47 / 66
12-3
しおりを挟む「病院に行こう」
「だから……いいって、これくらい、中学ン頃にも擦れ違いざまに殴られたことあったし」
「頭痛はないのか。周りがぼやけて見えたりしてないか?」
「ちゃんと見えてるって……頭はちょっと痛ぇけど」
「事務所の方で休んでいく?」
志摩との会話に割り込んできた阿久刀川に岬は首を左右に振ってみせた。
「もうこっから出てぇ。うるせぇのにも飽きた」
そこはVIPフロアの空いていた半個室だった。
スーツ男はまだ奥のプレミアムルームにいる、店での一悶着に慣れているという阿久刀川は通報することもなく、厳重注意にも至らず、捌けたスタッフに掃除させて新しいシャンパンまで用意していた。
『次に見かけたらどっちの眼球も抉り出してやる』
スタッフに取り押さえられ、物騒な凶器を奪われた濡宇朗は、えらく物騒な台詞をスーツ男にブン投げた。
それでも尚、満更でもなさそうに恍惚とした表情を浮かべ、名残惜しげに殺気立つ見目麗しい劣性淫魔をスーツ男は最後まで崇めていた。
で、当の濡宇朗はというと。
「岬、怖かったね、可哀想、よしよし」
先程までの夥(おびただ)しい殺気はどこへやら、シャツをはだけさせたまま岬にべったり、殴られた頬をわざとらしいくらいに心配していた。
「痛いの、痛いの、飛んでけー」
「ッ……触られると痛ぇんだよ、濡宇朗」
スタッフルームの常備品である氷嚢で岬は頬を冷やしていた。
数人のスタッフが目のやり場に困っていた濡宇朗の身だしなみに呆れて「ちゃんと着ろ」と、シャツのボタンをかけてやる。
「……やっぱり得体が知れない奴」
志摩は向かい側のソファに阿久刀川と並んで座っていた。
「岬くん、てっきり志摩に会いにきたのかと思っていたんだけどな」
あっけらかんとした阿久刀川の言葉に無言で首を左右に振る。
眼鏡の位置をぞんざいに正した志摩を横目でチラリと見、岬は思う。
……センセェんち行きてぇ。
口には出さなかった。
志摩や阿久刀川に迷惑をかけ、まだちゃんと謝罪していなかったと気付き、居住まいを正して二人に向き直った。
「僕のもう一つのお店でゆっくり休憩したらいいよ」
阿久刀川の素っ頓狂な提案に岬は謝罪も忘れ、ついついフリーズした。
妙に耳に残る言葉があった。
スタッフに拘束された濡宇朗が一先ず通路へ連れ出されていく際にスーツ男が呟いたのだ。
「あの翅に絞め殺されるのなら本望なのに」
はね。
鳥の羽のことなのか。
それとも虫の翅……?
「岬」
外の空気を吸い、熱帯夜の産物ながらも常に混沌としていたナイトスポットから脱出して一息ついた岬は、隣を見上げた。
「おんぶする」
徒歩十分ほどで着く洋食レストランの「UNUSUAL」までついてきてくれるという志摩に、氷嚢を頬に押し当てた岬は赤面した。
「いちいち大袈裟なんだよ」
「吐き気はないのか?」
「ん……このクソ暑い空気吸ってたら頭痛も大分マシになってきた」
「コンビニで消毒薬買っていこう」
「いいって……消毒薬はウチにあっから、平気だって……」
わざわざ阿久刀川のもう一つの店で一休みする必要なんかなかった。
このままタクシーで帰宅しても構わなかった。
「荷物、俺が持つ」
『向こうの店に行くのなら俺が同行する』
志摩と一緒にいられる時間がほしくて。
できる限り長引かせたくて。
岬は阿久刀川の提案を受け入れた。
「おんぶして、コンビニでアイス買って」
岬にべったりくっついている濡宇朗の欲求を無視して志摩は少し先を歩き、横に並びたい岬はシュンとなりかけ、白黒のゼブラ柄エコバッグが似合わない後ろ姿に吹き出した。
……優しくされたら勘違いしそうになる。
……でも、やっぱ、嬉しいもんだな。
夜の九時を過ぎても人の行き来が絶えない裏通り。
口数の多い濡宇朗を余所に岬と志摩は黙々と進み、定休日であったはずの洋食レストランに到着した。
「岬君、大丈夫?」
