アミュレット・フォー・マイ・エンジェル

峰迫ケイト

文字の大きさ
6 / 8
第6章

約束

しおりを挟む
 翌朝、ベッドに差し込む朝陽に白い肌を輝かせ、長い睫毛まつげを幸福そうに閉じ天使のようにまどろむ樹季いつきを、光汰こうたは静かなキスで起こした。

 樹季が目を開けると光汰はすっかり着替えていて、ローテーブルの上には焼きたてのバタートーストと、器用に盛り付けられたサラダとハムエッグの皿が乗っていた。

「ちょっと早いけど、起きられるか? 駅まで送ってくよ。ちょっと寄りたい所があるって、昨日言ってたろ。俺の自転車に乗っけてってやるよ」

「お…おはよう……」

 樹季はまだ酷く眠かった。再び目を閉じて、まどろみそうになる。

「樹季、ちょっと、腰……診せてくれないか?」

「えっ」

 樹季はいっぺんに目が覚めた。光汰は神妙な面持ちでベッドに上がってきて、昨夜のまま、何も身につけていない樹季がくるまっていた毛布をめくった。それから慎重な手つきで、樹季の腰骨こしぼねの上を両手の親指でそっと圧迫したり、少し腰を持ち上げて背骨の裏側をぐっと押したりした。

 理学療法士を目指している光汰は、純粋に樹季の身体を気遣っているようだった。昨夜、あまりに激しく樹季を抱いたため、その華奢きゃしゃな身体を傷めたのではないかと心配しているらしい。戸惑う樹季は片膝を折り畳まれ、それをぐっと腹部の方に押し付けられた。

「これ……痛くないか? 大丈夫か」

 樹季は、その気遣う言葉が、昨夜何度もベッドで繰り返されたものだと思い出し、耳まで赤くなった。がされた毛布を手繰り寄せ、露わになった前の部分を隠すと、光汰から離れようと身体をずり上がらせた。

「なっ…何ともないったら……! 平気だ」

「バカ、誤解すんなよ……。心配してるんだ。下心でやってんじゃねぇよ」

 静かにさとすように言われ、樹季はむやみに興奮した自分が少し恥ずかしくなる。いつか、光汰は樹季の方が大人だと言ってくれたことがあった。でも今は、光汰の方がずっと大人だ……。樹季はそう思った。光汰の心遣いが嬉しい反面、いつも自分を弟扱いする彼に、小さな仕返しをしてみたくなった。

「何ともねぇみたいで安心したよ。今、コーヒーれるからな。今朝はちゃんと豆からいたんだぜ」

 光汰はベッドから降り、湯気の立つコーヒーをカップに注いでテーブルの上に置いた。香ばしい薫りが部屋中に広がる。それから光汰は、中々ベッドから起き上がろうとしない樹季の様子を見に来た。

「そんなに眠いのか? 昨日きのう、寝るの遅かったもんな」

 寝不足なのは、深夜まで二人でむつみあったせいだ。光汰も、思い当たって少し顔を赤くする。樹季は、全裸のまま、甘えたような声で、せがんだ。

「こっち……来て。起きるの、手伝ってくれよ……」

 光汰は、誘うような樹季の表情に動揺しながら、なるべく平静を装うようにベッドの端に腰かけ、彼を抱きかかえて起こそうとした。

「なに甘えてんだ……ガキかよ」

 樹季は、されるがままに半身を起こしてから、すっと光汰の背中に腕を回した。それから目を閉じ、悩ましげに光汰の胸に擦り寄っていった。

「光汰……急ぐ? すぐ、食べなきゃ…駄目かな……」

 光汰は、今度は顔中を真っ赤にして言った。

「ちょっと……待て! 朝からその気にさせんなよ……ヤバいって……!」

 樹季は、光汰の胸の中でくすくす笑った。

「お前こそ、誤解すんなよ。俺、猫舌なんだ。知ってるだろ? せっかく熱々のコーヒー淹れてくれたのに、すぐ飲めなくて、悪いなって思ったからさ」

「からかってんのかよぉ……まったく」

 少し怒ったようにそう言うと、光汰は樹季のあごをつかまえて、その唇をキスでふさいだ。優しいが、激しいキス……。徐々に深いところまで忍びこんでこようとする光汰からいったん離れ、樹季は困ったように瞳を潤ませた。

「駄目だよ……止まら…なく……なるし」

 光汰は微笑んで、樹季を両腕でぎゅっと抱き締めた。

「コーヒー……冷めるまで、こうしてる位なら……いいだろ?」 

「うん……」

 樹季は目を閉じて、しばらくの間、ただ光汰の胸の温もりを感じていた。




 二人は朝食を済ますと、光汰こうたぐ自転車で、あの高台を目指した。二人乗りを見咎みとがめられるかと思ったが、早朝の為すれ違う人影もほとんどない。スピードを上げて街を駆け抜け、高台に続く急な坂では、樹季が荷台から降りて二人で自転車を押して登った。

