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第2章
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しおりを挟むキンコンカンコン、とチャイムが鳴った。
その音で、古典の授業をすっかり熟睡してしまっていたことに気づき、あーあ、途中までちゃんと頑張ってたのになぁなんて少し悔しく思う。
結局、由伊が読んでいた歌を最後まで聞いてはいなかった。
まぁそれはいいのだけど。
今日は、お昼どこで食べようかなぁ。やっぱり教室で良いかあ、動くのめんどいし。
そう考え直し、お昼に盛り上がる喧騒の中一人ビニール袋から菓子パンを取り出して開封しようとした、その時。
「宮村」
懐かしい声に呼ばれ、律は振り返った。
「由伊」
そこには暫く目すら合わせていなかった由伊がにこやかに立ち、律を見下ろしていた。
今日は取り巻きはいないらしい。
珍しいこともあるものだな、と思いつつ見上げた。
「今日、橘居ないから一人なんだね」
由伊の言葉に、頷く。
「じゃあ久しぶりに俺とご飯食べない?」
その言葉に律は「ホント!?」と少し頬を緩ませた。
一瞬、由伊の表情が固まった気がしたが律は気にせず菓子パンをビニール袋にしまい直し、立ち上がる。
「行こう」
微笑む由伊の背中を追い掛ける。
律は一人を回避出来たことがただ嬉しかった。
孤独が好きなのに孤独が嫌いなのだ。
人間はつくづくワガママな生き物だと思う。
2人で並んで歩いていたが、特に会話は無かった。
律は元より自発的に話しかける方では無いので通常運転だが、由伊は違った。
女の子達の話を、うんうん、と聞く側ではあるけれど律と居る時はいつも由伊から話しかけていた。
それなのに、今は全くの無言。
いや別にいいんだけど、話すことも無いし、だなんて強がってはみるも、どこか違和感を覚えた。
最近の由伊の雰囲気がピリついていて、よく分からないなと律はなんとなく思っていたりもしたため、2ヶ月くらい前まで一緒にゲームしたり遊んで笑い合っていたのが何だか嘘のように思えた。
そんなことを考えていたせいで目的地に着いていたことに気づかず、急に立ち止まった由伊の背中に、ぽすりとおでこをぶつけてしまった。
「わ、ごめんね」と謝る律に返事はなく、由伊はただ律を振り返ってにこやかな笑みで
一言だけ発した。
「着いたよ」
立ち止まったのは、いつの日かの空き教室の前だった。
律はぞわりと肌が粟立ち、混乱しながら由伊を見上げた。
「……こ、ここで食べるの?」
「うん、嫌?」
完璧な笑顔でそう言われ、律は混乱しながら由伊を見つめた。
なんだって由伊はここを選んだのだろうか。
俺が襲われたことを忘れた?いくら人気のない場所であったとしても、こんな埃まみれの教室なんかよりも中庭だとか、自習室だとか、食べられる場所は他にいくらでもあるじゃないか。
なんだって寄りによってここなの。
「……あんまり、……ココは……すきじゃない」
精一杯の勇気を振り絞って小さく呟くと、由伊は「ああ!そっかぁ!」と明るく声を発した。
「そう言えば宮村、ここで、カツラギ先輩に襲われちゃったんだもんね!そりゃあやだよねぇ、こんな場所、ごめんごめん!」
あはは、と満面の笑みで思い出したくもない過去を掘り返され律は冷や汗をかく。……なんで、こんな楽しそうに言うの?
