幸せを呼ぶ坤澤は皇帝陛下に寵愛される

舞々

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十、悲しき番

悲しき番①

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 陛下の閨にたくさんの火鉢が並べられた。先程から侍医が忙しなく走り回っている。
 濡れて冷たくなった仔空の着物を玉風が脱がせ、温かい湯で拭いてやる。それでも仔空の頬が赤みを帯びることはない。かろうじて上下に動く胸の動きで、仔空が呼吸をしていることが伝わってきた。


「おい、仔空妃は首を噛まれている。これは香霧と番になったということか?」
「は、はぁ……」
「いいから言え」
 仔空の脈をとっていた侍医に声をかけると、顔を引き攣らせながら目を見開く。「私にそれを聞くのか」と言いたいのだろう。体がガタガタと震えている。


「いいから言え。仔空妃は香霧の番になったのか?」
「恐れ多くも申し上げます。坤澤である仔空妃殿下の項を、乾元である香霧様が噛まれたのであれば、お二人は番になられたのだと思います」
「そうか……」
 侍医は床にひれ伏し頭を上げることさえできない。張り詰めた空気が黄龍殿に流れた。


「番を解消する方法はないのか」
「はい?」
「番を解消する方法はないのかと聞いているんだ」
「も、申し訳ございません! 私にはわかりかねます!」
「なら、そんなところで土下座なんかしていないで、さっさと番を解消する方法を探してこい」
「しかし、一度番になってしまえばそれを解消する方法なんて……」
「わかっている!」
 玉風が声を張り上げた瞬間、その場にいた者の動きが一瞬で止まる。


「帝位などくれてやる。俺の命と引き換えでも構わん。番を解消する方法を見つけてこい。この役立たず共が!」
「し、しかし……」
「そんなこともわからない侍医など、皆殺しにしてやる。わかったのなら行け!」 
 無理難題を突き付けられた侍医は、目に涙を浮かべながら黄龍殿を後にする。


「陛下、お着物がびしょ濡れです。着替えられてはどうですか?」
「あぁ……」
 来儀の声に、玉風がようやく寝台から立ち上がる。
「なぁ来儀よ」
「はい」
「愚かだと思うか?」
「はい?」
 玉風の言葉の意味がわからず、来儀は眉を顰める。先程より幾分顔つきが穏やかになったが、いつ何をしでかすかわからない危うさはまだある。言葉を発することに恐怖を感じた。


「一国の皇帝が、たった一人の皇妃のためにこんなに必死になるなんて……馬鹿げていると思うだろう」
「い、いえ。そんなことは……」
「わかっているのだ、自分でも。どんなに愚かなことをしているかなんて。ただ、誰かを慕い焦がれるということが、こんなにも苦しくて尊いものなのかということを、身をもって知ったのだ。俺は、なんとしてでも仔空妃と番になりたい」
「陛下……」
「可哀そうに。無実の罪を着せられ、どんなに怖かっただろうか……。もしかしたら、私の名を呼んだかもしれない」
 愛おしそうに仔空の額に自分の額を押し当てる玉風は、来儀が初めて見る悲痛な姿だった。これまで誰にも心を開かなかった玉風。その綺麗な瞳にうっすら涙が浮かんでいたことに、来儀は見て見ぬふりをした。



「侍医共は何をしているんだ! いつまで待たせれば気が済むのだ!」
 ガシャンという音と共に、玉風が燭台をひっくり返す。あまりの剣幕に、来儀は思わず後ずさった。


「王宮屈指の侍医集団が聞いて呆れる。一人ずつ首を刎ねていくか……」
「陛下、もう少しだけお待ちください! 只今、善蕉風ゼンショウフウを宮殿に呼んでおります」
「善蕉風だと?」
「はい。先帝が常に傍に置いていた侍医ですが今は引退し、生まれ故郷で暮らしています。その者は番についても詳しいと聞いております。なので、もう少しだけお待ちください!」
 大剣に手をかけようとする玉風の前に来儀が立ちはだかり、深々と拱手礼をする。


「ならば早く呼んでこい! このままでは、仔空妃は永遠に香霧と番のままだ」
 玉風は未だに目を覚ますことのない仔空を心配そうに見つめる。
「もし、仔空妃が死んだら……お前達全員殺すからな」
 その言葉に、来儀の体から一瞬で体温が消えていく。もう何度も戦で死線を潜り抜けてはきたものの、それ以上に強い恐怖に駆られた。この御方は本気だ……。


「陛下。善蕉風が参りました」
 声のする方を向けば、腰の曲がった老人が拱手礼をしている。
「其方が、善蕉風か?」
「はい。お待たせして申し訳ございません」
 善蕉風と名乗った老人が顔を上げれば、深い皺が刻み込まれた顔に穏やかな笑みを湛えている。痩せて骨が浮き出た体を、かろうじて杖が支えていた。
「お久しぶりでございます、陛下。立派になられまして……」
「よく来てくれた」
 殺気立つ玉風を目の前にしても全く動じない辺り、彼もまた数々の死線を越えてきたのだろう。


 ゆっくり寝台に近付き、仔空の顔を覗き込む。そしてそっと微笑んだ。


「これは、桜の花弁のように美しい皇妃ですな。どっこらしょ」
 その場にしゃがみ込み、仔空の手を握って脈をとり始める。その様子を玉風が心配そうに覗き込んだ。
「かなり衰弱されており、非常に危険な状況です。それに大変申し上げにくいですが、この方から今は信香を感じることができない。つまり、項を噛んだ相手と番関係が成立してしまった、ということです」
「なんだと? なんとかならないのか?」
「一番簡単な方法は香霧を殺すことです。番は片割れが死ぬことで解消されますから」


「それは……ほかに方法はないのか?」
「なぜですか? 香霧を殺せない事情でもあるのでしょうか?」
「うるさいジジィだ。そんなことはどうでもいいだろう? 他には方法がないのか?」
 明らかにイライラした玉風が善蕉風を睨み付けた。そんな玉風を見た善蕉風が大きな溜息をつく。


「現皇帝は本当に困った御方だ。たかが皇妃一人の為に……」
「なんだと?」
「少し時間をください。色々調べたいことがあります故」
 善蕉風が呆れた顔をしながらも深々と拱手礼をする。
「あまり時間をとらせるなよ」
「承知致しました」
 玉風に背を向けるとゆっくりと黄龍殿を後にした。

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