 思い出の場所は、息を切らして登ってきた二人を爽やかな朝の大気で包んでくれる。眼下には、朝靄あさもやに煙る懐かしい風景が広がっていた。

 樹季は光汰と並んでたたずみ、キーケースの中から、光汰にここで譲られた一セント硬貨を取り出した。

「光汰、覚えてる? これ……」

「うん……昔、お前にやったお守りだろ。うわ……この銀のキーホルダー、めっちゃ高かったんじゃねぇの?」

 光汰は懐かしそうに、樹季のてのひらの上にあるそれを見つめた。銅製の硬貨も、一目で純銀製とわかるキーホルダーのチェーンも、綺麗きれいに磨かれて朝の光に煌めいている。樹季は、ちょっとためらってから、光汰に言った。

「これ、しばらく、お前に持ってて欲しいんだ」

「えっ……」

 光汰は驚いて、ちょっと寂しげな表情をした。それから、うつむいてつぶやいた。

「俺は…お前に持ってて欲しかったな……俺がそばにいられない間も、なんか安心な気がしてさ……もう…要らねぇの……?」

 樹季は、少し慌ててから、言った。

「もちろん、ずっと大切にしてたよ! 要らなくなったとか、そんなんじゃないんだ」

「じゃあ……何で?」

「俺…いつもこれを見て、お前のことばかり思い出してた……。ずっと会えないのが当たり前になって、これだけが、お前と俺をつないでくれるって思ってたんだ。だからさ、手放すのが怖かったんだけど……」

 樹季は光汰にまっすぐ向き合うと、自分にも言い聞かせるようにしながら、言葉に力を込めた。

「もう、怖くなんかない」

 そう強く言うと、樹季は一セント硬貨を光汰の右手に滑り込ませ、しっかりと握らせた。光汰は、少し驚いていた。樹季の眼差しには、昨夜、光汰の腕のなかで震えながら泣いていた、おびえるようなはかなさは微塵みじんもなかった。いつも弟のようにかばってきた、どこか頼りなげな樹季ではない。

「樹季……?」

「それにさ、俺……このお守りもらってから、本当に病気もケガもしなかった。だから今度は、これに光汰を守って欲しいんだ。俺も、光汰を守りたい。元気でいて欲しい。その気持ちは、俺が持ってる間、沢山込めたと思うから……」

 光汰の瞳が、あのとき、この高台で樹季が別れを打ち明けたときのように、潤んで行く気がした。樹季は、その瞳をまっすぐに見つめながら、本当はいっときでも離れていたくない……寂しいという言葉を、必死の思いで呑み込んだ。離れていても、もう不安になんてならない。そう決めた。

 光汰を信じる、信じられる。静かな、しかし強い確信に励まされ、樹季は胸を張って光汰に向かい合った。

しばらくの間、あんまり会えないのは辛いよ……でも、我慢できる。この先、俺が館山に戻ってくるのか、ひょっとしたら光汰が東京に出てくるのか、まだ判らないけど……。いつか、ずっと一緒にいられる日が来るように、光汰にも、お守りにして、思いを込めておいて欲しいんだ」

 光汰は、すっと樹季から顔を背け、パーカーの袖で顔をぐいっと拭いた。樹季は心配になり、彼の肩に掴まると、少し背伸びをしてその顔を覗き込んだ。

「くそっ……あん時と、立場が逆になっちまったじゃねぇか……! お前みたいな泣き虫に、なんで俺が泣かされなきゃならねぇんだ……メチャクチャ、カッコりぃ……お前の前でだけは、泣くもんかとガキのころから頑張って来たのに……なんで今頃になってから……この、反則野郎っ……」

 確かに、樹季は光汰の涙を初めて見た。いつも自分を守ってくれ、自分の前では強く振舞ってくれた光汰の思いに胸が熱くなり、袖で顔を覆ったままの彼の胸に飛び込んだ。

 自分をこんなにも強くしてくれたのは、光汰なんだ……。これからは、守られるだけの存在でいたくない。自分も光汰の進む道を照らす、明るい道標みちしるべになりたい。心の中で、樹季は、なんども、繰り返し、そう願った。

 光汰は、樹季に涙を見られないように、彼の身体を強く自分の胸に引き寄せ、両腕で、深く、深く抱きしめてしばらく離さなかった。その右の掌には、樹季から託された幸運の一セント硬貨が、しっかりと握られている。



「樹季……お前の二十歳はたちの誕生日、一緒にお祝いしよう」

「うん……光汰」

 思い出の場所は、二人のこれからの歩みの出発点となった。

 樹季の記憶に刻まれていたセピア色の情景は、降り注ぐ朝の金色の光の粒で鮮やかに塗り替わり、まぶしいほどの優しい輝きに満ちていった。


      完      
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

処理中です...