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第二十三章:帝国の花嫁の夢
144:皇太子の帰宅
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スーは逸る気持ちをおさえて深呼吸をした。まもなくルカが私邸にもどると聞いた瞬間、よろこび勇んで部屋から飛びだしてしまったが、玄関ホールまで来てから我にかえる。
(ルカ様とは久しぶりにお会いするのだし、すこしは大人っぽくなったと思っていただきたいわ!)
庭先まで走りでていこうと思っていたが、スーは玄関ホールに整列している使用人をみて考えを改めた。
「スー様、ルカ様のお車はもう敷地にはいっておられます。外へでてお待ちになりますか?」
逸る気持ちを察してくれたのか、執事のテオドールが提案してくれるが、スーは「いいえ」と首をふった。
「ルカ様はお疲れだと思いますし、こちらで皆様と一緒にお待ちします」
「……そうですか」
テオドールが隣のオトと顔を見あわせている。二人が物言いたげにしているのも無理はない。ルカが帰宅すると知って、スーは朝から興奮しまくっていたのだ。
到着した暁には、すぐにでも駆けつけてルカに飛びつくというのが、二人の予想だったのだろう。
(思えば、これまで帰宅したルカ様にとびついていたけれど、嬉しさや愛嬌をしめすよりも、じつは幼稚さが際だっていたのじゃないかしら?)
ルカの気持ちを射止めた今となっては些細な後悔だったが、自分がもっと大人びた仕草で誘惑に成功していれば、すでに大人の階段をのぼっていたかもしれない。
たとえスーが複雑な事情を抱えていても、愛しく思われていたのであれば、ルカの自制心を突き破れた可能性はある。
(やっぱり、わたしの誘惑が甘かったのね。たしかに帝国貴族の方々のようにはできなかったもの)
「初恋がルカ様です」というスーの経験値では、帝国貴族の夜の嗜みはとうてい登れない巨大な壁だった。
(でも! もうルカ様がわたしを牽制する理由はないはずよ! あとは押して押して押しまくるだけだわ!)
気持ちが通じたからといって、努力を怠ることはできない。ルカは引く手あまたの帝国の皇太子である。貴族令嬢や他国の王女が虎視眈々と狙っているはずなのだ。
帝国の皇家が一夫多妻を許されている限り、彼が自分よりも素敵な女性を娶る可能性はのこる。帝国貴族の常識に照らしあわせるなら、愛妾を迎えることも許されているのだ。
スーがルカに愛され続けるためには、油断は禁物である。
(わたしとルカ様は、まだはじまったばかりだもの)
ルカにふさわしい立派な皇太子妃を目ざし、女性としても磨きをかける。おしどり夫婦を夢見て、自分なりのお色気作戦で頑張ることも変わらない。
ヘレナの助言どおり、スーはルカとの初夜にむけて、身の丈にあわない計画を立てるのはやめた。
見栄をはっても仕方がない。ルカにはありのままを受け入れてもらうしかないのだ。そして彼はきっと受け入れてくれる。いまは素直にそう信じられた。
彼が伝えてくれた真摯な想いは、スーの胸で輝いている。
(とりあえず、大人の階段をどうにかしなければ!)
スーがふつふつと(今度こそのぼってみせる!)と意欲をたぎらせていると、玄関ホールの空気が変わるのを感じた。
顔をあげると、彫刻の美しい大きな扉が、両側に開け放たれるところだった。
久しぶりに帰宅した主に、使用人たちがそろって会釈する。徽章の鮮やかな軍服をまとい、凛々しい様子でルカが邸宅に戻ってきた。印象の硬くなる軍装でも麗しい。見惚れるほど華やかな人影。
スーは彼を見た瞬間に、さっきまで胸の内でぐらぐらと煮え立っていた理屈や考えが木っ端みじんに砕けた。
「ルカ様!」
駆けだすと彼と目があった。後光のさしそうなほほ笑みを見ながら、スーは以前より少し伸びた金髪が、軍服の肩章に落ちかかっているのを見て、ハッとした。
左肩から背中にかけて、広く痕を残した火傷を思いだす。
飛びついてはいけないと、咄嗟に止まろうとしたが遅かった。駆ける勢いを殺しきれず、ルカの目前でつんのめるようになりながら、なんとか立ち止まる。
意気込みが空回りするだけの、不恰好な再会になってしまった。
(サイアクだわ!)
