魔剣士と光の魔女(完結)

わたなべ ゆたか

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二章 チックボード

二章 その1

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 二章 チックボード


   1

 起床した俺が食堂代わりにしている居間に入ると、そこにはすでにステフがいた。
 昨日と同じ服でテーブルに座っていたステフは、俺を見ると眠たそうな目を向けて、柔和に微笑んだ。
 ステフが首を傾げると、左耳のイヤリングが揺れた。

「おはよ。朝食はこれから?」

「おはよう――朝食の準備は、これからだよ」

 いつものようにステフが帰って来たことに、俺はホッと胸をなで下ろしながら答えた。
 ステフとチークキスを交わしたあと、俺は調理場で朝食の準備を始めた。今朝の朝食は、パンとオムレツをメインに、作り置きのサラダと簡単なスープ。デザートはフルーツだ。
 朝食を眺めたステフが含み笑いを浮かべて、上目遣いに俺の顔を覗き込んできた。

「今日は、ちょっと豪華だね」

「ん、そう? なんとなくだよ」

「ふぅん――ねぇ、なにか良いことあったの?」

 椅子に座りながら、好奇心から目を輝かすステフに、俺はわずかに視線を逸らした。
 昨日、クレアさんに言われたことで、変に意識してしまったのか――ステフが無事に帰って来たことが嬉しいとか、絶対に言えない。口が裂けても言えない。

「別に……なんでもないってば」

「ホントにぃ? あ、あたしが帰って来て嬉しいとか」

 一瞬、心を読まれたのではと思い、俺は心臓が飛び出そうになるほど驚いた。
 顔が熱くなるのを感じつつ、俺はパンに齧り付いた。

「あ、顔が赤い。ホントに嬉しかったの? ねぇねぇ」

 にひひ、とした笑みを浮かべるステフに、俺はかなりの労力を費やして半目になった。

「そんなことはいいから、朝飯食べなよ」

「あー、誤魔化したぁ」

 ステフは戯けるように膨れっ面をするが、俺はただ苦笑いを浮かべるしかない。
 前世も含めれば、俺は三〇年以上も生きてることになるんだけど、こうしたやりとりは苦手だ。だからモテないんだろうけど……こればかりは、なんともならないなぁ。
 俺は話の流れを変えようと、こちらから話題を振った。

「そういえばさ。今日は一日、勉強するってことでいいのかな。昨日の買い出し分があるから、今日は街に出る必要もないし」

「え? そうね――あ、ジラフ村に行きたいんだけど」

「村に? なにかあったっけ」

「村長さんに、ゲームを挑まれてたからね。これから忙しくなりそうだから、今のうちに遊びに行っていこうと思って。薬草の在庫とかも確認したいし」

「そういうことなら、急いで行きますか」

 急ぐと言いながら、俺たちは穏やかに朝食を食べ終えた。
 村も朝は家事や畑仕事で忙しいだろうから、俺も最低限の家事をやる時間はある。俺がステフと迷宮の玄室を出たのは、午前十時を過ぎてからだった。
 ゴーレムや魔獣、魔物の類いを蹴散らした俺たちが迷宮を出て、ジラフ村に着いたのは、それから二時間ほど過ぎたころだ。

 村ではすでに、昼食の時間だった。
 シチューやパンを焼く香りが漂う中、俺とステフは村長の家へと向かった。
 石造りで二階建ての家屋は、ジラフ村では村長の邸宅だけである。急な訪問にも関わらず、村長は俺たちを暖かく迎えてくれた。
 チックボードは、チェスに似た遊戯だ。大きく違うのは、戦いの舞台となる盤が真四角ではないことだろう。
 細長い盤上には高低差があり、駒によっては攻撃や移動ができない場所がある。
 チェスよりも戦術性が重要になるゲームだが、ステフは村長との勝負で二十六戦、二十六勝を誇っている。

「ううーむ」

 庭にあるテーブルの前で長考にふける村長に、弓兵の駒を動かしたばかりのステフは、普段と変わらぬ表情で盤上を眺めていた。
 今この間にもステフの頭の中では、駒の動きを何パターンも試行しているはずだ。
 このゲームも長期戦になりそうだ。普段なら、この時間で俺は街へ行くんだけど……グース婆さんの言葉が気になっていたから、今日はステフの側にいようと決めていた。
 とはいえ、こうしていても暇だった。所在なさげに視線を動かしたとき、俺は街にいるはずのクレアさんが、庭を覗き込んでいることに気づいた。
 俺はステフから離れると、クレアさんへと近づいた。

