君はなぜ笑う?

梵天丸

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君はなぜ笑う?(9)

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 いつの頃からか……僕はテストが近づいてくると万引きをするようになった。そうすれば一時的に気持ちが落ちつくのだ。けれども、これが見つかれば大変なことになるという自覚もあった。だからこれで最後にしようと毎回思っていた。なのにやめることが出来なかった。
 万引きするのはいつも同じ学園の傍の文房具店。消しゴム一個だったり、ボールペン一個だったり万引きするものはその時々によって違うけれど、絶対に見つからないように細心の注意を払っていた。
 もしも見つかってしまえば、また母親にどんな叱責を受けるか……いや、叱責どころでは済まないことを僕は一番理解していた。
 このままではいつか誰かに見つかってしまう……そういう恐怖を感じながらも僕は万引きをやめることが出来なかった。
 初めて香穂にあの店の前で出会った日……僕は万引きを見られたんじゃないかと直感した。その日は香穂は何も言わなかったけど、そのうち言い出すのではないか……そう思っているうちに告白され、そのまま付き合うことになった。
 確かに香穂の言うとおり、僕は香穂のことを好きになったから交際を了承したのではなく、香穂に万引きを見られたのではないかという不安を払拭できなかったから付き合うことにしたのだ。
 そして、あの日……香穂を殺したあの日は、確実に見られたという確信めいた気持ちが僕にはあった。
 香穂に放課後時間が欲しいと言われたとき、僕はいったんそれを断った。そして……。
「僕を恨んでいるのか、香穂? 恨みを晴らしたくて僕の前に現れたのか?」
 僕が聞くと、香穂は苦笑しながら首を横に振る。
「ううん、そうじゃない。あたしは恨んでないよ、耕司君。ただ、あたしは間違ったことをしてしまったから……それを修正したかっただけ……」
「間違ったこと?」
「うん、あの時……万引きしたときにその場で言わなかったことと、あたしが嘘の証言をしてしまったこと……」
「…………」
「あの時あたしは耕司君を助けようと思ってそう言ったけど……でも、違った。あたしのしたことは全部、耕司君をもっと空っぽにするだけだった!」
 香穂のその言葉はまるで悲鳴のようだった。
 香穂の言葉は僕の胸にストレートに響いてきて、彼女が本当に僕のことを思ってくれていることが伝わってきた。
 あの時、彼女を殺したのは僕なのに……。
 あの時、僕はいったん香穂と別れ、帰るふりをして近くのホームセンターで少し大きめのナイフと防水加工されたウィンドブレーカーの上下と軍手を購入した。
 そして、制服の上からウィンドブレーカーの上下を着け、フードを目深にまぶった僕は、すぐに彼女と別れた場所に戻った。まだ香穂はその場にいたけれど、やがて駅とは反対方向に歩き出した。
 僕はその後を追いかけた。
 そして、彼女が人通りの少ない公園に入ったところで、さらに距離を縮め、背後からナイフでひと突きした。
 それでも不安だったので、二度、三度と刺した。
 ちょうど時刻は夕刻、香穂がほとんど悲鳴をあげなかったことも幸いして、僕は誰に見つかることもなく香穂を刺すことが出来た。
 ぐったりと動かなくなった香穂をその場に置き捨てて、僕は逃げた。
 途中、公園のトイレの中で血に濡れたたウィンドブレーカーの上下と軍手を取り、それをバッグの中に押し込んで何食わぬ顔で僕は駅のほうへと戻っていった。
 あの時……香穂はまだ息があったのだということを知ったのは、香穂が発見者に『見知らぬ大柄の中年男』という証言をしたという話を警察の人に聞いてからだった。
 香穂は僕をかばうために、わざと嘘の証言をした……。
「怖かったんだ……香穂がいつ僕の万引きのことを誰かに言うかもしれないと思うと」
「うん、分かるよ。今なら分かる。あたしが耕司君のことをぜんぜん分かってなかったんだね」
「ごめん、香穂……今は後悔している。でも、あの時の僕はそうするしかなかった。どう考え直してみても、あの時の僕には他の選択肢はなかったんだ……」
「じゃあ、今の耕司君なら……どんな選択肢があるの? 何か他の方法を考えつく?」
 思わぬ事を聞かれ、僕は自分なりに考えてみる。
「まず正直に香穂に僕の万引きを見たかどうか聞いてみる。そして、僕をどうするつもりなのか聞く」
「それから?」
「それでも……今の僕なら香穂を殺さないで解決する方法を考えると思う。だけど、そんな仮定を今さら言ってみても仕方がないよ。僕はもう香穂を殺してしまったんだから」
「無駄じゃないよ。耕司君はまだ生きてるんだから。これからも生きていくんだから。どうするべきだったのか……たくさんの方法を考えることは、これからの耕司君の生き方が広がるってことだよ! だから怖がらずに考えて!」
 必死になって訴えてくる香穂に僕は少し押され気味になりながらも、さらに考えをめぐらせていった。
「僕が万引きをやめるためには、一度捕まる必要があったと思う。捕まって……母さんや父さんやいろんな人に叱られたり蔑まれたりして、学校にもいられなくなって、病院で専門的な治療を受けて……それで初めて僕は万引きをやめることが出来る気がする。そのせいで失うものは多いかもしれないけれど、僕は万引きをやめることが出来ると思う」
