シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
45 / 233
第二話 偽りの玉座

参章:四 目撃談1

しおりを挟む
 清香きよかのその体験は、北にある碧国へきこくからの帰途で起きた。
 彼女の仕えるそうの宮城は、天界の東に位置している。北にあるへきそうの国境には、異界へ繋がる鬼門きもんが存在し、わざわいの象徴だと噂される坩堝るつぼがあった。

 もちろん碧の宮城へ向かうために、鬼門に近づく必要はない。坩堝るつぼを迂回するように道が作られている。人々が禍に満たされた恐ろしい土地に踏み込むことは、決してないのだ。
 碧国から帰途についたのは、清香を含め五人の女官と、警護として付き添う二人の衛兵だった。滄の二番目に生まれた太子たいし訪碧ほうへきした為に、彼女達は太子の身の回りの世話を担うために、同じように碧を訪れた。

 太子の碧国訪問が済むと、本人は時間を惜しむように天馬てんまつないだ滄庇車そうひさしのくるまで帰途についた。清香達も二番目の太子が多忙であることは了解しているので、それを羨むこともない。

 徒歩かちでの帰路は長い道のりだが、滅多に遠出することのない女官にとっては息抜きにもなるひとときだった。
 事件が起きたのは夕刻。坩堝うつぼを迂回する道が終わりに差し掛かった頃だろうか。近頃は天帝てんてい加護かごがもたらす光が費え、昼夜の区別がつかない。空は常に暗雲に閉ざされ、世界は薄闇に呑まれたように暗いのだ。

 輝きを失くした空。それでも迂回する道の彼方かなた鬼門きもんそびえているのは、隠しようがない。坩堝るつぼには、常に真っ黒な柱が天高く突き上げているのだ。
 艶やかにさえ見える、漆黒の円柱。
 そうの宮城からも眺めることができる巨大な黒柱だが、こんなに近い所で目にするのは清香も初めてだった。迫り来る黒いやみに吸い込まれそうで、思わず口数が少なくなってしまう。

 目を背けたくなるような、禍々しい光景。
 暗黒の柱の正体を、清香は知らない。
 噂によれば、鬼門きもんを治める闇呪あんじゅあるじが、その身に与えられたじゅをもって世のを集めていると言われている。

 闇呪あんじゅあるじ――そうの国に生まれた、三番目の太子。
 そんな忌まわしい宿命さだめを与えられなければ、清香が彼の世話を務めることがあったのかもしれない。そんなことを考えて、清香は思わず頭を振った。

 闇呪の主は、生まれながら冷酷無比で残忍な人物であると言う。
 彼に嫁いだ姫君達が、むごい死を迎えたことは誰もが知っている事実だ。
 宿命が彼を悪しき行いに駆り立てているのかどうかは判らない。それでも、既に同情や哀れみをかける理由は、どこにも残されていなかった。

 清香は黒柱から顔を背けるように、前に続く道を眺める。
 その時、迂回路うかいろが交わる道の先で、何かがきらりと視界の片隅で煌めいた気がした。
 初めに立ち止まったのは、先陣を行く衛兵だった。

「何かしら」

 誰かの呟きを聞いた気がする。先頭に立っていた男が様子を見てくると駆け出した。清香達も不安を抱くことはなく、早足に男の後に続く。
 一行は、その少女と出会い、言葉を失った。
 歪みのない、濡れたように真っ直ぐに伸びた長髪は、煌めく金色こんじきたたえている。
 少女は苦しげに肩を上下させて、喘ぐように呼吸していた。道中で幾度も転んだのだろうか。細い手足には、あちこちに擦り傷や切り傷が出来て、血を滲ませている。

 清香達が出会った時も、両手を地について身を起こそうとしている処だった。
 白い夜着の上に、身を隠すように羽織った山吹のひとえ
 ひとえそうの国の人間が好んで身にまとう衣装だが、袖は肩から強い力で引き裂かれたように破れている。

 夜着やぎも乱れており、白い足が露になっていた。
 足先は裸足のままで、履物もなく走り続けたのか、血まみれになっている。
 清香は金髪の示す意味を捉える前に、少女の痛々しい姿が目に焼きついた。
 まるで乱暴された女が、命からがら逃げ出してきた様な、そんな哀れな姿に見えたのだ。