「……もしかして、泊まったんですか?」

「ちゃんと帰ったわよ。今日は、ステフが来てないかなって思って」

「……たったそれだけの理由で、街からここまで来たんですか?」

 俺が目を丸くすると、クレアさんは微かに口を曲げた。

「いけない? 言っておくけど、歩いてきたわけじゃないからね」

「馬車に便乗したってのは、想像できますけど。あ……ステフは今ちょっと」

 俺が背後を振り返るが、チックボードはまだ終わりそうにない。
 状況を説明しようとした俺は、村の出入り口にいる、見慣れない男たちに気づいた。
 なにやら荷物を持った四人の男たちは、出入り口近くの村人と言葉を交わすと、真っ直ぐに村長の邸宅――つまり、俺たちのほうへと向かってきた。
 彼らの姿に、俺はグース婆さんからの情報を思い出していた。
 俺が長剣の柄に手を伸ばすのと、先頭を歩く二人の男が荷物から抜き身の短剣を引き抜くのが、ほぼ同時だった。
 男たちが駆け出すと、俺はクレアさんを庭に引き入れた。くそ――六割のほうかよ!

「クレアさん、ステフを頼みます!」

 邸宅から躍り出た俺は、長剣を引き抜くと男たちの前に出た。

「どけ、小僧っ!!」

 左右に分かれた男たちが、一斉に俺へと斬りかかってきた。
 俺は右から斬りかかってくる短剣を長剣で弾くとすぐに、左側からの斬撃を横に跳んで躱した。短剣の刃が左の籠手を掠めたが、手傷は負ってない。
 俺は腕力だけで無理矢理に長剣の軌道を変え、左の男に斬りかかった。刃が男の右腕を切り裂き、あたりに鮮血が飛び散った。

「ぐわぁぁっ!」

 腕を押さえて蹲る仲間を見て、右側の男の動きが止まった。
 その一瞬の隙を逃すほど、俺は甘くない。俺は素早く身体を捻り、右側にいる男の脚へと斬りつけた。

「ぐっ!」

 太股を斬られ、くぐもった声を挙げた男に、俺は左拳を食らわせた。
 拳を受けて男が倒れたあと、俺は村長の邸宅へ向かっている二人組に気づいた。俺の前にいる二人は囮で、残りが本命――そう理解すると、俺は即座に踵を返した。
 俺が村長の邸宅に戻ったとき、すでに二人組の男たちは、ステフとクレアさんを追い回しているところだった。

「お上公認の狩りだぜ。構うことはねぇ。女どもの脚を射ろ!」

 リーダー格なのか長髪の男の指示に、もう一人の男は短弓に矢を番えながら、にやにやした笑みを浮かべた。

「いいのかい? 五体満足って条件だったろ」

「馬鹿野郎、あの見てくれだ。依頼より競売にかけたほうが儲かるって、ボスの命令だ。捕まった女どもが人生を儚んで身投げするとか、よくある話――そういう筋書きだとよ」

「なるほどな」

 男が手にした短弓を構えて、ステフを狙った。
 クレアさんがステフの前に出たのと、男が短弓を引き絞るのが、ほぼ同時だった。
 魔剣術や投げナイフ――そんな手段を考える暇など、なかった。
 俺は長剣を捨てると、全力で駆けた。男が矢を射る寸前に、俺はステフとクレアさんの前へと飛び出した。

 ――間に合った。

 庇うようにステフの肩を片手で掴んだ瞬間、俺の右肩を鈍い衝撃が襲い、少し遅れて熱を持った激痛が走った。
 痛みに顔を顰めながら、俺はステフが無事な様子に安堵した。

「……無事、か?」

「う……ん。でも、ジンは大丈夫な――ジン! 血が――っ!!」

 表情を青ざめさせたステフから身体を離すと、俺は腰から外した鞘を左手で持ちつつ、右手で腰に下げた投擲用のナイフを抜いた。こんなものでも、ないよりはマシだ。
 肩に矢が刺さったままで、俺は振り返った。鎧の隙間から血が滴っていることに気づいていたが、あえて無視した。
 俺が仁王立ちで向き合うと、リーダー格の男の背後で、短弓を持った男が再び矢を番えるのが見えた。
 肩の傷が思っているより深いのか、右腕に力が入らない。

