淫魔アディクション

石月煤子

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「病院に行こう」
「だから……いいって、これくらい、中学ン頃にも擦れ違いざまに殴られたことあったし」
「頭痛はないのか。周りがぼやけて見えたりしてないか?」
「ちゃんと見えてるって……頭はちょっと痛ぇけど」
「事務所の方で休んでいく?」


志摩との会話に割り込んできた阿久刀川に岬は首を左右に振ってみせた。


「もうこっから出てぇ。うるせぇのにも飽きた」


そこはVIPフロアの空いていた半個室だった。


スーツ男はまだ奥のプレミアムルームにいる、店での一悶着に慣れているという阿久刀川は通報することもなく、厳重注意にも至らず、捌けたスタッフに掃除させて新しいシャンパンまで用意していた。


『次に見かけたらどっちの眼球も抉り出してやる』


スタッフに取り押さえられ、物騒な凶器を奪われた濡宇朗は、えらく物騒な台詞をスーツ男にブン投げた。

それでも尚、満更でもなさそうに恍惚とした表情を浮かべ、名残惜しげに殺気立つ見目麗しい劣性淫魔をスーツ男は最後まで崇めていた。


で、当の濡宇朗はというと。


「岬、怖かったね、可哀想、よしよし」


先程までの夥(おびただ)しい殺気はどこへやら、シャツをはだけさせたまま岬にべったり、殴られた頬をわざとらしいくらいに心配していた。


「痛いの、痛いの、飛んでけー」
「ッ……触られると痛ぇんだよ、濡宇朗」


スタッフルームの常備品である氷嚢で岬は頬を冷やしていた。

数人のスタッフが目のやり場に困っていた濡宇朗の身だしなみに呆れて「ちゃんと着ろ」と、シャツのボタンをかけてやる。


「……やっぱり得体が知れない奴」


志摩は向かい側のソファに阿久刀川と並んで座っていた。


「岬くん、てっきり志摩に会いにきたのかと思っていたんだけどな」


あっけらかんとした阿久刀川の言葉に無言で首を左右に振る。

眼鏡の位置をぞんざいに正した志摩を横目でチラリと見、岬は思う。


……センセェんち行きてぇ。


口には出さなかった。

志摩や阿久刀川に迷惑をかけ、まだちゃんと謝罪していなかったと気付き、居住まいを正して二人に向き直った。


「僕のもう一つのお店でゆっくり休憩したらいいよ」


阿久刀川の素っ頓狂な提案に岬は謝罪も忘れ、ついついフリーズした。




妙に耳に残る言葉があった。

スタッフに拘束された濡宇朗が一先ず通路へ連れ出されていく際にスーツ男が呟いたのだ。


「あの翅に絞め殺されるのなら本望なのに」


はね。
鳥の羽のことなのか。
それとも虫の翅……?


「岬」


外の空気を吸い、熱帯夜の産物ながらも常に混沌としていたナイトスポットから脱出して一息ついた岬は、隣を見上げた。


「おんぶする」


徒歩十分ほどで着く洋食レストランの「UNUSUAL」までついてきてくれるという志摩に、氷嚢を頬に押し当てた岬は赤面した。


「いちいち大袈裟なんだよ」
「吐き気はないのか?」
「ん……このクソ暑い空気吸ってたら頭痛も大分マシになってきた」
「コンビニで消毒薬買っていこう」
「いいって……消毒薬はウチにあっから、平気だって……」


わざわざ阿久刀川のもう一つの店で一休みする必要なんかなかった。

このままタクシーで帰宅しても構わなかった。


「荷物、俺が持つ」
『向こうの店に行くのなら俺が同行する』


志摩と一緒にいられる時間がほしくて。
できる限り長引かせたくて。
岬は阿久刀川の提案を受け入れた。


「おんぶして、コンビニでアイス買って」


岬にべったりくっついている濡宇朗の欲求を無視して志摩は少し先を歩き、横に並びたい岬はシュンとなりかけ、白黒のゼブラ柄エコバッグが似合わない後ろ姿に吹き出した。


……優しくされたら勘違いしそうになる。
……でも、やっぱ、嬉しいもんだな。


夜の九時を過ぎても人の行き来が絶えない裏通り。

口数の多い濡宇朗を余所に岬と志摩は黙々と進み、定休日であったはずの洋食レストランに到着した。


「岬君、大丈夫?」


階段下の入り口で待っていた黒須に岬は気まずそうに頷いてみせる。


「病院に行かなくて本当によかったの?」
「みんな大袈裟っすよ……ていうかスミマセン、定休日なのにわざわざ店開けてもらって」
「ううん、店は閉めてたけど中で掃除とか事務作業やってたから、ほら、おいで」
「スミマセン、黒須サン」


日頃から親切にしてくれるが、たまに阿久刀川限定でバイオレンス臭を漂わせる黒須に頭を下げ、岬は洋食レストランへ入店した。


赤と黒がせめぎ合う、視界には刺激的な内装だが、現在はカウンターの照明のみ、好ましい静寂と薄暗さと空調に保たれていた。


クラブの騒々しさに疲弊していた五感が癒やされていく。


深紅の帳(とばり)に覆われたVIP席の半個室に通されると眠気が押し寄せてきた。


「横になっていいよ、ちょっと眠ったらいい」


前掛けエプロンは見当たらず、こざっぱりした普段着姿の黒須の気遣いに甘え、岬はソファに横になる。


「膝枕してあげる」
「……お前の膝、骨張ってそうだから遠慮しとく」


自分にくっついてVIP席に入り込んできた濡宇朗に苦笑いし、岬は、首を傾げた。


「濡宇朗、お前、学ランはどうした」
「あ。あの部屋に忘れてきちゃった。今頃あのクソ野郎のオカズにされてるかも」
「……、……あれ」


岬はやっと気がついた。

ズボンのポケットに入れておいたはずのスマホがなくなっていることに。


……殴られたときに何か落ちたと思ったら、あれ、スマホだったのか。

……仕方ねぇ、今日は店側に色々面倒かけたし、明日取りにいこう。


「ねぇねぇ、岬、おねむ? 子守唄いる?」
「濡宇朗、静かにしてやれ、岬が寝れない」
「うるさい黙れクソ志摩」
「初めてのお客様向けサービスがあるんだけど、チョコレートムース、食べるかな」
「食べる」


注意してきた志摩には噛みついた濡宇朗だが、黒須の好意は素直に受け取り、帳の外側へと出て行った。


半個室に残された岬は寝返りを打つ。


サンダルから自由になった両足を窮屈そうに曲げ、背もたれに身を寄せ、横向きに丸まった。


「血湧き肉躍る痴話喧嘩に巻き込まれたとか、店長が意味不明なこと言ってました」
「あのケガは俺のせいで負ったんです」
「志摩先生のせい? 志摩先生、誰かと痴話喧嘩したんですか?」
「……阿久刀川の説明には語弊しかありません」


帳の向こうから聞こえてきた志摩と黒須の会話に岬は声を立てずに笑った。

自分のために抑えられた彼の声が耳に心地よく、深く安心し、そのまま睡魔に身を委ねた。



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