水音が紡ぐ恋歌

あげいも

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第一章

願いのありか

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 からめた指を解くと、気恥ずかしさに遠夜は笑った。翠は相変わらず無表情だが、何となく、目元が柔らかい気がする。
 そうであればいい、という遠夜の願望かも知れないが。
「結構休憩しちゃったね。ちょっと歩こう」
 ペットボトルの蓋をきっちり閉めてから立ち上がる。先程より人が増えて来たのもあるが、何よりも、翠にこの世界を見て欲しかったから。
「お昼ご飯──は、もう少し後の方がいいかも」
 先程まではあまり人がいなかった園芸店。昼休憩中らしい制服姿の人がちらほらと。ちょうど昼休みの時間。食事をするなら、混雑が終わった後の方がいい。
 遠夜の言葉に翠は何も返さない。自分は食事を摂る必要がないから、好きにしろ、という意味だと自分なりに解釈して頷く。
「せっかくだから、何か見て行く?苔玉とか、盆栽とか」
 口調や初対面の時の衣装のせいか、翠に対して時代劇の登場人物のような印象がぬぐえない。
 今の格好は三春が見立てた、流行りの服装なのだが。
「苔は十分にある。他のものが見たい」
 翠は視線を植木の方へと流しながら答えた。
 言われてみれば。滝の傍であれば、改めて苔を育成する必要などはないだろう。
 いらっしゃいませ、の言葉を背に、店の中へ。
 水と土、それに植物の匂い。花の香だけではない、様々なにおいが混ざったその空気がより濃くなった。
 季節の花や野菜の種などが売られているコーナーを抜け、鉢植えの花が置かれているコーナーへと。棚には、名札もない黒いビニールポットの双葉が並んでいるかと思えば、隣では人の顔ほどもある大輪の花が咲き誇っている。
 花や木の香りを吸い込みながら、遠夜も目についたものの前で足を止めて観察。
「……バラって一口に言っても、色々あるんだねぇ」
 赤やピンクとは違う。少し緑がかった花の色に不思議と視線が吸い寄せられた。少し離れた場所で翠も足を止めていることに気づいて顔を向ける。
「……」
 その目の色が鮮やかに変わる。何かを捉えたと思った瞬間、別の色へ。一瞬伸ばしかけた指を静かに下ろす。
 指先にあるのは、白いバラの花。迷うような指先の動きの後、別の場所へと歩き出す。数々の草花に、何かしらの興味を覚えてくれているであろう様子に遠夜はほっと息を吐き出した。
「遠夜」
「何?」
 名を呼ぶときに、翠は必ず真っ直ぐに遠夜を見つめる。だから、遠夜も傍へと歩み寄って視線を合わせる。
「何故、今、君は嬉しそうなんだ?」
 一瞬、息が詰まった。忙しなく目を瞬かせた後、あらぬ方向へと視線を向ける。
「そりゃ……翠さんが楽しそうだから?」
 自信なさげに小さくなる声。翠は首を傾げている。
「先刻……君の気配は水底に沈む泥のようだった。だが今は、陽のさした水面のように明るい」
 心は読めないと言っていたのに。自分の心の動きを見透かされたかのような物言いに小さく肩が跳ねた。
「それほどまでに心を動かすものが……俺が植物を見ているから、だけなのか?」
 何と答えればいいのだろう。真っすぐな質問と視線に考える間が空く。
「翠さんも」
 ゆっくりと顔を上げた。遠夜は自分の唇の端を軽く指で叩く。
「パンを食べている時に言ってたでしょ。なんとなく、心が温かくなるって。それと同じ」
 多分ね。
 正解なんてない質問への答え。はっきりこうだ、と断言するのは遠夜には難しかった。翠の手を引いて、違うコーナーへ行こうと誘う。
「こっちも面白いよ。ほら」
 遠夜の指さした先にあったのは、多肉植物の寄せ植え。額縁のように飾ることも可能だとの解説と手入れ方法などが書かれたパネル。
「…………」
 今までで一番目の色が輝いた。肉厚で独特の雰囲気を持ち、様々な色を見せる植物がバランス良く配置されたそれ。
「きれいだねぇ」
 遠夜は植物に詳しくない。多肉植物──なんとなく、ぽてっとして可愛い、程度の印象だったのだが。
「きれい、……そうか。きれい、だな」
 翠の目から見る寄せ植えは遠夜の目と同じではないのかも知れない。それでも。何かしらの感動を覚えていることは確かで。
「これは、持って帰ることができるのだろうか?」
 買いたい、ということだろう。おもちゃを前にした子供のように、揺らめく目の色がその高揚を伝えてくる。遠夜は自然に表情を崩していた。
「うん。お店の人に言えば、包んでくれると思う」
 少し離れた場所にいた店員を呼んで、購入したいことを伝える。
「プレゼントでしたら、ラッピングも可能ですよ」
「じゃあお願いします」
 翠の返事を聞かないまま、遠夜は頼んだ。店員は明るい返事と共にポケットから取り出した伝票に何事かを書き込み、遠夜へと。翠の視線が額縁を追う。遠夜はそっと肩に触れた。
「ちゃんと後で持って帰れるよ。ほら、あそこに『お会計』って書いてあるでしょ?」
 遠夜の指の先を追う。矢印とともに書かれた文字に静かな頷きが返って来る。
「あそこでお金を払って、商品を受け取るんだよ。さっきの伝票」
 言いながら、さっき受け取った伝票の控えを翠に手渡した。
「これと引き換え」
「……なるほど。合札か」
 合札?
 疑問がそのまま顔に出ていたのだろう。頷いた翠が静かに口を開く。
「文字や絵を描いた木札を半分に割って、それぞれが持つ。取引の際にその札を合わせて照合する」
 歴史の授業でならったような、おぼろげな記憶。遠夜が記憶を引き出そうと頭をひねっている横で、翠は初めて見る「合札」のかたちに興味津々だった。
「今はこのように薄いのだな」
 手渡された伝票をまじまじと。裏面を見てみたり、日に透かしてみたり。暫く観察した後、「お会計」の方へと歩き出す。
「さっき聞けなかったが……ラッピング、とは?」
 そのままいうならば「物を包むこと」なのだが。ただ、物を包むこととはまた違う。
「……気持ち、かな」
 悩んでいる間に順番が来た。合計金額を伝える声に、遠夜は自分の財布を取り出す。
「俺が払うよ」
 答えを聞く前に支払いを済ませ、受け取る。と言っても、受け取ったのは翠なのだが。配送オプションなどはすべて断った。
 額縁風の寄せ植えには、丁寧にリボンがかけられており、そのまま飾っても良いくらいにマッチしていた。
 両手で抱えるほどの大きさのそれ。店員の声を背に、再び休憩スペースまで戻ってくる。
「はるちゃんじゃないけど。俺の散歩……に付き合ってもらったし。友達になった記念」
 寄せ植えに視線を落としたまま。翠は静かに頷いた。寄せ植えを見ていた時のような瞳のきらめきが見えて、贈って良かったとささやかな幸せを感じた瞬間。
「ありがとう」
 どういたしまして、と答えようとした──が、続く言葉に目を見開いた。
「主様も喜ぶ」
「え?」
 思わず口をついて出た。
 そんな遠夜に気づかないまま、翠は、今まで遠夜が見たどの表情よりも柔らかい目をしている。
「君は気持ちを込めた、と言ってくれた。この鉢植えを見た誰かの思いではなく。君自身の思いが込められた」
 ありがとう。
 重ねられる礼の言葉に何と答えればいいのか。目の前が一瞬暗くなったような気がして、すぐに頭を振って意識を取り戻す。
「……そっか。翠さんは、主様に喜んで欲しかったんだ」
 寄せ植えを見て目の色を変えたのは、それを見た人の思いが詰まっていたから。だから欲しいと──本当に翠は真っ直ぐに。真っ直ぐ過ぎる程に主様に忠実な眷属なのだと。
 再認識した遠夜の呟きは、語尾が僅かに震えてしまう。当の翠は目を瞬かせた後、僅かに首を傾げた。
「俺はまた何か──君を沈ませることを言ってしまったのだろうか」
 は、と気づいて遠夜は慌てて両手を振った。
「そうじゃなくて。贈り物なら、配送頼んだ方が良かったんじゃ?って思っただけ」
 誤魔化しながら、脳裏によぎった自販機前の出来事。あのように送れるならば、配送など頼む必要はないだろう。
「遠夜」
 名を呼ばれて顔を上げる。両手で捧げものを持つように。寄せ植えを差し出した翠は真剣な目をしている。
「何でもいい。君の願いを込めて欲しい」
 寄せ植えと翠の顔を交互に見た後、遠夜は目を閉じた。
 彼の行動には矛盾はない。主様が最優先であり、そのために最適な行動を常にしてきた。今もそう。きっと、あの寄せ植えには人の思いが溜まっていたのだろう。
 それを──贈り物へとしただけ。
 ざわついた心はまだうまく静められないけれど。翠という人物の真っ直ぐな部分に惹かれて自分は友人になったのだから。
「…………」
 何を願おうか。考えるより先に浮かんだことをそのままに願う。
──翠が健康でいられますように。
 そんな「人並み」な願いを込めてから、静かに目を開く。
「これで、いいか……わからない、けど」
「心を込めてくれたのは分かる。正解はないが──間違いもない」
 今度は翠が目を閉じた。ざわ、と周囲の雰囲気が変わる。外界と遮断される一瞬の感覚の後。

 寄せ植えは翠の手から消え失せていた。

 届いたかどうか、なんて確認しなくても分かった。翠のその目の色は、見たことがないくらいに穏やかで。胸のあたりが、少し痛い。痛みは鋭くない。擦りむいたところに水がしみる、あの感じに似ている。
「……良かった」
 何が、とは言えない。主様が喜んだことも、翠の目が穏やかな色に変わったことも、全部まとめて「良かった」に押し込める。言葉にすると、どこか崩れてしまいそうで。
「じゃあ──そろそろお昼にしよっか」
 自分自身の気持ちを切り替えるように明るく笑う。美味しいお店があるから案内するね、と翠の先に立って歩く。
 胸の中でまだ言葉にならないもの。ならないまま、ほんの少し重さを持って沈んでいる。たぶん、そのうち形を変える。いつか、言葉になるかもしれない。ならないままかもしれない。

 ただ、今は。『友人』の喜びを祝いたい。

 その思いが遠夜の心を緩やかに撫でていった。
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