魔剣士と光の魔女(完結)

わたなべ ゆたか

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短編

第四話 その3

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 短篇 第四話 女神大暴走 その3


   5

 真夜中に色々とあった、その翌朝。
 寝不足で、頭の芯が重い。薬も飲んでいない――もちろん持って来てもいない――ためか、背中の痛みが少し復活してきていた。
 一度、魔術師ギルドに戻ろうと部屋を出たとき、廊下を歩いていたクレアさんと出くわした。

 ……なんとなく、気まずいというか、なんというか。

 お互いに、そんな顔をしていた……と思う。


「えっと……おはようございます?」


「おはよ――ジン、そんな顔をしないでよ。その――昨晩のことは、気にしないで」


「いや、そんなこと言われても……ですね」


「いいから、気にしないで」


 語尾を強く言われ、俺は曖昧に頷いた。


「えっと、俺はギルドに戻ります。薬も飲みたいですし」


「……わかった。ステ――シャプシャも今日中には戻るようにするから。ずっとここにいるのも、色々と危険だし」


「そーですね。とりあえず……シャプシャに挨拶をしたら、すぐに出ます」


 様子を見に行くところだからと、クレアさんもステフの部屋に同行してきた。
 ドアをノックをすると、中から返事があった。部屋に入ると、すでに紺色のドレスと仮面を身につけたシャプシャが、俺たちを出迎えた。


「……おはようございます。あの、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」


 どことなく青白い顔で俺たちに会釈をしたシャプシャは、少し不安げに訊いてきた。
 どうぞ――と、俺が話を促すと、シャプシャは少し俯いた。


「あの――わたくし、ジンがここに来てから……朝までの記憶がまったくなくて。なにか失礼なこととか口にしなかったでしょうか? ヴィーネにも……その、暴言を吐いたことがありましたし。お酒は飲まない方がいい、とも言われてたもので」


 シャプシャの問いに、俺は返答に困った。それと同時に少しだけ、俺はヴィーネに親近感が沸いた。

 意外と苦労してたんだなぁ……あの魔王。

 そしてシャプシャへの返答だが――俺は勿論のこと、クレアさんも昨日のことは、あまり思い出したくないらしい。
 二人して、そっと視線を逸らしてから、俺は鉛のように重い口調で答えた。


「……気にしないほうがいいです。俺は、なるべく早く忘れるようにしますから」


「え――え? え? あの、その、なにかあったんですか?」


「いえ、気にしないで下さい。ほんと、かなりマジで、この話は止めておきましょう」


 オロオロとするシャプシャは、俺とクレアさんを何度も同じ質問をしてきたが、返答は変えられない――というか、変えたくない。
 ギルドに戻ることだけを伝えた俺は、退室してから騎士スターリングがいるであろう、兵舎へと向かった。

   *

 ギルドに戻った俺に対し、ティーサン賢師の第一声は、普段と変わらず感情の欠如したものだった。


「病み上がりで朝帰りとは、元気があってよろしい。特に下半身」


「……いや、そーゆーのは無かったので。っていうか朝一で下ネタぶっこむのは止めません?」


「いや、ただの冗談だが」


「その冗談が、ちょっと下品じゃないかって言いたいんですけど」


 俺の指摘に、ティーサン賢師は僅かに視線を動かした。


「……時間の問題?」


「いえ、それ以前の問題だと思います」


「そうか。次からは気をつけよう。それより、検診を始めよう」


 ティーサン賢師は、苦労してチェニックを脱いだ俺の上半身を触診してから、なにかの軟膏を塗った。


「まだ内出血のあとは残っている。無理に動かすと、塞ぎかけた箇所から出血するかもしれない。あと二、三日は安静に。剣の修練も止めておき給え」


「わかりました。あと、ステフを元に戻すための案は、なにか思いつきましたか?」


 俺の問いに、ティーサン賢師は遅滞なく答え始めた。


「正直、見当も付かない。当人に対して、色々と試すしかないが……原因はステフ君の心理的作用だと推測している」


「心理的作用……ですか?」


「そうだ。簡単にいえば、罪悪感とか負い目みたいなものだろう。心当たりは、一つだけあるが……」


「なんです?」


「トスティーナ山の迷宮で、君たちが分断されたとき、ステフはレオナード将――いや、今はただの皇太子だったな。とにかく、あの皇太子殿下と口論をしていた。内容をすべて聞いたわけではないが……君に関することだったと思う」


「俺のこと……ですか?」


 俺が忌み子であることなら、今更な話だ。それでステフが、罪悪感などを抱くことはないと思う。
 忌み子以外で何かあるのか――俺は考えてみたが、なにも思いつかなかった。