「うん、そうだね。あたしもそう思う。だからあの時、あたしは絶対に耕司君に告げるべきだったの。耕司君、万引きは駄目だよ。一緒に謝りに行こうって……」
「そうだな。そうしていればきっといろいろ違っていたかもしれない。でも、もしも香穂にあの時の僕がそう告げられたとして……結局僕は香穂を殺していたと思う」
「じゃあ、どうすればあたしを殺さずに済んだ? それも考えてみて」
「どうすれば……香穂を殺さずに……」
 香穂の問いかけに、僕は少し戸惑ってしまう。けれども、自分なりに考えて出た答えを香穂に告げた。
「僕が香穂を殺さずに済んだ方法があるとすれば……それはあの時、香穂の優しさに気付くことだったかもしれない。そして、その優しさに素直に感謝することだったかもしれない。あの時の僕は自分のことしか考えられなかった。そこに少しでも香穂のことを考える気持ちがあったら……ひょっとすると殺さずに済んだかもしれない……自信はないけれど」
 それがもう限界だった。僕の頭はそれ以上考えることを拒否してしまったみたいだ。
 香穂にもそれが伝わったようだった。
「そっか……うん、ありがとう、耕司君。目を背けずに考えてくれて」
「いや……仮定をいくら考えたって、終わったことは何も取り返しがつかない」
「でも、これから同じことをしないためには役に立つと思うよ」
「それはそうかもしれないけど……でも、僕にこれからなんて……」
 香穂には僕の考えていたことが理解できてしまったらしい。
「死んだら駄目だよ、耕司君。本当にあたしを殺したことを後悔してるなら……酷いことをしたって思っているなら、生きて」
「香穂……」
 僕はあの日香穂を刺したナイフを持っていた。いつか自分も香穂にしたのと同じ痛みを味わいながら死ぬのだと思っていた。それが今日になっても、僕は構わなかった。
 だけど、香穂はそれを望んでいない……。
「耕司君、あたしに償いたいという気持ちが少しでもあるなら、生きて。たとえたった一人になっても、孤独に押しつぶされそうになっても、死んだほうがましだと思っても、それでも生きて。それがあたしの望む償い……」
「…………」
「でも、大丈夫だよ、耕司君。耕司君は一人じゃないから。あたしはずっと耕司君のことを見てるよ。たぶんもうすぐあたしの姿は見えなくなると思う。だけどあたしはずっと耕司君を見守ってるから」
「でも……いなくなるんだろう?」
「耕司君には見えなくなるだけだよ。たったそれだけのこと」
 たったそれだけのことが、あるのとないのとでは随分と違う。こうして今、目の前に香穂がいて、生きているときと同じように話もしているのに。それがなくなってしまえば、いったいどうやって香穂を感じれば良いというのだろう。
 途方に暮れたような気持ちになっていると、ふわりと体を包み込む温もりを感じた。
 香穂が僕を抱きしめてくれているのだ。
「見えなくなるだけ。本当にたったそれだけなんだよ。あたしはもう死なないから。あたしはずっと耕司君のことを見守っているし、愛してる」
 まるで名残を惜しむようなその香穂の言葉に、僕は不安がこみ上げてくるのを感じた。
「香穂……もう行ってしまうのか?」
 僕が聞くと、香穂はこくりと頷いた。
「ごめんね、本当はおばあちゃんが迎えに来てるんだ。ずっと待っててくれたんだけど……これ以上あたしがここに留まったら未浄化霊になっちゃうって心配してて。だからあたし、もう行くね」
「うん、分かってる」
 香穂の温もりが、また少し増したような気がした。香穂が精一杯、自分の存在を伝えてくれている。
「あたしをもう一度殺さないで。耕司君が死んじゃったら、あたしは二回殺されたことになっちゃう」
「ああ、そうだな……」
「耕司君が生きていたら、あたしも生きている。そのことを忘れないで」
 香穂のその言葉に、僕は観念したように頷いた。
「分かった。頑張ってみるよ」
 僕が言うと、香穂は目を細め、マシュマロみたいな顔をほころばせた。
「耕司君、愛してる……」
 香穂がもう一度言ったので、僕もそれに答える。
「僕も愛してるよ」
「生きてるときはそんなこと言ってくれなかったのにね」
「生きてるときにちゃんと言えば良かったな」
「でも、死んでからでも嬉しいよ、ありがとう。たまに思い出して言ってね。ちゃんと聞いてるから」
「うん。分かった」
「耕司君、忘れないでね。あたしはずっと耕司君を守るから。ずっとついてるから。一人じゃないから」
「香穂……」
 それまではっきりと見えていた香穂の姿が、少しずつ薄れていく。その声も小さくなっていく。僕は手を伸ばした。その瞬間、手のひらがほんの少しだけ温かくなった。
 僕はその温もりを手のひらに握りしめた。
 背後で足音が聞こえた。僕は自分から振り返った。
 そこに立っていたのは矢代刑事だった。
「霧島君、御堂香穂さんの件で君に聞きたいことがあるんだが、一緒に来てもらえるかな?」
 僕はうなずき、矢代さんとその後ろにいた二人の警察官の人とと一緒に歩き出した。
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