十二英雄伝

ぷるっと企画

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零章 第二部『バーン来襲、アピュラトリス外周制圧戦』

三十一話 「RD事変 其の三十 『金髪の悪魔』」

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 舞台は連盟会議場に戻る。

 その後、カーシェルがバクナイアから連絡を受けた頃には、事態はもう手がつけられない状態になっていた。サカトマーク・フィールドは展開され、アピュラトリスとの交信は不可能となった。

 そうした中、【その男】が現れたのだ。

「身分卑しき者だが、私も会議に加えていただけるかな?」

 男は静かに、笑みを浮かべてそう言った。

 顔は何かの加工がされているのか真っ黒で見えない。見えるのは黒いスーツである【喪服】と、特徴的な【金の髪】だけである。声自体には何も加工されておらず、その人物が男であることは間違いないだろう。

 ただ、その声には大きな問題があった。

 現在の世界は、【国際語】あるいは【大陸語】と呼ばれる公用語が存在する。これは大陸歴が始まった際に新しく生み出された言語で、現在ではすべての国家で使われている言葉である。

 といっても、地域によって【訛り】があるのは、多様な世界においては当然のことである。その人間がどこの出身かを知りたければ、口調に宿っている訛り、その人間が宿した、故郷というアイデンティティーを調べるのが一番早いだろう。

 母親の胎内にいる時に聴くリズムは、おのずと人間の波長をかたちづくるものである。意識して訓練すれば隠すことは可能だが、完全に消すことはできない。それはまさに指紋や声紋のような存在なのだ。

 そして、その男の訛りは【ルシア訛り】であった。

 最初に気がついたのは、もちろんルシア人である。ルシアも大きな国であるため、どこの出身かまでは即座にわからなかったが、知識人たる高官の中には東ルシアの訛りを強く感じた者もいた。

(あえて…か)
 天帝のザフキエルも、それはすぐにわかった。そして、その男が【わざと】訛りを強くしたことも見抜く。

 その男は国際連盟会議に加えてほしいと言いながら、誰よりもルシア天帝を見ていた。視線は暗くてわからない。しかし、彼の意識が、彼の言葉が、明らかにルシアを目指していたのは明白である。

 結果、ダマスカス、シェイク・エターナル、ロイゼン、グレート・ガーデンの陣営の視線は、おのずと男とルシア側に注がれる。彼らもその意思を悟り、この場の対応をルシア天帝に任せたのだ。本来ならば主催のカーシェルが対応すべきものだが、相手がルシアを名指しできたのだから任せるしかない状況であった。

 一瞬、場が静まり、すべての視線と注意が偶像と男に集まるのを見届け、ザフキエルが口を開く。

「加えてほしいのならば、まず礼を示すがよい。無法者にも名くらいあろう」
 ザフキエルは男に向かって名を尋ねる。するとその男は思案するそぶりを見せながら、明らかに最初から考えてきたであろう名を口にした。

「私のことは、【金髪の悪魔】とでもお呼びください」

 その言葉に反応したルシア騎士たちが殺気を強める。まるでふざけている。本来ならば、たとえ一国の元首であっても、ルシア天帝に謁見するには膨大な手続きと時間を要するものである。それでもせいぜい偶像を通しての謁見にすぎない。

 天帝とは、ルシア帝国にとって元首以上の重要な意味を持っていた。血の頂点に立つ者であり、【すべての雪の象徴】なのだ。その天帝に対しての無礼に、配下の騎士たちが怒るのは当たり前のことである。

 が、ザフキエルはそれに反応せず、男の気配を慎重に感じ取っていた。

「悪魔…か。まるで酔狂よな。まだピエロのほうが笑えるものよ」
 悪魔などと、まるで滑稽である。しかし、天帝の声は笑っていなかった。そして、周囲の人間も笑ってはいない。すでに情報を知っている彼らは笑う余裕などなかったのだ。

 アピュラトリスがテロリストに占拠されたこと。
 サカトマーク・フィールドが展開されたこと。
 謎のMGが出現したこと。
 そして、この悪魔が今、この場に姿を見せたこと。

 この会議場は、あらゆる面で世界最高のセキュリティを備えている。サカトマーク・フィールドが発生してもここが揺れないのは、強力な広域結界が張られているからである。

 それこそオンギョウジ並みの何十人もの術者によって強化されており、戦艦が突っ込んできても弾くだけの強固な防御を誇っている。

 それを突破してきたのだ。

 当然、サイバーテロに備えて世界最高峰の人材を配置し、こうしたハッキングなどはできないようにされている。それがまったく意味を成していない。いとも簡単に侵入され、こうして恥を晒している。

 それそのものが、相手が侮れない存在であることを、これでもかと証明しているのだ。この場で笑えるものがいれば、馬鹿か天才だけだろう。(唯一、アダ=シャーシカだけは笑っていたが)

「現在、アピュラトリスを占拠しているのは我々です。もうおわかりですね」
 悪魔はモニター越しに宣言し、周囲を見物する。会場に設置されたカメラの映像を見ているのだが、そこにはさまざまな顔をした人間がいてなかなか面白い。

 カーシェルは、さすが大統領といわんばかりに落ち着いているが、内心では相当な怒りを感じているだろう。バクナイアは苦々しい顔をしており、ヘインシーはこちらを観察しているようだ。

 その他国家も驚きはしているものの、誰一人として臆してはいない。さすがである。さすがなのだ。この場にいるのは、間違いなく世界のトップたち。修羅場を何度も潜り抜けてきた猛者たちなのだから。

 その世界のトップたちに向かって、悪魔は堂々と上から見下ろしている。悔しいがどうしようもない現実である。

「アピュラトリスは世界最高の防御を誇る。どうやって落とした」
「それはお答えできません。が、あなたがたが最高だと思っている力は、我々にとってみればそれほどのものではない、ということです」

 金髪の悪魔の言葉に慢心はない。静かな口調は事実だけを述べていることがうかがえる。しかしこの時ザフキエルは、男が発する【気質】が普通ではないことに気がついていた。

 男の声は明朗で力強く、繊細で細々しく、それでいて【甘い】。

 魅力が溢れ出ている。
 抑えているのだろうが、抑えきれないほどに強烈である。

 濃厚な香りの花束をプレゼント箱に隠しても、匂いでわかってしまうような感覚。太陽を隠そうとしても、燃える光を覆えない闇の無力さのように。

 この男は【指導者】である。

 この場の誰一人として、そのことを疑う者はいないだろう。
 わかってしまうのだ。彼らもまた、人の上に立つものなのだから。

 こうしている今も、ダマスカスの技術者が必死で回線を取り戻そうとしているが、まったくできない。逆探知はおろか、映像の主導権すら取り戻せないのだ。完全にお手上げである。

 この作業は、マレンのチームが三人がかりでハッキングを行っている。映像はランバーロから送られているため、そのセキュリティに万全を期すため複数人であたっているのだ。

 事実、たった三人に、数百人規模の世界最高峰の技術者が手も足も出ないのだ。これは実にショッキングな出来事であった。これほどの力を見せつけられれば、いかに悪魔が無礼であろうと話を聞かざるをえない。

「要求を聞こう」

 ザフキエルは悪魔に問う。こうして自ら接触を試みたからには目的があってしかるべきである。それはルシア天帝が、悪魔には要求をするだけの資格があることを認めた証拠でもあった。

 もちろん、悪魔には目的があった。

「では、遠慮なく申し上げます」

 悪魔は改めて各国代表を見回しながら述べる。


「今すぐ全世界の富を、すべての人間に分け与えてください」


 全世界の格差をなくして富を分けあおう。
 一人の少女が家もなく路上にいる時に、一人の少年はなぜ母親に高額な玩具をねだるのだろうか。

 飢える者がいない世界を作ろう。
 一人の老人が食べる物がなくて飢えている時に、一人の婦人は贅沢なパーティーをする必要があるのだろうか。

 この悪魔は言ったのだ。
 富の国ダマスカスという場で。
 富の塔を人質にして。

 悪魔は続ける。


「カーリスを含めた全宗教の廃絶、全国家、全民族の統合を求めます」


 現在の宗教はすべて力を失っている。
 その信仰は古ぼけた偽りの土台の上に存在しており、宗教家の誰一人として真理に到達できていない。
 彼らこそ現在の愚かな地上社会を生み出した張本人である。即刻、排除してほしい。

 全国家間の争いをやめよう。
 一部の権力者による愚かな戦いによって、誰が一番傷つくのだろうか。
 その利己主義、貪欲な肉の欲望によって、どれだけの血が流れているのだろうか。
 人類が新たに進化を望むならば、今すぐにやめなければならない。

 すべての人間が平等であり、兄弟姉妹であることを証明しよう。
 いかなる民族、出自であろうと、統一という存在の前においてはすべて同じである。
 血ではなく、その中に眠る魂に目を向けなければならない。

 これを言ってしまったのだ。

 カーリスを国教とするロイゼン神聖王国、その信仰の頂点に立つカーリス法王の前で。

 悪魔はさらに続けた。


「そして、全階級、全差別制度の撤廃、すべての権力の破棄を願います。当然、ルシア純血種も含めてのことです」


 あなたが今持っている権限は、いったい誰が与えたものだろうか。
 人類がすべて平等であるならば、そのような権力はまやかしであり、その気になれば一夜のもとに崩れさるものである。

 過去に暴力で手に入れた権利に何の価値があるのか。
 そんなものに従う義理はないし、意味もない。

 それをルシアに言ったのだ。

 血の国と呼ばれ、絶対貴族主義が敷かれているルシア帝国、その頂点に位置する者に対して述べたのだ。

 これが何を意味することか、正確に理解できる者がどれだけいるだろうか。ルシア陣営の激しい衝撃と困惑が、誰の目にも見てとれる。

 この男は言ってしまった。
 ルシア天帝に。
 それが何よりも恐ろしい。

「我々の要求は以上です」

 金髪の悪魔は要求を終えた。
 あまりに突飛かつ大胆かつ、無謀な要求に誰もが唖然としている。


 なぜならば、それはまるで【子供の夢】だからだ。


 お母さん、みんなが分けあえれば誰も困らなくて済むのにね。
 お父さん、あの子はとてもすごいね。肌の色や考え方は違うけど、一緒に遊べて楽しかったよ。

 でも、どうして大人は些細なことで争うのかな?
 すべて女神様から与えられたものじゃないか。
 どうして独占するの? 誰のものでもないよね?

 そんな子供の言葉を体現したような要求。
 あまりにシンプル。あまりに簡単。
 だが、現在の地上においては、この上なく難しいことである。

 それを悪魔は要求した。

 圧倒的な技術力によって蹂躙し、富の塔を人質に取りながら突きつけた。

 ルシア天帝という世界の王に対して。

「くく…はははははは! は―――ははははは!!!」

 悪魔の要求が終わり、異様な静寂が支配した中で、ザフキエルの笑い声だけが響きわたった。その笑い声は、心の奥底から出た本当の笑い。あまりの愉快さに、自身でさえ止められないようだ。

 ザフキエルは【笑わない男】として有名である。

 彼は天帝になってから、いや、自身が天帝の後継者と自覚してから三十年、いっさい笑わなくなったという。

 その彼が笑ったのだ。

「ここまで…! ここまでとはな! 笑わせてくれるな!! ははははは!」

 ザフキエルは悪魔の言葉が実に愉快であった。
 なぜならば、彼は【本気】だったからだ。

 その言葉に偽りはない。本当に本気でそう思っている。
 それは声を聴けばわかることである。

 彼は当然に、当たり前にそれができると考えているのだ。これがおかしくないわけがない。まるで子供のまま大人になったようなものである。

「それで、返事はいただけるのですかな?」
 悪魔がザフキエルに問う。

「本気のようだな」
 ザフキエルは笑うのをやめ、じっと悪魔と名乗る男を見据える。

「ならば答えねばなるまいか」


「答えは、ノーだ」


 ザフキエルは即答。

「理由をお聞かせ願えますか?」
 悪魔は即座に否定されたことにまったく動揺せず、理由を尋ねる。

「理由は簡単だ。不可能なのだ」
 そう、ザフキエルは悪魔の主張を「まったく馬鹿げたことだ」と一笑に付したのではない。それが【できない】ことを知っているのだ。その理由をルシアという最大国家、いわば現人類を統治している王が答える。

「人があまりに愚かだからだ」

 人類は女神から【無限の因子】を与えられている。すべての因子を持つということは、最高の存在になれる可能性を持っていることを意味している。地上の子供は、まさに親である女神にすらなれるだけの可能性があるのだ。

 その可能性は人間の魂の中に【種子】として与えられていた。

 種は与えた栄養によって咲かす花が異なる。善意と希望を与えれば大きな夢が実現するだろう。人それぞれ形は異なるのが普通だが、与えた栄養が素晴らしいものならば、どれもが美しい花となるだろう。

 しかし、今までの人類が種に与えたのは【悪意】。
 その中でもっとも悪質なものが【利己主義】である。

 傲慢、貪欲、非情、暴力、憎しみ。それらは光の希望を簡単に破壊してしまうだけの力を持っていた。

 人間は、女神の子すら殺したのだ。
 自らの中にある種を穢し、他者を傷つけ、奪い合った。

 それが積み重なって、人の歴史は暗黒に染まってしまった。
 闇の女神はそれに対して何も咎めない。

 なぜか。

 無限の可能性があるということは、最高の光を得る可能性と同時に、暗黒の苦しみを味わう【権利】すら持っているからである。

 これは人類が望んだこと。自らの行いが自らに返ってくるという因果の法。女神であっても、この因果の法には逆らえないのである。そうでなければ、可能性そのものを否定することになるからである。

 雪の国の賢王は、誰よりもそれを知っていた。

「うぬが求める世界は、誰もが求めるもの。しかし、人が愚かである以上、それは不可能だ」
 ザフキエルの声には皮肉よりも哀しみが宿っていた。知っていながらできない。わかっていながら、どうしようもできない。

 しかし、彼は王である。

「階級は破棄できぬ。愚かな人間を導くための力が必要だ。うぬとて、わかるはずよ」
 愚民は、自分が愚民だとは思わない。愚民と賢者を見分ける最良の方法は、自分自身が愚者であることを知っているか否かである。

 残念ながら、そうした者は少ない。彼らは自分たちが思っているより、遙かに簡単に感情や時勢に流されてしまうものである。だからこそ、力が必要である。絶対の力と統治が必要なのだ。それこそがルシア帝国であり、ルシア天帝という象徴。

 愚かさを哀れみながら、賢王は人を導くのだ。彼らが【なるべく】悪を働かぬように。彼らが【なるべく】間違えぬようにと。

 その真意を理解した悪魔は頷く。

「さすがは天帝陛下。その叡智、お見事です」
 悪魔はザフキエルを肯定する。悪魔もまた、その原理を知っているからだ。むしろ、嫌というほど知っている。彼はもっとも人の愚かさを知る人物なのだから。

 だが、悪魔はルシア天帝という存在に対して、けっして退かない。その理由の一つが、彼の【金髪】である。ルシア純血種が持つルシアンブロンド。この白みがかった美しい髪は、ルシアの血を引いている証拠である。

 そう、この悪魔を作ったのはルシアなのだ。
 それを見せつけたうえで、彼はあえて突きつける。

「ルシアの血は衰退しております。血で統治するのは、もはや不可能なのです。雪の巨人は、もうすぐ死にましょう」
 ルシアの血の衰退は、かつてより囁かれていたことである。天帝以外の純血種も年々血が薄くなっており、子も生まれにくくなっているのは否定しがたい事実である。それは血の統治が終わる兆候なのだ。

「偶像を崇めるのは、もうおやめになったらいかがですか。そのヒビ割れた偶像は、まさにあなたとルシアそのものでありましょう」
 これは紅虎が割ったものだが、こうまで簡単に割れてしまうことが問題であった。まさに象徴的。こんなにもルシアは弱くなったのかと思わせる出来事である。

 しかも悪魔はさらに続ける。

「暗殺を恐れるような統治が正しいと思われますか。我々がその気になれば、あなたを殺すことも容易なのですよ」

(この男は馬鹿なのか?)
 悪魔の言葉を聴いていた者は、誰もがそう思ったに違いない。ルシアという国を本当に知っているのだろうか、とさえ思ってしまう暴言である。

 ルシア天帝本人がいる場所を知る者は、ルシア国内でもまさに数えるほど。監査局レベルでは、到底知ることができない超極秘事項なのだ。それを知っていながら悪魔は、いつでも殺せるのだと豪語したのだ。

 あなたなど、その程度なのだと。
 いくらでも代わりがいるのだと。
 そうした意味を込めて。

 これほどルシア天帝を侮辱した人間が、過去いただろうか。ルシア人だけでなく、他の国家の人間すら悪魔の言葉に恐れる。いや、正確にはルシア天帝を恐れた。

「ふっふっふ…」

 周囲のルシア人たちが硬直する中、ザフキエルは再び笑う。


「―――小僧が!!! みくびられたものよな!!!」


 突如、荒れ狂う世界が生まれた!!!

 赤く巨大に燃え上がった光は天に突き刺さり、その暴虐的な力は会場のすべての人間を一瞬で呑み込み、蹂躙する。

 抵抗しようにも、あまりに強い力の前に踏ん張るのが精一杯。心の弱い人間ならば、もう立ってもいられないだろう。その激しさは各国の代表だけではなく、護衛の一流の武人たちすら気圧すものであった。

 まさに大爆発である。

 それは感情ではなく、文字通りの表現だ。サカトマーク・フィールドの余波でさえ揺れない会場が、縦に横に揺れている。実際に恐るべき力が現実のものとして会場を席巻しているのだ。

(なんという【王気おうき】じゃ。これがルシアの王か!)
 ベガーナンを護衛していたシャーロンは、敵国ながらルシア天帝の発する巨大な王気に気圧されていた。普段は賢王として名高いザフキエルであるが、ルシア天帝を怒らせればどうなるかを身をもって味わう。

 王気。

 王だけが発することができる、人を導くエネルギーの総称である。これは戦気に似ているが、どうやら別のもののようである。そう言うのは、いまだこのエネルギーが解明されていないからなのだ。

 発せられるのは【王の資質】を持つ者だけであり、感情の高ぶりや、一種の悟りの状態によって発することが確認されている。ただし、成熟すればザフキエルのように意識して出すこともできるようである。

 このエネルギーは、現在確認されているものの中で最大のもので、女神の愛と同格かつ、正反対のものと位置づけられている。つまりは、より男性的な力の象徴ともいえる。創造のエネルギーであり、人が歩む道を生み出す究極の力なのだ。

 雪は美しい。その銀世界は人を癒し、知恵を与えるだろう。だが、ただ美しいと安易に近寄れば、突然の雪崩によってあっという間に呑み込まれてしまう。一度呑まれれば逃げることはできない。それほど雪は恐るべき力なのだ。

 雪が一度怒ったら、人間にはどうすることもできない。自然に対して逆らう人間は愚かである。けっして勝てないものにあらがうなど、まさに馬鹿げているのだ。

 そして、この王気は、モニター越しであっても金髪の悪魔に襲いかかっていた。王気に距離や時間は関係ない。相手と接触していれば影響を与える性質があるのだ。

(さすがルシア天帝…か)
 悪魔はザフキエルの王気の直撃を受けていた。その力は、まさに最大国家を率いるに相応しい迫力と威力である。悪魔以外の人間ならばひとたまりもないだろう。

 いや、悪魔とて危なかったのだ。

(ヘターレ王、あなたのおかげです)
 悪魔は思わず、偉大なる王に感謝した。ヘターレ王との戦いは、子のハーレムだけが経験を得たのではなかった。悪魔もまた大きな経験を得ていたのだ。

 ヘターレの王気は、鬼の子と呼ばれたグランバッハでさえ一瞬で支配下に置ける強大なものであった。その王の資質は、ザフキエルと同格である。それだけの資質を持つ者がガネリアにいたことは驚きである。

 が、逆に考えれば、それだけガネリアという存在には価値があったことを意味し、そこに最初に目を付けた悪魔が正しかったことを意味した。悪魔が経験したあの戦いは、まさに今のための【練習】であったのだ。すべての哀しみが悪魔を生み出したのだから。

(耐えたか)
 ザフキエルは、全力の王気に耐えた悪魔を素直に称賛する。見れば会場にいる大半の者が膝をついて屈しており、その王気があまりに強かったことを物語っていた。

 それに耐えたのだ。
 正面から堂々と耐えきった。
 まだ悪魔には笑みを浮かべる余裕さえある。

 この瞬間、ザフキエルは【悪魔を認めた】。

 悪魔は本物であった。その資質は、指導者として一流以上の存在であり、彼の言葉が今まで以上に力を持つことを意味する。

「要求は拒否されました。では、アピュラトリスはどういたしましょうか」
 場が落ち着いたのを見て、何事もなかったかのように悪魔は話を続ける。状況は何も変わっていない。有利なのは依然として悪魔側なのだ。それを知っている彼は余裕を崩さない。

「富が欲しいのならば、いくらでも持っていくがよい。それとも、ルシアのすべてを欲するか?」
 ザフキエルは仮に悪魔がそれを求めたとしても、それだけの器があるとさえ思った。自己の王気を受け止め、アピュラトリスを人質に取れるほどの者が、世界にいったいどれだけいようか。

 おそらくゼロ。

 現在の世界において、そんなことができる人間は悪魔以外に一人もいないのだ。

 ルシアとは、世界を構成する巨大なシステムを担う存在なのであって、軍事力や富は手段にすぎない。ルシアが欲するのは、世界の安定である。ルシアにその力があるからこそ大役を買って出ているにすぎない。

 そう、世界の安定に比べれば【たかがルシア程度】のことである。それが欲しいのならば、持っていけばよいのだ。

 これはザフキエルにとって最上の評価である。つまりは、悪魔が自分に代わってルシア天帝になってもかまわない、と言っているのだ。現にその意味を悟った高官の中には、驚きのあまり口が閉じられない者もいる。それだけの発言である。

 キリルはデムサンダーに、「電池になれば、ルシア天帝にもなれる」と言った。ただし、過ぎたる身分は身を滅ぼすとも。しかし、それが分相応のものであればどうだろうか。

 今、ザフキエルが悪魔に下した評価は、自分の身分を譲ってもなんら惜しくはないというもの。おそらくそうなったほうがルシアはさらに良い国になる、とも思っている。この違いがわかるだろうか。

 悪魔は、自らの実力で、その価値があることを証明したのだ。これは富を対価に得られる身分などとは、まったくもって比べ物にならない本物の力である。虚構ではなく、完全なる真実なのだ。

 ああ、悪魔がルシアに収まる器であればどれだけよかったことか。
 だが、残念ながら、悪魔の資質はそれを超えていた。

 悪魔はザフキエルの言葉の真意を知りつつも、首を横に振る。そこにためらいはなかった。

「陛下の過大な評価、実に痛み入ります。しかし、願いはあくまで人類全体の平等です」

 悪魔はけっして譲らない。妥協しない。彼にとって地位などは、何の価値もないのだ。あるのは、ただただ人の平等と進化のみ。現在の人の社会が間違っているのならば、それを改善するためには手段を選ばない。それが悪魔である。

「うぬほどの人間ならば、わかるであろう。不可能だ」
 ザフキエルも叡智を持つ王として譲れない。ルシアも世界の安定に向けて努力している。それでも現状が精一杯なのだ。もし多くの人々が、真の意味で善人になれるのならば可能性はあるが、現状では不可能と言わざるを得ない。

 結局、望む望まないにかかわらず、両者は対立するしかないのだ。だが、悪魔はここぞとばかりにその言葉を発する。なぜ彼がアピュラトリスを占拠したか、その意味がわかる。

「不可能ではありません。そのためのアナイスメル〈蓄積する者〉ではないのですかな」
 アナイスメルには金融に関するデータとともに、すべての人間の情報が記されている。辺境に住む人間や自治区では漏れている者もいるだろうが、おそらく人類の九割のデータが蓄積されているはずである。

 それを活かせば可能である。
 むろん、人類が望めばの話であるが。

「金髪の悪魔よ、うぬは理想主義者のようだ。理想と現実は違う。アナイスメルをもってしても無駄だろう」
 人が変わらない限り、いくらアナイスメルのデータを活用しても必ず綻びが生まれる。仮に悪魔の欲する平等が実現したとしても、あくまで制度上のことにすぎない。

 利己主義、嫉妬、妬み、悪感情という病が治るわけではないのだ。そこでまた争いが生まれるだろう。

「この世には多くの愚者がいる。これだけは、いかなる叡智でもどうにもならぬ」
 ザフキエルは、もしもすべての民が理解力に富み、素直で純真で、他人のことを考えられる人間ならばどれだけよかったか、と思うことがある。もしそれができるならば、ザフキエルも喜んで悪魔の主張に賛同しただろう。世界が過ごしやすくなるのだから、拒否する理由は何もないのだ。

 しかし、しかし。
 だがしかし。それでもやはり。

 人は愚かであった。

 そもそも地上という世界は不均衡に創られている。多くの人間が雑多な状況に置かれることを想定して生み出されている。進化のレベルが違う霊同士が集まり、あえて問題が生じるようになっているのだ。

 その激しい衝突によって進化が促されるように。
 困難の過程で知恵を身につけるように。
 自分より弱い者を助け、愛を育むように。

 ただし、現在の地上の惨状のすべてが想定されているものではない。それは可能性の一つであって、ものの見事に人類は失敗してしまったのだ。無限の可能性の中から、最悪の未来の一つを選択してしまった。

 そのような世界では、むしろ強固な力が必要とされる。より優れたザフキエルのような賢王が、より強い力をもって統治しなければ、愚かな人間はまた罪を犯すのであるから。

 ルシア天帝は、それを嘆いているのだ。
 嘆いて、泣いているのだ。

 しかし、それを知りながら悪魔は登場した。
 なぜか?

「たしかに陛下のおっしゃることは至極当然。愚者のすべてを排除することはできません。仮にできたとしても、人の進化にとって良いとは限りません」

 そう前置きしつつ、悪魔は核心に迫る。

「ですが、アナイスメルの【真の能力】を使えば可能です」

 悪魔の言葉にもっとも興味を示したのは、ほかならぬヘインシーである。

(やはりアナイスメルのことを知っている。彼はどこまで知っているのだ!)
 ヘインシーは金髪の悪魔を初めて見た時から、一度も瞬きをせずに凝視し続けていた。悪魔の配下には、現在アナイスメルにダイブしている者もいるはずだ。その真の目的にヘインシーは興味があったのだ。

 いや、興味などというレベルを超えている。彼の存在そのものが激しく求めているのだ。真実を、悪魔という存在を。まるで悪魔に魅入られてしまったかのごとく、ヘインシーは目が離せないでいるのだ。

「アナイスメルの真の能力か。興味深いな」
 ザフキエルも悪魔の言葉に興味を抱く。ルシアにとってアナイスメルは、世界安定の道具の一つである。当然優れた道具であり、唯一無二といってもよいほどのものだが、バン・ブック同様ブラックボックスも多い。

 そもそもこれらの遺産は何なのか。そう考える者は学者だけではない。ザフキエルもまた興味があった。アナイスメルもバン・ブックも、造ったのはおそらく黒賢人である。これだけの叡智を持つ者はほかにいない。

 しかし、何のために?
 それだけは誰にもわからないでいるのだ。

「うぬがアピュラトリスを占拠したのは、アナイスメルが目的か?」
「あくまで手段です。目的はすでに述べた通りです」
「やはり答えはノーだな。うぬの言うことが本当であっても、不確定な力に頼るのは愚か者のすることだ。雪の上を歩くときは、一歩一歩確実に進むものだと知るがよい」

 ザフキエルは、悪魔の誘惑には乗らない。かの賢王は、自らの人生を雪の上で過ごしたからだ。豪雪の中で暮らす人間は、雪の摂理に従わねばならない。自然の法則の中で、自分のやれることを一つずつやるしかないと知っているからだ。

「では、陛下のお気持ちが変わるまでの間、みなさまがたには少しばかり余興でもごらんいただきましょうか」
 悪魔は足を組み直し、もったいぶる仕草で何者かに合図を送る。すると画面が、悪魔からアピュラトリス外周に切り替わった。

 そこには黒い機体が二機、ナイト・オブ・ザ・バーンとドラグ・オブ・ザ・バーンがいた。彼らは、ダマスカス陸軍を圧倒的な力で蹂躙している。

 だが、それだけではない。
 空から次々と【悪魔の軍勢】が降ってきていたのだ。
 数多くのMGがダマスカス陸軍に襲い掛かっていた。

 歩兵のある者は降ってきた爆弾に吹き飛ばされ、ある者は無人機のガトリングガンで粉々になる。ハイカランが来れば、一瞬でホウサンオーたちが破壊する。もはやダマスカス軍は無力であった。

「なんという…! これでは虐殺だ!」
 エルダー・パワーのアミカ・カササギは、あまりの一方的な光景に怒りを感じていた。逃げ惑う相手にも無人機は容赦しない。ただ目標を殺し続けている。そもそもそういった命令が下されているのだ。

 これはもはや戦いではない。ただの殺戮である。

 だが、それも奇妙な話である。相手は少数なのだ。ダマスカス陸軍と比べれば、ごくごくわずかな数にすぎない。その少数が、大勢の敵を虐殺している。なんという矛盾かつ皮肉だろうか。

「シロウとサンダー、無事デスかね?」
 チェイミーもその惨状に心を痛めているようで、仲間の安否を気にしていた。あの場には志郎とデムサンダーがいたはずだ。もし外にいたのならば最悪の結果も考えられる。

 その言葉で、アミカもはっとする。

(そうだ。師範代も塔の中にいるのだ!)
 志郎とデムサンダーも心配だが、アミカの脳裏にはジン・アズマの姿が浮かぶ。この白い刀と対の【真断ち】を持っている剣豪に対して、他の仲間よりも深い想い入れがあった。彼のことだから大丈夫だと思いつつも、どうしても不安が拭えないでいた。

「バック…」
 一方、カーシェルは、バクナイアの愛称を呼ぶのが精一杯である。アピュラトリスを制圧されただけではなく、自国の軍隊が、こうも無惨な姿を晒しているのだ。大統領としての無念さは、言葉にせずとも伝わってくる。

 これだけの惨状を見れば、誰であっても悲観的になる。しかし、バクナイアはまだ信じていた。国防長官である自分が信じなくては、兵士たちも浮かばれないのだから。

「まだです。まだやられたわけではありません」
 バクナイアがモニターに視線を向けた直後、ラーバーンの巨大無人機リビアルが爆発した。攻撃を受けたのだ。陸軍にはもう抵抗する術がなかったはずであるが、次々と無人機を破壊していく者たちがいた。

「まだ彼らがいます」

 バクナイアが見つめる先には、陸軍特別強襲隊、武刀組ぶとうそ

 ダマスカス軍最強かつ、最後の刀であるゼルスセイバーズが映っていた。

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