すぐに体勢を立てなおし、不作法を詫びようとしてルカの顔をあおぐと、スーが何かを言う前に彼の腕が伸びて、強い力に身体を引き寄せられた。
ふわりとルカの香りに包まれる。泣きたくなるような甘さを含んだ、爽やかな匂い。
「ただいま戻りました、スー」
穏やかに響く声に支配されて、余計なことをが考えられなくなる。世界がバラ色にかがやく錯覚がするほど、ルカの気配に胸が高鳴った。同時に、スーの足先がふっと浮きあがる。いつも彼に飛びついた時と同じ高さで、視線が重なった。ルカの美しいアイスブルーの瞳に、自分の影が追える距離感。
「おかえりなさいませ、ルカ様。でも、あの、火傷の具合は大丈夫なのですか?」
ルカの肩に触れても良いのかと、抱きあげられたまま手のやり場に迷っていると、ルカが笑った。
「もう痛みはありません」
「でも、ご負担をおかけするわけにはいきませんので!」
ルカは「大丈夫です」と言いながら、スーを抱えたまま歩きだす。玄関ホールから続く正面の大階段が視界にはいった。装飾の豊かな勾欄が、鈍く光を照り返して輝いている。
「火傷痕に問題があるとすれば、見た目くらいのものです。もう何も支障はありません」
つかまっていないと、ルカの歩行にあわせて上体が不安定に揺れる。スーは身を支えるように、そっとルカにしがみついた。
「ルカ様の火傷痕は絶対に美しいです」
「美しい?」
「はい。わたしを救い出すために負われた火傷です。だから、わたしにとっては美しい痕です。宝物です!」
「では、これは名誉の負傷ですね」
「あ! それは! おこがましいことを申しあげました!」
慌てて詫びると、ルカは「いいえ、光栄です」と笑いながら、スーを抱えたまま玄関ホールからつづく大階段をのぼりはじめる。
「ルカ様、もう下ろしてください。長くお勤めで疲れていらっしゃるのに、わたしを抱えていては、さらにお疲れになります」
「それはできない」
「え!? どうしてですか?」
「ずっとあなたに会いたかった。こうしてスーに触れて、傍にいられなかった日々を埋めています」
自分を抱きあげる腕に、さらに身を寄せるような力がこめられて、スーは高鳴っていた心臓がさらに騒がしくなった。
ルカがそっと、スーの身に頬をよせる。
「スーの良い香りがする。……とても、会いたかった」
「わ、わたしもルカ様にお会いしたかったです!」
スーは甘い囁きに射抜かれて、すでに口から魂が半分ほどはみでる勢いである。幸せすぎて気を失いそうだったが、何とか耐えた。
「でも、わたしを抱えていてはご負担になります! わたしがルカ様の後ろからしがみついて、一緒に歩きますので!」
声が不自然に裏がえってしまう。ルカはスーの顔をみつめて首を横にふった。
「それでは、愛しいスーの顔がみられない」
さらりと臆面もなくルカは口説き文句を囁いてくる。愛し気にみつめられて、スーは口から飛びでた魂が、一瞬で世界を一周してから、ふたたび現実に着地した。
(素敵すぎて、一瞬、気絶してしまったわ!)
(ルカ様とは久しぶりにお会いするのだし、すこしは大人っぽくなったと思っていただきたいわ!)
庭先まで走りでていこうと思っていたが、スーは玄関ホールに整列している使用人をみて考えを改めた。
「スー様、ルカ様のお車はもう敷地にはいっておられます。外へでてお待ちになりますか?」
逸る気持ちを察してくれたのか、執事のテオドールが提案してくれるが、スーは「いいえ」と首をふった。
「ルカ様はお疲れだと思いますし、こちらで皆様と一緒にお待ちします」
「……そうですか」
テオドールが隣のオトと顔を見あわせている。二人が物言いたげにしているのも無理はない。ルカが帰宅すると知って、スーは朝から興奮しまくっていたのだ。
到着した暁には、すぐにでも駆けつけてルカに飛びつくというのが、二人の予想だったのだろう。
(思えば、これまで帰宅したルカ様にとびついていたけれど、嬉しさや愛嬌をしめすよりも、じつは幼稚さが際だっていたのじゃないかしら?)
ルカの気持ちを射止めた今となっては些細な後悔だったが、自分がもっと大人びた仕草で誘惑に成功していれば、すでに大人の階段をのぼっていたかもしれない。
たとえスーが複雑な事情を抱えていても、愛しく思われていたのであれば、ルカの自制心を突き破れた可能性はある。
(やっぱり、わたしの誘惑が甘かったのね。たしかに帝国貴族の方々のようにはできなかったもの)
「初恋がルカ様です」というスーの経験値では、帝国貴族の夜の嗜みはとうてい登れない巨大な壁だった。
(でも! もうルカ様がわたしを牽制する理由はないはずよ! あとは押して押して押しまくるだけだわ!)
