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第二話 偽りの玉座
陸章:三 行方2
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他国の内情に疎い翡翠には、なぜ六の君がそれほど蔑まれているのかは判らない。ただ哀れに思えた。隣の雪がここぞとばかりに説明してくれる。
「緋国を治める一族が女系であることは、翡翠様も知っていますよね。現在、緋国を治めている女王は、もちろん先代の娘ですが。六の君は先代が臣下との間に設けた最後の娘であると言われています」
「それって、姦通したということ?」
「そうですね。先代は真名を捧げあった比翼を裏切って、姦通という罪を犯した。娘に女王となる中宮の座が継がれたのは、その悲劇のせいであると囁かれています。先代は捧げた真名を以って、比翼である夫君にさばかれてしまったと。もっぱらの噂です」
「雪って、そういうことに詳しいよね」
「それは翡翠様が相手をして下さらないからです」
思い切り皮肉をぶつけながらも、雪は屈託なく微笑む。翡翠は苦く笑うことしか出来ない。碧宇は二人の様子がよほど可笑しかったのか声をあげて笑っている。
「ですから、赤の宮にとって双親を不幸にした六の君は、末妹でありながら、敵でもあるのでしょうね」
碧宇も雪の語ることに異論はないようで、深く頷いた。翡翠は腕を組んで唸ってしまう。
「だけど、六の君には罪がないと思うんだけど」
「仕方がないさ。人の心は色々と複雑なんだよ。……だから、黄帝がその姫宮を愛してしまったのも、仕方がない。何事も全て仕方がない」
あっさりと結論づけながらも、碧宇はやりきれないという表情をしていた。仕方がないと判っていても、それで全てが割り切れる筈もない。
「闇呪に嫁いだ姫君達の末路は、黄帝の耳にも届いていたようだ。六の君のことは、それで黄帝も案じていたらしい。朱桜という愛称をつけ、時折金域へ招いて鬼門の様子を報告させていたと言うからな。哀れな姫宮への同情が愛情に変わっても、不思議ではないか」
「黄帝なら、慈悲深いだろうしね」
闇呪に嫁いだ后を、黄帝が愛した。
黄帝が相称の翼を得たことは、この世のとって最高の慶びになる。
けれど、闇呪にとっては最悪の事態だと言って良いだろう。
自身の后が黄帝と心を通わせ、自分を滅ぼす相称の翼となったのだ。
翡翠はふとささやかな疑問が浮かぶ。
「闇呪はその姫宮を愛していなかったのかな」
碧宇が嫌そうに顔を顰めた。
「もし愛していたのなら最悪だな。愛憎ひしめく、この世にとって最悪の三角関係だろ」
「でも、どうでしょう。闇呪が后を愛していたのなら、その姫宮が黄帝と心を通わせることはなかったのではないかしら。愛されて大切にされていたら、いくら相手が黄帝でも心が傾くとは思いません」
雪の言葉に、碧宇は優しく笑う。
「玉花殿なら黄帝に言い寄られても、もちろん翡翠を選ぶだろう。しかし、もし闇呪がその姫宮を愛していたとしても、その想いが正しく伝わっていたのかは疑わしいな。闇呪が誰かを愛するなんて、彼のこれまでの行いからは想像もつかないが。それでも、もちろん闇呪が后を愛していた可能性はあるだろう。だが、どちらにしても全てが憶測でしかない。こういうことは考えるだけ無駄だ。――たしかなのは、その姫宮が黄帝と心を通わせた相称の翼であり、行方が知れないということだけだ」
結局、相称の翼の行方について確かなことは何もわかっていない。翡翠の内に、再びもどかしさが込み上げてきた。碧宇は黄帝から得た情報を惜しまず教えてくれる。
「今まで黄帝は闇呪の所業について沈黙を守ってきた。対立関係となるのを避けるためだったようだが、さすがに限界を察したのだろう。相称の翼についても、それが闇呪の仕業であるとの確たる証拠が何もない。だから、手を出すことが出来なかった。しかし、相称の翼を見失ってから、黄帝の力は日に日に衰えている。このままではいずれ世界が滅ぶ。黄帝はようやく、闇呪に対するこれまの沈黙を破る決意をしたようだ」
「それで、各国の助力を求めたってこと? 後継者の真名献上も闇呪に立ち向かうため? まだ彼が原因だとは限らないのに?」
碧宇は首を横に振った。
「証拠がなくとも、彼が関わっている可能性は捨てきれない」
「どうして?」
「黄帝曰く、相称の翼はこの世にはない。あらゆる手を尽くしても見つからない。天界にも地界にも、既に気配が感じられない。存在が途切れているという」
碧宇は更に追い討ちをかけた。
「それに相称の翼が巨大な影に抱かれて鬼門へ向かうのを見た者がいる。それを機に、相称の翼は消息を絶っている」
翡翠はすぐに清香から聞いた体験が蘇った。白虹の皇子が手に入れた情報を、黄帝が手に入れられない筈はない。ずっと以前から、黄帝にとっては明らかな事実だったのかもしれない。
「相称の翼は、鬼門から異界へ飛ばされた可能性が高い。誰にでも出来ることじゃない。状況からも、動機からも、闇呪が疑わしいのは事実だ」
翡翠は力なく「そうだね」と呟いた。
やはり白虹の皇子を救ったのは、別の何者かだったのだろうか。そう考えると、全ての成り行きに筋が通る。
闇呪は極悪非道な、――この世の禍。
全てが、その宿命を形にして行く。
「どのように動くのかは、黄帝もまだ模索しておられる。全面的に闇呪を糾弾して、対立することはやはり避けたいのだろうな。とりあえず思惑を伏せたまま鬼門を開門して、異界へ使者を発たせようかと考えておられるようだ」
「秘密裏に、相称の翼の行方を探すということ?」
「――おそらくな」
黙りこんでしまった翡翠の肩を、碧宇はぽんと叩く。兄の顔を見上げると、碧宇はいたずらっぽく笑う。
「全て極秘事項だが、可愛い弟に隠し事はできないからな。さて、では宮へ戻るか」
碧宇はくるりと背を向けて、大きく伸びをしながら部屋を出て行こうとする。それから簡単なことを言い忘れていたというように、立ち止まって翡翠を振り返った。
「おっと、忘れていた。翡翠――もし、万が一、異界で出会うことがあれば、その時はよろしく頼むぞ」
何かを問いかける前に、兄の碧宇は部屋から姿を消した。
翡翠の中で込み上げる、おさえがたい衝動。
兄の碧宇は全てを見抜いていたのだろう。
そして、碧宇から得た情報は、更に翡翠の衝動を駆り立て、揺るぎないものにしてしまった。強く掌を握り締めて、決意を固める。
(――異界へ行こう)
これまでのように、ただ無為にさまようだけではなく。
真実を確かめるために。
相称の翼を見つけるために。
それがどれほど危険なことなのかは、判っている。
鬼門の番人――闇呪。彼が護っているという天落の地。
詮索するのは、決して容易なことではないだろう。
噂のとおりに、彼は異界へ渡っているのかもしれない。
その非道な振る舞いによって、翡翠が魂魄を失うことだってあり得るのだ。
だけど、と翡翠は思う。強く恐れながらも、ほのかに抱きはじめた希望。
白虹の皇子の翼扶が救われたように、全てが覆されるのかもしれない。
(――何が真実なのかを、知りたい)
相称の翼を巡る思惑について。
それを解き明かすことが、この世を救う力になる。
(だから、異界へ行こう)
何があっても、自分の眼で見たことだけを信じていれば良い。
「緋国を治める一族が女系であることは、翡翠様も知っていますよね。現在、緋国を治めている女王は、もちろん先代の娘ですが。六の君は先代が臣下との間に設けた最後の娘であると言われています」
「それって、姦通したということ?」
「そうですね。先代は真名を捧げあった比翼を裏切って、姦通という罪を犯した。娘に女王となる中宮の座が継がれたのは、その悲劇のせいであると囁かれています。先代は捧げた真名を以って、比翼である夫君にさばかれてしまったと。もっぱらの噂です」
「雪って、そういうことに詳しいよね」
「それは翡翠様が相手をして下さらないからです」
思い切り皮肉をぶつけながらも、雪は屈託なく微笑む。翡翠は苦く笑うことしか出来ない。碧宇は二人の様子がよほど可笑しかったのか声をあげて笑っている。
「ですから、赤の宮にとって双親を不幸にした六の君は、末妹でありながら、敵でもあるのでしょうね」
碧宇も雪の語ることに異論はないようで、深く頷いた。翡翠は腕を組んで唸ってしまう。
「だけど、六の君には罪がないと思うんだけど」
「仕方がないさ。人の心は色々と複雑なんだよ。……だから、黄帝がその姫宮を愛してしまったのも、仕方がない。何事も全て仕方がない」
あっさりと結論づけながらも、碧宇はやりきれないという表情をしていた。仕方がないと判っていても、それで全てが割り切れる筈もない。
「闇呪に嫁いだ姫君達の末路は、黄帝の耳にも届いていたようだ。六の君のことは、それで黄帝も案じていたらしい。朱桜という愛称をつけ、時折金域へ招いて鬼門の様子を報告させていたと言うからな。哀れな姫宮への同情が愛情に変わっても、不思議ではないか」
「黄帝なら、慈悲深いだろうしね」
闇呪に嫁いだ后を、黄帝が愛した。
黄帝が相称の翼を得たことは、この世のとって最高の慶びになる。
けれど、闇呪にとっては最悪の事態だと言って良いだろう。
自身の后が黄帝と心を通わせ、自分を滅ぼす相称の翼となったのだ。
翡翠はふとささやかな疑問が浮かぶ。
「闇呪はその姫宮を愛していなかったのかな」
碧宇が嫌そうに顔を顰めた。
「もし愛していたのなら最悪だな。愛憎ひしめく、この世にとって最悪の三角関係だろ」
「でも、どうでしょう。闇呪が后を愛していたのなら、その姫宮が黄帝と心を通わせることはなかったのではないかしら。愛されて大切にされていたら、いくら相手が黄帝でも心が傾くとは思いません」
雪の言葉に、碧宇は優しく笑う。
「玉花殿なら黄帝に言い寄られても、もちろん翡翠を選ぶだろう。しかし、もし闇呪がその姫宮を愛していたとしても、その想いが正しく伝わっていたのかは疑わしいな。闇呪が誰かを愛するなんて、彼のこれまでの行いからは想像もつかないが。それでも、もちろん闇呪が后を愛していた可能性はあるだろう。だが、どちらにしても全てが憶測でしかない。こういうことは考えるだけ無駄だ。――たしかなのは、その姫宮が黄帝と心を通わせた相称の翼であり、行方が知れないということだけだ」
結局、相称の翼の行方について確かなことは何もわかっていない。翡翠の内に、再びもどかしさが込み上げてきた。碧宇は黄帝から得た情報を惜しまず教えてくれる。
「今まで黄帝は闇呪の所業について沈黙を守ってきた。対立関係となるのを避けるためだったようだが、さすがに限界を察したのだろう。相称の翼についても、それが闇呪の仕業であるとの確たる証拠が何もない。だから、手を出すことが出来なかった。しかし、相称の翼を見失ってから、黄帝の力は日に日に衰えている。このままではいずれ世界が滅ぶ。黄帝はようやく、闇呪に対するこれまの沈黙を破る決意をしたようだ」
「それで、各国の助力を求めたってこと? 後継者の真名献上も闇呪に立ち向かうため? まだ彼が原因だとは限らないのに?」
碧宇は首を横に振った。
「証拠がなくとも、彼が関わっている可能性は捨てきれない」
「どうして?」
「黄帝曰く、相称の翼はこの世にはない。あらゆる手を尽くしても見つからない。天界にも地界にも、既に気配が感じられない。存在が途切れているという」
碧宇は更に追い討ちをかけた。
「それに相称の翼が巨大な影に抱かれて鬼門へ向かうのを見た者がいる。それを機に、相称の翼は消息を絶っている」
翡翠はすぐに清香から聞いた体験が蘇った。白虹の皇子が手に入れた情報を、黄帝が手に入れられない筈はない。ずっと以前から、黄帝にとっては明らかな事実だったのかもしれない。
「相称の翼は、鬼門から異界へ飛ばされた可能性が高い。誰にでも出来ることじゃない。状況からも、動機からも、闇呪が疑わしいのは事実だ」
翡翠は力なく「そうだね」と呟いた。
やはり白虹の皇子を救ったのは、別の何者かだったのだろうか。そう考えると、全ての成り行きに筋が通る。
闇呪は極悪非道な、――この世の禍。
全てが、その宿命を形にして行く。
「どのように動くのかは、黄帝もまだ模索しておられる。全面的に闇呪を糾弾して、対立することはやはり避けたいのだろうな。とりあえず思惑を伏せたまま鬼門を開門して、異界へ使者を発たせようかと考えておられるようだ」
「秘密裏に、相称の翼の行方を探すということ?」
「――おそらくな」
黙りこんでしまった翡翠の肩を、碧宇はぽんと叩く。兄の顔を見上げると、碧宇はいたずらっぽく笑う。
「全て極秘事項だが、可愛い弟に隠し事はできないからな。さて、では宮へ戻るか」
碧宇はくるりと背を向けて、大きく伸びをしながら部屋を出て行こうとする。それから簡単なことを言い忘れていたというように、立ち止まって翡翠を振り返った。
「おっと、忘れていた。翡翠――もし、万が一、異界で出会うことがあれば、その時はよろしく頼むぞ」
何かを問いかける前に、兄の碧宇は部屋から姿を消した。
翡翠の中で込み上げる、おさえがたい衝動。
兄の碧宇は全てを見抜いていたのだろう。
そして、碧宇から得た情報は、更に翡翠の衝動を駆り立て、揺るぎないものにしてしまった。強く掌を握り締めて、決意を固める。
(――異界へ行こう)
これまでのように、ただ無為にさまようだけではなく。
真実を確かめるために。
相称の翼を見つけるために。
それがどれほど危険なことなのかは、判っている。
鬼門の番人――闇呪。彼が護っているという天落の地。
詮索するのは、決して容易なことではないだろう。
噂のとおりに、彼は異界へ渡っているのかもしれない。
その非道な振る舞いによって、翡翠が魂魄を失うことだってあり得るのだ。
だけど、と翡翠は思う。強く恐れながらも、ほのかに抱きはじめた希望。
白虹の皇子の翼扶が救われたように、全てが覆されるのかもしれない。
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