階段下の入り口で待っていた黒須に岬は気まずそうに頷いてみせる。
「病院に行かなくて本当によかったの?」
「みんな大袈裟っすよ……ていうかスミマセン、定休日なのにわざわざ店開けてもらって」
「ううん、店は閉めてたけど中で掃除とか事務作業やってたから、ほら、おいで」
「スミマセン、黒須サン」
日頃から親切にしてくれるが、たまに阿久刀川限定でバイオレンス臭を漂わせる黒須に頭を下げ、岬は洋食レストランへ入店した。
赤と黒がせめぎ合う、視界には刺激的な内装だが、現在はカウンターの照明のみ、好ましい静寂と薄暗さと空調に保たれていた。
クラブの騒々しさに疲弊していた五感が癒やされていく。
深紅の帳(とばり)に覆われたVIP席の半個室に通されると眠気が押し寄せてきた。
「横になっていいよ、ちょっと眠ったらいい」
前掛けエプロンは見当たらず、こざっぱりした普段着姿の黒須の気遣いに甘え、岬はソファに横になる。
「膝枕してあげる」
「……お前の膝、骨張ってそうだから遠慮しとく」
自分にくっついてVIP席に入り込んできた濡宇朗に苦笑いし、岬は、首を傾げた。
「濡宇朗、お前、学ランはどうした」
「あ。あの部屋に忘れてきちゃった。今頃あのクソ野郎のオカズにされてるかも」
「……、……あれ」
岬はやっと気がついた。
ズボンのポケットに入れておいたはずのスマホがなくなっていることに。
……殴られたときに何か落ちたと思ったら、あれ、スマホだったのか。
……仕方ねぇ、今日は店側に色々面倒かけたし、明日取りにいこう。
「ねぇねぇ、岬、おねむ? 子守唄いる?」
「濡宇朗、静かにしてやれ、岬が寝れない」
「うるさい黙れクソ志摩」
「初めてのお客様向けサービスがあるんだけど、チョコレートムース、食べるかな」
「食べる」
注意してきた志摩には噛みついた濡宇朗だが、黒須の好意は素直に受け取り、帳の外側へと出て行った。
半個室に残された岬は寝返りを打つ。
サンダルから自由になった両足を窮屈そうに曲げ、背もたれに身を寄せ、横向きに丸まった。
「血湧き肉躍る痴話喧嘩に巻き込まれたとか、店長が意味不明なこと言ってました」
「あのケガは俺のせいで負ったんです」
「志摩先生のせい? 志摩先生、誰かと痴話喧嘩したんですか?」
「……阿久刀川の説明には語弊しかありません」
帳の向こうから聞こえてきた志摩と黒須の会話に岬は声を立てずに笑った。
自分のために抑えられた彼の声が耳に心地よく、深く安心し、そのまま睡魔に身を委ねた。
12
あなたにおすすめの小説
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
忠犬だったはずの後輩が、独占欲を隠さなくなった
ちとせ
BL
後輩(男前イケメン)×先輩(無自覚美人)
「俺がやめるのも、先輩にとってはどうでもいいことなんですね…」
退職する直前に爪痕を残していった元後輩ワンコは、再会後独占欲を隠さなくて…
商社で働く雨宮 叶斗(あめみや かなと)は冷たい印象を与えてしまうほど整った美貌を持つ。
そんな彼には指導係だった時からずっと付き従ってくる後輩がいた。
その後輩、村瀬 樹(むらせ いつき)はある日突然叶斗に退職することを告げた。
2年後、戻ってきた村瀬は自分の欲望を我慢することをせず…
後半甘々です。
すれ違いもありますが、結局攻めは最初から最後まで受け大好きで、受けは終始振り回されてます。
ダメリーマンにダメにされちゃう高校生の話
タタミ
BL
高校3年生の古賀栄智は、同じシェアハウスに住む会社員・宮城旭に恋している。
ギャンブル好きで特定の恋人を作らないダメ男の旭に、栄智は実らない想いを募らせていくが──
ダメリーマンにダメにされる男子高校生の話。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる