余命わずかな君と一生分の恋をした

小谷杏子

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1巻

1-3

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 白夜は間の抜けた声を出した。
 今、自分は彼女の知り合いである『カゲヤマ』なのだ。誤解を解きたいが、彼女をこれ以上傷つけてはいけないのでやはりうまく言えない。
 白夜はぽかんと開いた口をどうにか動かした。

「そ、そうだったな。うん。そうだった。ほんと、無事で良かったよ」
「ねー! 九死に一生って感じ。これ以上の不幸はもうないはずだよね」
「そうだね……」

 うまく笑えている気がしない。しかし笑おうと必死に口元をゆるませる。

「あ、てかカゲヤマくん、もしかして私のこと覚えてない感じ?」

 彼女は手をポンと叩いて合点がいったように頷いた。

「そっかそっか。うちら、三年のときはクラス違ったもんねー。顔も変わっちゃったし、覚えてないのも無理ないか」

 ものすごい勢いで話が進んでいく。
 白夜は曖昧に「はぁ」と返事し、彼女を見つめた。

青砥あおとです。青砥瑠唯るい。目が悪いから日中は出歩けなくてね、今は夜間高校に通ってるの」

 さらっと自己紹介され、白夜はまたも「はぁ」と間の抜けた声を返した。しかしすぐに彼女の言葉の端だけをつかみ直して訊く。

「日中は出歩けない?」
「そ! 親がねぇ、過保護なんだよね。太陽の光、というか強い光が目に良くないもんだからさ……夜が友達になっちゃった」

 ――そういうものなのか……?
 目が見えない人が周囲にいないのでピンとこないが、とりあえず話を合わせておく。

「その割にはなんだか楽しそうだよね」

 足をパタパタ動かす彼女の様子を見ながら言うと、瑠唯は小首をかしげた。

「だって夜ってなんだかワクワクしない? そういえばカゲヤマくんはなんであんなとこにいたの?」

 瑠唯は絶えず健気に明るく笑う。
 その笑顔に引っ張られるように、白夜はゆるやかに言葉を紡いでしまう。

「眠れなくて」
「カゲヤマくんもかー。お揃いだね」

 白夜は戸惑った。
 出会いは不気味すら覚えるほど最悪で、しかもずっと人違いされていて状況も最悪。話も噛み合わず、かなり迷惑を被っている。
 そうであるにもかかわらず彼女と話していると退屈しない。
 瑠唯はこの怪我と話の通じなさがなければ普通の女の子である。
 そもそも今日観た映画のようなエモーショナルな導入とは似ても似つかない。ああいう出会いをすれば、退屈な日常が変わるかもしれないという期待を無意識にしていたことに気が付き、白夜は顔をしかめた。

「ねぇ、カゲヤマくん」

 ひやっとした手が急に触れ、白夜は「はい」と反射的に返事する。
 瑠唯はじっと白夜の顔を覗きこんできた。その顔がやはり映画のワンシーンを思わせ、嫌な予感を覚える。

「あのさ、また眠れない夜、会えたら……」

 ――まずい。

「会えたらいいなって、思うんだけど」

 ――これはまずい。軌道修正をはかるかのように、物語の導入みたいな展開がきてしまう。
 白夜は素早く手を引っこめた。

「ダメ。親が心配する。君は早く帰って寝たほうがいい」
「えぇー!?」

 おそらく彼女も期待していただろう展開を裏切った。
 ――ごめん、青砥さん。僕は君の『カゲヤマ』にはなれない。

「帰ろう。家まで送るから」
「やだやだ! まだ夜は長いよ!」
「僕は明日学校だから!」

 駄々をこねる彼女の手を引っ張ると、さすがの瑠唯も渋々従った。

「そっか……カゲヤマくんは、普通の学校に通ってるんだね……」

 その寂しげな声は聞かないフリをしておく。
 瑠唯の家はバス停付近にあり、古野家のような白壁に黒い屋根というおもしろみのない一軒家とは違い、水色を基調とした壁に青い屋根だった。表札には『青砥』と書かれている。
 ――なるほど、青砥って、こういう字なのか。

「名前通り青い家だなー」

 思わず口に出すと瑠唯は「え?」と驚いた。

「青?」
「うん」
「あははっ! カゲヤマくんったら、変なこと言うねー」

 笑われる意味が分からず、白夜は首をかしげる。

「うち、ペパーミントグリーンなんだよ。壁も屋根も全部ね。自慢の家なんだー」
「そんな繊細な色は知らないな……しかも夜の暗がりじゃ色なんてよく分からないよ」
「でも確かに、青砥って名字なのにペパーミントグリーンの意味が分かんないよね」