気持ちが通じたからといって、努力を怠ることはできない。ルカは引く手あまたの帝国の皇太子である。貴族令嬢や他国の王女が虎視眈々と狙っているはずなのだ。
帝国の皇家が一夫多妻を許されている限り、彼が自分よりも素敵な女性を娶る可能性はのこる。帝国貴族の常識に照らしあわせるなら、愛妾を迎えることも許されているのだ。
スーがルカに愛され続けるためには、油断は禁物である。
(わたしとルカ様は、まだはじまったばかりだもの)
ルカにふさわしい立派な皇太子妃を目ざし、女性としても磨きをかける。おしどり夫婦を夢見て、自分なりのお色気作戦で頑張ることも変わらない。
ヘレナの助言どおり、スーはルカとの初夜にむけて、身の丈にあわない計画を立てるのはやめた。
見栄をはっても仕方がない。ルカにはありのままを受け入れてもらうしかないのだ。そして彼はきっと受け入れてくれる。いまは素直にそう信じられた。
彼が伝えてくれた真摯な想いは、スーの胸で輝いている。
(とりあえず、大人の階段をどうにかしなければ!)
スーがふつふつと(今度こそのぼってみせる!)と意欲をたぎらせていると、玄関ホールの空気が変わるのを感じた。
顔をあげると、彫刻の美しい大きな扉が、両側に開け放たれるところだった。
久しぶりに帰宅した主に、使用人たちがそろって会釈する。徽章の鮮やかな軍服をまとい、凛々しい様子でルカが邸宅に戻ってきた。印象の硬くなる軍装でも麗しい。見惚れるほど華やかな人影。
スーは彼を見た瞬間に、さっきまで胸の内でぐらぐらと煮え立っていた理屈や考えが木っ端みじんに砕けた。
「ルカ様!」
駆けだすと彼と目があった。後光のさしそうなほほ笑みを見ながら、スーは以前より少し伸びた金髪が、軍服の肩章に落ちかかっているのを見て、ハッとした。
左肩から背中にかけて、広く痕を残した火傷を思いだす。
飛びついてはいけないと、咄嗟に止まろうとしたが遅かった。駆ける勢いを殺しきれず、ルカの目前でつんのめるようになりながら、なんとか立ち止まる。
意気込みが空回りするだけの、不恰好な再会になってしまった。
(サイアクだわ!)
すぐに体勢を立てなおし、不作法を詫びようとしてルカの顔をあおぐと、スーが何かを言う前に彼の腕が伸びて、強い力に身体を引き寄せられた。
ふわりとルカの香りに包まれる。泣きたくなるような甘さを含んだ、爽やかな匂い。
「ただいま戻りました、スー」
穏やかに響く声に支配されて、余計なことをが考えられなくなる。世界がバラ色にかがやく錯覚がするほど、ルカの気配に胸が高鳴った。同時に、スーの足先がふっと浮きあがる。いつも彼に飛びついた時と同じ高さで、視線が重なった。ルカの美しいアイスブルーの瞳に、自分の影が追える距離感。
「おかえりなさいませ、ルカ様。でも、あの、火傷の具合は大丈夫なのですか?」
ルカの肩に触れても良いのかと、抱きあげられたまま手のやり場に迷っていると、ルカが笑った。
「もう痛みはありません」
「でも、ご負担をおかけするわけにはいきませんので!」
ルカは「大丈夫です」と言いながら、スーを抱えたまま歩きだす。玄関ホールから続く正面の大階段が視界にはいった。装飾の豊かな勾欄が、鈍く光を照り返して輝いている。
「火傷痕に問題があるとすれば、見た目くらいのものです。もう何も支障はありません」
つかまっていないと、ルカの歩行にあわせて上体が不安定に揺れる。スーは身を支えるように、そっとルカにしがみついた。
「ルカ様の火傷痕は絶対に美しいです」
「美しい?」
「はい。わたしを救い出すために負われた火傷です。だから、わたしにとっては美しい痕です。宝物です!」
「では、これは名誉の負傷ですね」
「あ! それは! おこがましいことを申しあげました!」
慌てて詫びると、ルカは「いいえ、光栄です」と笑いながら、スーを抱えたまま玄関ホールからつづく大階段をのぼりはじめる。
「ルカ様、もう下ろしてください。長くお勤めで疲れていらっしゃるのに、わたしを抱えていては、さらにお疲れになります」
「それはできない」
「え!? どうしてですか?」
「ずっとあなたに会いたかった。こうしてスーに触れて、傍にいられなかった日々を埋めています」
自分を抱きあげる腕に、さらに身を寄せるような力がこめられて、スーは高鳴っていた心臓がさらに騒がしくなった。
ルカがそっと、スーの身に頬をよせる。
「スーの良い香りがする。……とても、会いたかった」
「わ、わたしもルカ様にお会いしたかったです!」
スーは甘い囁きに射抜かれて、すでに口から魂が半分ほどはみでる勢いである。幸せすぎて気を失いそうだったが、何とか耐えた。
「でも、わたしを抱えていてはご負担になります! わたしがルカ様の後ろからしがみついて、一緒に歩きますので!」
声が不自然に裏がえってしまう。ルカはスーの顔をみつめて首を横にふった。
「それでは、愛しいスーの顔がみられない」
さらりと臆面もなくルカは口説き文句を囁いてくる。愛し気にみつめられて、スーは口から飛びでた魂が、一瞬で世界を一周してから、ふたたび現実に着地した。
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