、日夜、虎視眈々と機会を逃さないように努めているのだ。
「明日は休日のはずだけど、ルカ様はこちらにはお戻りにならないのかしら」
離宮から戻って以来、以前にもましてルカは忙しそうだった。帝都や近隣都市のみならず、地方へも足を運んでいるらしい。帝国元帥として、あるいは皇太子として、目まぐるしいスケジュールをこなしているのだ。帝国の規模を思えば無理もないが、スーにはとても把握できない。
着替えてからもソファに陣取り、スーは再び端末に目を向けた。皇太子の婚約者候補として噂にあがっている様々な貴族令嬢が記事にまとめられている。
ルカの忙しさには、新しい婚約者を迎えることも含まれているのだろう。
スーはハァッと溜息をついたが、すぐに楽しいことを考えようと、離宮での日々に思いを馳せる。
「思えば離宮でたっぷりとルカ様と時間を過ごせたのは、本当に贅沢だったのね」
「そうですね。とりあえず姫様の荒れた唇が綺麗になって良かったです」
スーは現実になった白馬の王子様とのキスを思い出してうっとりと浸る。
「ルカ様はとっても素敵だったのよ」
ユエンがまた始まったと言わんばかりに投げやりな相槌を打った。
「もう何十回も伺いました」
「キスしていただけるということは、わたしはルカ様に嫌われてはいないわよね?」
「もう何百回も、ルカ殿下も姫様のことを憎からず思っておられるのでしょうね、と申し上げました」
「そうよね! 少しはルカ様に女性として意識していただけるようになっているわよね!」
「もう何千回もそうですねと申し上げました」
「もう! ユエン! 少しはわたしの惚気につきあってくれてもいいじゃないの」
「惚気については、もう何万回も聞かされておりますので」
愛想もなく突き放されたが、スーがむっと頬を膨らませるとユエンがからかうように笑う。
「ルカ殿下は紳士な方ですね。そんな挨拶のような口づけだけで、その後、全く進展がないのですから」
ぐさぁっと一撃がスーに刺さる。ユエンが一番気にしていることを突いてきた。
「それは……」
「姫様の唇もこんなに綺麗になったのに。ぽってりと柔らかそうで完璧に仕上がっております。ルカ殿下は吸い付きたくならないのでしょうかね?」
「す、吸い付く!? ユ、ユエン!? 何を言い出すの?」
「事実をお話したまでですが……。ルカ殿下はご多忙な方なので、姫様とゆっくりと時間を過ごすことが難しいのかもしれませんね。大人のキスが待ち遠しいですね、姫様」
臆面もなく言い放ち、優秀で辛辣な侍女は、にやりと不敵に笑った。皮肉が耳に痛い。スーは何も言い返せない。再びむうっと顔をしかめて見せると、ユエンが何かに気づいたように室外に耳を澄ませる。
「どうしたの? ユエン」
「少し外が慌ただしくなった気配がいたします」
「え!?」
たしかにユエンの言うとおり、かすかに足音や声のようなものが聞こえる。スーはルカが帰宅したのではないかと、期待に胸が膨んだ。
「ルカ様がお帰りになったんじゃないかしら!」
スーが端末を放り出してソファから立ち上がると、ぐいっとユエンに腕をつかまれる。
「姫様、まさかそのような格好でお出迎えしようとお考えではありませんよね?」
「あっ!」
スーは何も考えず飛び出して行こうとしていたが、すでに夜着を纏っている。胸元を強調するように、襟ぐりが深く白い肌が広めに露出している。ルカに見せることには何のためらいもなく、むしろ彼の周りをうろついてお色気作戦をしたいくらいだが、館には大勢の使用人がいる。さすがに夜を意識した格好のまま、玄関ホールへ出ていくことはできない。
「では、すぐに着替えるわ!」
「お待ちください。とにかく状況を確認してまいりますので、そのままお待ちください」
「ユエン! もしルカ様がお帰りになったのであれば、私は一目でいいからお会いしたいわ!」
「ルカ殿下もお疲れかもしれませんよ」
「では、こっそり一目だけでも拝見する機会があれば!」
「ご帰宅であれば、明日の朝までお待ちになればよろしいのでは?」
「朝起きたらもう出られた後なんていうこともあるかもしれないわ! そんなことになったら悔やんでも悔やみきれない! わたしがどれほどルカ様欠乏症か、ユエンが一番わかっているでしょう?」
スーが子犬のように吠えると、ユエンがふうっと吐息をついた。完全に呆れた顔をしている。
「とにかく様子をうかがってまいりますので、姫様はそのままお待ちください」
どこにも同情の余地はないと言いたげに、ユエンが部屋を出ていった。置き去りにされたまま閉じられた扉にびたっと張りついて、スーは外の様子をうかがう。一声でもルカの声が漏れ聞こえてこないかと、じっくりと耳を澄ました。
外で幾人もの気配が動いているのがわかる。スーは絶対にルカが帰宅したに違いないと確信するが、ユエンはなかなか戻ってこない。
びったりと扉に張り付いたまま物音を追っていたが、しばらくすると騒がしかった館の気配が再び静まり返る。
(ルカ様はお部屋に入ってしまわれたのかしら? やっぱり着替えて出ていっちゃうべき?)
スーがこらえ切れず衣装を物色しはじめるとユエンが戻ってきた。
「何をなさっているのですか、姫様」
「あ、おかえりなさい、ユエン」
咎めるような眼で仁王立ちする侍女の背後には、穏やかな顔で侍従長のオトが立っている。
金銀細工の美しいトレイを両手で掲げていた。水差しとグラスが目にはいる。
「スー様、まだお休みではありませんでしたか」
「ええ。あの、オト。それはルカ様のために用意したお水?」
「はい。珍しく相当飲まれてお帰りになられたようです。水をご所望されましたのでお持ちしようかと思ったのですが」
オトが手にしているものをスーへ向かって差しだした。
「せっかくなので、スー様がお待ちください」
「え? いいの? わたしがルカ様のお部屋を訪れても?」
「はい。お怒りにはならないでしょう。よろしくお願いいたします」
オトが優し気に微笑みながら、あっさりとスーにトレイを渡す。スーの赤い瞳が喜びと感謝でキラキラと輝いた。
「ありがとう! オト!」
「どうぞルカ様をよろしくお願いいたします、スー様」
ユエンを振り返ると苦笑しながらも頷いている。「姫様、いっていらっしゃいませ」と言いながら、そっと肩に上着を羽織らせてくれた。
「ありがとう! ユエン! オト!」
スーは意気揚々と自室をでて、オトに付き従われながら通路を進み、ルカの部屋へと向かった。
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