自分にとっては思い出したくない過去の一つ。
指先が冷えて痺れていくような感覚に泣きたくなる。
今は普通に生きているように見えるだろうが、心の傷を治したわけではない。
仲野を本心から許した訳では無い。
フラッシュバックが起きない訳では無い。
勿論それはカツラギの事だけではない。
律にはもう一つ思い出したくない過去がある。
結局、死ぬ勇気がない以上、平気な顔して生きていかなくてはいけないではないか。
だから、パニックに陥って発作が出ようが、朝起きて胃液を吐こうが此処にいる。夜だって眠れないのだ。
暗くて狭くて怖いから、身体に無数
の手が這ってきて律の白く細い首を絞めて殺すのだ。
黒い手は誰のものかなんてわからない。そんなことは関係ない。
この世でのうのうと生きてる者たちの醜く憎い手である。
自分を殺そうとした人間はまだこの世のどこかで平然と常人ぶって生活しているのだ。
その事実だけで酷く残酷なのに。
やられた側は忘れたフリをするしかない、乗り越えるしかない、生きていたいと少しでも願うのならば、笑わなくてはいけない、何もなかったフリをして一人でみじめに泣くしかないのだ。
由伊が自分を理解してくれていると思っていたわけではない。
ただ、好きだと言ってくれた以上、少しでも味方になってくれると思っていた。
現に由伊はあの日この部屋で犯されていた自分を助けてくれたではないか。
あの時、あの瞬間、この扉が壊され声が聞こえた時、夕焼けを背負って自分を抱きしめてくれた由伊は紛れもなく律にとってのヒーローだった。
かっこよかった。嬉しかった。
なのに何故、今そのヒーローは俺を見下しわざと思い出させるようなことをしているのか。
味方だと思った自分が、傲慢で自意識過剰だったのだろうか。
分からない。
人の気持ちなんて、言ってくれなければ理解できない。
……ただ今は、由伊が、怖い。
「じゃあ、何処がいい?ココが一番食べやすいかなって思ったけど、思い出しちゃったらご飯どころじゃないしねぇ~!」
嫌だ、この話はもう、したくない。
「そういえば、傷はどう?流石に治ったか~!もうトイレも平気?痛そうだったもんねぇ、宮村の─……」
「ゆいッ!!」
気づいたら思い切り叫んでいた。由伊は話すのを止め、代わりに「なぁに?宮村」と笑顔で問うてきた。
「……俺、……その話、したくない……」
下唇を噛み締めて俯いた。
どのくらい下を向いていたのだろう。
由伊が何も話さなくなったので恐る恐る顔を上げると、さっきまであんなにニコニコしていた彼は一瞬で無へと変わっていた。
その急激な温度差に恐怖を感じて、律はぎゅっとと手を握り締める。
「……ねぇ、宮村。なんで橘とずっと一緒に居るの」
低い声と、鋭い瞳が向けられる。
「……た、橘.……?友達、だからでしょ……?」
律の言葉に由伊の眉がピク、と動いた。皺が寄って険しい顔つきになる。
「宮村は、橘の事が好きなの?」
「……そりゃ、好きでしょ」
「俺より?」
「……ねぇ、さっきから何言ってんの?」
由伊の様子が明らかにおかしいと確信し律は逃げ出したい衝動に駆られる。
なんでこんなに怒ってるの?俺、なにかした?
近づこうと由伊に手を伸ばしたその時、グイッと強く引っ張られダンッと壁に押し付けられた。
「うっ……!」
一瞬息が吸えなくなって、動けなくなる。菓子パンの入ったビニール袋が手から離れ、音を立てて落ちた。
ギリッと腕を掴む由伊の力が強くて、痛い。
「ねぇ宮村、俺より橘が好き?」
縋るような、切羽詰まった顔でそんな事を繰り返し聞いてくる。
なんでそんなこと、聞くの?由伊は今、何を思っているの?俺は、なんて答えるのが正解なの?
必死に、考え、絞り出す。
「……そんなの、比べた事ないから、分かんないよ」
そう返すと、由伊はキッと睨んだ。
「ちゃんと、考えて」
……なにを?
由伊の言葉の意味が全然分からない。
由伊のことを理解したいと思うのに、手首の痛さに意識がいってしまう。
「俺はさ、大切な者には凄く執着するし重いんだ。何でも知りたくなるし、自分の腕の中だけで息をすればいいと思ってる」
……これは、なんの話なのだ。理解しようと、必死に由伊の瞳を見つめ返す。
僅かに揺れた、気がした。
「……俺に向けた事ない顔を他の奴に向けるのも許せない。俺は俺だけの唯一無二が欲しいんだよ」
心臓がドクドク鳴る。
「……手遅れに、なるかもね」
ドクン、と強く心臓が動いたのを感じた。特別棟の静寂に包まれた廊下に、何の温度も色もない由伊の声だけが有った。
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