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僕と妻の話①

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俺の妻は俺にはもったいないほど美しい。


銀行に勤め始めたもののつまらない生活の繰り返し、そんな時に覚えたばかりの煙草を吸いに喫煙室へ向かうと、他部署の上司が先に陣取っていた。

彼がわずかにずれてくれたので、隣に立つと、彼は自分のところのお堅い上司とは比べものにならないくらい饒舌で、今まで上司達からは聞いたこともない妻への惚気がいくらでも出てきた。結婚に希望も憧れもなかったが、彼の話を聞いていると、結婚も悪くないんじゃないかと思えるほどだった。

彼の話は楽しくて、俺はまだそこまで依存していない煙草を吸いに息が詰まるたび何度も喫煙室へ足を運んだ。

「娘がね、まだ高校生なんだけど、妻に似てそりゃあ美人なんだよ。定期演奏会があるんだ、観にこない?」

彼の言うことはいつも大げさで、話半分で聞いていたので、その時も親の欲目
だろうと思っていた。

結局彼の言う美人という娘さんを一度この目で見てやろうと思って、その週の日曜に彼と一緒に縁もゆかりもない高校の定期演奏会を見に行った。自分が高校生だった時にクラスメイトに誘われても断ったのに、だ。

結果、俺はその自分の野次馬根性に多大に感謝することとなる。

すっと立ち上がった彼女は長い髪を後ろでひとつにまとめていて、ライトに照らされて細められた大きな目、時折視界の邪魔をする顧問の指揮棒を振るう腕が邪魔で仕方なかった。気がつけば演奏会は終わっていて、僕はただのおしゃべり好きな上司から義父候補に昇格した上司に、それとなく家に遊びに行ってみたいとほのめかした。

娘さん美人でしたね、奥さんもさぞ美人なんでしょうね、拝見したいなあとかそういう当たり障りのない言い方で。

「うん、娘が高校卒業するまではだめ~。それまで仕事がんばってね。」

なんだそれ!
そう言いたいところを、必死で堪えた。なんたって義父候補。

それからは、仕事にも身が入った。

時折、娘、彼氏出来ちゃったみたい、ごめんね~とかいう義父候補を締め殺したくなりながら、
別れたよ、おめでと~とか言われるたびに小躍りしそうになりながら、日々は過ぎて行った。

週末、うち来る?と言われた日、俺は、思わず火をつけたばかりの煙草を揉み消して、彼の手を両手で握った。

「手を握られるのは妻だけがいいなあ~」

「失礼しました。伺います。何時くらいがいいでしょうか。」

「う~ん、14時くらいかなあ。あっ手ぶらできてね、うちの奥さんお菓子作るの好きだからたぶん自分で用意したいと思うから。

「承知しました。」

俺はその場で、手帳に週末の予定を書き込んだ。

3色ボールペンの赤色を、買って以来初めて使った。


そのやけに発色のいい赤色の書き込みを見るたび顔がにやけて、同僚に不審がられた。

平日は忙しいので週末というのはすぐやってくる。

最寄りの駅まで電車で行くと、上司は駅まで迎えにきてくれていた。

ハイネックの薄手のセーターにジャケットを合わせて、それなりにきちんと見える格好をしてきた。

「水野さん、僕どこもおかしくないですか。」

「なにそれ、気持ち悪いなあ。」

「気持ち悪いってどこがですか。おじさんぽい?」

「そういうとこだよ。必死すぎて嫌なんだけど。」

「とにかく変じゃないです?」

「大丈夫大丈夫。ほらついたよ。」

上司について失礼した玄関まで、彼の妻が出迎えてくれる。リビングへ通されて、すぐに娘であるところの彼女が呼ばれた。

高校生の頃と変わらない甘い顔立ちと長い髪。
たしかに似ている彼女の母親とは違い、微かな儚さを感じるのは、高校生の時とは違い、髪の色がわずかに明るくなったせいだろうか。

陽の当たるリビングで初めて間近で見た彼女は美しく若々しく、自分とはたまらなく遠く感じた。

とっくに成人して就職して上司に部下として連れてこられた自分を、彼女はどんな風に思っているんだろう。

当たり障りなく上司の妻を褒めて彼女を褒めて、出された手作りのお菓子を褒めて、もう話すことがなくなって、若干薄いコーヒーに何度も口もつける。

上司が痺れを切らして自室から持ってきた経済誌を受け取るも、先日新調した眼鏡は度数が強くて近距離がぼやける。眼鏡を外して目を顰めてそれを読んだ後、

上司に雑誌を返して眼鏡をかけ直すと、彼女はぼんやりとこちらを見ていた。

もしかしておじさんくさかっただろうか。いや、老眼だとかそういうことではないんだけれど。

言い訳したくても、急に喋り出したおっさんキモ、とか思われたらどうしよう、と思うと何も言えなくて、上司に促されて帰る前に彼女と連絡先を交換して、なんの印象も残せないまま退散した。

登録した彼女の連絡先をにやにや眺める日々が続き、

テレビで流れたカフェに誘い、

────誘う前に上司に何度もキモくないですかね!?

五つ年上の男からカフェに誘われるの、と確認をとって、やっとだ。

それから何度か食事をして、季節が彼女を初めて見た冬に差し掛かる頃、

初めて彼女に誘われた。彼女の先輩が所属している地元の楽団のコンサート。

誘われた立場でプロポーズをするのは自分でもどうかと思ったが、もう彼女のことが好きで好きでたまらなくて、独占したくて、またいつ上司から彼氏ができたとか聞かされたらと思うと落ち着かなくて、約束がほしくて、直接彼女に指輪のサイズを聞いて指輪を買いに行った。

シンプルなのがいいかと思ったけれど、ろくにコミュニケーションを取れない自分が表せる愛情がこれしかない気がして、ぐるりとダイヤのついたデザインにした。指定のサイズで用意された指輪を手に取ってまじまじと見つめる。え?小さすぎないか?ここに指が入るのか?本当に?その小さな小さな指輪を眺めると、胸の辺りが締め付けられてたまらない気持ちになった。それを見つめているだけで涙が出そうで、慌てて店を後にした。

その日は車を出していたので、後部座席に小さな紙袋を置く。

彼女を迎えに行ってホールへ移動して並んで座ると、あの初めて見た日のライトのように、彼女の左手の薬指が光って見えた。なるほど細い。綺麗に整えられたつるりとした爪や、白く長い指に触れたくて、握り潰したいような、口に入れて舐めまわしたいような、邪な気持ちになって、咄嗟に目を逸らした。

彼女はコンサートに感動して目をキラキラさせていて本当に可愛かった。


帰りの車で気の早いイルミネーションを見に行って、車の中で結婚を申し込んだ。

彼女のコートの白いファーの襟が、ライトの点滅と一緒に光っていて眩しくて、俺はまた何も気の利いたことを言えずに、また連絡します、と言って彼女を家に送った。



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