「二人は逃げて」

 ステフとクレアさんに告げると、俺は相打ちに持って行く覚悟で前に出た。

「――仕方ないわね。ティール・バグナウ・トムス――トバイドトック!」」

 クレアさんが短詠唱で魔術を使った――俺がそれに気づいた瞬間、背後から二本の光の矢が、真っ直ぐに男たちへと飛んでいった。
 胸部や腹部に光の矢が命中した男たちは、武器を落として、その場で蹲った。

「くっそ……魔術師だと?」

 出血はない。火傷のような傷が、破れた服から覗き見えていた。

「くそっ! 退くぞ!!」

 男たちは、よろけながら、しかし急ぎ足で村から逃げていった。

「――逃がす、か」

 男たちを追おうとした途端、細い一対の腕が、抱きつくように俺の身体を引き留めた。

「ダメよ、ジン。怪我してるんだよ? 手当しないと、死んじゃうよ」

 擦れたステフの声に、俺は怒りの形相を浮かべたまま振り返った。

「俺の身体のことなんか、どうでもいい! あいつらは人買い――奴隷商人に違いないんだ! ここで、あいつらを捕まえないと――」

 言葉の途中で、打擲の音が鳴り響いた。
 青ざめた顔をしていたステフが、俺の頬を平手打ちしたのだ。

「そんなの、ダメ。あたしのために、ジンが死ぬような目にあうなんて、絶対にイヤ」

「でも――っ!」

「冷静になって、ジン・ナイト。手負いで四人を相手にするなんて、無茶よ。それに、ほかに仲間だっているかもしれない。今は街の衛兵に、このことを伝えるのが最善手。ジンはまず、傷の手当てをしなきゃ……ね?」

 最後のほうは、まるで幼子に言い聞かすような声音だった。
 このときになってようやく、俺の言動がステフを不安がらせていることに気づいた。血が上った頭の芯が、波が引くようにスッと静まり返ると、俺は大きく息を吐いた。

「……わかったよ。ごめん」

「ううん。いいの」

 小さく首を振りながら微笑んでくれたステフに、俺はぎこちない笑みを返した。
 投擲用のナイフを鞘に収めた俺は、どこか神妙な表情のクレアさんへと向き直った。

「……そういえば。クレアさん、魔術師――魔女だったんですか」

「魔女って言い方は、正しくはないけれど。そうね……魔術師ギルドの関係者よ」

「ステフに近づいたのは、ギルドの指示?」

「そのあたりは、少し複雑なのよね。ステフは右肩に女神の刻印がある、光の魔女――あたしは、彼女を護り、見守るのが使命なの」

 クレアさんの言葉に、ステフは右肩を隠すように左手で掴んだ。俺には聞き馴染みのない単語だったけど、ステフの反応がクレアさんの言葉の正しさを証明していた。
 いつになく警戒心を露わにした声で、ステフはクレアさんに訊いた。

「……なんで、知ってるんですか?」

「魔術師ギルドでも知ってるのは、一部だけだけど。あたしは、まあ……色々あってね」

 そう言って肩を竦めるクレアさんに、俺はこれまでの彼女の言動を思い返していた。

「なるほど。じゃあ、ファン一号とか言ってたのは、近づくための方便だったんですね」

「……なにを言ってるの? それは本当に決まってるじゃない。光の魔女が、こんな可愛い子なのよ? そんなの溺愛するに決まってるじゃない。馬鹿なの?」

「いや、そういうことを訊いたんじゃ……いえ、すいません」

 緊張感が削がれる――そんなことを思いながら、俺は乾いた笑いを浮かべた。



 胴鎧を脱ぐ前に、俺は右肩に刺さった矢を左手の指だけで手折った。
 俺の握力は長い迷宮での戦いで、かなり鍛えられていた。剣を握る握力が、そのまま威力と正確さに繋がるからだ。平時なら、指先だけで胡桃の殻を割れる俺にとって、指先だけで矢を手折ることくらいは、造作も無いことだった。
 胴鎧を脱いだ俺がステフと止血の準備をし始めたとき、俺たちの前に朧気なローブ姿の男が忽然と姿を表した。

〝貴様らか――わたしの部下を痛めつけてくれたのは〟

 フードを目深に被った男の幻影に指を向けられ、俺は左手で剣の柄に手を伸ばした。

「あんたが、親玉か」

〝そうなるな。さて、貴様たちへ最後通告だ〟

 ローブの男は、俺の背後にいるステフとクレアさんへと首を巡らした。

〝今日の夕暮れまでに、そこの二人と、この村の女どもを引き渡せ。さもなくば、この村を焼き払うことになるぞ〟

「なんだって――?」

 俺が睨むと、ローブの男は一本の指を真上に向けた。

〝ああ、衛兵を呼ぼうなどと考えるなよ? 街への道は我々が見張っている。それに、その村の周囲には、魔力を感知する結界を張り巡らせてあるからな。転移で街へ向かえば、即座に襲撃をする。無駄な抵抗など考えぬほうがよいぞ? 夕刻までに精々、女どもの身支度と別れを済ませておけ〟

 そう告げると、幻影は消えた。
 ステフとクレアさんは頭上を見上げてから、目配せをした。

「あいつの言うとおりね。この村全体が、魔力で覆われている」

「……そうですね。魔力を感知するかどうかまでは、わかりませんけど」

 二人の会話を聞いていた俺は、ある種の絶望感に苛まれた。

「えっと、それはつまり、ヤツの言ったことは嘘かもしれないけど……」

「本当かもしれないってこと。その場合、あいつの言った通りになっちゃう」

 ステフの返答に、俺は状況を理解して言葉を失っていた。村人たちが、俺たちの元へ集まってきたのは、そんなときだった。
 村長が一歩前に進み出て、俺とステフを交互に見た。

「これは、どういうことなんだ?」

「正直、わかりません。確かなのは、あたしが狙われてた――ことだけです」

 真顔のステフが、俺の横に並んだ。

「巻き込んだみたいです。ごめんなさい」

 頭を下げるステフに、村長は沈痛な顔で溜息を吐いた。そのとき、近くに居たお下げ髪の村娘が、恐怖で引きつった顔で村長に懇願した。

「村長! あいつらは元々、ステフとそっちの子だけを狙ってたんでしょ? だったら、二人だけを差し出せばいいんじゃない!?」

 ……おいおい。巻き込まれて恐慌状態なんだろうが、さすがにこの意見は酷い。しかし俺が発言する前に、村長が否定するように首を左右に振ってくれた。

「……そういう問題ではないし、そういうことを言うもんじゃない。ステフ、それにジン。すまなかったね。この子も――その、悪気があるわけじゃない」

「それは、理解しています」

 ステフが答えると、村長は頭を下げた。

「ありがとう。それで……トスティーナの魔女、ステフよ。チックボードで、わたしに無敗を誇る魔女よ――なにか、いい打開策はないかね?」

「戦うしかないです。村の女性やステフたち、そして村そのものを護るためには」

 俺の発した言葉に、村長は静かに目を伏せた。

「そうは言うが、我々は戦いには慣れておらん。どう戦えというのかね」

「村長さんたちが直接、戦う必要はありません。俺が――」

「あたしとジンが、なんとかします」

 この場にいた全員からの視線を浴びながら、ステフは俺の発言に言葉を被せた。

「指示は出しますから、村を護る準備はして下さい。ジンもなにか考えてるよね?」

 完全に信頼を寄せた瞳に見つめられ、俺は溜息を吐いた。

「一つ、二つくらいは。だけど、ステフは狙われてるんだし、避難するべきじゃない?」

「だからこそ、あたしだけ逃げるわけにはいかないでしょ? 頼りにしてるからね」

 そう言って微笑むステフに、俺はプレッシャーを誤魔化すように肩を竦めた。

「まったく……言い出しっぺだから、やるけどさ。だけど、先に傷の手当てをしたいな」

「そうだね。早く手当をしなきゃ――布と薬草は持ってきてるから、服を脱いでね」

 俺が着てきたチュニックという上着を脱ごうとしたとき、今まで俺たちの様子を眺めていたクレアさんが、ステフが持つ布に手を伸ばした。

「手当は、あたしが。時間が惜しいし、村人への指示は、ここと親しいステフがお願い」

「でも――あ、いえ……わかりました」

 未練を残すような視線を俺に向けてから、ステフは村人たちのほうへと歩いて行った。
 チュニックを脱いだ俺が座ると、クレアさんは「引き抜くから痛むわよ」と告げてから、右肩に刺さっていた矢尻を抜いた。

「――っ! くぅぅぅ……」

「ほら、我慢しなさい」

 薬草を揉んで絞り汁を滲ませてから、クレアさんはそっと傷口にあてがった。その上から布を当て、包帯代わりのリネンを肩に巻き付けた。

「傷口は縫ってないから、斬り合いなんかしたら、出血が酷くなるわよ」

「いてて……わかりました」

 俺は返事をしてから、気になっていたことをクレアさんに訊ねた。

「それで……俺に話があるんですか?」

「あら、よくわかったわね。一つ目は――助けてくれて、ありがとう」

「あ、いや、それは――」

「そうね。ステフのついでよね。それは、いいの。それで二つ目なんだけど」

 そう言って、クレアさんは俺の顔を覗き込んだ。

「さっきも言ったけど、激しい動きをしたら傷が悪化するわよ。本当なら、少なくとも四、五日は安静にするべきなんだから。言いたいことは、わかるわよね?」

「ええっと、無茶はするな?」

 俺の返答に、クレアさんは半目で睨んできた。

「ステフを泣かすなってこと。もし泣かすようなことがあれば――わかってるわね」

「……はい」
 クレアさんから発せられる怒気に、恐れをなした俺はぎこちなく頷いた。
 チュニックと胴鎧を身につけた俺は、近くにいた村人へ、ありったけの桶に水を汲むように頼んだ。少し離れた場所でクレアさんと話し込んでいたステフは、しきりに村の出入り口へ指を向けていた。

「……儀式魔術をするのね?」

「はい。村の造りから、出入り口にバリケードを造れば、時間稼ぎは出来ますから。それより
火矢対策のほうが重要です。敵が来てからなら、魔術を使おうが関係ないですし」

 クレアさんが頷くと、ステフは村人たちへと矢継ぎ早に指示を出し始めた。

「荷車は橋ギリギリのところで、横倒しに。その泥は、家の屋根や壁に塗って下さい。火矢対策になりますから。あとは農具を集めて、武器の代わりにします」

「ステフ……そんな武器を持ったって、俺たちは戦えないぞ」

 村人の声に、ステフは首を振った。

「戦う必要はありません。相手に見えるだけで充分です。ただ、弓を使える人だけは、こちらが指示する位置で待機をして下さい。ええっと……ガズフさんに、ジョンさん、それにライオネルさんですよね」

 村にいる狩人の三人の名を挙げたステフは、村の中にある木を指定しながら、それぞれに役割を指示し始めた。

「ジン、水はどうするのさ?」

「ああ、おばさん。火矢対策なんだけど……それとは別に、村の前の道を水浸しにして欲しいんです。大体……そうだな、二、三〇マールくらい、泥まみれになるように」

「泥……? そんなんで、あいつらの足が止まるのかい?」

「別のことで使いたいんですよ」

「……なんだか知らないけど、わかったよ」

 肩を竦めてから、おばさんは村人たちと、土がむき出しの山道に水をまき始めた。村の人たちに感謝をしながら、俺は村の中を見回すように視線をうろうろと彷徨わせた。

「あとは、足止めの手を考えなきゃな。酒場にでも行ってみるか……」

「なんで酒場なの?」

 俺の独り言を聞いたのか、駆け寄って来たステフが首を傾げていた。

「小細工するのに、強い酒が欲しいんだ。俺らの魔術は、人間相手じゃ強すぎるしね」

「なるべく殺したくないし……ね。さっそく行ってみようよ」

 俺とステフは村唯一の酒場である《赤い顔の鶏亭》に入ると、何本もの包丁をカウンターの上に置いている店主に声をかけた。

「親父さん。強い酒はありますか? その、燃えるくらい度の強いヤツ」

「ああ? あるにはあるが……どうするんだ?」

「ちょっとした食前酒に使いたいんです」

 俺が冗談っぽく答えると、店主はカウンターの奥にある樽を軽く叩いた。

「この酒は、めちゃくちゃ強いヤツでな。料理に使ったりもするんだ」

「丁度良いかも。それ、全部下さい」

 ステフは財布として使っている革袋から、六コルを取り出して店の親父に渡した。
 しかし、店の親父は首を振って銀貨をステフに返した。

「受け取れないな。これに勝たないと、稼いだって意味が無い」

「勝ちますよ。だから、受け取って下さい」
 自信ありげなステフの言葉に、店の親父は瞬きをした。そして銀貨を受け取りながら、口を歪めてみせた。

「まったく……どこからそんな自信がくるのやら」

「あたしと、ジンがなんとかします。だから、安心して下さい」

 店主に答えながら、ステフは俺に微笑んできた。正直、店主と同意見だった俺は、色々な感情を誤魔化すように、戯けながら肩を竦めてみせた。
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