 瑠唯は顔を覗きこみながら言う。その仕草はきっと彼女にとっては普通であり、そうしなくては見えないのだと思う。
 この対応に慣れていない白夜にとっては気まずくなるだけだ。

「それじゃ、もう夜に出歩いたらダメだよ。危ないからね」
「えー! せっかくの自由時間なのにぃ」

 ――その気持ちは分からなくないけど。

「そんな体でウロウロしてたら命がいくつあっても足りないし、もし変質者に出会ってたら大変だよ」
「まぁね、でも私ほど変なやつもいないよ。優しいね、カゲヤマくん」

 ああ言えばこう言う瑠唯。
 白夜はもう愛想を尽かし、適当に説得した。

「……あと、ひとりで歩くのも大変だろうし」
「あ、今バカにした! 私だってね、ひとりで歩けるように努力してるんです!」

 ――ダメだ。話せば話すほど地雷を踏みそう。
 彼女が家に入るのを見届けずに家路の方角へ向く。そのとき。

「カゲヤマくん!」

 シャツのすそを引っ張られ、わずかにバランスを崩す。

「えっと……またね」

 瑠唯の目はわずかに憂いを帯びており、白夜の心に踏みこんでくる。
 ――またねって……また会う前提かよ。

「あぁ、はい……じゃ」

 白夜はわざと睨んでみた。しかし彼女は笑っており、本当に見えてないようだった。


 4


 深夜二時を過ぎた。疲れを感じ、散策を諦めて家に戻る。
 町は変わらず静かで、ひたすら同じ景色が広がっていた。ここから十分くらい歩けば帰れそうだ。
 瑠唯の家は同じ町内だが、彼女のような子は小学生のときも中学生のときも見たことがない。
 それに瑠唯の、中学の修学旅行で事故に遭ったということが本当ならば結構なニュースだろう。同じ町内なら何かしら噂になってそうなものだが。
 そして『カゲヤマ』という謎の人物。
 彼女の目がどの程度見えるのか確かめたが、腕一本分の距離でも表情までは見えていないようだった。
 白夜の手と声で『カゲヤマ』だと勘違いするくらいなので危なっかしいと思う。そんな人間を野放しにしていいわけがない。

「……だから閉じこめられてるのか?」

 そもそも目が見えない人が夜に出歩いても大丈夫なのだろうか。太陽の光が目に良くないという話は絶妙に信じられる要素だが、どうにも怪しい。
 もし日頃は外に出られなくて、自由がない生活をしているのだとしたら――

「自由時間か……」

 つい共感しそうになった自分を戒めるように頭を振る。

「もう関係ないしな」

 物語の主人公なら、数日後にバッタリ出会うのだろう。
 そんなことにはならない。
 瑠唯の家は覚えたので、付近を歩かなければ彼女とは二度と会うことはないはずだ。
 家にたどり着き、慎重に玄関を開け、鍵を回す音も最小限に留める。息を殺して家に上がり、トイレを済ませて部屋に向かった。
 両親は白夜の夜散歩を知らない。


 朝。昨晩についてとくに言及されることはなく、淡々とした時間が流れていた。
 上下セットアップのカジュアルスーツに身を包んだ母がバタバタとあちこち動くのを背中で感じながら、白夜はのんびりとロールパンを食べる。

「白夜、お弁当これね」

 母がテーブルの上にある青いつつみの弁当をビシッと指す。

「ん、ありがとう」
「じゃあ、仕事行ってきます!」

 慌ただしく母が家を出た。朝が弱い母は家族の朝食だけ用意して、さっさと出ていく。いつもの光景だ。

「白夜」

 テレビをのんびり見ていた父が声をかけてくる。
 最近は在宅と出勤の日が交互にあるらしく、白夜の弁当も用意してくれる父である。今日は在宅ワークらしい。
 子どもと触れ合うのが得意というわけではないので、母がいなくなればまったく無言なのが常だった。それなのに、突然どうしたのだろうか。
 父の言葉を待つように食べる手を止める。

「学校、どうだ? もうすぐ文化祭だろ」
「え? よく知ってたね」

 仕事ばかりで小学生の頃は運動会に来ることもまちまちだった父の発言とは思えず、白夜は目をしばたたかせる。

「僕のことに興味あったんだー」

 つい冷やかすように笑うと父はわずかにムッとした。

「当たり前だろ」
「だって姉ちゃんの行事で飽きたって言ってたじゃん」

 両親とも姉の行事には積極的だったが、白夜のほうに目を向けてくれていた記憶がない。これこそ下の子あるあるなのだと、よその二番目っ子や真ん中っ子と話して盛り上がったこともあった。

「そんなふうに言うなよ」
「そう言ったのはそっちなんだよ。別にそれに対して恨んでるわけじゃないし、気楽にしてるよ、僕は」

 居心地が悪くなり、取り繕うように言う。それからロールパンを口につっこみ、牛乳で流しこみながら席を立った。

「ごちそうさま、行ってきまーす」
「あ、待て、白夜。弁当!」

 父が慌ててキッチンに置いていた弁当箱を持って追いかけてくる。

「おっと、そうだった。ごめん」
「気をつけて、行ってらっしゃい」

 玄関先で父がぎこちなく言うので、白夜は噴き出して弁当を受け取った。

「お母さんみたい」
「うちの母さんはこんなことしてくれないけどな」

 そのおどけた様子のおかげで、白夜はほんの少し父に寄り添えたと思った。片手を振って玄関を出る。ドアを閉め、ちらっと家を見やった。

「うーん……やっぱバレてないよな」

 昨夜、家を抜け出して散歩に出ていたことを、やはり両親は気づいてないらしい。
 バレて怒られたくはないが、気づかれていないというのも複雑な気分である。構ってほしいという深層心理なのだろうか。
 自分の心がよく分からない。
 最近、夜によく眠れなくなった。以前、父がテレビで医学系のバラエティ番組を観ていた際、不眠症について話していたこともあり、自分の行動や心理について考えることがある。
 平たく言えば、不眠症は夜眠れなくなるという睡眠障害。原因は様々で、心的ストレスや身体的な不調などがある。

「まぁあんまり考えこむのは良くないな……」

 白夜は思考を止めた。
 瑠唯もきっと不眠症なのだろう。無理もない。あんな体で夜中に徘徊して、見ず知らずの男を自分の知り合いと勘違いしていたのだから、心にダメージを負っていてもおかしくない。
 そう結論づけながら学校へ向かった。


 今日は日直だったので、日誌を書いて提出しなくてはならない。
 授業中や放課後は退屈病も軽減されるが、ホームルームや昼休み、自由時間は億劫だった。
 今日はなんとか耐え、ひとり静かに教室の隅で日誌を書き、職員室へ行く。

「失礼します。二年四組の古野です。藤井先生いらっしゃいますか」

 職員室のドアに貼られた定型文を見ながら言うと、すぐに担任がやってきた。ふくふくとした体格の中年女性教師は笑みを浮かべながら招き入れる。

「ご苦労さまです。古野くん、ありがとうね」
「別に、日直なので……」
「最近はどうですか? 昨日はなんだか機嫌が悪そうに見えたから」
「あぁ……まぁ機嫌は良くなかったかもしれません」

 素直に言うと先生は「そっかそっか」と笑った。気を遣われているような響きだ。

「じゃ、失礼しました」
「あ、うん。気をつけて帰ってくださいね」

 先生は何か言いたそうだったが、こちらから切り上げてしまったから何も言わない。
 確かあの担任は昔、生徒をよく叱る人だったらしいが、今はそんなふうには思えないほど生徒に気を遣って口をモゴモゴさせている。
 絶対に色々と思うところがあるだろうに、時代か立場のせいか、踏み込むことができない様子だった。
 ――僕みたいな問題児がいて困るだろうな……
 そう思いつつも反省せずに学校を出た。


 白夜はバスを使って通学しているが、今日は駅前周辺を歩いていた。頭上を走る電車の轟音を聞きながら大通りを外れる。それだけで人気ひとけのない寂しい路地裏に変化した。
 歩道のない道を歩き、よく分からない建物をいくつか通り過ぎた先に総合病院がある。
 その向こう側には小洒落た隠れ家風のパン屋、定食屋、古着屋がポツポツと並んでいた。その向こうに行けば誰もが通り過ぎそうな文房具屋がある。
 このあたりはこういう個人商店がもっとあったらしいというのは、姉から聞いたものだが、最近はシャッターがよく閉まっていてなんとも寂しい。
 そんな道をわざわざ通りながら暇を持て余していると、病院前で白杖と出くわした。病院から出てきたと思しき女性ふたりが白夜を見る。

「あ」

 思わず声を上げると、向こうも反応した。
 時が止まるも数秒後、白夜はすぐに逃げの態勢に入る。しかし、一歩遅かった。

「あっ! カゲヤマくんだ!」

 瑠唯が大声を上げ、白夜は思わず言い返した。

「なんで分かるんだよ! や、僕はカゲヤマじゃないけども!」

 昨日とは違う、シャツとスラックスという制服姿だというのになぜか気づかれた。また昨日とは違う時間帯で出くわすことにも驚く。
 ――夜しか出られないって言ってたのに!
 どうしようもなくなり、その場を離れようと足を浮かせた瞬間、瑠唯が前のめりに動いた。たちまち横にいた母親らしき人の声が上がる。

「瑠唯! 待ちなさい!」

 あまりにも強い警告を示す声音だったので、白夜までもが立ち止まる。
 瑠唯が前につんのめりかけ、母親が支えようと手を伸ばすが間に合わない。白夜は素早く動き、彼女を受け止めた。

「青砥さん……」

 なんと言えばいいか分からず、瑠唯を支えて立ち上がらせる。

「カゲヤマくん、やっぱりまた会えたねー!」

 転んだことをまったく気にせず、彼女は笑って白夜を見上げた。その笑顔がまぶしい。
 すると、すぐに母親が駆け寄ってきた。

「あの、すみません……」
「いえ。僕も悪くて……」

 ――いや、僕悪くないな?
 返答を間違えたと思い、すぐバツが悪くなる。ついヘラッと愛想笑いをすると、母親も困ったように微笑み、娘を見た。

「ねぇ瑠唯、急に走らないで。もうあなたは注意力が……」
「カゲヤマくん、遊びに行こうよ!」
「瑠唯!」

 瑠唯は母親と会話が噛み合わないどころか、一切気にしていなかった。白夜のほうだけをずっと見つめ、ケラケラと愉快そうに笑っている。
 この空気に耐えられない白夜は笑えず、頬が引きつっていくのを感じた。助けを求めるように、瑠唯の母親を見る。
 しかし彼女も自由奔放な娘の扱いに手を焼いているようだった。憔悴した目元と血色の悪い肌、白髪交じりの髪の毛など、ところどころ垣間見える苦労の証を痛々しく見つめるしかなかった。


 5


 瑠唯が言うことを聞かないので、母親と白夜は仕方なく病院の前庭にあるベンチへ向かい、コーヒーを片手に休憩することにした。
 病院内にした理由は近所に公園どころか喫茶店や商業施設がないからである。それに病院のベンチは屋根のある東屋になっているので、瑠唯の目に優しいのだった。
 しかし彼女は芝生に座ってアリを探している。
 振る舞いが無邪気な子どもだ。

「あなたは、瑠唯の友達?」

 右横に座る小さな母親がおずおずと訊いてくる。

「あ、はい。えっと、古野白夜といいます」

 ――しまった。友達ということを否定する前に名乗ってしまった。
 すぐに後悔し、頭を抱えた。

「カゲヤマくんじゃないの?」

 瑠唯の母親が困惑気味に眉をひそめる。

「あー……はい。違います。けど、どうも青砥さんは勘違いしてるようで」
「そう……」

 母親は気まずそうに緑茶のペットボトルを手の中で揉みながら、娘をぼんやり見つめる。その目は娘を慈しむものではなく、なんの色もない。

「あの子、事故に遭って、目を失ってからずっとああなんですよ」

 目を失う。その言葉の重さが時間差でズンと心にのしかかる。
 あの右目は暗がりでよく分からなかったが、眼球がないのだ。
 そもそもあまり訊こうと思わなかったし、また見ることも避けたいくらいだったので考えていなかったが、彼女の右目は空洞なのだとはっきり分かってしまった。
 彼女が悪いわけではないのに、彼女への憐れみや気まずさや謎の罪悪感が抑えられない。
 そんな気鬱を感じているのか、母親は言いづらそうにも胸の内にある言葉を落とす。

「かろうじて無事だった左目もほとんど見えてないし、命があるだけ幸せだと思うことにしているけど……ね、女の子なのに、あんな」

 その悲痛が伝染し、白夜はすぐにその場から逃げたくなった。
 場違いだ。こんなところにいるべきではない。それなのに、足が固定されたように動けない。

「それでもそんなあの子と付き合える子、別に彼氏とか、そういうのじゃなくても友達とか、あの子のそばにいてくれる人がいたらうれしいんです。私も安心できると思う。でもそうじゃないんですよね……」
「そう、ですね……ひょんなことから出会ったばかり、と言いますか……僕は彼女のこと、ぜんぜん知らないので。ただ、事故に遭って目が見えなくなったとしか」

 しどろもどろに言うと母親は「そう」と肩を落とした。

「ごめんなさいね。ご迷惑をおかけして」
「いえ……ぜんぜん」
「あの子、カゲヤマくんのことが好きだったようなんです」

 母親が取り繕うように言う。
 白夜は気まずさを拭いきれず苦笑した。

「はぁ……そんな感じは、なんとなく」
「修学旅行で事故に遭って……でも、一緒にいたというカゲヤマくんという子はいくら捜しても見つからなくて……亡くなってる可能性のほうが高いんです」

 するとその言葉にかぶせるように、瑠唯が急に振り返って言った。

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