短編ホラー 

からとあき

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第4灯[無縁仏]

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 あれは、僕が田舎の老人ホームで夜勤をしていた頃のことだ。
もう十年近くも前の話になる。
 当時、施設の端に、簡易的な霊安室が設けられていた。
亡くなった入居者がすぐには搬送できないとき、一晩だけ安置するための部屋だ。設備は簡素で、冷房も古びたストーブもどきの冷却装置も頼りなかった。蛍光灯が一本だけ点いているその空間は、昼間でも薄暗く、どこか湿り気を帯びた冷気が漂っていた。
 時折、近くの病院や火葬場の都合で、“無縁仏”が数日だけ預けられることもあった。
 
 その日も、夜勤の僕と先輩職員のBさんの二人体制だった。
夕方、事務所で業務の引き継ぎをしていると、施設長が少し困ったような顔でやってきた。

「今夜、無縁さんが一体入るから、線香の火を絶やさないように頼むよ」

 無縁さん。つまり、身寄りのない遺体だ。
 亡くなったのは、外国人男性。名前も正確には分からず、身元も特定できていないとのことだった。急性の心臓麻痺で倒れ、そのまま亡くなったらしい。行政の一時措置で、今夜だけこの施設で預かることになったらしい。
 夕食が終わったころ、救命士がストレッチャーのままを遺体を運び込んできた。
 全身は白い布にくるまれていて、顔も完全に覆われていた。表情は見えなかったけれど、なぜか背筋がぞわりとしたのを、今でも覚えている。

「なーんか、嫌な感じしないか?」

 そう言ったのはBさんだった。年齢は僕より十以上上で、普段は陽気な人なのに、この時ばかりは眉間にしわを寄せていた。

「……え、何がですか?」

「いや、わかんねえけどさ……こういうのって、線香の火を絶やすと良くないんだろ?」

「ま、まあ……そういう話は、聞いたことありますけど……」

「よし、じゃあ絶対消さないように交代で行くぞ。一人はイヤだ」

 冗談めかして笑っていたけれど、その笑いには少しだけ、本気の気配がにじんでいた。 
 その夜、僕たちは交代ではなく、常に二人一緒に霊安室へ線香の交換に向かった。
 21時、23時、1時――三度目までは、何も起こらなかった。
 ただ、霊安室に入るたび、うっすらと線香のにおいとは違う焦げ臭いような、それでいて湿ったような空気が肌にまとわりついた。
 午前3時を回ったころ。
 Bさんがぽつりとつぶやいた。

「おい、線香の灰の位置、変じゃないか……?」

 言われてよく見ると、灰が皿の縁に対して斜めに落ちていた。風でも吹いたのかと辺りを見回したが、窓も扉も閉まっていたし、空調も止まっていた。

「……気のせい、ですよね」

「気のせいであってくれよ」
 
 午前4時を少し過ぎた頃だった。
 最後の線香を交換しに行こうとしたその時、何かが倒れる音がした。
 二人で駆けつけると利用者さんがトイレで転倒していた。
二人で転倒をいている様子を見ていたが、先に僕が見ていたので僕が転倒対応し、
Bさんに線香を任せた。Bさんは懐中電灯を手に、薄暗い廊下の奥へと歩いていった。
――数分後だった。
 突如、施設の静寂を裂くような叫び声が響いた。
 
「ぎゃあああああああああああああああああ!!」

 僕は心臓が止まるかと思った。
慌てて霊安室へと全力で駆けていった。
 霊安室の扉は半開きになっていた。
中からは何かが倒れるような音と、ガタガタと震える物音が聞こえてくる。

「Bさんッ……!?」
 
 思わず叫びながら中に飛び込んだ僕の目に映ったのは――
白布のかかった布団のそばで、床に倒れて気を失っているBさん。
そして、その足首を掴む“白い腕”。
……遺体のものだった。
白布は半分ずり落ち、顔が露わになっていた。
それは――苦悶に歪んだ表情。
目は半開きで、唇は固く閉ざされ、眉間には深く皺が刻まれていた。
“目が合った”と錯覚した。
 慌てて引きはがそうとしたが、遺体の手は異様なまでに硬く、凍りついたようにBさんの足首を掴んだまま離さなかった。びくともしない。
 僕一人ではどうにもできず、やがて到着した早番の職員たちと共に、四人がかりでようやくその手を外した。
 その間ずっと、誰もひと言も声を出せなかった。
遺体の目は開いたままだった。
Bさんは意識を取り戻すと、何も言わずに絶叫し、そのまま施設を飛び出していった。
そして、それきり……戻ってこなかった。
連絡はつかず、結局“自己都合による退職”という形で処理された。
けれど、あの時、Bさんが何を見ていたのか――それを想像するたび、背筋がひやりとする。
あの出来事以降、霊安室に一人で入る職員はいなくなった。
そして数年後、施設は建て替えられた。今では清潔で明るく、モダンな造りになっている。
もちろん、霊安室はもう存在しない。
 “あの夜”のことは、今でも夜勤職員たちのあいだで静かに語り継がれている。
あの部屋の跡地が、今どこにあたるのか。
知っている者は、もう誰もいない。
 
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