 苦しげに身を起こした少女は、ようやく清香達の存在に気がついたようだ。
 怯えるように見開かれた瞳は涙に濡れている。薄闇の中で、金色に輝く虹彩が閃く。
 清香はその時はじめて、彼女の髪色と瞳が何を意味しているのかを考えた。一気に我に返ると、素早く少女に歩み寄った。

「どうなさったのですか」

 手を差し伸べた清香に、彼女は激しくかぶりを振った。恐ろしい目に合ったのは疑いようがないだろう。錯乱していてもおかしくはない。
 清香は彼女が羽織る乱れたひとえを間近に見て、それが上質な織物であることに気がついた。どこかの姫君であることは間違いない。

「とにかく、傷の手当てをしなければ」
「触らないでっ、……触らないで、下さい」

 差し伸べた手を払いのけて、彼女は再び激しく頭を振る。長い髪が彼女の動きに合わせて、金色に閃いた。輝きのない世界で、ここだけが光に照らされたように明るい。
 清香達が成す術もなく顔を見合わせていると、ガタガタと身を震わせていた少女が、ふと視界に入ったらしい自身の髪に手を伸ばす。
 長く地面に広がった金色の一束を掴み、信じられない物を眺めるように顔をひきつらせた。

「そんな――、どうして、どうして。……こんな、こんなことが」
「姫君、いかがなされたのです?」
「っああ、どうして。違う、こんな……、こんな姿では」

 何も聞こえず、何も耳に入らない様子で、彼女は悲嘆に暮れているように見えた。自身の身を襲った不幸は未だに止まず、彼女の心を苛み続けているのだろうか。

「どうして……、もう、会えない」

 幾度もどうしてと繰り返し、彼女は涙を流し続ける。

「――闇呪あんじゅ……」

 まるで乞うような呟きだった。嗚咽に紛れて、言葉が明瞭ではなかったせいなのかもしれない。けれど、清香にははっきりとそう聞き取れた。
 男が御車みぐるまを調達してくると踵を返そうとした瞬間、大きな影が清香達の頭上を過ぎる。

「ひっ……」

 その場にいた者は、あまりの光景に腰を抜かしそうになった。
 真っ黒な翼が緩やかに旋回している。ゆらりとした残像が流れる不可思議な姿は、どこまでも禍々しい。
 現れた二つの大きな影に、清香は身が竦んで動けなかった。
 黒鳥は巨大で、苦しげに頭を振る。それでも、懸命に翼を動かして、番のような二羽が少女の上を羽ばたいている。

 少女は泣き濡れた顔を上げて、黒鳥を仰いだ。
 恐れることもなく、彼女は真っ直ぐに細い腕を伸ばす。

「慰めてくれるの?」
「ひ、姫君?」

 触ってはいけません、という清香の声は悲鳴になっていたかもしれない。

「私はもう、消えてしまいたい。――連れて行って、……どこか知らない処へ」

 彼女は泣きながら、お願いと訴えた。
 巨大な影は思い悩むようにぐるりと旋回し、やがて意を決したように少女に近づいた。黒い影が少女の体を持ち上げる。禍々しい闇に捕らわれても、彼女の長い髪だけが、燐光りんこうを放っているかのように輝いていた。

 清香は呆然とその光景を見守ることしか出来ない。
 影はゆるやかに飛び去り、真っ直ぐ鬼門へと進路を取った。
 黒い影が少しずつ遠ざかる。やがて小さな点になると、天へと突き上げる黒柱の影に重なって紛れてしまう。清香には、彼女の行方を見届けることが出来なかった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!

恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。 誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、 三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。 「キャ...ス...といっしょ?」 キャス……? その名を知るはずのない我が子が、どうして? 胸騒ぎはやがて確信へと変わる。 夫が隠し続けていた“女の影”が、 じわりと家族の中に染み出していた。 だがそれは、いま目の前の裏切りではない。 学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。 その一夜の結果は、静かに、確実に、 フローレンスの家族を壊しはじめていた。 愛しているのに疑ってしまう。 信じたいのに、信じられない。 夫は嘘をつき続け、女は影のように フローレンスの生活に忍び寄る。 ──私は、この結婚を守れるの? ──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの? 秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。 真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...