 それにしてもレオナード――皇太子は、俺たちに対して碌な言動がないな……さすがに、ちょっとイラッとする。

 無意識に顔を顰めていると、ティーサン賢師は俺の鼻頭に人差し指を押し当てた。


「そういう顔をしていると、ステフにも良い影響を与えないかもしれない。わたしが思うに、ステフが元に戻る鍵は君にある筈だ。思うがままに、色々とやってみるといい」


「そう言われても……なにをすればいいのか、わかりませんよ」


「そんなことはない。君はステフと付き合いが長いのだろう? 彼女の考えや趣向、そして君たちを絆を強固にしているもの――そういったものに一番詳しいはずだ」


 健闘を祈る――そう言って、ティーサン賢師は小さく片手を挙げた。


 ティーサン賢師の部屋を出て、病室を兼ねている宿泊用の部屋へ向かう途中、俺はクレイン奇師に声をかけられた。


「なにか、大変なことになっているみたいだね」


 そう言いながら、太股に触ってくるクレイン奇師から距離をとりつつ、俺はステフを元に戻す方法について相談してみた。
 正直――正直に言って、この人に頼るのは抵抗があるのだが、今は背に腹は代えられないのである。
 そんな俺の問いかけに、クレイン奇師は柔らかく微笑んだ。


「そんなの、愛を伝えれば一発じゃないかな? ステフを元に戻す鍵が君という、ティーサン賢師の意見には、僕も同意だ。彼女に不安があり、それが君である可能性があるなら、それを取り除いてやればいいのさ。
 君にできる、精一杯の愛を伝えてみたらいいんじゃないかな」


「いやその……愛って。今更なにを言えば良いんでしょうね」


 項垂れるような顔で俺が困っていると、クレイン奇師は苦笑したような顔をしながら、首を振った。


「男の人は、こういうところが良くないね。女性はいつになっても、愛の言葉を欲しているものさ。年齢や立場に関係なく、ね。もちろん、例外はあるだろうけど……ステフは、例外の側にはいないと思うよ。愛してる、好きだ――なんでもいいさ。伝えてごらんよ」


「……そういうものですか?」


「そういうものさ……多分ね」


 戯けたような顔で肩を竦めたクレイン奇師は、俺の左肩を撫でるように叩きつつ、廊下を歩いて行った。

   6

 夕刻になって台所にいた俺に、ギルドに帰ってきたばかりのシャプシャが、気遣わしげな表情で近づいて来た。


「寝ていなくて、大丈夫なのですか?」


「えっと……このくらいなら。一応、ティーサン賢師の許可は貰ってます」


 目玉焼きを焼いているプライパンを竃から上げ、テーブルに置いてあった濡れ布巾の上に置く。ジュッと音がしてから、俺はフライパンをテーブルの上に置き直してから、スープを煮込んでいた大鍋を竃から降ろした。
 少し右肩が痛んだが、この程度なら我慢できる。


「なにをしているのです?」


「見ての通り、晩飯を作ってるんで。なにもしないより、飯を作ってるほうが気が楽なんですよ」


 俺は目玉焼きとスープの味見をしてから、それぞれ木製の器に移した。


「どうぞ」


「……いつも、今みたいに目の前で味見をしているのですか?」


「そんなことはないですよ? 毎回、味見はしますけど……それはほら、料理してたら誰でもやると思いますし。それよりも、先にどうぞ」


 シャプシャを促しながら、俺は自分の分の盛りつけをした。
 目玉焼きとスープ、パンは一人一つ。


「……あたしは、空気読んだ方がいい?」


 クレアさんは色々と察してくれたのか、台所から離れていった。
 助かります――と答えた俺の声は、聞こえただろうか? 足音が消えてから、俺は席についた。
 お祈りをしていたシャプシャは、俺が席に着くのを待って、パンに手を伸ばした。


「これらは、ステフの好きなモノ――ですね」


「……そうかなって思って作ってみました。基本、大抵のものは喜んで食べてくれますから、どれが好物かわかりにくくって」


「ああ……そうですね。あなたの作る食事は、ステフの楽しみであり、この世界で生きるための光。その一つです」


「この世界で生きる光……それは、俺が言いたいことですよ。ステフが俺の作った食事を喜んでくれている――それが、俺にとって大切なことだって、少し前に理解したんです」


 俺はスープを一口飲んでから、気恥ずかしさを我慢しながら話を続けた。


「ステフがいないと、ダメなんですよね……なんか、依存しちゃってて」


「ステフも同じですよ。あなたに依存してます。それは気づいてますか?」


 シャプシャに頷いてから、俺は少し肩を竦めた。


「なんとなく。共依存っていうんですっけ? ステフのことは、もちろん好きです。そんな気持ちのほかに俺は……ある意味、共依存で強依存ですよ。ステフは食事だけかもしれませんけど、俺は心理的とか安心感とか、色々と依存しちゃってます。
 予言の片割れがステフで良かった――こんなこと思っちゃうんですよね。前世のこととはいえ、好きな人が殺されたことを喜んでるみたいで……酷いですよね、俺」


 俺がステフにふさわしいのか――そう考えてしまうのは、なにも魔王ヴィーネのことだけが原因じゃない。そんな依存体質を自覚してしまったことが、俺を不安にさせているのかもしれない。
 こんな話を聞いてもなお、シャプシャは柔和な微笑みを崩さなかった。首を小さく左右に振ると、どこか安心したような表情を浮かべた。


「あなたの認識は、少し間違ってます。ステフが依存しているのは、食事だけではありません。先ほども言いましたが、あなたと同じですよ。あなたという存在そのものが、ステフにとって光なのですから」


 シャプシャの発言は、完全に予想外だった。
 俺……料理以外に、なにかしてやえてたんだろうか。そのあたり、まったくもって自信がない。
 思わず、本来の目的を忘れそうだった俺は、気持ちを切り替えると同時に、恥ずかしさを押し殺――すのに必死になった。


「あ、あの……ですね。俺の声は、ステフに聞こえているんでしょうか?」


「そうですね……そこまでは、正直にいって把握できていません。わたくしでも、ある程度しか外のことはわかりませんでしたから。ただ、この身体は元々、ステフのものですから。聞こえている可能性はあります」


「そうですか……あ、あの、俺は、ですね。ステフに好きだよって、伝えたいんです。一緒に居たいって」


「それは、以前に伝えたはずではありませんか?」


「言いました。けど、最近は色々と忙しかったし、人目も多かったので……そういうことを言う回数が減ってたかもしれません。そんなことを他の人に言われましたし」


「このお食事は、その話をするために?」


「……はい。ステフが元に戻る切っ掛けになればと思って、ですね」


 俺が――恐らくは真っ赤になった顔で――頷くと、シャプシャは微笑んだ。


「ジン・ナイト。あなたの言葉……いえ、心はステフに届いていますよ、きっと」


「そう願いたいです」


 俺は呼吸を整えてから、顔を上げた。
 そのあとは――食事を終えると二人で後片付け、それで終わってしまった。
 改めて好きだって伝えようとして、変に意識してしまったわけで。世の幸福な恋人たちは、こういうのを平然と言い合っているのだろうか?

 ……考えていたことの、半分も言えなかったなぁ。

   *

 ふわりとした感触に包まれながら、ステフの魂は微睡みの中にいた。


 ――あたしは、ジンに酷いことを強いているのかもしれない。


 迷宮でレオナードに言われたことが楔となって、ステフの心に突き刺さっていた。


『毒味役として利用しているだけではないのか!?』


 これまでジンと暮らしていて、そんなことを考えたことはない。だが、無意識に利用していたとしたら――それを否定するだけの自信が、ステフにはなかった。
 それが罪悪感となり、心に重くのしかかっていた。迷宮に戻り、氷室に貯蔵されていた食材を温め直し、少しだけ食べたあと――それら負の感情が倦怠感となり、ステフを午睡へと誘った。
 あとは、シャプシャがジンに話した通りである。
 弱まった精神がシャプシャの力に飲まれ、ステフの意識は魂の深層に沈んでしまった。
 いつか、ジンに不幸をもたらすのでは――という不安に包まれ始めたステフの精神に、ジンの声が届いた。


「ステフがいないと、ダメなんですよね……なんか、依存しちゃってて」


 ――ジンの声……。


 弱まっていたステフの精神に、揺らぎが生じた。
 僅かに意識が外へと向いた途端、会話が流れ込んできた。


「――あなたの作る食事は、ステフの楽しみであり、この世界で生きるための光。その一つです」


「この世界で生きる光……それは、俺が言いたいことですよ。ステフが俺の作った食事を喜んでくれている――それが、俺にとって大切なことだって、少し前に理解したんです」


 ジンと話をする自分の声にステフは戸惑ったものの、すぐに声の主はシャプシャなのだと理解した。


「あ、あの、俺は、ですね。ステフに好きだよって、伝えたいんです。一緒に居たいって」


 ――とくん。


 ジンの言葉を切っ掛けに、ステフの精神が揺れた。
 虚ろに拡散していた思いが、一つの方向性をもって言葉となった。


(ジンに会いたい)


 外に向いた意識は、しかとはし罪悪感という殻を打ち破るには、まだ弱かった。
 魂の深層で、ステフはジンの声を求め続けた。

   7

 シャプシャと食事をした夜。俺は手詰まり感からか、ベッドに横になったまま、なにもできないでいた。
 身体を回復させるには良いのだろうが……なにかを考えることが、酷く億劫だった。好物を作り、できる限りの想いを口にしても、ステフは元に戻らなかった。その現実が、俺の中から気力を根こそぎ奪っていたのかもしれない。
 なんとなく視線を動かした先に、火が灯った燭台があった。
 蝋燭が勿体ないから、消してしまおうか――そう考えた矢先、部屋のドアがノックされた。


「ジン・ナイト。入ってもよろしいですか?」


 ステ……いや、シャプシャの声に、俺は上半身を起こした。
 今はあまりシャプシャに会いたくないけど、断れるかと言われれば、それまたないわけで。


「……どうぞ」


 俺が声をかけると、ドアが開いてシャプシャが部屋に入って来た。
 寝間着である白いワンピース状の肌着姿だったシャプシャは、そのまま俺のいるベッドに腰掛けた。


「……なんです?」


「ステフが元に戻るために、色々とやってみたいと思いまして。今晩は、添い寝をお願いしてよろしいですか?」


「……なにを考えてるんです?」


 溜息とともに吐き出された俺の言葉に、シャプシャは微笑みながら答えた。


「ステフを元に戻すため、と言ったでしょう? わたくしもティーサン賢師と話をしているのです。そして、同じ意見でした。あなたが、鍵だと」


 ベッドの上に座る俺の隣で横になると、シャプシャは目を閉じた。


「あとは、あなたに任せようと思います」


「そんな無責任な……」


 ガックリと項垂れた俺が顔を上げたとき、シャプシャはすでに寝息を立てていた。
 俺は頭を掻き毟りながらベッドから降りると、近くにあった椅子を引き寄せた。背もたれを前にして左の肘を乗せた俺は、右手でシャプシャ――ステフの髪にそっと触れた。
 ふと視線を動かした俺は、シャプシャの身体にシーツを被せた。その、色々と目のやり場に困るので。
 シャプシャの片耳には、俺とお揃いのイヤリングをしたままだ。
 魔術師ギルドの入門試験を思い出しながら、俺はイヤリングに触れた。このイヤリングは、養い親の形見でもある特別製だ。
 キーワードを唱えると、対のイヤリング――俺がしているものだ――を介して、装着者に声を届けることができる。
 魔術師ギルドの入門試験時に、俺は魔王ヴィーネに魂を浸食されかけた。そのとき、ステフはこのイヤリングで俺を助けてくれた。
 そんな俺たちの絆を象徴するイヤリングも、今回は役に立たない。


「……ステフ、早く戻ってきてくれよ。ステフがいないと、俺はダメなんだからさ。このまま戻ってきてくれなかったら、俺は――魔術師やダグド卿の勉強なんか、全部意味が無いんだ。迷宮にいる理由だって、ないんだよ」


 俺が溜息を吐いたとき、ステフの頬がぴくりと動いた。
 目が覚めたり、髪の色が元に戻る気配がないことを見てから、俺はステフの魂に届くことを期待して、話しかけ続ける。


「迷宮を出て行く当てもなく、どこかで世捨て人になって、人知れず死んだら、ステフは気づいてくれるかな? 試作中のカスタードクリームや、パン粉を使ったドーナッツとか……全部無駄になっちゃ――」


「そんなのダメ!」


 一瞬、身体から光が弾けたと同時に、元の髪色に戻ったシャプ――いや、ステフが、両手をベッドに着いた姿勢で起き上がった。


「ス、テフ?」


「あ――あれ? ここは……?」


 辺りを見回すステフを呆然と眺めていた俺は、少し涙腺を緩ませながら、椅子の背もたれに顔を埋めた。
 そんな俺に、ステフは半ば呆然とした顔で、「なにが、あったの?」と質問してきた。
 かなり掻い摘まんだ説明をし終えると、ステフはベッドに腰掛けた俺の左肩に、頭を預けてきた。


「……ごめんね」


「いや、多分だけど、シャプシャが半分くらい悪いと思うんだよね。今回の」


 残り半分は、恐らくレオナード皇太子だと思う。皇族じゃなきゃ、一発殴りたいところである。
 そんなことを考えていると、ステフ首を小さく振った。


「あたしも……原因だったと思うの。少し、その、考え事とかしてて」


「なんか悩みありそうだったしね……もしかして、俺のせいだったりする?」


「少し。あたしの問題だから……あまり気にしないで。ジンは、なんにも悪くないから」


「ステフがそう言うなら……いいけどさ」


 俺はステフの肩を抱き寄せると、唇で頬に触れた。


「元に戻って、良かった」


「……うん。心配させて、ごめんね?」


「元に戻ってくれたんだから、いいさ。けど……好きって言葉やステフが居ないとダメなんだ――って言葉より、食い物の話で戻るんだもんなぁ……少しショックかも」


「え?」


 ステフは呆気にとられ――その次の瞬間には、打たれたような顔をした。


「違うよ!? 世捨て人になるとか、人知れず死ぬとか、そういう声が聞こえたから、そんなのダメって――」


「いやでも、起きたのは食べ物の話をしたときだし」


「それは、偶然! 偶然だもん!」


 わめき声をあげるステフの態度や表情に、どこか安心したのかもしれない。俺は久しぶりに――本当に、久しぶりに笑い声をあげた。


「……なぁに?」


「うん? ステフが戻って来てくれたんだって、実感しただけ」


 俺はかなりの努力を要して笑いを消すと、ステフをそっと抱きしめた。


「おかえり。戻ってきてくれて、嬉しいよ。ステフがステフじゃなくなって、俺は色々と駄目になりかけちゃったよ」


「ジン……あたしで、いいの? 本当に、あたしでいい?」


 俺の胸板に顔を埋めながら、ステフの声はどこか不安げだった。
 やはり、なにか悩みがある――と思いながらも、俺は戯けるような表情で告げた。


「他に、誰がいるのさ……ステフが好きで、ずっと一緒に居たいって気持ちに嘘はないよ」


「でも、あたし……あたしは、ジンに酷いことをしてるかもしれないの。卑怯者かもしれないんだよ?」


「酷いことって……ステフで酷いって言ってたら、この世界の全員が、俺にとっては最悪な人間になっちゃうよ。もしかして、俺と居るのはイヤになっちゃった?」


 少し不安も覚えながら問いかけた俺に、ステフは大きく首を振った。


「違う――違うの。あたしがジンをイヤになるなんて、ないよ」


「なら、なんの問題もないさ。ステフが側にいてくれるなら、俺はそれでいい」


 俺が微笑むと、ステフは目を細めて顔を寄せてきた。


「ジン……ねえ、キスしてもいい?」


「ダメ――俺からしたいからさ」


 俺の返答に、ステフは少しだけ苦笑した。
 お互いに相手の身体に腕を回した俺たちは、唇を重ねた。
 これで安心しきったせいか、俺とステフはすぐに眠り――というか爆睡してしまった。
 翌朝、俺とステフは「ステフが元に戻ったなら、すぐに報告しに来なさい!!」と、クレアさんに怒鳴られた。
 俺とステフに対する説教は、一時間以上にも及んだのだった。


 エピローグ


 元に戻ったステフと領主の屋敷に入った俺に、ダグド卿が近寄って来た。


「ステファニーが元に戻ったようで、安心した」


 どことなくやつれた顔のダグド卿に、俺は簡単に経緯の説明をした。


「……という感じです。それにしても、なにかお疲れみたいですけど。大丈夫ですか?」


「気にしなくてよろしい。女帝との会談や質疑に、ずっと付き合っていただけだ」


「それはその……お疲れ様でした」


 あのディオーラ女帝と一対一で会談とか、ゾッとする。俺は心から、ダグド卿を労うと同時に感謝した。
 ダグド卿は一つ頷くと、表情を改めた。


「そこは気にしなくてよろしい。身体は前より良くなっているようで、なにより。今日から、勉学を開始するとしよう」

 ……忘れてた。

 一難去ってまた一難――執務室に連れて行かれた俺を待っていたのは、分厚い書籍の山と、長時間に渡る講義だったのである。

 ……なんだろう。ちょっとだけ泣けてきた。

                                      完

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 短篇のはずが、想定以上に長くなりました。二日で書く分量じゃないわ……。

改めて。本作を読んで頂いて、ありがとうございます! 

わたなべ ゆたか です。


短篇も今回で終わりです……最後の最後に、長くなりました。

当初のプロットでは、三章かけてやる内容をギュッと縮めたのですが……やっぱり長いですね。


次回以降の予定ですが、短篇のおまけを二、三回、不定期にアップしたいと思います。
その間に、第四章を書き溜めたいです。


少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


次回もよろしくお願いします!                
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